この10年間に中国各地を訪れたが、最近は訪問回数は減ってきている。特に昨年は脚が弱ってきたこともあって湖南省と西安にしか行かなかったが、湖南省は私が入っている会の用務で行ったのだし、西安は友人たちと会いに行ったので観光はしていない。中国には見たい所はいくらでもあるが、何しろ広大な国だから切りがない。
改めて過去の写真を見たりしながら訪れた所を思い出しているが、折々適当に選んでこのブログに載せてみようと思う。
2004年には前後7回出かけたが、3月に雲南省の南部にある元陽に行った。ある旅行社の撮影ツアーに参加したのだが、10余人の参加者は私以外は皆アマ写真家を自認する人達で、機材なども私とは比べ物にならないものだった。私と言えば三脚も持たないド素人ぶりだったが、それでも皆良い人たちで楽しく過ごせたし、今も付き合いのある人もいる。
雲南省は日本と同じくらいの面積で山が多く、西はミャンマー、南はラオスやベトナムに接している。少数民族が多く、最も多い彜(イ)族の他に、中国では雲南省しかいない少数民族が15ほどあると言われている。元陽は紅河哈尼(ハニ)族彜(イ)族自治州にある。
元陽の棚田は圧倒的な迫力があって、世界各国から写真家が訪れる。見事な造形芸術を見ているようで、これが人間が作ったものとは俄かに信じられない気がした。
昼間だけでなく明け方や夕暮れの様子も美しい。
棚田はハニ族が何百年にわたって営々と作り上げてきたもので、もちろん機械などはなく、おそらくは鍬1本で掘り進んだものだろう。もちろん上から掘っていくわけにはいかないから、下から掘り進んだのだろうが、最初の一鍬を入れる時に、遥か彼方の山の斜面の上を見上げて何を考えたのだろうかと思う。まさに「耕して天に至る」だ。多いところで5千段あると聞いた。
田はほんの小さいものからかなり広いものもあってさまざまだ。家は一箇所に固まっていて小さな集落をつくっているが、そこから受け持ちの田に出かける。と言っても上がるにしても下るにしてもまっすぐな農道などはないから田の縁の曲がりくねった畦道を伝っていくしかない。ちょっと近くの田に行くにしてもずいぶん時間がかかるだろう。そのようにして田を耕し水を引き入れ、田植えをし、収穫する。その根気よさとエネルギーは我々のような生活に慣れた者には想像もできないことだ。改めて人間の持つ力はたいしたものだと思う。
改めて過去の写真を見たりしながら訪れた所を思い出しているが、折々適当に選んでこのブログに載せてみようと思う。
2004年には前後7回出かけたが、3月に雲南省の南部にある元陽に行った。ある旅行社の撮影ツアーに参加したのだが、10余人の参加者は私以外は皆アマ写真家を自認する人達で、機材なども私とは比べ物にならないものだった。私と言えば三脚も持たないド素人ぶりだったが、それでも皆良い人たちで楽しく過ごせたし、今も付き合いのある人もいる。
雲南省は日本と同じくらいの面積で山が多く、西はミャンマー、南はラオスやベトナムに接している。少数民族が多く、最も多い彜(イ)族の他に、中国では雲南省しかいない少数民族が15ほどあると言われている。元陽は紅河哈尼(ハニ)族彜(イ)族自治州にある。
元陽の棚田は圧倒的な迫力があって、世界各国から写真家が訪れる。見事な造形芸術を見ているようで、これが人間が作ったものとは俄かに信じられない気がした。
昼間だけでなく明け方や夕暮れの様子も美しい。
棚田はハニ族が何百年にわたって営々と作り上げてきたもので、もちろん機械などはなく、おそらくは鍬1本で掘り進んだものだろう。もちろん上から掘っていくわけにはいかないから、下から掘り進んだのだろうが、最初の一鍬を入れる時に、遥か彼方の山の斜面の上を見上げて何を考えたのだろうかと思う。まさに「耕して天に至る」だ。多いところで5千段あると聞いた。
田はほんの小さいものからかなり広いものもあってさまざまだ。家は一箇所に固まっていて小さな集落をつくっているが、そこから受け持ちの田に出かける。と言っても上がるにしても下るにしてもまっすぐな農道などはないから田の縁の曲がりくねった畦道を伝っていくしかない。ちょっと近くの田に行くにしてもずいぶん時間がかかるだろう。そのようにして田を耕し水を引き入れ、田植えをし、収穫する。その根気よさとエネルギーは我々のような生活に慣れた者には想像もできないことだ。改めて人間の持つ力はたいしたものだと思う。