ゆらぎ

2005年11月30日 | 雑感 -
何故、こんなにも「つらいのかいなぁ~」と感じていた。
最近の“へたり方”は、ちょっとばかりめずらしい。

原因は、やっぱりあった・・・。

「自分の生活の中心に、自分自身がいない」からだ。


常に、自分以外の“何か”に影響を強いられている。
生活全般に介入されている。

選択するときや判断するときも、自分以外の“何か”を最優先に考えている。
そういう状況に置かれているのが、今の私自身なのだ。


過去の私は、“今の私自身”とは、明らかに違う。
まず第一に、自己発生的に湧き起った“感覚的なモノ”を大事にしていた。
そして、いつも“自発的な行動”によって、何かを成し遂げてきた。

自分独自の価値観を内心深く保持してきたのが、これまでの私自身であり、
常識にも迎合することなく、それなりに“わが道”を生きて来た自負があった。

だから今の生き方は、“これまでの半生”とは、まるでかけ離れた連関があるのだ。

おそらく、介護生活によってもたらされた“縛り”に囚われて、希望を失くし、
それ以外の領域にさえも、その“受動的な姿勢”が習慣づけられてしまったのだろう。
そうして、いつしか自分自身を見失って、自分らしさも失ってしまった・・・。


    ~~ Aさんの最終決定を待ってから、
        「これ」にとりかからなければならない。~~

    ~~ Bさんの作業が終了してから、
         やっと「これ」にとりかかることができる。~~

実際・・・・・
私の周りには、こういう関係性、こういう状態ばかりが、ずっと続いているのだ。
プライベートも、それ以外も・・・。
だから、鬱積(うっせき)してしまっている。
私自身が、“もんもん”として、活き活きしていないのだ。

父の介護生活(&その思考)だけが、原因ではない。

私の“生活そのもの”の根幹が、ゆらいでいるからなんだ。

できるだけ早く、この“ゆらぎ”を止めて、落ち着いた生活に戻していきたい。
最優先課題が、より明確になった・・・。
これは、かなり重要なことで、「今、早急に、やらなければならないこと」である。
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ガンコ親父再来!

2005年11月29日 | 介護日記 -
今日の父の精神状態は、ドロ沼だった。
今も、まだ続いている。

 「羽田に行く」
 「田舎に帰る」
 「これから行く」

この言葉の繰り返しである。

父は、“叔母と叔父の来訪”をとても楽しみにしていたので、
少なからず昨日の決定がショックだったようだ。

いつもの“落ち込み”から一変して、今日は“怒り”のような心情を前面に
押し出してきていた。
父にしてみれば、期待していたことが裏切られたのだ。当然ではある。

父は、私のことも「うそつき」と言った。


「今すぐに四国に帰る」と言われても、私が一緒に随行するわけにはいかず・・・
父が一人で帰省しても、現在の状態では“一人で過ごすことはできない”。
だけど、本人にはその自覚がない。

信頼している叔母に(電話で)説得してもらっても、効かない。
聞こえていないのか・・・聞こえていても、しらんぷりなのか・・・
ただ一言、「これから羽田に行く」――
同じような言葉を、一日中繰り返していた。
“何度も言っていたら、きいてくれるかも”という期待があるのだろうか。


父は・・・こちらの都合や、周りの状況などは、おかまいなし!
聞く耳は持っていない。
説明しようとして、ちょっと話すと・・・すぐに「かんしゃく」がお出ましになる。
今日は、虫の居所が悪い!めちゃくちゃ悪い!
(どうしたんだ?)
昔の「ガンコ親父」の様相を呈してきた。
父自身も、どうしようもない状態で、気持ちのやり場がないような感じだった。

“聞き分けがない”とピシャリと遮断して、はっきり言うわけにもいかず、
私自身は“もんもんとした気持ち”を持て余すことになる。

説明して分かってくれるのなら、苦労はしない。
父の精神状態(思考回路)に付き合うことは、本当に疲れる。

私の「孤立感」――。
気持ちがすさんでいきそうな予感・・・持ち直そうと必死に軌道修正しようとして、
もがいている自分自身を客観的に見ていた。

今日は、長い一日だった・・・。

―嵐が去ってくれるのを、ただ待つのみ――。
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旅は“出会い”

2005年11月28日 | 出来事 -
今日、とても“残念な結果”が舞い込んできた。
父の姉弟にあたる叔母と叔父の「当地への来訪」が、キャンセルされてしまったのだ。
楽しみにしていた「富士山の見える旅企画(河口湖etc.)」も、流れてしまった。

まず、私のスケジュールが落ち着く今月上旬ぐらいまで待ってもらったが・・・
その後にも日程を決めずに、ずるずると先延ばしにしていたのが原因である。
慌ただしい師走に入ってからでは、“旅行どころではない”との判断のようだ・・・。
「来年の春か、あるいは暖かくなってからにしよう」と、さらっと叔母には言われた。
叔母も高齢者だから、冬はこたえるだろうし、言っていることは“もっともなこと”だ。

     しかし、私と父には、あまり時間がない・・・。
     半年先のことなんて、約束できない。
     日毎、月ごと変わっていく父の体調を目のあたりにして
     半年先のことを肯定的にイメージすることは厳しいものがある。

        私の中には、“焦り”があった。
        「少しでも元気なうちに、連れて行ってあげたかった」
        そういう気持ちが、胸の中にあふれていたので、
        叔母の言葉は、とてもショックだったのだ。

       
  しかし、冷静に考えてみると、
  半年先だって・・・
  父の具合は今と変わらず、外出できる状態かもしれないし、
  もしかすると、好転している可能性もあるかもしれない。
  しかし、「今」をどうにかこうにか生きながらえている私の心は、
  “どうしても先延ばしにしたくない気持ち”で満たされてしまったのだ。

  何故だろう。

  
  “何故なのだろう”と想いをめぐらせてみると・・・
  「父を連れて行ってあげたい」と思う気持ちと同じぐらい、
  「私自身が、旅行に行きたかったのだ」、きっと・・・。
  そういう意識に、たどりついてしまった。
  「げげっ、そうなんだぁ」
  私は、自分の心の奥に潜んでいた“本当の思い”に気がついてしまったのだ。

  この現実から逃げ出して、数日間でも旅をしたかったのだ。
  家事全般から解放され、父を一人きりで見守らなければならない緊張感を解き、
  何よりも“自分自身がのびやかに解放される感覚”を抱くことができる。
  希望が見えにくい日常からの逃避――それは(今の私には)とても意味あることで、
  “旅をする”ということを、私はこのうえなく“楽しみにしていた”のだ。

  だからこそ、私にとっては非常にショックな・・・叔母の決断だったのだ。


旅行は、楽しい。
旅は、まさに“出会い”の連続である。
人との出会い、風との出会い、食との出会い、風景との出会い、文化との出会い、
日常と離れた“もう一人の自分自身”との出会い――。


今年の四月には叔母一人が着てくれて、箱根の温泉と、満開のサクラを楽しんだ。
そのときの父は、とてもとても嬉しがった。
そして、楽しんでくれた。
二泊三日の箱根温泉旅行も、御殿場からの富士山も、印象深く残ったようで・・・
ケアマネジャーさんやヘルパーさんに(訊かれもしないのに)何度も何度も話していた。

富士山は、とても奇麗な山だった。
壮麗で、存在そのものに威厳があって・・・素晴らしい景色だった。
父は富士山が大好きだから、本当に楽しい旅だったのだろう。

でも、心から楽しんでいたのは父だけではなかった・・・。
「私もだったんだよね」
楽しかったんだよね・・・ホント。
ナビゲーター、コーディネーター、スポンサー、マネージャー、ドライバー、etc.
何から何まで何役もこなした“忙しい旅だった”けれども、
息抜きと共に、明日への活力も蓄えることができた旅だったから・・・。
また、今秋の旅も心底行きたかったし、とても楽しみにしていたんだ。

残念だぁ。

まぁ~仕方がないから、すっきりとあきらめて、また来年の春以降に想いをはせて、
ネットサーフィンで情報収集しておこうかな。
気持ちをさっぱり切り替えていくのも、ときには必要なことだから・・・ネ。
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恥じらい

2005年11月27日 | 介護日記 -
最近の父は、パンツをはかないことが多い。
就寝時は、ほとんど“はいていない”。
下半身だけは何もつけず、寝ているみたいなのだ。
正確に言うと、寝るときは“はいている”が、起きるときには“はいていない”。

      ※深夜の排泄に失敗して、衣服をよごしてしまうので、
        おそらく“最初から脱いでいる”のだと思う。
        あったかい電気毛布があるので、寒さも感じないし、
        本人にとっては“ぬくぬく”で快適らしい。

同居をはじめた頃は、パンツは常に“はいていた”。
それに比べれば、最近は「ちょっと無防備ではないか」と思う。
“男としての自覚が足りない”などとは、毛頭言うつもりはないが・・・
急に誰が来るかわからないし、せめてベッドから出るときには“はいてほしい”ものだ。

しかし・・・
父の不安定に変化する体調や、脳細胞の状態を考えると、
パンツをはかないことが“楽で快適な状態なのだ”ということがよく分かる。
だから、「はいたらどう?」とも言わないし、「はきなさい」なんてことは言わない。
それに、今のところは、日中は“ちゃんとオシャレをしてくれる余裕がある”から、
そう大きな問題でもないのだが・・・。
私としては・・・下半身を、唐突に(それも頻繁に)見せられるのは「!?」である。


今夜は、早い時間から、すでにパンツを脱いでいた。
「もう、寝るつもりなんだな。早いなぁ」

ところが、就寝体勢に入っている父が、“頭を洗ってくれ”と、突然言い出した。

「いいよ」
私は、洗髪シャワー付きの洗面台に促した。
ベッドから起き上がった父は、“下半身まるだし”のまま歩いてきそうになった。
“げげっ、あのまま来るのかな”と思った途端、ちゃんと踵をかえして、
パジャマのズボンを着てくれようとした。

“親子といえども、ちゃんと気を遣ってくれたんかいなぁ”
“まだ、恥じらいは残っているみたいだ”

恥じらう気持ちがあるということは、羞恥心が優っているということ―。
まだまだ父は、ボケっぽいけれど“フツーの老人”の領域にかろうじているのでは・・・
完全なる“ボケ老人”ではないのではないか。
・・・・そう思いたい出来事だった。

そして、なんとなく、ほくそえんだ出来事だった。
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成せば成る!

2005年11月26日 | 出来事 -
スゴイね~!
         「大成功です」。

我が家の極小洗濯機で、ふかふか毛布を洗ってしまった。

   父の排泄による失敗は、日々我が家の洗濯機を酷使している。
   もう、ずっとずっと“こういう生活”が続いているが、
   洗濯機は頑張って働いてくれている。


当初は、「一枚と言えども、毛布なんて無理だろう」と思っていた。
洗濯槽に押し込んでみると、“狭いところは嫌だ”とばかりに飛び出してくる(笑)。
しかし、あきらめきれず・・・・・、“できるだろうか”という個人的興味も重なり、
「駄目でもともと」「無理でもどうにでもなる」と思い、ついに行動にうつしてみた。

洗濯槽の中で毛布がまわりきらなくて、「うぃ~ん」と変な音は出していたが、
「がんばれ」とエールをおくりながら、終始“暖かい気持ち”で見守り(笑)、
(その都度)手作業でお手伝いをしたら・・・・・
最後まで頑張ってくれた。
脱水なんて、「きゅぅ~ん」と絞ってくれちゃって、ホント“感動もの”だった。

エライね~!   「感動です」。


              あのとき、あきらめなくて良かったぁ!
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幸福の御守

2005年11月25日 | 出来事 -
昨日、表参道のイタメシ屋で、はたと気がついた。
「げっ、お守りがない!」
いつもお財布にぶらさげていた「お守り」である。

その時は、バッグの底におちているだろうと思い込み、(探せば見つかるだろうと)
深く気に留めなかったのだが・・・・・どこを探しても見つからない。
「そんなはずはない。もう一度ゆっくりと探してみよう~!」と思い直し、
今日も、家中のいろいろな場所を探したのだが・・・何処にも見当たらない。

   この事実は・・・     シリアスではないにしても・・・
                 密かに、「ショック!」だったりして・・・。


そのお守りは、大事にしていた「幸福の御守」だ。
白い袋の表に、「幸」という一文字が、大きく縫い付けられている。
とても目立つ幸文字は、決してオシャレなものではないが(ダサダサだったなぁ)、
何となく私の思い入れがあったりして、
あれを持っていると“幸福が舞い込んでくる”ような“根拠無き期待”があったりした。
だから、常に携帯するお財布にぶら下げて、肌身離さず持ち歩いていたのである。

「幸福の御守」は、
平成15年10月23日に、京都・清水寺にて授けてもらったものだ。
当時の私は、「幸福」というものを追い求めていて(今もそうだけど)、
「幸福の御守」という音には、「やられたぁ」とばかりに即座に購入を決めたのだった。
心底“シアワセになりたかったんだ”よね・・・・・・ホント。

   【※】京都「清水寺」は、開創(奈良時代末期)千二百年。
      金剛力士像で有名な仁王門、寄棟造り&入母屋造りの歴史的建造物など、
      重要文化財に指定されている幾つもの建築物が並ぶ。
      これらは、室町時代や江戸時代に建築されたというものばかりだ。

一昨年、清水寺に行ったのは、御本尊の御開帳拝観があったからだった。
それは、本当に“貴重な経験”となった。
33年に一度の割合で御開帳されている本堂御本尊と、243年ぶりの御開帳となる
奥之院御本尊とが、同時に拝観できたからである。
それもたった100円の料金で・・・。
得した気分の一日で、その締めくくりに手にした「幸福の御守」。
日頃つのっていた“幸福への渇望”が、この御守で満たされるかのように、
幻影のような“ある一つのイメージ”を抱いてしまったのだろう。


しみじみと、これまでのことを思い出したりしていると、一つの考えが浮かんできた。

  「幸福の御守」は、きっと何らかの“お仕事(使命と言うべきか)”を果たして、
  どこかへ隠れてしまったのかもしれない。
  私のために、何か・・・とてつもない“お仕事”をしてくれたのかもしれない。

       事実、当時の私には“良くないこと”が続いていて、
       私自身の思考も生活そのものも、低迷を極めていた。
       おみくじを引けば、「凶」をひくような日々だった(笑)。
       だからこそ、あえて手にした「幸福の御守」ではあった・・・。


「御守は、私のために、とてつもない“お仕事”をしてくれたのかも!」――
“おめでたい発想”ではあるが、そう思えると「失くした事実」が受け容れられる。
「自分の過失で落とした」とか、「大事にしていたのに無くなった」とか・・・
そういう思考は、ちょっとばかり寂しすぎる。
おめでたい私のことだから、おめでたい発想をしても、「幸守」は許してくれるだろう。


         今まで、ありがとう。

         本当に、お疲れさま――そして、さようなら。

                              わたしの「幸守」へ
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激痛⇒消沈

2005年11月23日 | 出来事 -
“痛み”と闘うとき、ぐっと力を入れる。

堪えようとしても堪えきれず・・・ついぞ「お薬」の出番になってしまった。
「我慢できない根性なしめぇ~~。まったくぅ~」
そう呟きながら、オテテは薬箱に・・・。
カサコソ、カサコソ、引き出しをまさぐっている。

              イメージは、自分で自分の身体を
              (競走馬のように)
              鞭打っているような感じかなぁ。


昨日書いたセンテンスじゃないけど、本当に「健康」って大切だなぁと思う。
身体がいうことをきかないと、父の要望がきいてあげられない。

     ~顔を熱いので、やってくれよ~
     いつもの蒸しタオルをご希望のようだ。
     父にしてみれば、いつものことだから、何気なく言葉に出している。

しかし、私に余裕がなく身体がツライときは(特にシリアスな要望ではない時)、
「また“わがまま”を言って」という気持ちが湧いてきて、イライラ感がつのってくる。

「少しは我慢できないのかしら」―そういう気持ちが湧いてくる。

「いつもやってあげているんだから、今日は我慢して」―という気持ちも湧いてくる。

そして、必ず・・・嫌な気持ちに覆われる。
そうすると、逃げ出したくなるんだ。

心の中で、どろどろとしたものが、渦巻く感じかなぁ。

でも、説明するのが面倒だから、横たえた身体を起こして、蒸しタオルをつくる。

    「あぁ~気持ちええわぁ」
    その言葉を聞いても、心はぴくりとも動かない。
    不感症女になってしまった気分だ。


心と身体は、いつも連動しているから・・・
とにかく「痛み」をとって、身体の不調を治すのに限る。
そうすれば、鋭気も戻ってくる(?)――というものだ!

そう思い至って、いつも薬箱に手が伸びる。
一晩寝たら、もう“いつもの私”がそこに居るはずなんだ。
そう願いながら、お布団をかぶり込む。

―長い夜―

健康

2005年11月22日 | 雑感 -
「身体が、不自由なく、
 自分の意志のままに動くこと」の“有難さ”・・・
いつも忘れている。

「身体なんて、動いて当然だ」と
思っている自分の意識―――本当は、当然じゃないのに、
                  当然だと思い込んでいる。

環境問題が叫ばれるようになって、
やっと言われ始めた“水や空気の有難さ”と同じだ。


     食事をしているとき、歯が痛い父の顔は、どんどんゆがんでくる。
     その顔を見ると、自分まで痛みが襲ってきそうだ。
     そうして、食べている食事の味が変わってくる。
     今日の父は、車から自力で降りることができなかった・・・。
     その巨体を私の肩につかまらせながら、ひきずるように力を加える。
     父の足の痛みが、私の身体をつらぬいていくようだ。


父の暮らしぶりを身近で見て、その日常を介護していると、
こうしていられる“自分の身体の有難さ”を、本当に感じるんだ。
フツーに歩ける。フツーに食べられる。フツーに感じることができる。
なんて自然で、なんて有難いことなんだろう・・・。

パーフェクトではないにしても、
ある程度の「健康」を保ていることに“感謝したい”と、
心から感じてしまう。
この“ささやかなシアワセ”は、
これからも自分で守っていかなければならない。

自分の“ささやかな人生”は、
こうした“ささやかなシアワセ”のもとに成り立っているのだから―。

「あまぁ~い!」

2005年11月20日 | 出来事 -
四国
我が家の“たより”。

お米と柿と白味噌と・・・なんだかんだ詰め込まれた「宅急便」が届いた。

私が生まれて育った四国の実家では・・・
4年前に私自身が植えた柿の木が、すごく大きく成長した。
今では、とても美味しい実を提供してくれている。
「親戚の皆さんで食べてください」と、所有権を放棄していたのだが・・・
今年も豊作で・・・食べきれないと判断した叔母が、宅急便で送ってくれたのだ。

カラスに突付かれるぐらいなら、我が胃袋に!

叔母が送ってくれた柿は、見事な大きさで、とっても「あまぁ~い」。
本当に「あまぁ~い」のだ。

       一個・・・100円ぐらいで売れそうだなぁ。
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私の“日常”

2005年11月19日 | 雑感 -
「日常」とは、毎日のこと――

私の日常は・・・「日々の“ストレス”に、頭が痛い」・・・。

私の日常は、何をやろうとしても“思うようにできない”ことが多い。
頑張っても、どうしようもならない要因のために、我慢してしまう自分―。
そうして、その現実を“ありのまま”感じながら、受け容れようと努力する自分―。
でも、躍起になっても、なかなか“穏やかな日常”は遠いことを感じる日々。
その繰り返しのようだ。

ストレスや抑圧を活かすためには、「くさらない」ことだ。
自分の可能性に限界を感じない。
自分の運命を嘆かない。
自分の苦しみに打ちひしがれない。
恨まない。
暗くならない。
愚痴らない。
いや、愚痴っても良いけれど、決して“愚痴ばかり”にはならないこと!

ストレスを自分の貯蔵庫に溜め込んで、醗酵させて・・・
いつか小さなチャンとめぐり合ったり、条件が揃って“時機”が訪れたときには、
ここぞとばかりに「えいや~ぁっ!」と奮起する。
積極的な人には可能なやり方である。

「今に、みていろ!」
エネルギーを溜め込んでおこう。

そして・・・今、
できうる努力は、自分の中で「努力」と意味づけをして、着実に「努力しておく」。

私の溜め込んだエネルギーが、活火山のように噴出していく“その日”まで――。

“ほんわか”歯科医

2005年11月16日 | 介護日記 -
素晴らしい歯医者さんに出会った。

こんもりとした山の中腹に位置する“一軒家”の歯科医院。
初めて行く歯科医院である。
「さすがぁ・・・」と言葉がもれる“贅沢に空間を使った配置”の治療スペース。
絨毯の上に、じゃり石を敷いて、緑の鉢植えをいくつも飾っている。
外観も内装も、雰囲気がステキだ。
見ているだけで、癒される。

そのうえに、医療技術が“うまい”・・・ような気がする。
初診なので、まずは面談室に通され、ふかふかソファに腰掛けた。
向かい合って、話をゆっくり聴いてくれてから、治療台に乗る。
(好感度アップ~!)
そして、先週出向いた歯科医院よりも、かなりスピーディに処置を施してくれた。

また、先生は、とにかく優しい。
治療中には、付き添っている私に声をかけてくれて、
「介護は、一人でやっているの?大変だねぇ」とねぎらってくれた。
「介護している人が歯を悪くするんですよ。重いものを持つからね。気をつけてね」
治療が終わった後には、おもむろに父の手をとって、自分の肩につかまらせて、
「ゆっくりで良いからね」と言いながら、ロビーまで促してくれた。
(好感度、またまたヒートアップ~!)
良い先生だ。

そのうえに、つるっぱげ頭で、お顔も大らかで・・・人相が最高に“あったかい”!

今日は、本当に良い歯医者さんに出会った。

「どんなに遅くても、20分以上は待たせません」
そんな張り紙を確認したが、本当に待たされることはなかった。
電話で問い合わせた通り、“完全な予約制”をとっている。
無理なスケジュールは、組んでいない証拠である。
    ちまたの歯科医院は、予約制と言っても、
    30分の間に平均三人の入れ替わりがあり、
    予約したはずなのに、かなり待たされるのが普通である。

同じように時間を割いて、同じ治療代を支払うのだから、
やっぱりこういう豊かな気持ちで帰れる歯科医院に行かなくちゃ・・・ネ!!
いくつも探して、良かった。
インターネットと電話で、“いろいろとあたった甲斐があった”というものである。

今日は、大変な一日だったけれど、本当に嬉しかった。


「父に付き添っていく」ということは、医院だけではなく、看護婦さんや先生など
様々な人の気持ちや対応を、“直截的に感じる”ということである。
耳が聞こえないし、動作もゆっくりでボケっぽいので、きっとイライラするのだろう。
先生のケアでさえ、距離感を感じることが多い。
それらは、あたかも“面倒だなぁ”“分かっているのかい”という言葉を隠して、
“お仕事(営業)、お仕事(お金)”と言い聞かせているような対応である。
思いやりが感じられず・・・私の心の中には、冷風が“すぅ~っ”と吹き通る。
時間がちょっとだけ(ほんの数秒だけ)止まってしまったような感覚である。
私は、すぐに立ち直り、現実をそのまま受け容れるのだけれど・・・
基礎体力の落ちているときなどは、意外とへこんだりもするんだよね(笑)。

だから、今日のような慈愛に満ちた“人間的な対応”をしていただくと、
本当に嬉しかった。

ほんわか、ほんわか・・・・・心が“ほんわか”して、スキップしたい気持ちだった。
「アッタカイ人は、まだまだたくさんいるぞ」と、みんなに言いたい心境だった。
疲れ果てて、荒みそうな“私の日常”にとっては、最高のプレゼントだったなぁ。

「私も、ああいう人になりたいなぁ」と感じると同時に、
できるだけ“ああいう人と接する機会を増やしていこう”と、心からそう思った・・・。

ダブルパンチ

2005年11月15日 | 介護日記 -
一つの具合悪さ(病気)をクリアにして、ほんの少し持ち直した途端に、
また違ったトラブルが出てきてしまう・・・というのが、最近の父の状態である。
ときには、二つ同時に発生して、「ダブルパンチ!」というのもある。

今朝も、ぐったりとして、ベッドから起き上がってこなかった。
体調から来るものが原因なのか、心労からくるものが原因なのか・・・
私の“にわか医者”加減は最近相当なもので・・・顔を見て、一言二言話してみたら、
「原因のバランス」が読めてくるようになった。

体調の場合は、「即、病院へ!」。
心労の場合は、精神安定剤を飲んでもらい、しばらく様子をみる。
薬は効果覿面(こうかテキメ~ン)で、だいたいはすっきりとしてくる。

今日の状態は、「心労が6~7割かなぁ」と感じたので、
「デイサービスに行って、お風呂にはいってきたらどうかなぁ」と促したら、
本人もうなずいて車に乗り込んだ。
大好きな「お風呂」という言葉には、父は大きく反応する。

私は、密かに「やったぜ!」と小さくガッツボーズ、
「今日は、これで大丈夫かも」と安心していたら・・・
帰宅した夕方頃には、「歯が痛い」「足が痛い」と言い出していた。

     そうだよね。
     そういうことだよね。
     簡単なことじゃなかったよね。

     私が、ちょいと甘かったね。


「明日、歯医者さんに行こうね。今夜は我慢できるかなぁ?」

「それから、整形外科にも行かなくちゃ!」
「足のリハビリして、注射をしてもらおう!」
目の前で、“ドッ~テン!”と転ぶ父を見て、そう声に出していた。

居候

2005年11月14日 | 出来事 -
“オッソロシイもの”を、見てしまった・・・。

2Fから階段をトントンと降りてきたら、
正面の踊り場に「“わさわさ”うごめくもの」が・・・

「イモリ」か、「ヤモリ」か、
どちらか分からないが・・・トカゲみたいな様相だ。
(おそらくヤモちゃんかも)
以前にも、我が家に侵入してきた珍客である。


  ――「ヤツは、いつから潜伏しているのだろう」。

家は、締め切っている。

安心して、寝られない。
自屋のドアを開けたままでは、決して寝られない。

  ――「いつ出て行ってくれるのだろう」。


自然が豊かな場所を選んだんだから、当然のことではある。
その恩恵をもらっているんだから、仕方がないことでもある。
だけどぉ・・・・・「どっか行ってほしいなぁ」。

しがらみ

2005年11月13日 | 雑感 -
今日も、たくさんの人に会った。

昨日は、たくさんの人にあった上に、
偶然半年振りに再会した人もいた。

人とあうたびに・・・
その人と、いろいろな話をするたびに・・・
私の“背負っているもの”を感じる。

今は、「父の介護」という現実も浮かんでくるが、
それだけではない“膨大なしがらみ”のことである。

生い立ちから、現在進行形の縛りまで、
多様な形をした様々なもの――非常にたくさんの“しがらみ”。
たとえ全速力で逃げようが、ひたひたと迫ってくるもの。
どんなに隠れても、常に居場所を突き止められて、追いかけてくるもの。

これらが占める私自身の「心」のスペースを感じるのだ。

私の人格を形作ってきた要因。


人々の内面に触れさせてもらうたびに・・・
私の“背負ってきたもの”と、“今だ背負っているもの”を感じてしまう。
それも、これも、私自身だけれども、
すでに受容することはできているけれども、
「なんでこんなに多くのものを背負う運命になってしまったのか・・・」と、
恨み言に聞こえないように気を遣いながら、
そっとつぶやいてみる。

やっぱり、完全には受容できていないのかもしれない。
だって、人のことを羨ましく感じてしまうんだ・・・。
そういう時は、ちょっぴりツライなぁ。

エアコン設置

2005年11月11日 | 出来事 -
今週は、慌ただしい。
そのスケジュールの中でも、“必要性に迫られてきた”ということもあり、
来るべき冬将軍にむけて、新しい機能を備えた「エアコン」を設置することにした。

工事に来てくれた業者さんは、転居前に住んでいたマンションオーナーのご紹介である。
東京に長らく住みついてきた私にとって、こういう“親近感ある関係”は心地が良い。
気楽に相談できるのは、相互扶助的精神が感じられる当地の雰囲気からだろうか。
   基本的には、“個人の人柄の問題”かもしれないが・・・
   とにかくアットホームである。それに、親しみやすい。
   (おせっかいで、無駄話も多少多いけれども・・・ネ)
   また、「あの人に聞いてみよう。紹介してくれるかも」という発想が
   私自身にも湧いて、実際にもそのとおりに行動してしまうということは、
   これまでの大都会生活にはなかった関係性である。

さぁ~て、まずは「エアコン選び」である。
今年の春まで住んでいたマンションでは、管理会社がエアコンの選択を間違って(?)
温度調節の効果が少なく、残念な思いを感じていた。
12畳のリビングに、6畳タイプのエアコンでは・・・やはり厳しい。
ちょっとばかり値段をケチったり(?)したら、あとで(違った意味での)後悔をして
悪影響があるのだと思い知った。

だから、はり込んだ!
ちゃんと12畳~14畳用のエアコンを買い、1階の中央に設置したのである。
おかげさまで、パワー全開!
“朝一番の暖め”などは、びっくりするぐらいの早さである。

エアコンの設置工事が終わり、リモコンの置き場所を壁に打ち付けるとき・・・
工事の人は窓枠の高い位置に穴を開けた。
それは、立った人の目線の位置で、ちょうど目に付きやすい場所ではあった。
しかし、私の脳裏には「車椅子に乗った父の姿」が自然と浮かんできて、
「その位置では手が届かない」と瞬時に感じてしまった。
そして、すぐさま位置を変えてもらったのである。
父と同居する以前の私なら、きっとこういう感覚を抱くことはなかったかもしれない。
けれども今は・・・常に父の状態を意識しながら、何かを感じているようだ。
現実問題として、その必要性があるから、自ずとそういう思考回路になってしまう。

人の意識というのは、“こういうもの”である。
・・・常に変わるし、状況に則して感じ方も変わってくる。
それに、見る角度や、立っている位置によっても、感じ方は変わるはずである。
だから、一人の人間の「心」が“ずっと変わらず、そのままでいる”なんて、ありえない。
“一生、変わらない”なんて、ありえないのだ。
しみじみ、そう思う。

それにしても、“町の風景には障害者用の配慮が、ほとんどなされていないなぁ”。
どのエリアにも、健常者としての意識が感じられる。
今でこそ、駅などでバリアフリーやスロープなどの設置が常識化してきたが・・・
一昔前の工事のものは(ほとんどが)健常者目線で造られている。
また同様に、舗道全般に関しては車(運転者)目線で造られ、歩行者への配慮が乏しい。
“絶対数が多いこと”や“力関係の理由”で、当然といえば当然の流れではあるが・・・
社会には少数派の人々も生活しているわけだから、完全に無視してしまうことは
いかがなものかと思う。

そんなことを考えていたら・・・
なんとなく“社会の傲慢な態度”や“多数派の一方的な考え方”を感じてしまった。
そして、過去の自分自身を振り返ったりして、複雑な感情に満たされてしまった。
「全ての人にとって快適な社会を形成すること」は、かなり難しいとは思うけれど・・・
それに向かって少しでも“協調していく努力”を、気配として感じていたいものである。
でなければ、徐々に心がすさんでいきそうだ。


そういえば・・・
かつての父は、エアコン嫌いだった。
“のどに悪かった”からだと思うが、今は「あったかいなぁ」と気に入っているようだ。
エアコンの性能も上がっているし、昔と比べてかなり機能性が向上している。
長時間つけていても、のどがカラカラになることはない。
人々にとっての快適性を研究していった結果が、ここに結集されているのだろう。
何でもそうだが・・・「努力して、最善を尽くすこと」こそ、大切なことなんだと思う。
「ありがたや~!」技術者さんに感謝である。

<今日帰宅したら、エアコンは「on」になっていて、部屋は“ほんわか”だった!>

これからは、“寒い冬”も“暑い夏”も、このエアコンにお世話になることになるなぁ。
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