中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

野菜作り

2008-07-11 08:55:08 | 身辺雑記
 知人のOさんは家庭菜園を持ち、季節折々の野菜を育てている。島根県に住む友人のAさんも自宅近くに菜園を持っている。北海道に住むブログ友のSさんは自宅に広い菜園があって、豆類や馬鈴薯、さまざまな野菜などを作っているようだ。他にも家庭菜園を持っている人はいるが、熱心なことだと感心するし、収穫の喜びもひとしおだろう、自家栽培の旬の野菜はさぞおいしいことだろうと思う。

  Sさんの菜園。ブログより拝借。


 私は農業のほうはさっぱりだし、子猫の額の如き我が家の庭(と言うよりも隙間)には日当たりは悪く野菜を作ることもできない。私の家の前の独り住まいの老婦人の家には庭はないが、家の前に大きなプラスティックの容器をぎっしりと並べて野菜を作っている。これが実に見事で、ナス、ピーマン、唐辛子、ゴーヤ、ミニトマトなど、どれもたくましく育っている、ミニトマトなどは2メートル近くあり、まだ青いが葡萄の房のように実がついている。土つくりから始め、毎日こまめに世話をするからだろうが、その努力には頭が下がる思いがするし、過去に農業の経験はない東京生まれの東京育ちとのことだから驚く。


 近所の百円ショップで、平鉢に植えてあるミニトマトの苗を売っていた。1つしかなかったから売れ残りらしかった。600円である。水だけやればいい、どうですと店の主人が言ったので、ふとその気になって買って帰って門の前に置いた。近所の奥さんには盆栽ですねと笑われた。それから2ヶ月ほどたち、前の家のトマトの足元にも及ばない頼りない代物だが、それでも実をつけ始めた。ひょろひょろと伸びていく先の枝には次々に花が咲いて小さい実が生りだした。赤く完熟したものをもいで食べてみたがなかなか旨い。この先いくつくらい生るのか分からないが、600円なら悪くはなかったなと考えた。


 額に汗しないで収穫を得ようとするのはよろしくないことだが、まあ、これもものぐさな私には似合っているのではないかと思っている。

変な騒ぎ

2008-07-10 09:06:16 | 身辺雑記
 大阪・道頓堀の59年の歴史がある飲食店が閉店した。この店には名物の看板人形があり、閉店が知れるとこの人形はどうなるのかという声が起こって、買い取りの話も出たそうだ。プロ野球やサッカーリーグの試合の応援席に姿を現わしたりして、人気は高まる一方でフィーバー状態となっていた。

 私は道頓堀には行ったことがないから、その店も人形も知らなかった。人形の姿も、閉店になるという話が出てから新聞に写真が載るようになって初めて見た。だからたかが飲食店の看板人形くらいのことで、なぜ大騒ぎをするのかさっぱり理解できなかった。とりわけ驚いたのは、閉店の翌日の朝刊だった。店の前で閉店の挨拶をする女主人と看板人形の周りを群集がひしめき合っている写真が1面に掲載され、後の面にも関連記事があった。いくら名物だからと言ってこれは少し騒ぎ過ぎではないか。朝刊の1面に取り上げるほどのことなのか。大新聞の大衆迎合の姿勢を疎ましく思った。

 同じ新聞に、ある女性作家のコメントが載っていた。「正直言ってなぜ大阪の人が大騒ぎするのかわからない。そんなに(看板人形が)大切なら普段から店で食事をしたらよかったのに。そうしていたら店も閉じることはなかったかもしれない。
 ・・・・飲食店を名乗る限り本業で勝負していかなければ客を引きつけることは難しい」。

 この騒ぎは、ある意味では首長選挙などでも指摘される大阪人の特性から来ているのかも知れない。よく言えば庶民的なのだが、どこか軽いのだ。マスコミもこういう面を煽るようなところがあるように思う。熱しやすいが醒めやすく、この看板人形もやがては忘れられていくのだろう。


               

仕事をサボった公務員

2008-07-09 09:33:41 | 身辺雑記
 近隣の市の市役所の男性係長が、勤務中に抜け出してパチンコをやっていたということで、停職4ヶ月の停職処分を受けたという記事を見た。

 この男性は58歳、昨年11月から今年の5月までの半年余りの間に19回、計21時間30分をパチンコに費やしていたとある。市の人事課に匿名の電話があって発覚したようだ。調査に対して「仕事でストレスを感じてやった。仕事が忙しくなり、やってられるかという気持ちでやってしまった」と言ったらしい。他にも通勤手当約15万円を不正に受け取っていたことも発覚して全額返済させられたと言う。

 58歳と言うと定年間近の年齢だ。その年齢になって課長や課長補佐の役職にもついていないということの不満や引け目が鬱積していたのかも知れないとも想像する。組織の中にいれば、役職が次第に上がっていくことは、仕事上の権限も多くなるし収入が上がることにもつながるから、サラリーマンはそれを励みや目標にして頑張る者は少なくないし、それは当たり前のことなのだろう。しかしある年齢になってくると、自分でも先が見えてくる。定年間際になっても係長に留まっていると、意欲が乏しくなり覇気が乏しくなることもあるのかも知れない。

 しかし、仮にそうだとしてもやはり係長と言う役職にある者が、「(忙しい仕事を)やってられるか」とサボるのは論外のことで、こういう不心得者が時折出るから一事が万事のように「公務員は・・・」と貶めるようなことを言われるのだ。公務員と言えども大多数の者はまじめに働いている。何もかも民間の方が優れていて、意識もモラルも高いと言うのは、実状を無視した無責任な言辞だろう。大企業にしても、普通の社員だけでなく幹部までもが大きな不正に関わる事件は少なくないから、公務員だけの問題ではない。しかしそれでも、税金で雇用されている公務員に対する目が厳しいこともあるのだから、やはり襟を正して不心得な者が出ないように職場のモラルを高めていくべきだろう。

                  

エビ詐欺事件

2008-07-08 07:54:49 | 身辺雑記
 大量の中国産ウナギを日本産と偽って、産地偽装して販売していた水産会社が摘発された。飛騨牛などの偽装事件が後を絶たない時に、まったく懲りない連中だと思っていると、今度はエビの養殖事業に絡む悪質な出資金詐欺事件が発覚した。

  この投資会社の会長らは、フィリピンのある市に東京ドーム450個分の養殖場を借りてエビを養殖し、その販売で得た利益を配当するという触れ込みで勧誘し、約4万人から約650億円を不正に集めて騙し取ったと言う。エビ養殖の実態はなく、最初から出資金を詐取することを企んでいたようだ。極めて悪質な詐欺事件で、今後の警察の調べによって全貌が解明されるだろうが厳しく処断するべきだと思う。

 この会長と言う男は話術が巧みで、エビ養殖事業に投資すれば1年で元金が2倍になるなどと言って投資させていたらしい。出資金は1口10万円で、出資会員が新たな投資家を紹介すれば手数料が受け取れるといういわゆるマルチ商法で会員を大幅に増やしたと言う。

 ある59歳の男性会社員は、20年来の知人女性に紹介されて出資したらしいが、最初のうちは出資するたびに配当金が口座に振り込まれ、さらに家族や親族、取引先など9人を勧誘して190万円の紹介手数料を受け取り、のめり込んでいった。しかし当然のことながらやがて破綻し、投資額は家族の分を含めて2600万円で、自宅ローンも支払い不能となり、自宅を売却して転居したと言う。惨めな結末である。

 それにしても、なぜこれほど多くの人たちが、まんまと話に乗せられて巨額の出資をしたのだろうか。これまでにもさまざまな詐欺事件があったことは話題になってきたのに、なぜ眉に唾をつけることをしなかったのだろう。1年で元金が2倍になることなど、この世知辛い世の中にあろうはずもない。東京ドーム450個分の養殖場などと聞けば誇大な話だと分かりそうなものだ。人間欲に取り付かれると分別をなくしてしまうのだろう。冷たい言い方かも知れないが、被害者にはあまり同情の気持ちがわかない。この世の中には、隙あらば人の懐に食らいつこうと狙って悪知恵を巡らす輩は跡を絶たない。人を見れば泥棒と思えとは言わないが、君子でなくても危うきには近づかないことだ。欲を出さないことだ。

                   

中国郵便事情

2008-07-07 09:19:25 | 中国のこと
 中国の郵便事情と言っても私が経験したごく僅かな例だから、それでもって広大な中国での典型的な、あるいは普遍的な現象と言うつもりはない。

 最近、上海の孫璇(スン・シュエン)に送った誕生日祝いの品が届かなかった。国際スピード便(EMS)で送ったので確実だろうと思っていたが、彼女とチャットしていて届いていないことが分かった。私が教えたEMSの発送番号で彼女が上海の郵便局に問い合わせると、届けたが不在だったので持ち帰り、局では日本に返送したと言ったそうだ。彼女は外国語大学で日本語を教えているので不在のことが多い。不在だったので持ち帰ったというメモをなぜ置かなかったのかと尋ねると、EMSは本人に届けることになっているとか何とか曖昧な対応だったらしい。自分達の都合ばかり考えて、利用者のことを何も考えていないと孫璇は憤慨していた。こちらの郵便局で問い合わせると、確かに上海の局では返送したという記録があったが、だいぶ日にちがたっているのに私の元には戻っていないから調査を依頼した。その結果、まだ上海の局に留め置いてあるということが分かったので孫璇に連絡したが、その後はどうなったのかまだ不明だ、

 実は中国へ送った郵便物が届かなかったのはこれが初めてではない。孫璇に送った郵便が届かなかったのは上海の郵便局の者の怠慢であることは分かったが、これまで西安の李真宛の書籍と小包がそれぞれ1回、邵利明宛ての郵便が1回、謝俊麗宛の小包が1回、上海の施路敏宛の書籍が1回、送ったが行方不明になっていて原因は不明である。この中にはアクセサリーなど少々金目のものもいくつかあった。そのようなことがあったので、プレゼントなど大切な品を送る場合にはEMSにすることにしてからは何とか届くようになっていた。

 なぜ届かないのだろうか。李真たち受け取れなかった者は皆、郵便局の人間が盗むのだと言う。それはありうることで、珍しいことではないらいしい、孫璇から聞いた話では、、郵便局では外国からの小包は開封することが多いそうだ。そうするのは保安上の処置なのかも知れないが、あるいはその際に盗むこともあるのだろうか。配達人が盗むのかも知れない。いずれにしてもざらにあることではなくても、李真たちにとってはそれほど驚くことでもないようだ。こういうところにも公務員のモラルの低下現象があるのではないだろうか。

 中国に郵便を送って少々不審に思うのは、旅先で世話になったガイドや、知り合った人に写真を送った場合に、返信はまったくと言ってよいほど来ないことだ。僻地に住む少数民族の人に送った場合には、住所が曖昧で届いていないのかと思ったりもするのだが確かめようがない。日本ならば差出人に返送されるのだが、中国ではどうなのか。かつて香港の集合住宅に住む知人にいくら手紙を送っても返事がなく、訪れると転居していて扉の前には配達された郵便物が散乱していたという話を読んだことがあるので、あるいは返送したりはしないのかと思ったりする。もっとも1度上海の唐怡荷に送った普通郵便が、記載の住所には該当者はいないと記されて戻ってきて、よく調べてみると私が住所を不正確に書いたためだったことがあるから、やはり返送という処置もするのかとも思うし、それでは中国人には礼状を出す習慣がないのかと思ったりもするので、よく分からない。

 こんなことを経験すると、日本ではよほどのことがない限り郵便物は速やかに確実に届くものだということを日頃経験しているから、当たり前と言えば当たり前のことなのだが、あらためて郵便業務に携わる人達の勤勉さとモラルの高さを貴重なことだと感謝したくなる。


                  

国際カエル年

2008-07-06 08:03:10 | 身辺雑記
 今年が「国際カエル年」と言うことや、そのスタートになった2月29日が「国際カエルの日」だったとは、まったく知らなかった。

 両生類は魚類に次ぐ古い動物で、イモリやサンショウウオなどの有尾類と、カエルやヒキガエルなどの無尾類とがある。この両生類は開発や環境汚染などによって世界では現在、約半数の種に個体数の減少が見られ、32%の種が絶滅危惧種となっていると言う。そこでこれに警鐘を鳴らして世間の認識や理解を高めることを目的として、国際自然保護連合(IUCN)や世界動物園水族館協会などが主催する「両生類箱舟プロジェクト(Amphibian Ark)」が世界的なキャンペーンを行っているのだそうだ。

 私はもともと中学生時代からカエルが好きであったが、大学院の修士課程では高名な両生類の遺伝学者である教授に師事したこともあって、今でも両生類には愛着を持っている。しかし悲しいかな、今の私の周辺には両生類の姿はまったくと言ってよいほど見られなくなった。40年前頃には、家の近くの溝にイモリがいて、動物好きの次男などは喜んで手に取ったりしていたし、カエルもトノサマガエル、ダルマガエル、ツチガエル、ヌマガエルなどさまざまなものがいた。50年近く前に初めて勤めた高校の校地の隅の池にはニホンアカガエルがいたし、学校の近くの水田の畦には、そこに穴を掘り泡に包まれた卵塊を産みつけるシュレーゲルアオガエルなどもいたものだ。それが今では私の家の近くにいるのはアマガエルだけになってしまった。アマガエルも可愛いものだが、トノサマガエルの優美な姿を思い出すにつけ、カエルがいない環境などは不自然で味気ないとつくづく思う

 カエルは英語でfrogと言うが、これはトノサマガエルなどのように水中では泳ぎ、地上では飛び跳ねる仲間で、這うように歩くヒキガエル(ガマ)はtoadと言って区別されている。このヒキガエルもなかなか風情のある生き物で、かつては六甲山の池や明石城の堀にたくさんいて、春先には大量の卵を生み、それを採集してきて発生の教材にした。少年時代に過ごした祖父の家の庭には多くの樹木があって、その下は昼も薄暗く湿っぽかったが、夏の宵などにはヒキガエルがどこからともなく姿を現わした。その蹲っている様子はいかにも大人然としていて、祖父は喜んでいたものだった。

 カエルについてはひとつの思い出がある。今では廃止、整理されたが、グリーンピア(大規模年金保養基地)と言うものがあった、日本列島改造論を掲げる田中角栄内閣の計画のもとで厚生省(現在の厚生労働省)が被保険者、年金受給者等のための保養施設として、1980年から1988年にかけて全国に13ヶ所設置した。兵庫県でも三木市の丘陵地帯に建設が予定され、環境調査の依頼を受けた私の大学時代の教授の後輩に当たる神戸大学の教授と候補地の、主として両生類の生息状況を調べた。調査が終わって関係の省庁の土木担当者などと協議した。いろいろと話し合われたが、その席で私は「カエルが棲める環境を残してほしい」と要望した。すると前の席にいた2人の土木関係の役人が顔を見合わせて「カエルがなぜ必要なんだ」というようなことを呟いた。カエルは象徴的に言ったので、要するに自然環境をできるだけ壊さずに残すようにということなのだが、技術屋には理解できなかったようだ。ことほど左様に技術中心の開発の名の下に生物の環境破壊が進行して、水質の汚染に弱い両生類などは真っ先に死に絶えていってしまった。今更「カエル年」などとキャンペーンしても時すでに遅しという感もあるが、それでも今なお多数の両生類が生息する熱帯雨林などでは、環境を保全して種の減少、絶滅を防ぐことは必要だろう。


             
              トノサマガエルの雌(インタネットより)



山城茄子は老ひにけり

2008-07-05 09:32:29 | 身辺雑記
 きのう75歳の誕生日を迎えた。これまでは市から交付されていた「国民健康保険高齢受給者証」は、名称を「後期高齢者医療被保険者証」と変えて、県の後期高齢者医療広域連合という機関から送られてきた。これでめでたく悪名高き後期高齢者となった。

 東京の施路敏、西安の李真と謝俊麗からは朝からチャットでお祝いを言われ、上海の唐怡荷からは電話、長男や上海の梁莉、知人からはメールがあり、古い卒業生からはカードが届いた。夜はH君夫妻達が行きつけのお好み焼き屋で祝ってくれた。次男の家族、大学生の孫娘、施路敏、邵利明からはプレゼントをもらった。普段は孤独な生活だが、こうして皆の祝福を受けて幸せに思う。李真は誕生日が楽しかったら後の1年は楽しいと言ったが、どうやらこれからの1年は好い年になりそうだ。

 この年になると、誕生日には先のことに思いを向けるよりも、過ぎ去った日々を思うことの方が多くなっている。それにしても75年とは、へりくだって言えば馬齢を重ねたということになるのだろうが、それでもまあまあの歳月ではなかったかと思う。

 定年退職前に依頼されて、高等学校の全国誌に一文を投稿したことがある。退職前の心境を綴ったものだが、その出だしにその頃折に触れて読んでいた『梁塵秘抄』を引いて、こんなことを書いた。

 「・・・・数ある歌謡の中で、退職まで残すところ1年足らずという頃から、面白いと思いはじめたものに次のような一首がある。

 山城茄子(やましろなすび)は老ひにけり、採らで久しくなりにけり、
 あこかみたり、さりとてそれをば捨つべきか、
 措いたれ措いたれ種採らむ。

  『老ひにけり』にはいささか抵抗はあるが、どうも我が身に関して思うところもあるし、教師のあり様についても言えるところがあるのではないかなどと素人流の勝手な解釈をして・・・・」

 梁塵秘抄は平安後期に在位した後白河法皇(1127~1192)が編んだ今様歌謡集で、今様とは「当世風」の意である。古典の素養の乏しい私にはよく理解できない歌も多かったが、有名な「遊びをせんとや生(むま)れけむ 戯(たはぶ)れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」などがある。

 上の「山城茄子は老ひにけり」の歌の意味はさほど難しくはない。私がこの歌に惹かれたのは、最後の「措いたれ措いたれ種採らむ」の句だった。採られることもなく放置されて、もう打ち捨ててしまってもよいような萎びて茶色に変色した茄子だが、取っておいて中の種を採ろうと言うだけのことだが、年老いても次の世代に遺すべきものを持っているのだと解釈できるのではないかと考えた。上に引用した文の後のほうで私は、
 
 「では私の中に一粒の種子もできていないのかと問われれば、そんなことはないと答えられる。何かにつけ自分の仕事については、真剣に取り組んできたから、人がまた蒔いてくれるかどうかは知らぬが、それなりの種子はできているという自負はある」

 と書き、最後に「まず、これまでの私の中にできているはずの種子を取り出して蒔こうと思う・・・」と結んでいる。

 今読み返すと、定年を迎える直前のいささか気負った自分の気持ちが、懐かしく思い出される。そして、退職後も知的障害者関係の仕事に就き、それまでの私にはなかった体験をしたから、蒔いた種はそれなりに成長したと思う。妻が逝き、まったくの無職の年金生活者になってからは、社会に役立つようなことはしていないが、それでも中国語を習ったり、中国の恵まれない子どもたちの支援にも関わったし、中国にたびたび出かけて知見を広めたし、交友の輪も広がった。こんなこともやはり私の中にあったいくばくかの種を蒔いた結果なのだろうと思う。

 あの文を書いてから15年以上がたった。あの頃はまだ若いという気持ちであったから、「老ひにけり」にはいささか抵抗感があったが、今ではまさにその心境である。もっともそれは気力をなくした詠嘆ではない。ここまで来たのだなあという感慨を伴った、ある満足感のようなものがある。それに、何が後期高齢者だ、政治家や官僚ども、見ておれという反抗心のようなものも残っている。私の老体の中に種はまだ残っているかと言うと、どうやら残り少なくはなっているようだが、まだあるような気がする。これからも命のある限り、ぼちぼちとそれを蒔いていこうかと思っている。


                       





落書き騒動

2008-07-04 08:47:20 | 身辺雑記
 岐阜市の女子短期大学の学生が、イタリア・フィレンツェ市の世界遺産登録地区にあるサンタ・マリア・デル・フォーレ大聖堂に落書きしたことが発覚したことから端を発して、同様のことが相次いでニュースになった。

 女子学生達は2月に6人で大聖堂を訪れ、見晴台の大理石の壁に油性ペンで、日付や自分達の名前、学校名の略称を書いた。これを後に日本人観光客が見つけ、写真に撮ってこの短大に送ったことから発覚した。短大では学生達に口頭で厳重注意し、学生と学科長が謝罪文を送ったと言う。

 その後も京都の私大の学生3人がこの大聖堂の石柱に大学名や氏名を油性ペンで落書きしたことが、やはり観光客の通報で発覚した。学生達は「他に落書きがたくさんあり、ついやってしまった」と言っているという。大学はこの学生達を14日間の停学処分にし、教会には電話で謝罪した。

 さらに茨城県水戸市の私立高校の30歳の硬式野球部監督が、1昨年に新婚旅行で訪れたこの大聖堂の展望台の柱に落書きしたことも発覚した。油性ペンでハートと相合傘の図に自分と妻の名を書き込んでいた。大聖堂の近くの店でペンを渡され、落書きしてもよいと言われたと言っているようだ。この監督は茨城県では高名らしいが、高校では監督を解任した。

 日本の観光地でも落書きは見られ、中には神社仏閣の柱や塀にナイフなどで彫り付けたりする悪質なものがあり、昔はいざ知らず今では決して好ましい行為とはされていない。それを外国で、それも世界文化遺産の建築物にしたのだから批判されるのは当然だろう。愚かな行為であることには間違いない。

 ところが当のイタリアでは反応はまったく違うらしい。このことが報じられると、イタリアの各新聞は1面にカラー写真を使って報じたようだが、多くは日本の学校の処置が厳しすぎると驚いているらしい。中には「日本のメディアによる騒ぎは過剰だ」と批判した新聞もあったようだ。実際イタリア人は国民性なのか、よく落書きをするらしく、真偽のほどは知らないが古代遺跡などは落書きまみれだとも言われ、その大半はイタリア人によるものなのだそうだ。ポンペイの遺跡にも当時の落書きがあり、これはそれで貴重なものらしいのだが、古代以来のイタリア人の輝かしい伝統なのかも知れない。現に今回問題になった学生や野球部監督は、現場には多くの落書きがあることにつられてやってしまったらしい。

 落書きに関するイタリア人の低いモラルに同調するわけではないが、この一連の落書き騒動は、別に日本の恥を全世界に知らせた国辱事件でもないと思う。どうも今回の落書き「犯人」に対する処置は、京都の大学生に対する停学処分など学校の体面を重んじたこともあったのだろうが、少々厳し過ぎるのではないか。野球部監督の解任にしても、学校の体面のほかに夏の高校野球の時期でもあるから、例によって「高潔で厳格」な高野連への慮りがあったのだろうが、そこまでしなくてよかったのではないか。岐阜の短大生に対するように、強く注意して教会には謝罪する程度でよかったように思う。これだけの話題になったのだから、本人達は十分に懲りたと思うし、他にも身に覚えのある者はおそらく多くいて、首をすくめる思いをしているだろう。もちろん、イタリアなどでは落書きをしてもよいと言うことではなく、それは「旅の恥はかき捨て」の類の愚かしい低次元の行為として戒めていかなければならないし、日本では文化財に対する落書きなどは犯罪として、厳しく対処しなければならない。

                  

ストーカー

2008-07-03 08:23:12 | 身辺雑記
 奈良県の71歳の男性がストーカー規制法違反の容疑で逮捕された。今年の4月から5月にかけて26歳の女性会社員の帰宅途中を待ち伏せするなどストーカー行為を繰り返した疑いだと言う。

 まったくもっていやはやと言うしかなく、私自身の年齢も一瞬忘れて「何というジジイか」と呆れてしまった。女性は25回待ち伏せられたと言っているそうだが、男は「偶然だった」と容疑を否認していると言う。その後はどうなったか分からないが、25回も偶然が重なったとは誰も信じないだろう。実はこの男、昨年からこの女性にストーカー行為を繰り返して警告されていたが、その際は「好意を持っていた」と言ったそうで、女性はさぞ気味が悪かったことだろう。「雀百まで踊りを忘れず」と言うが、この男若い時からこのような性癖があったのだろうか。それにしても71歳が26歳にストーカー行為とは。恥も外聞もあったものでない老醜の極みだ。

 ストーカーは今ではすっかり定着した言葉だが、元来stalkerとは猟師のように獲物をそっと追う人という意味で、転じて特定の異性に好意や怨恨を抱いて執拗につきまとうなどの行為をする者を指すようになった。2000年に施行された「ストーカー行為等の規制等に関する法律」(いわゆるストーカー規制法)によって、ストーカー行為は犯罪となった。それ以前にもこのような行為はあったが、まれに脅迫罪が適用される程度で、ほとんど野放しになっていたようだ。それが1999年に埼玉県桶川市で起きた、ストーカー行為の挙句に女子大生を殺害した事件を契機に、この法律が制定された。

 この法律でストーカー行為は「つきまとい行為」を反復して行うことと規定し、「つきまとい行為」としては次のようなものと定義されている。 
 
 1.自宅・学校・職場などでの、つきまとい・待ち伏せ・押しかけ等
 2.監視していると告げる行為(行動調査など)
 3.面会・交際の要求
 4.乱暴な言動(生命・身体・自由・名誉・財産に危害を加える言動が必要)
 5.無言電話、連続した電話・FAX(ファックス)
 6.汚物・動物の死体などの送付
 7.名誉を傷つける文書の送付
 8.性的羞恥心を侵害させる物品の送付

 最近では、宇都宮地裁の55歳の裁判官が、好意を持った部下の女性に16回にわたってメールを送りつけ、同法違反の罪で起訴されたが、これは上の5に該当するのだろう。そのメールの内容がインタネットにあったので一読してみたが、まことに虫酸が走る思いがする薄気味悪い読むに耐えないもので、裁判官という地位にある者としてはもちろん、55歳という年齢を考えても信じられない思いがした。やはり性格に重大な欠陥があるのだろう。

 71歳の老人のつきまといにしても、55歳の裁判官のメール送付にしても、今どきの中高年者はどうなっているのだろうか。いくつになっても男として女性に好意や恋愛感情を持つことは異常なことではないが、それが歪んだ行為に走っては異常としか言いようがないことだ。犯罪者扱いされても仕方がない。まったく変な世の中になったものだと思う。


                    





カブトエビ

2008-07-02 07:45:31 | 身辺雑記
 田植えが済んでまだ間がなく稲も短いが、急にカブトエビが出現した。カブトエビを見たのは久しぶりである。



 カブトエビは淡水性の原始的な小型甲殻類で、いかにも古代動物的な姿かたちであるがエビの仲間ではない。分類学上はカブトエビ科に属していて、同じ鰓脚綱には、やはり時折水田に大発生するホウネンエビや熱帯魚の餌として売られているアルテミア(ブラインシュリンプ、シーモンキー)などがある。

 カブトエビは長さ2、3センチ、細長い腹部とその先から伸びた2本の尾がある。腹部は環状の構造でブラスティックのパイプのような感じがする。



 背甲の裏側には歩行脚の後ろに多くの鰓脚(さいきゃく)があり、これを活発に動かせて水田の泥の上を泳ぎ回っている。鰓脚は歩行に適した脚ではない。



 カブトエビはエビ、カニなどと同じ甲殻類に属するが、甲殻類の中でも原始的な特徴を持っていて、地球上に現われてから現在までほぼ形態が変わっていないので「生きた化石」と呼ばれる。頭部には大きな2つの目があるが、真ん中にも小さな目があって3つ目である。これはノープリウスという幼生の時期の目が成体になっても残っているもので、原始的な形である。



 6月から7月にかけて水田に発生するが、水が涸れると泥の中に乾燥に強い耐久卵を残して死滅する。耐久卵は何年も乾燥に耐えるが、水があり適当な環境になると孵化し、雄不要の単為生殖でどんどん増えていく。水田では雑草の新芽を食べたり、泥をかき混ぜて雑草を浮き上がらせるから「田の草取り虫」とも言われているそうだ。