朝ドラエール第8週です。
裕一さんの納豆攻撃に釣られ私も「わら納豆」買うように。美味しいよっ。
先週に引き続き「芸術家の相克」を逃げずに描くNHK。
サワヤカが身上の朝ドラで、主人公のダークな一面をこんなに前面に出してええんかいな、思いましたが、裕一さんの言動の一つ一つがリアルで胸に突き刺さりました。
オブラートに包まず苦いまま提示したのは、制作の吉田監督のチャレンジなのでしょうか。
悩まない芸術家なんて居ない!と、いちいち共感しまくりな私でした。
裕一をいつも気にかけてくれる喫茶バンブーのマスター。
早稲田から依頼された応援歌がなかなか上手く出来ず唸っていた時の、マスターとの会話、印象的。禅問答みたいでした。
「“自分にしか作れない音楽”にこだわってるから苦しいんじゃないの?」
「どうして?ありきたりの音楽でいいのなら、僕が作る意味無いじゃない?」
「例えば、僕が毎日自分の気分でコーヒーの味変えたらどうなる?」
「いや困りますよ。来るたびに味が変わってたら!いつも同じ美味しいコーヒーを飲みに来てるんだから」
「僕は、お客さんの顔を思い浮かべてコーヒーを入れてる。お客さんの喜ぶ顔が見たいんだ」
こんな感じでした。深いなあ。
お客さんは「いつものコーヒー」が欲しいのであって、マスターの気分で薄かったり濃かったりしたら「なんだ、この店は!」となってしまう。
「作り手のひとりよがり」なんて、不要ということです。
でも、家に帰った裕一さんはソッコー、妻の音さんに「納得出来ない!」とキレます。
「マスターは商売人だからお客に媚び売るのもわかるよ。でも音楽は違うじゃん!僕が“僕の音楽”にこだわって何が悪いの?」
裕一はやはり「芸術(西洋音楽)は至高のものであって、自分は客に媚売るような(どこにでもある一般大衆向け)音楽は作りたくない」という意識が頑としてあるようです。
子供の頃や学生時代に、新しいレコードを入手してトキめいている場面はありましたが、その後の日々で「西洋音楽に心酔」してる描写がほとんど無かった為、この突然のぶちギレに「ええっ?裕一さんこんなこと考えてたの?」と音さんのみならず私も戸惑います。
赤レーベルと契約してしまったくせに、大衆音楽を作るモードに切り替えられない。
少年ジャンプと契約したのに「いや私の得意は油絵ですから」と言い張ってるようなものです。
喫茶店のマスターのいれるコーヒーも、「媚売ってる」わけじゃないのよ。
それは「作り手としての愛情」なんだよ。
でも、若くて経験値も少ない裕一は、自分の狭量さに気付きません。
思えば実家が呉服屋さんだったため、小さい頃からお客にペコペコ頭を下げる親や従業員を見てきて、「あんな大変な生き方出来ないな~。嫌だな~」と刷り込まれてしまったのかも(ご実家が呉服屋といえばユーミンも同様のこと言ってましたね。親を“米つきバッタ”になぞらえて)。
裕一は続けて「本当だったら今頃ヨーロッパで音楽学んでたはずなのに、こんな東京の片隅で応援歌と大衆音楽やってる。でも僕なりに頑張ってんだよ。一生懸命やってんだ」と怒涛のぶちまけで音さんを困惑させます。
こんなに声を荒げて、本音(゜ロ゜)をまくし立てる裕一さんは初めてですが、相手が音さんであることに「甘えと信頼」が伺えます。
でも音さんは裕一を甘やかさず、レコード会社のディレクターから聞いた「古山裕一の音楽の欠陥性」をズバリと伝えます。
私なら直接言わないな。。。
「言ったら怒るかも」「怒らないよ。俺冷静だからはっきり言って」というやりとりにも、互いの信頼度が見てとれます、が。
結果、裕一に更に火がついてしまい、応援歌締め切り間際というのに、全く関係のない交響曲を書いちゃうのです(締め切り間際になぜか別の仕事に熱中してしまう…芸術家あるある)。
レコード会社に一向に曲が採用されない鬱憤を晴らすべく、「自分の才能を存分に発揮する」作品を作り上げ、尊敬する小山田先生(山田耕筰)に直に楽譜を見てもらうのですが。
結果は「良い」でも「悪い」でもない、「で?(これを私にどうしろと?)」という、皮肉な返答でした。
少なからず自分を認めてくれている(と思っていた)大作家から「素晴らしいね!」という返しを期待していた筈ですが、まさかの結果に呆然自失。
夜が更けてもなかなか帰らない裕一さん。
月明かりだけが照らす仕事部屋に散乱する楽譜。
音さんは書きかけの交響曲楽譜の束を見つけ、裕一の苦悩を即座に理解します。
そこへ帰ってきた当人。
勝手に仕事部屋に入って楽譜をいじった自分を怒らないのか?と問う音さんに、「君の家だから好きにしたらいい」と力なく、やや皮肉も入れてつぶやきます。
「もはや家長でいる資格もない(くだらない自分)」を嫌悪している。
怒りの矛先は喫茶店のマスターでも小山田先生でも妻でもなく、自分自身に向けられている。
窪田くんはこういう「何気ない細かいところ」の演技で、人の感情の揺れを表現するのが抜群に上手いです。
あんまり繊細だから見逃しがちなんだけど、見る側にも理解力を要求する、いわば「現代アート」的演技です。
「違う人間を演じるのはある意味簡単で、同じ人間の様々な側面を演じる方がよっぽど難しい」とインタビューで語ってましたが、幼少時のいじめ、吃音、家族との葛藤、抜きんでた音楽の才能など、裕一の屈折したダークな一面が胸にせまる展開でした。
教会のようなステンドグラスが煌めく仕事部屋で、絶望的に泣く裕一さん。
後ろから抱きしめる音さん。
まるで「ピエタ」です。
即座に萩尾望都先生の漫画「ローマへの道」を連想しました。
悩む主人公マリオを慈愛で包みこむ恋人ラウラ、あの漫画の構図と同じ!
みっともない自分、ダークな自分をさらけ出しても、受け入れてくれるのが真のパートナー。
「後ろから支える」ことを覚えた音さんは、一歩成長したように見えました。
そして芸術家同士の距離はますます縮まり、絆は強くなった。そんな事を思わせる重要なシーンでした。
古山夫妻に早稲田の応援団長が送ってくれたエールの場面は、式を挙げてなかった二人の結婚式みたいで、幸福なシーンでした。
他人を励ますために作った曲が、結局は自分自身への「エール」になっているという。
この物語の根幹を成すテーマが、「紺碧の空」のメロディに溶け込んで、前半戦のクライマックスとなりました。
色々感想を書きたい小ネタも詰め込まれていて、珍しく挫折せず視聴出来てます(笑)。
来週からはミュージカルチックになりそで更に楽しみ。
あ、喫茶店の恵さんが音ちゃんにあげた「徳川家康公御遺訓」の「人の一生は重荷を負いて~」が、ウチの玄関にそっくりそのまま置いてあるよ(日光東照宮で買いました笑)★
裕一さんの納豆攻撃に釣られ私も「わら納豆」買うように。美味しいよっ。
先週に引き続き「芸術家の相克」を逃げずに描くNHK。
サワヤカが身上の朝ドラで、主人公のダークな一面をこんなに前面に出してええんかいな、思いましたが、裕一さんの言動の一つ一つがリアルで胸に突き刺さりました。
オブラートに包まず苦いまま提示したのは、制作の吉田監督のチャレンジなのでしょうか。
悩まない芸術家なんて居ない!と、いちいち共感しまくりな私でした。
裕一をいつも気にかけてくれる喫茶バンブーのマスター。
早稲田から依頼された応援歌がなかなか上手く出来ず唸っていた時の、マスターとの会話、印象的。禅問答みたいでした。
「“自分にしか作れない音楽”にこだわってるから苦しいんじゃないの?」
「どうして?ありきたりの音楽でいいのなら、僕が作る意味無いじゃない?」
「例えば、僕が毎日自分の気分でコーヒーの味変えたらどうなる?」
「いや困りますよ。来るたびに味が変わってたら!いつも同じ美味しいコーヒーを飲みに来てるんだから」
「僕は、お客さんの顔を思い浮かべてコーヒーを入れてる。お客さんの喜ぶ顔が見たいんだ」
こんな感じでした。深いなあ。
お客さんは「いつものコーヒー」が欲しいのであって、マスターの気分で薄かったり濃かったりしたら「なんだ、この店は!」となってしまう。
「作り手のひとりよがり」なんて、不要ということです。
でも、家に帰った裕一さんはソッコー、妻の音さんに「納得出来ない!」とキレます。
「マスターは商売人だからお客に媚び売るのもわかるよ。でも音楽は違うじゃん!僕が“僕の音楽”にこだわって何が悪いの?」
裕一はやはり「芸術(西洋音楽)は至高のものであって、自分は客に媚売るような(どこにでもある一般大衆向け)音楽は作りたくない」という意識が頑としてあるようです。
子供の頃や学生時代に、新しいレコードを入手してトキめいている場面はありましたが、その後の日々で「西洋音楽に心酔」してる描写がほとんど無かった為、この突然のぶちギレに「ええっ?裕一さんこんなこと考えてたの?」と音さんのみならず私も戸惑います。
赤レーベルと契約してしまったくせに、大衆音楽を作るモードに切り替えられない。
少年ジャンプと契約したのに「いや私の得意は油絵ですから」と言い張ってるようなものです。
喫茶店のマスターのいれるコーヒーも、「媚売ってる」わけじゃないのよ。
それは「作り手としての愛情」なんだよ。
でも、若くて経験値も少ない裕一は、自分の狭量さに気付きません。
思えば実家が呉服屋さんだったため、小さい頃からお客にペコペコ頭を下げる親や従業員を見てきて、「あんな大変な生き方出来ないな~。嫌だな~」と刷り込まれてしまったのかも(ご実家が呉服屋といえばユーミンも同様のこと言ってましたね。親を“米つきバッタ”になぞらえて)。
裕一は続けて「本当だったら今頃ヨーロッパで音楽学んでたはずなのに、こんな東京の片隅で応援歌と大衆音楽やってる。でも僕なりに頑張ってんだよ。一生懸命やってんだ」と怒涛のぶちまけで音さんを困惑させます。
こんなに声を荒げて、本音(゜ロ゜)をまくし立てる裕一さんは初めてですが、相手が音さんであることに「甘えと信頼」が伺えます。
でも音さんは裕一を甘やかさず、レコード会社のディレクターから聞いた「古山裕一の音楽の欠陥性」をズバリと伝えます。
私なら直接言わないな。。。
「言ったら怒るかも」「怒らないよ。俺冷静だからはっきり言って」というやりとりにも、互いの信頼度が見てとれます、が。
結果、裕一に更に火がついてしまい、応援歌締め切り間際というのに、全く関係のない交響曲を書いちゃうのです(締め切り間際になぜか別の仕事に熱中してしまう…芸術家あるある)。
レコード会社に一向に曲が採用されない鬱憤を晴らすべく、「自分の才能を存分に発揮する」作品を作り上げ、尊敬する小山田先生(山田耕筰)に直に楽譜を見てもらうのですが。
結果は「良い」でも「悪い」でもない、「で?(これを私にどうしろと?)」という、皮肉な返答でした。
少なからず自分を認めてくれている(と思っていた)大作家から「素晴らしいね!」という返しを期待していた筈ですが、まさかの結果に呆然自失。
夜が更けてもなかなか帰らない裕一さん。
月明かりだけが照らす仕事部屋に散乱する楽譜。
音さんは書きかけの交響曲楽譜の束を見つけ、裕一の苦悩を即座に理解します。
そこへ帰ってきた当人。
勝手に仕事部屋に入って楽譜をいじった自分を怒らないのか?と問う音さんに、「君の家だから好きにしたらいい」と力なく、やや皮肉も入れてつぶやきます。
「もはや家長でいる資格もない(くだらない自分)」を嫌悪している。
怒りの矛先は喫茶店のマスターでも小山田先生でも妻でもなく、自分自身に向けられている。
窪田くんはこういう「何気ない細かいところ」の演技で、人の感情の揺れを表現するのが抜群に上手いです。
あんまり繊細だから見逃しがちなんだけど、見る側にも理解力を要求する、いわば「現代アート」的演技です。
「違う人間を演じるのはある意味簡単で、同じ人間の様々な側面を演じる方がよっぽど難しい」とインタビューで語ってましたが、幼少時のいじめ、吃音、家族との葛藤、抜きんでた音楽の才能など、裕一の屈折したダークな一面が胸にせまる展開でした。
教会のようなステンドグラスが煌めく仕事部屋で、絶望的に泣く裕一さん。
後ろから抱きしめる音さん。
まるで「ピエタ」です。
即座に萩尾望都先生の漫画「ローマへの道」を連想しました。
悩む主人公マリオを慈愛で包みこむ恋人ラウラ、あの漫画の構図と同じ!
みっともない自分、ダークな自分をさらけ出しても、受け入れてくれるのが真のパートナー。
「後ろから支える」ことを覚えた音さんは、一歩成長したように見えました。
そして芸術家同士の距離はますます縮まり、絆は強くなった。そんな事を思わせる重要なシーンでした。
古山夫妻に早稲田の応援団長が送ってくれたエールの場面は、式を挙げてなかった二人の結婚式みたいで、幸福なシーンでした。
他人を励ますために作った曲が、結局は自分自身への「エール」になっているという。
この物語の根幹を成すテーマが、「紺碧の空」のメロディに溶け込んで、前半戦のクライマックスとなりました。
色々感想を書きたい小ネタも詰め込まれていて、珍しく挫折せず視聴出来てます(笑)。
来週からはミュージカルチックになりそで更に楽しみ。
あ、喫茶店の恵さんが音ちゃんにあげた「徳川家康公御遺訓」の「人の一生は重荷を負いて~」が、ウチの玄関にそっくりそのまま置いてあるよ(日光東照宮で買いました笑)★