年の第1番目の月、正月も今日は早や7日。今年ももう1週間が過ぎた。企業も官公庁にはもう正月気分はないだろう。せいぜい新年会などをするくらいか。楽しいことは速く過ぎると言うが、最近の正月のようにあまり浮き立った気分にはならなくても速く過ぎるような気がする。
正月とは7日(昔は15日)までの松の内のことも言う。昔は正月がとても待ち遠しかった。「もういくつ寝たらお正月 お正月には凧あげて こまを回して遊びましょ はやく来い来いお正月」と歌われたように、子どもにとっては待ち遠しいものだった。今では凧揚げも独楽回しも羽根突きもする子どももいないから、お年玉だけが待ち遠しいのかも知れない。
元旦の朝の静謐な改まった雰囲気は良いもので忘れられない。元日の朝は早いうちに起き、一家揃って祝いの席につく。我が家では父の発声で「おめでとうございます」と挨拶し合い、屠蘇酒を飲む。両親以外は私を頭にした幼い子どもばかりだから、子ども達は形ばかりの舐める程度だったが、あの屠蘇の香りはいかにもお正月という感じで好きだった。その後は雑煮、お節を食べてから、最後に子ども達は父からお年玉の入ったぽち袋をもらい、それで元旦の朝の行事は終わった。どこの家庭でもそのようであっただろうし、今でも多いだろう。
我が家では息子たちが家を出た後は、妻と2人きりの元旦だったが、それでも一通りのことはした。席についてから妻と軽く頭を下げ合って、改まった感じで「おめでとうございます」と言い合ったあの雰囲気がたまらないほど懐かしい。
あれから10年以上が過ぎ、私の正月はますます普通の日になり、注連飾りも、屠蘇もお節もない。だらしがない、けじめがないと言われそうだが仕方がない。今日からまた「1月はイク、2月はニゲル、3月はサル」で、日はどんどん過ぎていくのだろう。気は早いが「春よ来い 早く来い・・・」という心境だ。
正月とは7日(昔は15日)までの松の内のことも言う。昔は正月がとても待ち遠しかった。「もういくつ寝たらお正月 お正月には凧あげて こまを回して遊びましょ はやく来い来いお正月」と歌われたように、子どもにとっては待ち遠しいものだった。今では凧揚げも独楽回しも羽根突きもする子どももいないから、お年玉だけが待ち遠しいのかも知れない。
元旦の朝の静謐な改まった雰囲気は良いもので忘れられない。元日の朝は早いうちに起き、一家揃って祝いの席につく。我が家では父の発声で「おめでとうございます」と挨拶し合い、屠蘇酒を飲む。両親以外は私を頭にした幼い子どもばかりだから、子ども達は形ばかりの舐める程度だったが、あの屠蘇の香りはいかにもお正月という感じで好きだった。その後は雑煮、お節を食べてから、最後に子ども達は父からお年玉の入ったぽち袋をもらい、それで元旦の朝の行事は終わった。どこの家庭でもそのようであっただろうし、今でも多いだろう。
我が家では息子たちが家を出た後は、妻と2人きりの元旦だったが、それでも一通りのことはした。席についてから妻と軽く頭を下げ合って、改まった感じで「おめでとうございます」と言い合ったあの雰囲気がたまらないほど懐かしい。
あれから10年以上が過ぎ、私の正月はますます普通の日になり、注連飾りも、屠蘇もお節もない。だらしがない、けじめがないと言われそうだが仕方がない。今日からまた「1月はイク、2月はニゲル、3月はサル」で、日はどんどん過ぎていくのだろう。気は早いが「春よ来い 早く来い・・・」という心境だ。