中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

野次、怒号の国会

2010-01-21 09:53:31 | 身辺雑記
「波乱必至」と予想されていた政権交代後初めての通常国会が開会されたが、代表質問が始まったとたんに、野次や怒号が飛び交う荒れた状態になったと報道された。

 国政の審議の場で品の悪い野次が飛ぶのは毎度のことで、これまでにも何とかならないのかという「民意」はあったが政治家たちにとっては馬耳東風のようだ。それどころか民主党の幹事長のカネに絡む問題が連日のように報道され、国会開会前に民主党の議員が逮捕されたり首相の政治資金についても騒がれてきたから、野党の自民党はここぞとばかり攻め立てるだろうことは予想されていた。

 しかし、国民が期待していたのは正々堂々と論議を闘わし納得のいくような解明がなされることだったのに、発言者の声もかき消されるほどの野次、怒号の応酬で、傍聴者たちも呆れたとはまったく情けない。ニュースの記事を見ると野次の中身は与野党とも極めて品がない。自民党の代表質問で冒頭から首相の偽装献金問題と幹事長の陸山会の事件に触れると民主党議員からは「自分のすねに傷はないのか」「疑惑を受けて農相を辞任したのはお前だろう」と激しい野次が飛んだ。首相が答弁に立つと今度は自民党議員が「ドラ息子」と罵倒し「金で権力を取ったんだろう」「お前のやったことは脱税だ」などと罵声を浴びせ続けた。自民党にも「ドラ息子」の弟がいるが、どんな気持ちで仲間の野次を聞いていたのか。

 この連中、私が大嫌いなことだが普段はお互いに「先生」と呼び合っている。それが豹変して「お前」呼ばわりで、「先生と呼ばれるほどのバカでなし」をさらけ出してくれた。いったい彼らはどのような育ちをしてきたのだろうか。こんな品性の乏しい輩に税金から多額の歳費を払っていると思うと情けなさを通り越して腹が立ってくる。ある新聞に「ねえ先生なんで国会うるさいの」という川柳があったが、これは小学生あたりが先生に質問しているようでもあるが、赤絨毯の上をふんぞり返って歩いている「先生」どもへの問いかけでもある。

 この国会は来年度の予算審議をする重要な場だし、沖縄の米軍基地移転の問題などもある。それがのっけから「政治とカネ」の問題で大荒れするとは議員たちの問題意識はどこにあるのだろうと思ってしまう。民主党議員の肩を持つわけではないが、過去には野党だった自民党の議員にまつわるカネの問題には大いに政治に不信感を抱かされものだ。まるで過去からずっと清廉であったかのように言うのも滑稽だが、だからと言って追及の矛先を緩めることは不要だ。これも彼らがお好きな言葉、「粛々と」節度のあるものであってほしい。

 このような国会の状況や議員たちの言動の程度の低さは、私たち国民の民度の反映ならばいったいどうすればよいのだろう。彼らに品位や節度を求めることは「百年河清を俟つ」に等しいことなのか。


物忘れ

2010-01-20 11:14:48 | 身辺雑記
 街に出て一通り用を済ませて帰り道、ふとあるものを買わなくてはと思って、帰る途中にあるスーパーに寄った。ところがスーパーの入り口にきたら、何を買うのだったかさっぱり思い出せない。店内を見て回ったら思い出すかも知れないと考えて、手提げ籠を持って歩き回ったがどうしても思い出せない。諦めて店を出て帰る道すがら、ああでもない、こうでもないと考えたがだめだった。頭の中が空白のようで不安になってきた。

 家に帰って風呂に入ったり、夕食をつくって食べたりしているうちに、忘れたこと自体を忘れてしまい悩むこともなくなった。それが夜、退屈紛れにパソコンでソリティアというゲームをやっているうちに突然、ああバナナだったと思い出して呟いたらおかしくなって笑ってしまったが、頭の中はすっきりした。スーパーでうろうろしてから5時間もたっていた。なぜ突然思い出したのか、これもさっぱり分からない。そう言えば、バナナは入り口近くに置いてあるのだが、そこは素通りしたようだった。

 年のせいなのだろうが、最近は物忘れすることが多くなったようだ。それも何か思いついた直後に忘れてしまうのだが、このこと自体はもうだいぶ前から起こっていることだ。一番バカバカしかったのは眼鏡はどこかなと思って探し、顔に手をやったらかけているのが分かった時だ。二階の自分の部屋に物を取りに行き、入ったとたんに何だったかなと思うことなどはざらにあった。このようのことは友人や知人もよくあると言うから、そんなものかなと思っていたのだが、近頃はどうも頻度が高くなったようだ。先日も買ってきた封筒の束がどうしても見当たらない。何回もあちらこちらを探し回ったが分からない。失くしたのかも知れない、また買えばいいと思っていたら、翌日にそばに積んである本の上にあるのを見つけた。ぼんやりしながら行動するからだと反省すること頻りだった。

 ブログ友のOjさんも最近、「もの忘れ 気をつけよう」と題して書いていた。「最近かなりショックなことがおきた 《物忘れ》が多くなり 危機意識を持ち始めている」という出だしで、早朝のウォーキングの前にコンビニでコーヒーを飲むのを日課にしているが、先日途中で釣銭が足りないことに気づいた。店員が間違えたのだろう明日言ってやろうと思って帰宅して着替えしたら、のど飴が出て来た。これを買ったのを忘れていたのだと、ざっとこんな話で、「人には言えないが あの前兆じゃあ? ヤバイ!」と結んでいた。よく分かる話だ。このブログにコメントが入っていて、「私も以前から危機感を持っています。この前聞いた話ですが、食事の内容を思い出さないのは単なる『物忘れ』、食べたことを忘れると『認知症』の恐れだそうです」とあったのでなるほどと思った。

 そういうことで、ただ今は年相応の「物忘れ」状態と思ってよさそうだ。しかし独り住まいだから認知症の気配が出てきたらどうしようか、近所の奥さんたちにでも注意しておいてほしいと頼んでおこうかなどと考えてもいる。



元陽の棚田

2010-01-19 09:30:27 | 中国のこと
 この10年間に中国各地を訪れたが、最近は訪問回数は減ってきている。特に昨年は脚が弱ってきたこともあって湖南省と西安にしか行かなかったが、湖南省は私が入っている会の用務で行ったのだし、西安は友人たちと会いに行ったので観光はしていない。中国には見たい所はいくらでもあるが、何しろ広大な国だから切りがない。

 改めて過去の写真を見たりしながら訪れた所を思い出しているが、折々適当に選んでこのブログに載せてみようと思う。

 2004年には前後7回出かけたが、3月に雲南省の南部にある元陽に行った。ある旅行社の撮影ツアーに参加したのだが、10余人の参加者は私以外は皆アマ写真家を自認する人達で、機材なども私とは比べ物にならないものだった。私と言えば三脚も持たないド素人ぶりだったが、それでも皆良い人たちで楽しく過ごせたし、今も付き合いのある人もいる。

 雲南省は日本と同じくらいの面積で山が多く、西はミャンマー、南はラオスやベトナムに接している。少数民族が多く、最も多い彜(イ)族の他に、中国では雲南省しかいない少数民族が15ほどあると言われている。元陽は紅河哈尼(ハニ)族彜(イ)族自治州にある。

 元陽の棚田は圧倒的な迫力があって、世界各国から写真家が訪れる。見事な造形芸術を見ているようで、これが人間が作ったものとは俄かに信じられない気がした。





 昼間だけでなく明け方や夕暮れの様子も美しい。

  







 棚田はハニ族が何百年にわたって営々と作り上げてきたもので、もちろん機械などはなく、おそらくは鍬1本で掘り進んだものだろう。もちろん上から掘っていくわけにはいかないから、下から掘り進んだのだろうが、最初の一鍬を入れる時に、遥か彼方の山の斜面の上を見上げて何を考えたのだろうかと思う。まさに「耕して天に至る」だ。多いところで5千段あると聞いた。

 田はほんの小さいものからかなり広いものもあってさまざまだ。家は一箇所に固まっていて小さな集落をつくっているが、そこから受け持ちの田に出かける。と言っても上がるにしても下るにしてもまっすぐな農道などはないから田の縁の曲がりくねった畦道を伝っていくしかない。ちょっと近くの田に行くにしてもずいぶん時間がかかるだろう。そのようにして田を耕し水を引き入れ、田植えをし、収穫する。その根気よさとエネルギーは我々のような生活に慣れた者には想像もできないことだ。改めて人間の持つ力はたいしたものだと思う。



才能と容姿

2010-01-18 10:08:59 | 身辺雑記
 現代はテレビの時代だから、何かにつけテレビ映りのよいことが重視されるようだ。演奏家でも同様で、才能はもちろんだが、やはり容姿に優れていると有利ではないか。そういう意味では「天は二物を与えず」と言うようなことはないのではないかと思ったりする。たとえば中国人の女性の二胡や琵琶、古箏などの演奏家のCDを何枚か持っているが、ジャケットを見ると皆なかなかの美女で感心する。反対に才能はあっても容姿に問題があるとされたら、売り出すことは難しいのかも知れない。少し意地悪な見方をすれば、容姿が優れていたら才能的にはいま一つでも、受けは良いと言うことになるのかも知れない。もっとも容姿だけでは一時的にはともかく、一流になれるほどこの世界は甘いものではないだろう。

 テレビが映らないので見なかったが、昨年のNHKの紅白歌合戦に特別出演したスコットランドのアマチュア歌手のスーザン・ボイルという女性は、このような先入観を覆したと言うものだろう。彼女がイギリスの人気オーディション番組に初めて出場したときの映像(インターネットの動画サイトのユー・チューブ)を見たことがあるが、48歳とかのまったくのオバサンで、やや太り気味の野暮ったいとも言える風体だし、美人でも何でもなく、聴衆は彼女が舞台に立つなりあからさまに侮蔑したような反応を示した。ところが歌い始めたとたんに、その声量のある美声に反応は劇的に変わり、最後には会場は熱狂の渦に巻き込まれた。以後そのシーンは、世界中で3億回以上のアクセスがあったと言う。今後CDを出すらしいが、彼女が先々この世界でプロとして地位を確立する可能性は多分低いだろうけれども、才能と容姿は関係がないことを示したのは快いことだった。

 戦中から戦後にかけて日本のシャンソン界の先駆者であり、代表曲から「ブルースの女王」と呼ばれた淡谷のりこ(あわや・のりこ)はクラシック音楽の基礎教育を受けたそのすばらしい歌唱力で一世を風靡した。私も幼い頃よくその歌声を聴き、今もその声が耳の底に残っているが、歌謡界の大御所とも言える存在から戦後はテレビにはよく出た。

 彼女は決して美人とは言えなかった。初期のテレビの時代に、夜の歌謡番組か何かに出演した彼女の顔が大写しされ、それを見ていた私の幼い従弟が怯えて泣き出したことがあったようだ。当時はもちろんカラーではなかったから、ドーランで化粧したコントラストの強い顔は幼児には怖いものに映ったのではないか。それ以後その子が愚図ついて泣いたりすると、家人が「ほらほら、アワヤノオバチャンが来るよ」と脅すと愚図るのを止めたそうだ。「鬼が来るよ」のように使われてはブルースの女王も形無しだ。

 しかし彼女はなかなかの傑物で、戦時中の出征兵士の慰問に駆り出されたが、「化粧やドレスは贅沢ではなく歌手にとっての戦闘服」という信念で、禁止されていたパーマをかけ、ドレスを着て歌い、軍部から何度も始末書を取られるなどの圧力に屈することはなかったと言う。反骨精神や平和を願う思いは最後まで失せることはなかったと評価されている。

 若手歌手の歌唱力に対する目は厳しく、「今の若手は歌手ではなく歌屋にすぎない」、「歌手ではなくカス」などという辛辣な発言もあった。今は単なるタレントと化して、私などには聞くに堪えないジャリ歌手が少なくないが、淡谷のりこが存命ならば、かつて若い歌手は胸から発声しないで口先だけで歌っていると言ったのを記憶しているので、どのように言うだろうと思ったりする。彼女がこのような気骨がある人物は芸能界にはもう見られなくなったのではないか。時折毒舌を弄する年輩のタレントが男性にも女性にもいるが、その毒舌も所詮は芸のうちのような気がする。





15年前のこと

2010-01-17 11:35:23 | 身辺雑記
 阪神・淡路大震災からもう15年たった。「もう」と言っても被災して亡くなった方たちの遺族にとっては、今も心の傷跡は深く、長くも短い15年ではなかったかと思う。あの日の朝のことは2年前のこの日のブログに書いたから繰り返さないが、冷え冷えとしたあの朝の空気は今も忘れられないし、その後の混乱も心から消えない。とにかく大した被害のなかった私にしても異常な体験だった。

 1995年(平成7年)という年は、この大震災から始まったようなものだから、その後の出来事は印象がはっきりしない。それでも改めて調べてみるとやはりいろいろなことが起こっていて、15年前という年についていろいろと思い出す。すべてを挙げることはできないから、いくつかを拾い上げてみる。

 3月20日には日本中を震撼させたオウム真理教の信者達による地下鉄サリン事件が起こった。その後教祖をはじめ幹部が逮捕起訴され、多くは死刑判決を受けたが、最高裁に死刑判決の取り下げの訴えを行うなどして確定は長引き、最近も幹部1人の死刑判決が確定している。15年もかかっていまだに裁判の決着がついていないのには異様な感じさえする。素人目には徒に確定を長引かせているとしか思えない弁護団のあり方には、それが正当な活動なのかも知れないが疑問を感じる。

 4月9日には東京都知事に青島幸男、大阪府知事には横山ノックといういずれもタレント出身者が当選している。青島は1期勤めただけで辞任し、横山は1999年に女子大生に対する強制わいせつ罪で起訴され辞任した。2人とも今は故人になった。

 4月19日には東京外国為替市場で1ドル=79.75円と言う、現在の円高時代でも破られていない史上最高値を記録した。この15年間日本経済にとっては厳しい状況が続いている。

 4月22日には日本全国の公立学校でこれまでの毎月第2土曜日に加えて第4土曜日も休業日とされた。当時いろいろと賛否があったが、今では完全週五日制である。

 7月23日、第17回参議院議員選挙が行われた。当時は自社政権だった。今年は7月末ごろに第22回選挙が行われる予定で、民主党はここでも過半数獲得を狙っているが結果はどうなるか。なお参議院議員の任期は6年だが、これはちょっと長いような気もする。有名女子プロゴルファーの父親が参議院議員になったが、昨年の政権交代後の最初の議会で、野党議員の質問中に週刊誌のコピーを見ているところを撮られた写真があり不愉快だった。このような程度の低い議員でも6年間は安泰でいられるのは疑問だ。

 9月4日には 沖縄県で米兵隊員の運転する車両にはねられ母子3人が死亡し、同じ日には同県で米兵による少女暴行事件が発生した。沖縄では最近でも米兵による県民の轢殺事件が起こっている。この15年間に沖縄では何件の米軍兵士による犯罪が行われたのか。主権国家としてのあり方を、沖縄の米軍基地移転問題が難航している時に、殊更に考えてしまう。

 11月23日に米国のマイクロソフト社がWindows 95日本語版を発売した。Windowsはその後この15年間に、2000(2000年)、XP(2001年)、Vista(2006年)、7(2009年)を発売している。長く続いたXPは昨年末で打ち切りになった。私は昨年末に買い換えたが、7は使い勝手がいい。

 恣意的に抜き出したらこのようなことが挙げられた。人によっては他にもいろいろ挙げるだろう。なおこの年に鬼籍に入った人には、女優の入江たか子、往年の水泳選手の前畑秀子、料理研究家の土井勝、小説家の五味川純平、歌手のテレサ・テン、67代首相だった福田赳夫、作家の山口瞳などがある。

 ざっとこのように俯瞰してみても、やはり15年前は遠い頃のように思われる。定年を迎えて間がない頃で、妻も健在だった。このことを考えるだけで遠い昔のように思う。震災で長くガスが止まり風呂を沸かせないので、電車で大阪の池田市にある銭湯に2人で「震災ルック」で通った。帰りがけによく駅の近くの立ち食い蕎麦屋に入ったが、蕎麦を食べている妻の姿が懐かしく思い出される。何か妻との絆が強くなったように思ったものだった。




ゴールデン・レトリーバ

2010-01-16 11:09:37 | 身辺雑記
 街から帰る途中に少し急な坂があって、近頃の脚の弱っている私にはちょっとした「難所」なのだが、そこを登りきった所にある家の道路脇の金網のフェンスの向こうに、1頭のゴールデン・レトリーバがいる。

 寒い中でフェンスと家の間の小さな間隙に蹲っていて、街との行き帰りに近寄って「おはよう」とか「寒くないか」などと声をかける。フェンスに顔を近づけてみると、頭を挙げてこちらのほうを見て鼻をひくつかせるが、とてもおとなしくて唸りも吠えもしない。とりわけ目が優しくて、思わず「可愛いねえ」と言ってしまう。通りすがりの年輩の婦人や若い娘なども笑顔で足を止める。

  

 この寒い中をかわいそうにとも思うが、陽がよく当たる場所だし夜は中に入れてもらえるのだろう。寒いから家人が気遣ったのか服を着せてもらっている。



 ゴールデン・レトリーバは元来は狩猟犬で、撃ち落した獲物を陸上でも水の中でもくわえて回収(レトリーブ)するために、頭部は幅が広くて強く、首は丈夫で前肢と後肢は発達している。四肢を滑らかに動かして、大地を踏みしめるように力強く歩くと言う。性質は非常に温和で人懐っこく、飼主以外の人や他の犬やペットに対する友好度は抜群のようだ。こういう良い性格の犬種がどのようにして作出されたのか興味深い。





アカハラ

2010-01-15 09:27:47 | 身辺雑記
 インタネットでのニュースで「東大:60代男性元准教授を停職の懲戒処分 アカハラで」と言う見出しを見たが、アカハラという言葉の意味が分からなかった。

 私が知っている「アカハラ」は、高校に就職してしばらくの間実験材料として親しんでいたイモリのことだ。日本のイモリは腹が赤く、それでアカハラ(赤腹)とも言われる。しかしイモリと大学の教員の懲戒処分とは結びつかないから記事を開いてみると、こういう内容だった。

 「東京大学は12日、アカデミックハラスメント(上下関係を利用した学内での嫌がらせ行為)をしたとして、60代の男性元准教授に停職1月の懲戒処分相当と通知したと発表した。男性は既に辞職している」

 なるほど、アカデミック・ハラスメントだったのか。セクハラやパワハラは知っていたが、アカハラは知らなかった。セクハラはセクシュアルハラスメントの日本語式の略語で、広辞苑にも載っているが、これは外国でも企業などでよくあるという性的嫌がらせのことだ。米国などでは女性の同僚や部下の容姿に触れたり、上役が女性の部下の前でワイシャツの袖をまくり上げて話をしてもセクハラになると聞いたことがある。パワハラはパワーハラスメントで、2002年ごろに作られた和製英語だそうだ。職場や学校などで権力や地位を利用した嫌がらせという意味で用いられる。

 アカデミック・ハラスメントが正式な英語なのか和製英語なのかは知らないが、「研究上,教育上または職場での権限を乱用して,研究活動,教育指導もしくは労働に関係する妨害,嫌がらせまたは不利益をあたえること」と定義されている。パワハラの1類型だ。上記の東大の准教授の場合は、女性職員に「妊娠されたら困る」と発言したり、複数の職員を威圧的に怒鳴るなどしたということで申し立てがあり、今回の処分になったものだ。この事例はまだ軽いほうで、過去には2年続けて学位論文を拒否されて自殺に追い込まれた事例もあるようだ。大学の研究室という、とかく閉鎖的になりがちな環境の中で教授などが絶対的な権力を乱用することは少なからずあるのだろう。結局はその教授などの人格にかかわることで、やはりはっきりすれば適正な処分を行うべきだろう。

 西安出身で大阪の企業に就職した邵利明(明明)は、今用務で上海にいるが、彼女の仕事に関係する上司である部長は、かねてから社内でセクハラ、パワハラをする人物との噂があり、明明も「被害」に遭って社内の関連部署に申し立てをしたそうだが、いっこうに改善されなかったようだ。社員に言わせると部下に対してはそのような行為をするが,社長にはゴマを擂るので気に入られているそうだ。明治時代から続いている企業らしいが、どうやらいまだに体質も古いようだ。





虎頭帽

2010-01-14 11:12:26 | 中国のこと
 西安の謝俊麗の息子の撓撓(ナオナオ)と李真の息子の宸宸(チェンチェン)がお揃いの虎の頭をかたどった帽子をかぶっている。俊麗が上海で2人に買ってきたものだ。虎頭帽(フウトウマオ)と言う。

撓撓  宸宸

 虎頭帽は中国の端午の節句や春節、満一ヶ月のお祝いの時に男の子に贈られる伝統的な民芸品である。健やかに成長し虎のようにたくましく育ち、出世するようにと言う願いをこめて母親が作ったのが本来のものだ。昔は医療水準が低かったために、子どもはまだ幼いころに死ぬことが多かった。それは悪魔や鬼の仕業だと思われていたので、虎の威力を借りてそれを退散させようとした。

インタネットより

 俊麗はその由来を知らなかったようで、上海の店にあったので珍しいと思って買ったそうだ。都会では虎頭帽を贈る風習は廃れかけているのかも知れない。地方へ行くとまだまだ残っているのではないかと思われ、2004年に貴州省東南部のある苗(ミャオ)族の村の祭を観に行った時に、男の赤ん坊や幼児がかぶっているのをよく見かけた。虎ということはあまりはっきりしないが、きれいなものだ。専門家は猫頭帽(マオトウマオ)と言うそうだ。

 



 虎頭帽と一緒に先端に虎の頭のアプリケを縫いつけた靴、虎頭鞋(フウトウシエ)や虎の縫いぐるみなども贈られると言う。

 インタネットより

 宸宸はこのような衣装も買ってもらったようで、尻尾もついた可愛いものだ。李真の母親の友人の手作りで、満一ヶ月の祝い(満月)に贈られたものだそうだ。今年はトラ年だから、なおさら虎がもてはやされるのだろう。もっとも中国のトラ年は旧暦の新年である春節(今年は2月14日)から始まる。

 宸宸と父親の陳偉 



リードをつける

2010-01-13 09:20:31 | 身辺雑記
 あるファーストフード店に入った時のこと。カウンターで注文を済ませて待っていると、すぐそばにいた小さな男の子が私を見上げてニコリとした。5歳くらいで色白の丸顔の可愛い子だった。

 私が笑顔を返すと、その子は少し私のほう近づいた。するとその子の向こう側にいた母親らしい女性が険しい表情で「動いたらあかんやろ」と低い声で叱り、手に持っていた革紐のようなものを引っ張った。そのとき気づいたのだが、その紐は男の子の首の後ろの襟元につながっていた。それで男の子が母親のほうに引っ込んだのだが、まるでリードで犬をつないでいるようで、ちょっと異様な感じがした。

 その後も何か気になっていたが、ふとあの男の子は多動症なのではないかと気がついた。30年ほど前に教育研究所の教育相談係にいた頃、何度か多動症の幼児や児童を見たことがあるが、いろいろな症候はあるようなのだが、絶えず動き回り注意散漫な子が多かった。道を歩いていても突然走り出したりするから、車が多い所などでは危険なので親は絶えず子どもに注意していなければならない。しかしその頃はリードでつないでいるのは見たことがなかった。

 家に帰ってインタネットで調べてみると、多動児を持つ親が書き込みをしている電子掲示板があった。書き込みをしている親も子どもをリードでつないでいるようで、そのために幼児虐待だなどの非難や叱責を受けるようで悩んでいる。それに対して同じように多動児を持つ親が書き込みをして意見を言ったり励ましたりしていたが、リードを使う親は少なくないようだ。最近は盲導犬などに装着するようなハーネス(胴輪)もあるらしい。私が見た子もハーネスを着けていたのかも知れない。

 初めて見た私も少々異様な感じを受けたくらいだから、街でそのような姿を見かけたら事情を知らない者は犬の散歩を連想して、何ということだと非難の目を向けるかも知れない。しかし、当事者の親にとってみればそうするほかはない。親なら手をつないでやればいいではないかと言うかも知れないが。そうしょっちゅう手をつないでいるわけにもいかない。何も好き好んでやっているわけではないから、非難するのは酷なことだ。

 私は定年退職後に知的障害者の親の会の事務局に勤めたことがあるが、障害を持つ子の親の心身の苦労というものはとても言葉ではでは尽くせないものがある。ある重度の障害を持つ子ども(と言ってももう成人しているのだが)の親は、自分の願いは子どもよりは一日だけ長生きしたいことですと話したことがあった。親は子どもよりを早く死ぬが、せめて子どもを看取って死にたいという切なく尊い親心だと思った。

成人式

2010-01-12 12:09:39 | 身辺雑記
 11日は成人の日で、街では晴れ着姿の若い娘たちを多く見かけた。女の子は多いが男はほとんど見かけない。中には羽織袴姿の者もあっただろうが、人中で歩くのは照れ臭いのか、それとも仲間たちと飲みにでも行ったのか。

 1948年に公布・施行された祝日法によって制定されたこの成人の日は当初は1月15日だった。私はいまだに成人の日と言うと15日かと思ってしまう。この日は小正月で、かつての成人式である元服の儀が行われていたことによると言われている。それがハッピーマンデ-制度の導入によって、2000年から1月の第2月曜日とされた。つまりその年の1月8日から14日までのうちの月曜日が成人の日となり、元来の1月15日に成人の日がくることはなくなった。来歴のない祝日になったわけだ。やはり祝日には由来があったほうがいいとも思うが、今はそんなことよりも休日になればいいのだろう。

 私の一番上の孫娘も成人になった。今日は人並みに晴れ着を着て写真館で写真を撮り、市が主催する成人式に出席したようだ。この子の母親は成人式に着物は着なかったそうだ。娘一人の家庭だったから親は晴れ着姿見たかったのではないかと思うが、本人の意思だった。当時既に私の長男と付き合っていたが、そのことを聞いて堅実な娘だなと好ましく思ったものだが、しかし我が子となるとそうもいかないのだろうし、孫娘も着るのが当然という気持ちだったようだ。皆がしているあの白いショールはいつごろからなのかなと嫁に聞いたら、私の時にも皆着けていましたが、茶色など白いものもありました。いつから皆白くなったのでしょうねと言った。私は旧弊なのだろう、あのショール姿は和服とはちぐはぐなようであまり好きではない。

 毎年のように成人式の会場で男のバカ成人どもが騒ぎを起こすが、今年もあったようだ。長崎県佐世保市の成人式では、最前列の席に陣取った約20人の集団が、市長のあいさつ中に壇上に登り、手にした扇子で市長をたたこうとして係員に制止される一幕があった。集団はその後も「おまえの話なんか誰も聞いとらん」「一発芸しろ」などとヤジを飛ばし、たまりかねた市長が「社会というのは厳しいものだ。ルールを守れるようになりなさい!」と一喝したので、会場のほかの新成人たちから拍手が起こったという。集団は「つまらんから出ようぜ」と言って退出したが、そのうちの1人は会場を出た後、市職員に「今日がこういうことをやれる最後の日。明日からはまじめに働く」と、「神妙に語った」と記事にはある。何が神妙だ。「今日がこんなことをやれる最後の日」とは能天気にもほどがある。世の中を甘く見すぎているのではないか。どうにもならない腐った豆腐のような脳の連中だ。いったい何のために成人式に参加したのか。自分たちのバカ振りを衆目に晒すことになるとは考えなかったのか。将来バカなことをしたと秘かに恥じるようになればまだ救いがあるが、こんなことをしてやったと「武勇伝」を語るようであるならば永遠の未成人だろう。今年の新成人は127万人とか、その中のほんのひとつまみの愚劣な連中だが、やはり不愉快な痴れ者だ。

 福井市や埼玉県秩父市でも新成人による器物破損行為や市職員に対する暴力行為があったと言う。孫娘の母親に騒ぎがあったかと尋ねたら、田舎ですから皆可愛いものですと笑っていた。息子の家族は滋賀県の南部にある野洲(やす)市に住んでいるが、2004年に市制が施行されてまだ日は浅く、かつての農村の雰囲気をかなり残している。そんな所だから、幼稚に騒ぎ立てる若者も少ないのだろう。なまじっか地方の中都市あたりが問題が多いのかも知れない。