世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

何でもないようなことが 幸せだったと思う

2005年10月13日 23時58分30秒 | Weblog
何でもないようなことが 幸せだったと思う
何でもない夜のこと 二度とは戻れない夜

虎舞竜の「ロード」である。
この曲がヒットしたのは中学3年生のとき。
高校受験目前の冬であった。
日曜日の夜、よく聞いていたラジオ番組「あらいきよしの星空ベストテン」(栃木放送)で初めて聴いた。
当時はなんて素敵な旋律なんだろう、と感じたのだが、高校に入学する頃には聴き飽きてしまっていた。
「ああ、あの暗い曲ね。…え?第二章もあるの?…まじで?」ぐらいにしか思わなくなった。

時は流れ、2005年10月。何故か「ロードって良くね?」と思っている私。
マジで良くね?
すげぇ良いよ。
…っていうか、泣ける。

歌詞は婚約者の死について書かれている。
実話らしい。
助手席で眠っている彼女を起こしてみたら、恨めしそうに睨まれ「愛がほしい」と言われた…云々。
彼女は出産目前で交通事故に遭遇し、亡くなってしまう。
で、「何でもないようなことが 幸せだったと思う」という殿方サイドで書かれた歌詞。

久々に聴き返してみて、歌詩にどっぷり共鳴してしまった。
別に恋人を亡くした等というエピソードは私にはないが。

人生を振り返り、真っ先に「幸せだったなぁ」と思えることの多くは「何でもないようなこと」であるということだ。

授業中、クラスメイトが音読をさせられているときに、窓の外の雲にうっとりしたこと。
台所で生のホットケーキを母の目を盗んで舐めて、その甘美さに失神しそうだったこと。
四季を感じながら歩く通勤路。
学生時代、都内の友達のうちに泊まりに行って、明け方の公園でスリリングさを感じながら花火をしたこと。
中学時代、「東京ラブストーリー」ごっこをしたり「こっくりさん」や「好きな人暴露大会」をした昼休み。黒板に貼り出されていた、好きな殿方の手書きコピーの業連をこっそり家に持ち帰った放課後。

当然、尾道旅行や修学旅行などのイベントもインパクトがあるけれど、それらは「楽しい」という感情が強烈なぐらい占拠してしまい、ピュアな「幸せ」を感じられるのはやはり「何でもないようなこと」なのである。

今の私も相変わらず「何でもないようなこと」に溢れた生活をしている。
毎日毎日同じことの繰り返しであるように思われるが、
親が元気であり、
友達がいて、
糊口を凌げる仕事を持っていて、
吉熊と気侭に生きている、
…そんな当たり前の日常こそがきっと「何でもないような幸せ」なのである。

泣いたり、いじけたり、妬んだり、悪口言ったり言われたりということも多いが、将来、この日常から逸脱して客観視することがあるならば、私はきっと今ここにある「今」を絶対に「幸せ」だと感じるに違いない。

「今」はいつか「過去」に化学変化することを27年の人生で学んだ。

いつも「今」を愛せるよう、そして「未来」を夢見られるよう、毎日を大切に生きたい。


…彼女を亡くした彼の、悲しみを乗り越える直向さに比べれば容易い気がする。
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