中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

年賀状を読む

2010-01-03 12:08:10 | 身辺雑記
 今年も元旦と2日にたくさんの賀状が配達された。500枚以上あるので差出人を確かめながら、ゆっくり1枚ずつ見ていくのは楽しい。

 今年の干支はトラだから、虎の図が多い。中には猫のように可愛いトラもあるがそれはそれでご愛嬌だ。中に1枚、「今年はミーシャちゃんの年ですね」というのがあってちょっと暖かい気持ちになった。我が家の茶虎猫も虎に昇格させてもらった。愛犬に虎の衣装を着せた写真もあって笑ってしまったり、さまざまな虎の絵を楽しんだが、中には非常に美しく見事なものもあった。

 文面はおおかた型どおりのもので、それも印刷してあって添え書きのないものもかなり多い。添え書きがあっても「お元気ですか」くらいが多いが、それはそれで差出人の様子、特に卒業生からのものは学生時代の頃の様子を想像する。1枚だけ面食らったものがあった。「迎春 元旦」とあるだけで、差出人の氏名も住所もまったくない。文字は自筆の筆書きで、一応全部書いてから添え書きでもしようとして忘れてしまったのかも知れない。毎年1枚くらいは差出人の氏名が欠落したものはあるが、このように書きかけのようなものは珍しい。表面はパソコンの印刷だから印刷が飛んだのかも知れないが、私もパソコンを使うから注意しなければならないと思う。

 子どもの写真を取り入れたものも好きだ。卒業生の中には毎年子どもの写真が入っているものがあるが、赤ちゃんの時から立派な息子や娘になっているのを見ると、ああこんなに大きくなったのかと、我が子や孫の成長を見る思いで嬉しいものだし、今では年賀状だけの付き合いだが、長い年月がたったものだと感慨深くもなる。

 文面の中にはふっと考えさせられるものがある。これまでにもあったが、今回で賀状は打ち止めにするというものだ。九州に住む母方の叔母は、自分は85歳、夫が92歳になったので「向後は年賀の挨拶を失礼させたいただきたく」とあった。叔父は教師だったからおそらく付き合いも多いのだろう。表の宛名書きもペン書きで心なしか筆勢が弱い。仕方がないことだと思う。中には脳梗塞になり、趣味の書道などはすべてできなくなったので、「次回の年賀状は失礼することになるかもしれませんがあしからず・・・」というのがあったが、回復されて来年も賀状が来るようになることを祈る。

 1枚、「勝手ではございますが、本年をもちまして年賀状でのご挨拶を閉じさせていただきます」というのがあり、まだ退職して間もないのに病気にでもなったかと心配になって電話すると、電話口に出た本人は元気そうで、尋ねたらどうやら面倒になったらしいので、そんなものかなと思った。卒業生の中には賀状は一切出さないし、来ても返礼しないというのが1人いるが、それはそれなりの信念なのだろう。それでも私は彼には賀状を出す。元気にしているよという年に一度のお知らせのようなものだ。返事は来ないが、たぶん元気なのだろうと思うことにしている。

 「たかが賀状、されど賀状」で、形式的で無駄と言ってしまえばそれまでだが、だからと言ってなくしてしまえばよいというものでもないだろう。年賀状を出せるということは自分が元気で、頭もまだ衰えていないという証だから、元気な限りは続けようと思っている。