正月と言えば餅は欠かせないものだが、妻がいなくなって独りの生活になると元旦には雑煮を作るが、その他にはほとんど食べずに黴が生えてしまうことが多かった。それが今年は年末から餅を食べることが多かった。一つにはHr君やHg君の奥さんが、餅を搗きたてのようにする方法を教えてくれたこともあったからだ。NHKの「ためして合点」という番組で紹介されたそうで、試してみると10分ほどで簡単にできて、本当に搗きたてのようになる。気に入って何回もやっている。餅が上質のものであったせいか、黄な粉や小豆餡で食べるととても旨い。
http://cgi2.nhk.or.jp/gatten/archive/program.cgi?p_id=P20091216
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私が中高生だった頃は戦後の食糧が豊かでない頃でもあったから、正月の餅はとてもご馳走に思えた。戦争が終わってから私たちは滋賀県の大津に住み着いたが、農村地帯だったので正月になると懇意の農家で餅を搗いてもらった。それまでは東京や大阪での都会生活だったから餅搗きは珍しくて見に行ったが、搗き終わると搗きたての餅に餡をまぶして振舞ってくれるのが嬉しかった。しばらくすると私も大きくなったので、臼や杵を借りてきて自分の家で父と一緒に搗いた。母は捏取りを受け持った。力は要るがなかなか楽しい作業で、もちろん搗きたての餅を食べるのが楽しみだった。餅つきと言ってもそれなりにコツがいるもので、捏取りの手水が多いと水分の多い粘り気の少ない水っぽい餅になるし、杵の先は適当に湿らせないと搗くと餅が粘りついてやりにくくなる。6人家族だったから何升も搗き、伸し餅や、鏡餅、なまこ餅などにした。今から思うと両親も都会育ちだったのに、よくたくさんの餅が搗けたものだと思う。
家でする餅搗きはいかにも年末の一家団欒の行事で、とても暖かく楽しいよいものだと思う。もう都会では子ども会の行事くらいはあっても,家庭での餅搗きはほとんど見られないだろう。 (続)
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私が中高生だった頃は戦後の食糧が豊かでない頃でもあったから、正月の餅はとてもご馳走に思えた。戦争が終わってから私たちは滋賀県の大津に住み着いたが、農村地帯だったので正月になると懇意の農家で餅を搗いてもらった。それまでは東京や大阪での都会生活だったから餅搗きは珍しくて見に行ったが、搗き終わると搗きたての餅に餡をまぶして振舞ってくれるのが嬉しかった。しばらくすると私も大きくなったので、臼や杵を借りてきて自分の家で父と一緒に搗いた。母は捏取りを受け持った。力は要るがなかなか楽しい作業で、もちろん搗きたての餅を食べるのが楽しみだった。餅つきと言ってもそれなりにコツがいるもので、捏取りの手水が多いと水分の多い粘り気の少ない水っぽい餅になるし、杵の先は適当に湿らせないと搗くと餅が粘りついてやりにくくなる。6人家族だったから何升も搗き、伸し餅や、鏡餅、なまこ餅などにした。今から思うと両親も都会育ちだったのに、よくたくさんの餅が搗けたものだと思う。
家でする餅搗きはいかにも年末の一家団欒の行事で、とても暖かく楽しいよいものだと思う。もう都会では子ども会の行事くらいはあっても,家庭での餅搗きはほとんど見られないだろう。 (続)