四国の「実家ではできないこと」をやっている。
ここで、「父がやっていたこと」を、今、私がやっている。
昨年の私は、とてもフツーではなかったので、
やれる精神状態ではなかった・・・と思う。
余裕なんてなくて、“ごはんを食べる”のに精一杯だった。
今もまだ、十分に“生活を楽しんでいる状態ではない”のだが、
父へのオマージュのように、
ただ、ただ、「父がやっていたこと」を、やっているだけである。
今・・・「夏野菜、真っ盛りだぁ!」
父が、四国(実家)にある「大きく、広い菜園」を離れ、
こんな狭い場所で野菜をつくっていたことを思うと、
少し寂しい気分に襲われたりもするが・・・
父にとっては“私と同居すること”もまた「意義あることだったのだろう」と思う。
「だから、いいんだ!」
そう思う。
今・・・
・・・・私は、「悪戦苦闘」だ!
一人で植えて、一人で育てて、一人で食べている。
時々、隣家に、そっと朝摘み野菜を“置いていく”。
道端で会うと、そのまま本人に摘んでもらって、“さしあげる”。
栽培経過で、わからないことがあったら、すぐに四国に電話する。
常に実家の畑の状況は、連絡が入るし・・・時々手紙も届く。
父がいなくなって、母も他界して、
だからこそ頂いたのは、親戚という立場の「新しい両親」。
つらいときは、電話口で、一緒に泣いてくれる。
おかあさんが一度に、何人かできた・・・。
本当に・・・・・・突然、この数年で・・・・・関係が変わってしまった。
「愛情」や「信頼」、「いとしさ」や「やさしさ」、
そんな言葉がひったりとする。
おじさんやおばさんたちが、「頼れる人」になってしまった。
そんな不思議さと向き合いながら、なじみながら、
日々の寂しさも薄れていくような気がしている。
「ありがとう!」