中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ショウジョウバエ

2008-07-21 08:19:04 | 身辺雑記
 バナナなどの果物の皮や食べ残しを置いておくと、どこからともなくコバエ(小蠅)が集まってくる。ほんの2-3ミリの小さなハエで、普通のハエのようにうるさいものではないが、それでも数が多くなると煩わしくなる。

 コバエはスバエ(酢蝿)とも呼ばれ、発酵しているものや、酒や酢、味噌、醤油などの発酵製品に集まってくる。和名はキイロショウジョウバエ(黄色猩猩蝿)と言い、赤い目を持ち酒などに好んで集まるから、中国の想像上の怪獣、顔の赤い酒好きの猩猩に因んで命名された。自然界では熟した果物類や樹液、そこに繁殖する天然の酵母を餌としている。糞便や腐肉類には集まることはないから、普通のハエのように病原菌を媒介することはない。

             インタネットより

 生物学の分野ではさまざまな研究の材料として利用される。体が小さい上に多産で、世代間隔が10日くらいで短いから、世代をまたいでの観察が容易である。牛乳瓶などの小さい容器でパン酵母などで簡単に育てられる。とりわけ有名になったのは、遺伝学の材料としてで、染色体数が8本(4対)と少なく分析しやすい。米国のT.H. モーガンとその一派の研究者達は20世紀初頭からこのハエを使って遺伝学の研究を行い、やがて最初の突然変異体である白眼を発見した。さらに遺伝子が染色体上に直線状に並んでいることを証明して、染色体上の遺伝子の配列を表した地図(染色体地図)を作成した。このようにして遺伝子は染色体の上に存在することを立証した功績によってモーガンは、私が生まれた年、1933年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 今では遺伝子の構成物質であるDNAはごく普通の言葉になり、遺伝子などは古臭い言葉のようになってしまって、その実体は知らなくても「彼は音楽家の父親のDNAを受け継いで」とか「彼のDNAを広く世に伝えるために」などと言うようになっているし、犯罪の遺留物のDNAから容疑者を特定するということも常識になっている。

 この1世紀の間に遺伝学は驚異的な進歩を遂げた。私が初めて高校で生物の授業をした頃からでも飛躍的に進んでいる。しかしやはりその頃のごく初歩的な遺伝の授業の内容は懐かしい。家の中にコバエが飛び交う時期になると煩わしく思うけれども、それでもモーガンの業績を教えたことや、生物クラブで生徒にショウジョウバエを飼育し実験させたことが懐かしく思い出される。

汚職

2008-07-20 07:30:54 | 身辺雑記
 大分県の教育庁(教育委員会)の汚職事件は泥沼状態で、次々に不正や異常事態が明るみに出されている。教員採用だけでなく管理職登用にも絡んで贈収賄や点数の水増しなどが長年常態化していたようだ。

 自分の息子と娘を採用してもらうために、義務教育課の参事に現金や金券を400万円も贈賄した52歳の女性校長は懲戒免職になったが、これからも司法の裁きがあるのだろう。52歳と言うと校長になって間もないのだろうが、これで何かも棒に振ってしまったわけだ。採用された息子や娘も母親の名前が知れてしまった以上、親や子ども達から疑惑の目で見られて、針の筵に座らされている思いではないか。娘は本来の合格者だったそうだから罪な話ではある。

 報道された汚職は、この校長だけのことではなく、他にもこの義務教育課の参事が絡んだ贈収賄はあるようで、警察の捜査の進捗状況によってはまだまだ明るみに出ることも多いのではないか。教師達とくにここ数年の新任者は疑惑の目にさらされることになるし、不正合格者の採用が取り消されるようだから、かなりの混乱が起こるだろう。現職管理職だけでなく、県会議員の口利きと言うか介入も普通だったらしい。この参事には管理職の登用に当たっても金銭を贈った校長や教頭がいるようで、職を金で売買していたということだ。この参事の上司の教育庁ナンバー2もかなりあくどいことをしていたようだから、組織ぐるみの犯罪と言うことだ。これも元教員だったと言うから呆れてしまう。

 合格させる手口は、口利きや贈賄のあった者の関係の受験者の試験の点数を水増しさせることで、採用試験は1次、2次各500点、合計1000点満点で、08年度の最低合格点は約620点、口利きを受けた約20人のうち約15人が加点されたと言う。最大のケースでは、400点台後半の受験者に100点以上加点したことがあったそうだ。これだけでもひどい話だが、もっと許せないのは口利きを受けていない一部受験生の点数を下げる操作でボーダーライン前後を入れ替えたということだ。結果的に、本来は合格していた口利き以外の10人が不合格となったようで、こんな非道なことはない。472人が受験し41人が採用され、最終倍率は11.5倍だったと言うから、不合格者の中には本来合格ラインに達していなかった者ももちろん多いだろうが、自分はかなり頑張ったつもりの者はひょっとすると思っているかも知れない。いずれにしても自分の人生を賭ける思いで受験した者の答案の点数を操作している人物の姿を想像すると、自分もかつては教職に身を置いた者として良心の咎めを感じなかったのだろうかと、その薄汚い心と、それを生み出した組織の腐敗のおぞましさに胸が悪くなる。

 この事件が報道されてから、ひどい話だという声をよく聞くが、同時に大分県だけのことだろうか、他の県にもあるのではないだろうかということも言われる。卒業生のH君はかつて近畿圏のある県に住んでいたことがあるが、その県ではそのようなことは公然の秘密のようなものだったと言っている。大分県の場合もそうだが、このようなことに必ずと言ってよいくらい関わってくるのが県会議員など議員と呼ばれる輩である。不正なことではないが、私はかつて議員、とりわけ県会議員の鼻持ちならない傲慢さを見たことは再々ある。もちろんすべての議員がそうではなく、人格や言動に優れた議員もいるが、とりわけ保守系と呼ばれ何期も務めている議員の中には、自分を権力者と勘違いしているようなどうしようもない者がいる。そういう者が競争率の高い教員採用試験などに口を出してくることは容易に想像できる。もちろんただ働きをするはずもなく、依頼者からは応分の謝礼はもらうのだろう。

 まことに不愉快な事件ではあるが、大分のような露骨なことではなくても、このようなことは絶対にないと天地神明に誓って言える府県はあるのだろうかと思ってしまう。おそらくは「百年河清を俟つ」と言うことに等しいのだろうと悲観的になっている。

                


    

トマト(2)

2008-07-19 09:15:41 | 身辺雑記
 トマトの古名は、あかなす、さんごじゅなす、異称は蕃茄(ばんか)と言う。これは中国語の番茄(ファンチエ)から来ているのだろうが、蕃も番も外国の異民族を意味するから、異国の茄子と言うことだ。初めて目にしたときには茄子を連想したのだろう。中国語では普通は西紅柿(シィフォンシィ)と言うが、これは西洋の赤い柿と言う意味だ。日本でも江戸時代に到来したときには観葉植物とされ、唐柿と呼ばれたそうだ。トマトはメキシコ原産で16世紀の初頭にスペインに持ち帰られたもので、日本や中国に到来したのはそれよりずっと後のことだ。日本や中国で異国の茄子とか柿としたのも分かる。

 トマトが初めてヨーロッパに渡来したときには、有毒植物のべラドンナに似ていることから毒があると思われて、食用としてヨーロッパに広がったのは18世紀のことと言う。日本で食用にされたのは明治以降で、日本人の嗜好に合わせた品種の育成が盛んになったのは昭和に入ってからと言うから、意外に歴史は浅い。初期のころのトマトのイメージは今と同じだろう。柿のような大きさで赤く丸いというイメージはずっと続いてきたが、やがてミニトマトとかプチトマトとか言う小さな品種も市場に出るようになり、すぐに広く普及するようになった。色も黄色のものもある。それでも見ればすぐにトマトと分かるものだ。

デパートのトマトコーナー




 ところが最近のデパートなどでは、ちょっと見にはこれがトマトかと思うようなものも含めてさまざまな品種が出ている。並べられているものを数えてみたら10種類以上あった。もっともらしい横文字名前がつけてあるが、値段は希少価値なのか結構高い。
   

 

 

 

 どんな味覚なのかと思って、試しにレモンボーイとブラックチェリーというのを買ってみた。レジで支払いするときに係りの女性がブラックチェリーを見て、これトマトなんですか、ブドウかと思いましたとびっくりしたように言った。家に帰って食べてみたが、外観は柿やブドウのようであっても味や食感に特に特徴があるわけではない、当たり前のことだが単なるトマトで、希少価値のあるものとも思えなかった。普通のトマトよりもずっと割高だから、それほど家庭で使われるものでなく、レストランでの料理のいろどりになるくらいではないか。やはりトマトはいつも口にしているものがいい。

                

トマト

2008-07-18 08:30:27 | 身辺雑記
 家庭菜園で野菜を作っているOさんから野菜をもらった。茄子、胡瓜、玉葱、じゃがいも、獅子唐、トマトなどOさんが丹精してつくったもので、どれも新鮮でみずみずしく有り難かった。Oさんは農業を始めて8年、有機野菜作りを目指しているのだそうだ。

 トマトはもちろん完熟もので、果皮は少し黒味を帯びた紅色で、小振りながらいかにも太陽の光と熱とを十分に吸い込んだ健康優良児という感じで、冷やしてかぶりつくと果汁たっぷりで、これがトマトだという旨いものだった。

           

 私は子どもの頃からトマトが大好きだった。木で完熟したもぎたてのものを食べるのは朝の楽しみだったし、もぐ時についでに葉の先を指で潰すと、青臭いトマト特有の香りがして、それも好きだった。今のトマトは昔のものに比べて青臭さが少なくなったように思う。味も糖度がどうのと言われるくらいだから甘みは増したのだろうが、それだけトマトらしい味が薄れているようだ。それにまだ青いうちに採り入れて後で熟させたものだから、口に入れた時の味や香りが違っていて、何かしら物足りない気がする。

 また形も大きさもさまざまなのは当たり前で、八百屋の店先に並んでいるものも、ごつごつ凸凹しているのが普通だった。それが今では品種改良の結果なのか形はきれいに整っている。規格がきちんと決められていて、1ケース当たり何個入るのが何級となっていると、生鮮野菜を大きいコンビニなどに納入しているH君が教えてくれた。コンビニの要求はなかなか厳しいようだ。規格にはまらないものはすべて規格外の不良品としてはねられてしまうから、昔のような凸凹した大きなものがスーパーなどの店頭に並ぶことはない。そういうものはたぶん生産者が廃棄してしまうのだろう。もったいないことだ。

 今でこそトマトはごく普通に食べられているが、50年前に私が高校の教師になった頃はそうではなかった。私が勤めた高校では夏休みに入ると、日本海に面した小さな町で1年生全員を対象として臨海学校をした。その町には今のような民宿もなかったから、町の小学校を宿舎にして、食事は町の人たちが今で言うボランティアで炊き出しをしてくれた。食事のおかずなどは素朴なものだったが、よくトマトが丸ごとつけられていた。形は不揃いでも新鮮でよく熟していて旨かったのだが、私が驚いたのはかなりの生徒がそのトマトを食べないで残すことだった。臭いが嫌いだと言う生徒がかなりあった。私の友人の1人は、海外生活もかなりしたがトマトジュースが嫌いだった。トマトジュースなどはあまり売られていなかったように思う。その頃はチーズが好きでない者も少なくなく、今時のようにトマトもチーズもたっぷり使ったイタリア料理が全盛であることを思うと隔世の感がある。

  これから盛夏にかけてトマトのシーズンである。大いに食べたいのだが、どうも昔と違ってトマトは高い野菜になったように思う。もう少し安くなってほしい。八百屋の店先に積んであったトマトが懐かしい。

                 

グリーン車での事件

2008-07-17 09:46:08 | 身辺雑記
 3月と4月に早朝に走行中のJR東海道線のグリーン車内で20代の女性客室乗務員が暴行されると言う事件が起こった。

 犯人は川崎市の34歳の飲食店従業員で、いずれも首を絞めて犯行に及ぶというきわめて悪質な手口で、被害者の1人は抵抗したために軽症を負っただけで未遂だったが、もう1人は口をふさがれ、殺すぞと脅かされてトイレに引きずり込まれて乱暴された。被害にあった女性のことを思うと犯人の男に怒りと憎しみが募る。この男はその前にも川崎市内の駐車場で帰宅中の女性を脅して乱暴していると言うから、まったく人間としての良心のかけらもない極悪人と言うほかはない。

 このような異常な事件は、2年前にもJR西日本の特急「サンダーバード」内で起こっている。37歳の男が乗客の女性を脅かしてトイレに引きずり込んで乱暴して大きな衝撃を与えた事件だが、この男はその後もJR湖西線の電車内と駅のトイレで女性暴行事件を起こしている。

 ある知人の女性と話していた時に、この新幹線やサンダーバードでの事件について話が及ぶと、その女性は怒りをあらわにして、こんな男は死刑にしてほしいと言った。死刑とは過激なようだが、彼女は被害者の女性にとっては人格的に殺されたのと同じなのですよと付け加えた。ともかく、このような残虐非道な犯罪者は厳罰にするべきだと意見が一致したが、可能な限りの最高刑を言い渡すべきだと思う。新幹線での犯行の男は起訴されたばかりであるが、サンダーバード事件の犯人は一審と二審で18年の刑とされた。私の印象では「わずか18年か」というものだ。

  このような犯罪には最高どれくらいの刑が設けられているのかは知らないが、私は婦女暴行の最高刑は無期懲役でもよいと思う。終身刑ができたらそれがいい。それも仮釈放など簡単には認めないようにするべきだ。もっと本心を正直に出せば、きわめて無茶なことだと批判されるのを承知で言うのだが、このような女性の尊厳を踏みにじるような極悪人には、古代中国にあった、死刑に次ぐ重刑である宮刑(去勢)がもっともふさわしいのではないかと思っている。


                 

個人情報保護

2008-07-16 08:45:00 | 身辺雑記
 茨城県土浦市の教育委員会が、市立図書館にある児童生徒の文集を回収していたそうだ。文集は個人情報に当たるというのが理由らしい。

 文集が個人情報と言うのは初耳だが誰が言い出したものやら、市教委の幹部あたりが言い出してそれに下の者が追随したのだろう。この文集は、教員で作る教育研究会が、毎年市内の小中学校の児童生徒の作文の中から優秀作を選び、校名、学年、氏名も掲載したもののようだが、事の発端はある新聞社が取材のため、図書館が所蔵していない年の文集の開示を市教委に求めたところ、市教委は「個人情報に当たる」として拒否し、その後、市教委は図書館に所蔵文集の撤去を求めたらしい。市教委の指導課長は「文集は不特定多数に公開しているわけではない。内容は思想信条に値し、図書館に置くべきではなかった」と説明したというが、どうも理解できにくい論理だ。そもそも文集は個人の日誌などとは違って、人に読まれることが前提になって書かれているのに、それが個人情報とされて保護の対象になるものなのか、また行政が図書館の資料を撤去できるのかと専門家から疑問視する声が出ていると言う。

 個人情報に詳しい国立情報学研究所の弁護士は「文集は他人に見られるものであり、敏感な個人情報は載せない前提で作られているはず。個人情報の名を借りて情報を隠す『過剰保護』と言われても仕方がない。市教委は(文集が取材に使われることで)問題になったらどうしようと考えたのではないか」と言っているとのことである。また司書らでつくる日本図書館協会の事務局長は「図書館は独立して資料の選定にあたる責務がある。行政が図書館の所蔵に立ち入って判断するのはおかしい」という意見のようだ。

 個人情報保護を保護する法律が紆余曲折を経て成立してからは、何かと言うと個人情報を盾にすることが増えたように思う。中には過剰反応と思われるものも少なくないようだ。私が経験したことでもいくつかある。高校時代に顧問をした生物クラブの卒業生達は今も時折集まっているが、昨年ある学年の元部長の世話で、何学年かの合同会があって、元部員達が集まり楽しいひと時を過ごした。後でその元部長に参加者に礼状を出したいから名簿がほしいと頼んだが、個人情報保護のことがあるから皆の了解を取るので待ってほしいという返事があって、こんなことにも個人情報かといささか鼻白む思いをし、余計な手間をかけることになったと気の毒にも思った。最近あったある学年同窓会でも、クラスの幹事が古い名簿を持っていて、個人情報のことがあるから新しい名簿が作れないと嘆いていた。味気ない時代になったものだ。

 個人情報のことについては2007年2月2日のブログにも書いたから繰り返さないが、もっときちんと整理をしてどこまでが許されるかをはっきりさせることが必要ではないか。世間でもいろいろと誤解や混乱も多いようで、それに応えるインタネットのサイトもある。その中の「間違いだらけの個人情報保護」(URLは下記)と言うのを見ると、なかなか面白い。よく問題になる学校のクラスの連絡網を作ることや、クラス名簿を作ることの可否についても明確な見解とその根拠が示されている。文集については見当たらなかったが、想定外のことだったのかも知れない。

 個人情報の保護は尊重されなければならないが、さりとて個人に関することは何でも個人情報として非公開だと言うのは、あまりにも過剰反応だと思うし、ぎすぎすした感じがする。しかしそうは言っても。微妙なところが分からないから、疑問は感じても、ついそうかなと思って引っ込んでしまうのが実情だろう。一方ではやたらにダイレクトメールが舞い込んだり、さまざまな勧誘、売り込みの電話がかかって来るのはいったいどうなっているのかと思ってしまう。
 
http://internet.impress.co.jp/kojinjohoblog/archives/2005/10/post_33.html
                   


                         

死とはどんなものか

2008-07-15 08:32:55 | 身辺雑記
 人間にとって最終的な到達点は死である。到達点と言っても死は生に連続しているものではなく、生と死の間には大きな断絶があるように思う。

 人は死んだらどうなるのか、どこに行くかはおそらくは原始時代からの人間の大きな疑問だったのだろう。そのことを扱わない宗教はおそらくないのではないか。宗教ではなくても、あの世や死後のことに関する議論も盛んなようだ。霊界とか何とかは私の理解を超えるもので、あたかも見てきたように詳しく語られるほど興味は失せる。あの世のことや生まれ変わりのことなどは、結局は今認識できている自分の生が終わり、未知の死を迎えることへの恐怖を、それをを考えることで避けようとしているのかも知れない。

 私はあの世の存在も前世も信じていない。人は無から生まれてきて無へ帰るとずっと考えてきた。もっとも生まれる前の無は完全な無ではなく、代々伝えられてきたいのちの連続の結果だが、それでも私という個を考えれば、それは存在しなかったことは確かだ。だが若い頃は、無に帰るということが怖かった。やはり生への執着が強かったのだろう、それが今頃では、達観とまでは行かないが、死というもの、それほど遠くではない最終の無というものを受け入れる気持ちになってきた。もちろん犯罪など暴力的なものはお断りだが、そうでなくてたとえ重い病であっても、死を告げられたら受け入れる心の用意は次第にできてきている。

 高校2年生のときに、少し心の病を経験した。当時は神経衰弱と言ったが、今で言う神経症だろう。母の弟が京都大学の医学部にいたので、その紹介で母と大学病院に行った。その頃は神経科などと言うものはなく、連れて行かれたのは精神科で、診察室の窓には鉄格子があったし、診察してくれた先生もなんとなく変わり者という印象で、そこに座って問診を受けるときは落ち着かなかった。どういう診察結果になったのかは知らないが、どうやら頭に電気をかけるらしいことが分かった。私は電気が苦手だから渋ると、では注射しましょうと若い医師が優しそうに言った。注射ならいいと思って承諾したのだが、実は麻酔薬を注射して眠らせてから脳に電気ショックを与えるのだということが後で分かった。

 ベッドに仰向けになると、看護師が腕の静脈に注射針を刺した。すると鼻からエーテルの臭いがすると体が冷たくなった感じがして、私の名前を呼ぶ看護師の声が聞こえなくなり、ザーッという耳鳴りがしたかと思うと、それっきり暗黒の中に落ち込んだ。どれくらい時間がたったのかは分からないが突然意識が戻ると別の部屋にいて、ベッドのそばには母が座っていたので呼びかけたが舌がもつれていた。その後も2、3回このような処置をしたが、あの暗黒の中に沈み込んでいくことがどうにも恐ろしくてたまらず、母に頼んで行くことを止めにしてもらった。今から思うと、たかが軽い神経症なのに精神病の患者にするような処置をするのは乱暴だと思うが、それは当時普通のことだったのだろう。患者の中には電気をかけると気分が良くなると言って、麻酔もしないで処置をしてもらう人もあると聞いた。

 思うに、あの暗黒の中に落ち込むことが死のようなものなのだろう。もちろん意識がないだけのことなのだが、まったくの空白、無の状態だった。医学的な処置だから後で覚醒するが、死とはあのような自覚されない暗黒状態が永遠に続くことなのだろう。あの時は覚醒した後で思い出すことのできない空白の状態だから、それが怖かったが、死んでしまえば振り返ることはできないのだから怖いこともない。無理に自分が消滅すると考えないで、夢も見ない永遠の眠りだと思うのも悪くはないのではないか。臨死体験と言って死んでから、美しいものもあるらしいいくつかの段階を体験したと、「死後生き返った」人から聴き取りをした記録があるが、それは本当の死ではなく、まだ活動を続けていた脳が生み出した幻覚のようなものではないか。それでも本当に死に入る前に、そのような美しいものもある幻覚を見ることができるならば、麻酔薬を打たれて暗黒の中に沈む無機的な瞬間よりもはるかに良いと期待したい気もする。

                      


UFO

2008-07-14 09:44:05 | 身辺雑記
 私が時々会うK君は60歳を超しているが、熱烈なUFOの信奉者である。その話になると異様なくらいに熱が入って口を挟む間もないくらいで、そのことについてはまったくと言ってよいほど知識がなく、信じてもいない私は毒気を抜かれたようになってしまう。

 UFO(ユー・エフ・オーまたはユーフォー)は、Unidentified Flying Object (未確認飛行物体)の頭文字をとったもので、正体の確認されていない飛行体のことである。本来はアメリカ空軍で使われている用語のようで、主として国籍不明の航空機などに用いられるのだそうだ。しかし、一般には、空飛ぶ円盤やエイリアン(宇宙人、異星人)の乗り物の意味で使われている。K君の信じているのは無論異星人、すなわち地球外生命体、しかも高度に進化した生命体が操縦する飛行物体である。

 彼は何回もUFOを目撃したと言う。もっとも何度か話を聞かされたが、2回の体験談しか聞いていない。彼はその時の様子をうっとりしたような表情で話す。なぜ君にだけ見えるのだと聞くと、UFOは選ばれた人間にしか見ることができないと言う。誰が選ぶのだと聞くと、宇宙人ですよと幸せそうに答える。そう信じ切っているようだから敢えて茶化したりはしないようにしている。宇宙人はわれわれ地球人よりもはるかに進化していて、太古の時代から地球にやって来て、人間のDNA分析もすでに済ませていて、人類をいろいろと操作しているのだそうだ。古い神話や物語にもUFOの証拠があり、例えば日本の神話の天孫降臨のくだりに出てくる天浮船(あまのうきふね)がそうだし、浦島太郎の話も亀はUFO、竜宮城は宇宙人の住む惑星、そこへ光速で旅をしたから帰ってみたら年老いていたのだとちゃんと説明がつくと言った。そうするとかぐや姫の話もその類なのかと思うが、また聞いてみよう。もっとも彼が言う地球外生命体が広大な宇宙のどこからやってくるのか、来るのは何億年も前から皆同じ星の宇宙人なのか、アンドロメダとか聞いたような気がするがよく分からない。

 一般的にそうらしいが、K君が見たと言うUFOも、空飛ぶ円盤の元祖であるアダムスキー型と言われるものらしい。アダムスキー(1891~1965)は宇宙人と空飛ぶ円盤との遭遇体験を書いた本がベストセラーになって有名になったポーランド人で、宇宙人と会ったという人間(コンタクティー)の元祖とされている。現在では、彼の著書にある写真は模型を使ったトリック撮影であり、本はかつて彼自身が書いたSF小説を元にした創作だったとする説が広く知られているようだが、依然としてK君のような信奉者は多いらしい。
 
 彼によると米国ではUFOの存在は当然のことになっていて、いろいろな映画などに織り込んで徐々に国民を教育していると言う。例えば人気があるインディ・ジョーンズの冒険物語でも最新作を見ると、はっきりとUFOが登場するし、このシリーズの第1作の最後には、開けられた聖櫃からたくさんの煙のような得体の知れないものが出てきて飛び交うシーンがあるが、あれもアダムスキー型のUFOだったと言う。このようにしてUFOの存在を教育しているのですと彼は楽しそうに言った。もっとも私も第1作のそのシーンを見たが、私には妖怪が飛び交っているようにしか見えなかった。

 当然のように彼は超常現象を信じている。ある時彼の仕事場の掛け時計が逆方向に動き出したことがあったそうで、これは超常現象だったと興奮した口調で話してくれた。その場に居合わせた青年がちょっと触って直したので、ひどく怒って余計なことをすると怒鳴りつけたが、他の人に宥められて我に返ったと言う。それなら原因は不明だが単なる故障だと思うのだが、彼は超常現象だと断言した。どうも説明がつかないのは超常現象らしい。

 K君は決して無知蒙昧な人間ではなく、彼が専門とする分野での技術はきわめて優れている。しかしUFOや超常現象になると、のめりこむように信じている。私は単なる一介の理科の教師だったが、それらについてはまったく信じていない。ふと彼と私とはどちらが幸せなのかと思うことがある。彼はそのように信じているからと言って誰にも迷惑をかけていない。その限りでは彼自身が信じる世界に入り込んでいられるのは幸せなこととも言える。その彼からしたら、私はさばさばし過ぎていて、夢のない味気ない人間だと思われるのかも知れない。さりとて私は自分が幸せではないとは思ってはいない。禍福は糾える縄の如しだ。幸福や不幸は人さまざまで、他人にはうかがい知れないものがそれぞれあるのだ。

                 





頭を丸める

2008-07-13 08:29:52 | 身辺雑記
 プロ野球のある球団の中堅選手が、フリーアナウンサーと不倫をしたことが女性週刊誌に報じられて問題になったようだ。

 この選手は故障で2軍に降格になっていた、その最中のことで、球団のオーナーの「逆鱗」に触れ、オーナーは1軍昇格を延期することを示唆したようだ。オーナーが選手の昇格にまで口を挟むのはどうかと思うが、これはこの球団では当たり前のことなのかも知れない。そのこともあってか、この選手は即日長髪を切って丸刈りにし、「みそぎの丸刈り頭」と報じられた。それでオーナーの怒りも解けたようで、翌日にはこの行動を評価し、近く1軍昇格になるという。

 この不倫騒動はスポーツ、芸能の両方で取り上げられたようだが、何かバカらしいようにも思う。私はこの選手のことは名前のほかにはよく知らないし、相手のフリーアナウンサーの女性はまったく知らなかった。そもそもこの「事件」自体の詳細もよく知らないのだが、それはともかくとして私が違和感を覚えたのは、この選手が「頭を丸めた」と言うことだ。高校野球の選手などには丸刈りが多いが、彼はこの事件を契機に高校時代の初心に返って丸刈りにしたのでなく、己の行為を恥じていることを頭を丸めることで知ってもらいたかったのだろう。これはよく見られる行為で、何もスポーツ選手に限ったことではないが、私は嫌いだ。本来頭を丸めるというのは、剃髪して仏門に入ることなのだが、普通はそのような俗界を離れるという殊勝な発心ではなく、頭を丸めるという正常でない姿をすることで、恥を耐え忍んでいるという気持ちを表しているのに過ぎない。反省しているのなら形、態度で示せと言われることがよくあり、頭を丸めるのはその手っ取り早い方法なのだ。今回もそれでオーナーの怒りが解けたのだから功を奏したということになる。

  「みそぎの丸刈り頭」と言うのも変な表現で、みそぎ(禊)と言うのは日本古来の、罪や穢れを海や川の水で洗い落とすことで、みそぎと丸刈りは似ても似つかぬ行為だ。今では例えば選挙違反などに問われた議員が、一度は落選してもその後再出馬する時に「みそぎを済ませた」などと言う。要するに罪は消えましたという都合のよい言い訳だ。この選手は丸刈りにすることで、自分の罪を洗い流したと言いたかったのか。

 この球団を持つ会社の会長は、かねてからあまり感心しない発言をする人物だが、今回の不倫騒動について報道陣に「君らだってやってんだろ。同じようなもんじゃねえか」と、どうにも品のない発言をしたようで、またかと笑ってしまった。この球団はかねてから球界の盟主を自認し、選手達にも紳士としての品位を求め、長髪やひげ面を認めていないようだが、親会社の会長がこのような発言をするのではお門が知れると言うものだ。

              



ガングロ

2008-07-12 08:44:32 | 身辺雑記
 久しぶりにガングロを見た。朝ラッシュを過ぎたJRの車内はがらんとしていて、通路を隔てた前の座席に座っていたのはその娘だけだった。今時ガングロの女の子がいるのかとちょっと驚いた。

 10年位前にはガングロの女子高校生などをよく見かけた。初めて見た時にはその異様な化粧に驚き、こんな格好で通学を許す学校はさぞ風紀が乱れているのだろうと思ったものだ。ガングロは「ガンガン黒い」の略だそうだが、顔黒から来ているという説もあるようで、私にはこの方が分かりやすかった。日焼けサロンで焼いたり、黒いファンデーションを塗ったりするのだそうだ。90年代の後半から流行したが、2001年に入ると美白ブームが到来して白塗りが流行るようになって下火になったようだが、それでもここ数年は毎年夏になると現われるのだそうだ。地域差があって関西では少ないと言うから、私が久しぶりに見て驚いたのも当然かも知れない。

 それにしても前に座っていた娘は、ガングロと言うものを間近に見たせいか奇怪な風貌だった。どう見ても10代とは思えなかったが、さりとてどういう類で何歳くらいなのかは見当がつかなかった。案外若くないのかも知れない。黒か茶のファンデーションを塗っているのだろうが濃い褐色の顔で、元来が色黒なのか日焼けしているのか手足もかなり黒い。唇は白く塗り、濃いアイシャドウ、黒く固めた睫毛が目立つ、左の小鼻にはピアス。長い髪は茶色に染めて前を高く上げている、サンダルを履いた足の爪には真っ黒なマニキュア。一応は手を入れているのだが、全体として肥満体に近く、スタイルはまったく良くない。襟刳りの大きな服を着ていたから、張りのないだらんとした色黒の胸が見えて清潔感は皆無だった。目を背けていればいいのに、そこが男の浅ましさなのか、野次馬根性なのか、本を読む目を時折上げて、以上のことを観察したしだい。

 朝の光の中だからまだ良かったが、これが夜の車内だったら、気味が悪いのではないか。近頃寝る前にベッドで読んでいる現代語訳の『今昔物語』に出てくる鬼女を想像し、夜中にベッドのそばに立たれ、下から光が当たりでもしたら、まさに妖怪だろうなと思った。朝っぱらからいささか奇怪なものを見て辟易してしまった。