商品の購入から納品まで

2012年06月30日 | 出来事 -

数日前、仕事帰りに総合家電店に出向いて、ノートPCを
買うつもりで出かけたが・・・ もうひとつ気に入らず、
そのまま帰宅してしまった。
軽くて、気楽に、持ち運べる小型のセカンドノートが欲しくて、
イメージも固まっていたけれど、・・・心が動かなかった。
また、次のシーズンを待つことにしようと思う。


その後、インターネットでネットサーフィン後、つい
衝動買いのように、液晶テレビを購入してしまった。
支払いも、現在はネットバンキングがあり、瞬時の内に
振り込みが完了してしまうし、手数料もない。
PCの前で、全てが終わった。 簡単になったものだ。

それに、送料の金額に違いがなければ、こういうことは、
全国に差異はなくなる。

そんな状態で買ったテレビが、たった一日で届いた。
安価だったレグザだったが、とても快適な薄型である。

あっという間に、液晶画面が三つ並んでしまった・・・。


快適性を追求するために、廊下に置いてあった家具を
リビングに入れ込んで、コンポはそこに設置した。
音が少し下の部分からあがってくる感覚もまた新鮮!
窓際のソファを、熱から守るため、奥に移動したら、
とても気分的に心地よくなった。

「おやおや、あれれ~」という間に、リビングが変貌した。


やはり大切なのは、お掃除がしやすい家具の並びと、
小物などの整理、そして、ほこりよけのカバーの設置。
定期的に洗濯ができるのは、やっぱり都合がよい。


住空間は、「いるだけで気持ちよくなる」のが一番!


自分勝手に介入してくる人

2012年06月29日 | 仕事 -

自分で都合よく、私の仕事のエリアに押し入ってきては、
「honor」を、奪い取ろうとする人がいる。
会社の中では、これまでに、何人か経験した。

「honor」(オーナー)とは、「名誉」とか「名声」が直訳だが・・・
たとえば、仕事に対する信用とか、そういうことも全て
意味する言葉である。
私は、時々、この言葉を、つい日本語と一緒に使ってしまって、
所有者を意味する「owner」という言葉と誤解されることがある。


人が欲しがる要素の内の一つ・・・
それが立場や名誉であり、まさに「honor」に当てはまる。


私は、誰かの“そういう欲” が 先に立つとき、
せめて「現状を把握することから始めてほしい」と、切に
願うことが多い。

 
上司が介入してくることは、ままあることだが・・・
場違いだったり、解釈が違っていたり、先走ったりすると、
仕事上では、トラブルを招きかねない。
せめて、「確認する」という初歩的なことから始めてほしい。


「私が、耐えうる範疇であってほしい」・・・というのと、
「本質を見極めることからやって、それでも介入したければ、
 どうぞ~!」・・・という二点が、私からのお願いだ。



大きな仕事であれば、あるほど・・・
そういう人が湧いてきて、気がついたら、勝手に介入してきて、
ひっかきまわそうとする人がいる。
うまくいけばいいけれど、トラブルになった時には、
大変なことになってしまう・・・。

時として、自分が介入するために、私の仕事のやり方に
不備があるのではないか・・・とのメールが、届くこともある。
面倒だが、事細かく説明すると、納得したのか、諦めたのか、
複雑な現状に辟易したのか・・・私への指導&批判はおさまる。


私の正直な心情は、一つだ。
お願いだから、「そっとしておいて!私だけで充分なの。
私は、いつも、そういう複雑な仕事をやっているんだから!」
ホントは、そう耳に囁きたいぐらいである・・・・。


      
   ※今回の突然の介入は、全体像の事情説明をして、
    自重してもらっている。
    本人も、複雑な人間関係に、今は介入不可能だと
    感じたようだ。


昭和を代表する女性ディオ

2012年06月27日 | 人物 -
「ザ・ピーナッツ」

昭和の音楽シーンを牽引した双子の歌手。
1959年、18歳でデビュー。

音楽的な才能ばかりでなく、ダンスのレベルも高かった。
俳優としての演技も断トツで、コメディセンスもあったという。

二人のメロディとハーモニーは、物悲しかったり、楽しかったり、
素晴らしいエンターティナ―だった・・・と思う。

「惜しまれながら辞めたい」 ― という二人の意志から、
1975年に引退するが、その後も、二人の存在は注目の的になる。


私は、その引退公演ライブのカセットテープを、誰かから頂戴して、
一時期、「ザ・ピーナッツ」に、はまったことがある。
彼女らが引退してから、随分と時間がたってからのことだ。

それから、思い出としては、これも随分だってからだが・・・
先輩に「恋のバカンス」のハーモニーの練習をさせられた。
今も、それは忘れずにいるぐらい、頻繁にカラオケに通ったものだ。
 <当然、私が、難しいハーモニーを担当! 余興のため>



ザ・ピーナッツは、素晴らしい歌唱力を併せ持つシンガーであり、
今、聞いても新鮮な歌謡曲は、素晴らしい音楽的才能だと思う。

引退してから、彼らの歌を聴くようになった私は、
現役中の活動については、全く接点がない。
後に動画サイトで、多くの楽曲を歌番組で歌っている画像を観たが、
やはり・・・その卓越した才能に、脱帽していた。
現在は、その豊富だった画像も、消されて、観ることができない。


沢田研二さんの元妻だった伊藤エミさん(姉)が、
6月15日に永眠したことが、発表された。
71歳だったという。  合掌!


○「可愛い花」





○「恋のフーガ」




香川真司選手のマンU契約

2012年06月24日 | 人物 -

日本サッカー代表MF、香川真司選手。
この数週間のオフを使って、いくつかのテレビ番組に出演している。
ご本人は明るくて、思い切りも良いみたいで、それでいて、
内に秘めたる “感情の起伏” が感じられる部分が時々露出して、
若い割に、強く「男らしさ」を感じる人だ。
それでいて、人当たりが、すこぶる良い。
さわやかな笑顔は、人をとりこにする魅力に満ちている。

性格的に壁がなく、凄くいい印象だ。


そして、ついに「マンチェスターU」の香川真司が、誕生した。
7月から4年間の契約だそうだが・・・ザックが語ったように、
しっかりと契約期間をプレーし続けられて初めて、彼の真価が問われる。
世界のビッグクラブだからこその厳しさは、本人が一番理解していて、
そういう環境に挑戦できる権利を得られたことは、何よりも素晴らしい。
インテル移籍当時の長友選手と同じぐらい喜ばしいニュースだった。


香川選手の貪欲な若さが、きっと後押しをしてくれると思う。
あとは、どこまで心身のコントロールをやっていけるか・・・だろう。



身長:172㎝。  23歳。
豪快で、マイペースで、爽やかさが にじみ出ている人だ。
今日放送された彼の番組を観て、「夢」を大いに語る香川選手に
心から応援したい気持ちが芽生えている。

来年、再来年の私は、おそらく長期イギリスに滞在する予定のため、
もしかしたら、応援にいけるかもしれない。
長年の希望⇒イチローの試合観戦は無理でも、マンチェスターUは、
意外と簡単に実現しそうな予感がする。


人は、「夢」を抱いていなければ、輝きが薄くなる。
その「夢」を、自信を持って語れる人は、さらに神々しく、
人として魅力的に輝いていくように思う。
彼が、「夢」という言葉を口にした途端、「やはり!」と感じた。


彼は なめらかな口調で、感じたことを、即座に言葉に変えて表現できる。


技術力の他に、目標設定の的確さと、実現する行動力・意志力の強さ!
これは、かなり他の選手よりも強い。
自分が進むべき道、目指すべき目標が明確になっている証拠である。

要は、目標を達成したいという気持ちが、強いということだ。
根がまじめであるというのも、影響しているような気がする。

また、若いというのに、その一年の重みも、分かっている。
本当に「サッカー選手の黄金時代(選手生命)は、短い!」 ということを―。



次のシーズンから、彼の本当のステップアップがはじまる。
怪我もしたし、スタメン落ちも経験したし、挫折も、栄光も、みんな・・・。
そういう僅かな経験から、どこまで深く、確固たる覚悟を持って、
真摯にサッカーと向き合えるか・・・・・。
メンタルな部分が影響するだけに、彼の真面目さが裏目にでないことを
願うのみである。

結果を出さないといけない世界の有名クラブだけに、他よりも余計に
シリアスな日々が待っているだろうけれど、
彼自身は 精神力が強いようなので、それもまた実力の一つだと思う。


彼の希望した背番号は、「8」「23」「26」「29」。
  ※7月になって発表された番号は、「26」。

とにかく、契約年数を無事に終え、素敵な27歳を迎えられるよう
祈るのみだ。 今後、大きな怪我がないことを心から願いながら、
香川真司選手の活躍に期待したい。

日本人代表として頑張ってほしい。



     ※香川選手と私の共通点
      「うどん」が大好きなこと。


大企業の「社長室」の広さ

2012年06月21日 | 仕事 -

社長室が広くて、豪華な会社は「うう~ん、なんとも・・・」 と
きいたことがあるが、実際、どのような影響があるのかは不明。
ただ、過去のトラブルを起こした会社の社長室が超豪華だったニュースは
しっかりと見た記憶がある。


今日、数か月の間、プロジェクトでお付き合いをしてきた某企業を訪問し、
個人的な社長室に初めて、招き入れられた。
フランクな打合せだった。

前回は、社長階フロアーにある広い会議室を、30分ごとにお客さんの間を、
わたり歩く社長の多忙さに驚いたが・・・
今日は、デスクから立ち上がり、決して豪華ではない少人数掛けのフツーの
椅子に座り、じっくりと打合せをした。
 (珈琲は、そんなに美味しくなかった。弊社と一緒だ。)
社長のデスクは、雑然としていて、私自身は興味が満々だったけれど、
デスクまで歩いて行って、チェックするほどの勇気はなかった。

笑顔で冗談を言う社長が、いつもよりもご機嫌で、びっくりしてしまった。
なんともあどけない雰囲気がして、親近感を覚えた。
忙しくても、膨大な私たちの資料に、目を通してくださっていた。
これもまた、驚きだった。

経営者たるもの、本当に大変な立場だ。 責任感も強そうだ。


日本では有名で、大きな会社なのに、それに比べたら、社長室は小さい・・・
ような印象がした。
まぁ、あれだけ豪華な社長用会議室がいくつもあれば、何の問題もない。
だからこそ、今日の普段着の社長の笑顔は、ドキドキで臨んだ私の気持ちを
ふりはらってくれるものだった。
日常の本来の姿を見せていただけただけで、何よりだった・・・。

なんだか、本当に、思い出深い仕事になりそうだ。

私の長い人生にとっても、記憶に残る仕事になる可能性を秘めている。
最後まで、頑張ろうーと思う・・・。



イチロー 2500安打達成

2012年06月20日 | マイブーム -

台風4号の余波の後処理に追われる今日、
遠き国より「イチロー」の快挙が伝わってきた。
今シーズンは、打率も低迷しているところだったので、
前日の強制休養がきいたのだろうか、4安打の成績と、
2500安打の記録を達成した。
メジャーの現役では、最速だけれども、とにかく、
ずっとマリナーズは迷走していることが多かったので、
モチベーションを維持するのも大変だったことと思う。



イチローは、38歳。
あっという間に、アスリートとしては、良い歳になった。
メジャーでは、「3000安打で、殿堂入り」だから、
このままでは、少しばかりの暗雲が立ち込めてきた。
イチローが健康的でも、結果が残せないと、チームの
先発メンバーにはなれない。
たとえマリナーズでも、厳しい現実だと思う。

イチローの心の中は見えない。 けれど・・・
通常であれば、これからの活動こそ、大事になってくる。

周囲が騒ぐほど、彼が「記録に拘っているのか」さえ
わからないけれど・・・。


でも、私はいつもイチローの凄さを感じる。
年を重ねていくにつれて、状態が変わっていくものなのに、
イチローは絶えまぬ努力を続けて、その現実を打破して、
現役の第一線で、ずっと活躍を続けている。

気持ちを途切れさせず、実際に努力を重ねていく気力。
素晴らしい精神力だと思う。

コツコツと、練習をして、マウンドでは決死の闘いを
しているメジャーリーガー。
だから、結果は、必ずついてくる・・・。

日米通算では3778安打。


記録が全てではないけれども、結果を出せるということは、
本当にすごいと思うので、たとえどんな状況になろうとも、
私は最後の最後までイチローの現役を応援していく。
ファンだった亡き母の代わりに・・・・。



自分らしい愛の込め方

2012年06月18日 | 自分 -

 「 無駄なことは、何もない 」 

この言葉は、師のような存在であり、 父みたいだった人が、よく口にしていた。
「無駄」を、あえてテーマに 遊んでみよう 等・・・とても面白い発想をする人だった。


経験した全ての現実が、クリアに受け入れられるわけではない。
非常に微妙で、判断が難しい時もある。
だから、何が世間的に「無駄なこと」なのかというのも、よくわからないし・・・
そういう基準なんて、各々によって変わるものだとも思っている。

これまでも、「無駄こそ、必要なものだ」と、感じることが、多々あった。
「無駄だ」という思い込みをしておきながら、手にするものが大きかったり、
自分にとっては価値ある経験だったりすることも多い。
実際、「無駄」って何?・・・と感じるぐらいである。


    



 「 この世の中に雑用という用はございません。
   私たちが用を雑にした時に、雑用は生まれます 」  <by 渡辺和子>


彼女の持論からすると、時間の使い方は・・・・そのまま「命の使い方」になると言う。
丁寧に時間を使うと、丁寧な人生が残るそうだ。
時間を ぞんざいに使うと、人生の中で ぞんざいな時間として 残るらしい。

まさに、無駄だと思っていたことも、同じ論理であるように思う。
自分の捉え方と、対峙の仕方で、いかようにでも変化するものである・・・と。



この貴重で、愛しい「自分の人生を、どのようにして生きるのか」ということは、
まさに日々の平凡な毎日を、どれぐらいの「愛」を注ぎながら生きていけるか・・・・
そういうシンプルな問いに、答えは 詰まっているような気がする。

自分らしい「愛」の込め方と、伝え方・・・・その積み重ねが、日々の自分の暮らしと
重なり、同時に自分自身の存在意義とも重なってくるような気がする。

体裁や結果を過剰に 気にしたりしているうちに、
諸々の過程を重視するあまりに 見失ってしまうものがあったりして、
それと同時に“自分自身”の立ち位置をも (気がついたら)見失っていることが多い。
要するに、ものの判断をするときの機軸が、ぶれている証拠である。

「自分らしく生きる!」 ・・・私の壮大な課題は、これがキーワードかもしれない。
                        


Такахаши

2012年06月16日 | マイブーム -

怒涛のような「やきもきの数時間 & 一夜」を過ごしました。
あれやこれやと思い、勝手に妄想につっこんでいた時間が、
今は、やっとクリアになって、良かったです。

 ↑

Дайсуке Такахаши ⇒ Daisuke Takahashi

ロシアのHPに、「モロゾフ氏と高橋大輔選手の再びのタッグ」が
報じられてから、昨夜の記者会見で体制が明確になるまでのことです。

とにかく、驚きの一言ですよね。    びっくらたまげーしょん!


4年という時間が過ぎたことと、彼がドラマチックに復活を遂げ、
今も成長をし続けていることについて、現在のモロゾフ氏が
何らかの意図を持ち、執心したことは、うなづけることであります。
しかし、モロゾフ氏の必要性を感じなかった私は、もしコーチ契約と
いうことだとしたら、首を絞めることになりかねないのでは・・・と、
一人勝手に、無情な心配をしたのでした。


  

   
昨夜の記者会見で、チーム高橋が(これまでと同様に)壊れることなく、
それを本筋にした上での “双方にとってベターな関係性だ” ということが、
いろいろと明確に分かってきて、溜飲が下がる想いでした。
  (モロゾフ氏は、「アドバザー」という立場です)
 ※本当に、コーチ契約ではなくて、良かったです・・・。

とにかく、主軸は高橋大輔選手ご本人です。
彼自身と、彼を中心にした「チーム高橋」の “あらゆる決断” を
見守っていきたいと思います。

ソチに向けて、非常に意味のあるシーズンを過ごす予定の高橋選手。
悩んだ末に、せっかく決心した関係性ですから、必ずプラスとして、
また前進していってほしいと思います。


しかし、昨日は「高橋day」でした。
検索にかけると「高橋容疑者(元オウム)」というのが出てきて、混乱の極み!
すべてが、落ち着くところに落ち着くことを願います。


「スーパー歌舞伎」の復活

2012年06月14日 | 人物 -

三代目市川猿之助さん。
彼は、ある一つの文化・芸術の「カタチ」を、歌舞伎界の決め事から離れ、
勇気を持って 果敢に挑戦し、私たちに見せてくれた。
そのカタチに、私たちは 心ゆくまで魅せられて 何度も劇場に通った。
豪華な衣装や ピーターパンかと思わせる宙乗りは、度肝をぬくもので、
猿之助歌舞伎は ファッションのようにブームをつくったと思う。

今、その「スーパー歌舞伎」が、復活した。
三代目の精神は、四代目、五代目へと引き継がれていくのだろう。
型破りな歌舞伎役者が、完璧なまでに作り上げた “一派のカラ―” は、
あの時代の象徴として君臨し、人々の記憶からは消えることがない。
結果がどうであろうと、しっかりと遣り遂げ、「カタチ」を形成し、
人々に「次の演目は何だろう」と 毎回のように期待させたのは、
素晴らしい成果だった と 思う。

時代は、三代目に味方して 彼のやることを応援した。


クロスオーバーという言葉があるが・・・
まさに 現代は演劇の世界でも、そういう雰囲気であって・・・
現代劇やテレビドラマや映画に出演する歌舞伎役者が増えた。
今回の四代目猿之助を襲名した市川亀治郎さんという役者にも、
ある灯がともり、全国区の役者に成長した。
そして、今回の四代目猿之助襲名披露公演となった。

三代目猿之助さんのDNAを引き継いだ演技派「香川照之」という俳優は、
45歳で歌舞伎の世界に飛び込む決意を固め、46歳で初舞台を踏んだ。
性格も明るく、前向きで、熱意を持ち、何よりも聡明で、演技力が凄く、
主役を簡単に くってしまうぐらいの演技派である。すでに名脇役として
日本アカデミー賞助演男優賞には、毎年のように顔を列ねるぐらいの名優だ。

そして、香川さんの長男もまた、8歳で初舞台を踏んだ。
「 澤瀉 ( おもだか ) 屋」の復活とも言えるような・・・魅力あるメンツ!
数年後、数十年後の彼らの活動に期待がかかる。

三代目猿之助さんの身体は不自由でも、まだ「やりたいもの」があれば、
彼らの身体を使って、演出という形式で、新しい舞台を創造することが
これからは可能になってくる。
やはり三代目の能力・才能というものは、歌舞伎界からしては、稀有で、
珍しい存在だと思う。




「スーパー歌舞伎」全盛期と、同じ頃だったが・・・
五代目坂東玉三郎さんの主演する西洋劇に嵌り、彼の演じる特異な女性像が
内容的にも あまりにも鮮烈だった。
私は 原作を読んだり、また再び観劇したり・・・。
そして、忘れがたいのは、素晴らしい、彼女のカーテンコール。
ドレスは、羽衣のように軽く、素敵なデザインで、彼の動きを活かした。
何度も、何度も、舞台の中央に出てきては、独特なおじぎで、華やかさと
美しさを見せつけられた玉三郎舞台のカーテンコール。 すごく恋しい。
若くて美しい玉三郎さんの洋風の豪華絢爛な舞台衣装と、優雅な所作!
観客もよく知っていて、そこそこの回数では席を立とうとはしなかった。
回数を経るごとに盛り上がっていくカーテンコールだけに、見逃し厳禁だ。
あの存在感は、歌舞伎役者の女形として、また違った世界観を創り出していた。



当時は、本当に、面白い舞台が多かった・・・。
文化に資金を提供してくれる人も多かったし、とにかく集客できたから
製作費もしっかりと執れたからだと思う。
歌舞伎役者さんもしかりで、いつも興味をそそる「素晴らしい舞台」を
見せてくれてくれていた。・・・そう思う。


久しぶりに「スーパー歌舞伎」(ヤマトタケル)が、観たくなった。
このような形で復活するとは思っていなかったので、余計に衝撃的だ。
月末までやっているそうなので、どこかで足を運びたいものだ。
しかし、このようにして座組みが成立したら、また再演も近いことが
予想され、スーパー歌舞伎ファンにとっては嬉しいことだと思う。


「満たされること」の大切さ

2012年06月13日 | 社会 -

無差別殺傷事件などの悲惨な事件が、後を絶たない。
2日前に、大阪で起こった「通り魔事件」・・・。

これまでの犯人(通り魔)のプロファイルを見てみると、
20代から40代の男性が多く、家庭に問題があり、
何らかの劣等感を抱えている人が多いらしい。

かといって、
事件を起こす犯人にとって、経済的に裕福か貧乏かは関係なく、
また、男性 or 女性というのも確実ではない。
ただ、多いか少ないかの統計だけである。
通り魔事件と言えば、人があふれている「都会の真ん中」という
思い込みが強いが、都会か田舎かというのも、実は関係ないらしい。



私は、・・・犯人について、
あるいは、・・・事件を誘発するものについて思う。
どんな事件でも、小さなイザゴザでも似ているのではないか・・・と。
その人の心の中が、どんな状態で、どんな景色を見ているのか―という
とても短絡的なことではないだろうか・・・と。

人間の「人格形成」は、産まれてからすぐに 始まっていって、徐々に
その人自身をつくっていく。
モノの見方や、価値観もそうだし、昨今の “キレる・キレない” も
同じではないかと思う。
すべて、育った環境が、つくりあげていくのだ。
家族の無償の愛や、周囲の人々の想いが、徐々に子供に移っていくから、
やはり育った環境は 大きく影響を与えているのではないだろうか。

しかし、そこで「重要なこと」というのは、本人が気持ち的に
満たされているかどうか・・・ということのような気がする。

育った環境が、たとえ貧困でも、何事にも負けない逞しい周囲の考えが
その子供に「前向きな姿勢」を もたらすことがある。
「自分が社会を変えてやるんだ」という、飛び級のようなビジョンを
持ち、育っていく子供だって いないわけではない。

環境や境遇にかかわらず、本人の負けん気で、いろいろなことが
決定されていく子供だっているだろう。

周囲にいる人や、家族、友達、教師、身を置く場所の環境などから、
良い要因を与えられ続け、育っていく子供だっているはずだ。

肝心なことは、充分なる対話をした後に、生まれいづる「充足感」や
「満足感」が、あたらしい「意欲」や「やる気」を作り出す。
その子供のアイデンティティーと呼ぶには幼すぎるが、もしかしたら、
そういうモノの芽さえも カタチづくられていることだってある。



自分が、どれだけ注目されているか、目をかけてもらっているか・・・
豊かな愛情や、さりげない思いやりを 常に、そそがれているか・・・。
実際に、そういうことが子供に(確実に)伝わっているかどうか・・・
そして、何よりも、様々な感情で、本人の心の中が満たされていて、
人間の機微のような “複雑な心情” が せめぎ合っているかどうか・・・。
なんとなくでもいいから、その “満たされた状況” を、自覚することができ、
少しでも冷静に味わう(認識する)ことができたとしたら・・・?!
自分自身で、判断することができるとしたら・・・?!

そんな状況で、日々の暮らしを ずっと過ごしていければ、「夢」を語れる
健全で、魅力的な、“人格形成” ができるような気がする。


夢が語れる子供たちがあふれている社会こそ、何よりも素敵なことだ。



  

  決して、諦めず、私がこの世から消滅する頃には、そんな社会に
  なっていてほしいと思う。

  諦めないで、決してあきらめないで、

  「皆で健康的な社会を構築していこう!」 
  こっぱずかしくも、そう呼びかけたい。

  そのためには、まず、何から始めたら、良いのだろう・・・・。


必要なものだけの「生活」

2012年06月12日 | 雑感 -

郵便切手を探していた。
あれだけ、どかっ! と 買ったのに、見つからなった。
「どこぉ~~?」

モノを置く場所を、引っ越し後に変えてしまって、
頭が混乱している。 家具が変わったからだ。

いつも同じ場所に、決まったものを置くようにしないと、
こういう不幸な結果が待っている。




フローリングの床と、気持ちの良いカーテンと家具。

ダークブラウンの色調は、気持ちを落ちつかせてくれる。


しかし、実は・・・・
この部屋の半分以上の「モノ」を処分したい。
服と、仕事の書類と、小物類など。



必ず、整理して、簡素な部屋にしてみせる!
おそらく、かなり快適で、風通しが良い部屋になるだろう。
アレルギーの病気に侵された今年、ハウスダストやカビ菌、
様々なアレルゲンに成りうるものを排除したいと思う。

いつの頃からか、物質主義のような大量の物資にあふれ、
「必要かもしれない」紙書類が、「必要ではない」と解るまで、
かなり時間がかかったように思う。
膨大な紙書類は、私の数十年の歴史でもあるが・・・
もう「必要ない」と思える自分は、ある一つの精神的段階を
超えたのかもしれない。

情報の質は変わっていくし、ツールも変化していく。
お会いした方の(膨大な)名刺だけを整理しておけば、あとは・・・もう・・・
リサイクルショップか、ゴミ集積所か・・・。

古くなったカメラ、デジタルカメラ、ムービィカメラ、ノートパソコン、
電子レンジ、やかん、専門的な寿司桶、お弁当箱、ファッションバック、
いろいろと処分したいものが たくさんある。
カメラ系やPC系は、2~3年ごとに買い替えの必要性があって、
どんどんと過去の古いバージョンのものがたまっていく。
まだ使えるのに・・・ どこかでリサイクルしたい。


トイレのカバーも捨てて、風呂マットも捨てた。
今や、玄関マットに使っていた高級アラビアンマットが、
お風呂の前にさらっと置かれているだけだ。



本当に大切だと思えるものしか、残さない生活――。

もっと、もっと、シンプルで、風通しの良い生活を目指して、
徐々に、動いていきたいが・・・
あと数カ月は、身体が予約でいっぱいだ。
だから、洋服ダンスを見ては、「ふぅ~」とため息の日々。





気分転換と、新しくスタートする雰囲気を味わえる喜び!
部屋の模様替えは、気持ちの模様替えも手伝ってくれるから、
大好きなんだ・・・。 実は・・・ネ。


「生活保護」不正受給問題

2012年06月11日 | 出来事 -

このたびの「生活保護」受給問題が、ついに日本を飛び越えて、
アメリカの 「ウォールストリート」 に 取り上げられた。
記者会見をした某芸人さんの写真が、一面に掲載されている。

   日本の不十分な年金支給や終身雇用制の衰退のため、
   貧困層が拡大している一方で、日本の伝統的な家族の
   支援システムは崩壊しつつあると指摘。
   この一件で同制度の専門家や、各メディアの投稿者が
   激しく議論している――と結んでいる。



その他、ドイツや、中国など、いくつかの外国媒体にも、
日本のマイナスの現実として 報道されてしまった。

大阪などの福祉事務所では、「私も受給したい」 「うちは、
あの家よりも、もっと苦しい」などの依頼が殺到して、
生活保護の受給に関してだけで、過去の5倍の問い合わせに
なったという。
今もまだ、対応に追われているのだろうか・・・。



「タダでもらえるなら、もらっておけ!」
これが、最初に問題になった某芸人さんの言葉らしいが、
御本人が謝罪したように「甘い」の一言だし、国民の気持ちを
逆なでする言葉である。

今週の週刊誌には、「年収5000万円の場合」というのと、
「ローン4000万円の場合」との見出しがデカデカ出ていて、
それに合わせた生活保護受給ケースが詳しく書かれていた・・・。

今後、きちんと対処されず、放置されていたりしたら、また
何らかの抗議運動が起こりそうな予感がする。

関連団体やテレビ局は、何事もなかったかのようにコメントをした。
明らかに社会をまどわし、騒がし、複雑な風をふかせたけれど・・・、
何のペナルティも、自発的自粛などもないようだ。

よくぞ、公になったものだと、今となっては思う。
一部では「○○流 生活保護 受給システム」とまで言われ、
法の隙間をついたやり方に、悪質な雰囲気が漂っている。
それについて、いろいろな公人が意見を交わしていた。



これは・・・決して、放置してはいけない問題である。

国の仕組みを変えるだけでなく、もう少し厳しい周囲の対応と
本人の自覚を促してほしいと、個人的には思うけれど・・・
実際、擁護派も多く、そういうわけにもいかないようだ。



結局は、芸能界の不穏な関係性が、明るみに出たようなものである。
不透明で、明確じゃない状況だ。
だから、簡単に理解できるほど、クリアな現実ではないのだ。

まさに、芸能界は、政治の世界と、似ているように感じてしまう。
そういえば、二世が多いのも、そっくりだ。
根ざしているものが、似ている(一緒?)のだろうかと、切なくなる・・・。

私は、問題になった芸人さんが、テレビに出てきたら、
心地よくないので、自然とチャンネルを変えるようにしている。




「感動」 Vs 「新しい出会い」

2012年06月10日 | 言葉 -

  創造性は、脳の学習のプロセスと深く関係する。
  最大の創造性は、自分自身が変わることである。
  多くの場合、感動が、新しいものと出会い、
  それを受け入れる脳の働きと連動して生まれる。
  感動できる人は、変化することができる人である。


         <by 茂木健一郎 (脳科学者)>




 変化―「変わること」については、たいへんな困難を極める人がいる。
 元々気がつかない人もいるし、気がついても一歩が踏み出せない人も多い。
 勇気があれば、そして、確固たる自信があれば、どのような壁をも克服して、
 ひらりと飛び越えてしまうこともできるかもしれないが・・・。
 要は、自分に「行動に変換する決断」が芽生えれば、容易に一歩が踏み出せる。
 その「要素(きっかけ)」の一つが、「感動」なのだろう。

 感動は、人の心を、確実に動かすことができる。
 そのことによって、価値観が変わって、新しい世界が見えてくることもあるのだ。

 人は、生きている限り、「柔軟な心」を持ち続けていることが、健康的だと・・・
 つくづく感じる昨今である。
 心が凍り付いている人には、おそらく「感動」が訪れることはないだろうから―。

  

激しいお母さんの叱り声

2012年06月05日 | ナンセンス -

今朝、いつものように、ベランダの窓を全開していると・・・
7時頃、雄叫びをあげているお母さんがいる。

「早くぅ~!」

「なにやってるんだよぉ~~!」

「もうぅ~、やっれぇ~~!」

激昂しているので、心配になって、耳をすますと・・・
(おそらく)8歳ぐらいのお子ちゃまが答えた。
  「わかったぁ!」


最近のお母さんの言葉使いは、男性みたいなんだね。

でも、もう少し、どうにかならないのかな?

日本語って、綺麗な言葉だと思うから・・・。


子供を育てるってことは、本当に大変なことだと思う。
何か、イライラしてしまうことも多いと思う・・・。でも、
子供のために、もう少し情緒的な関わりだといいのだけれど。



革新と共に歩み続ける人

2012年06月04日 | 言葉 -

 「 人は自分が置かれている立場を、すぐ状況のせいにするけれど、

   この世で成功するのは、立ち上がって自分の望む状況を探しに行く人、

   見つからなかったら創り出す人である 


          < by ジョージ・バーナード・ショー(劇作家)>




この「状況」という言葉は、「環境」や、「状態」という言葉にも、
訳することができる。
要するに、自分の人生の荒波に、分け入って、「問題解決」を、
自発的に出来るか否か・・・ということについての言及だと 理解した。
ある意味では、人生を豊かにする極意であるとも 受け取った。
また、ビジネスの世界に置き換えても、参考になる一つの教訓と
なるのではないだろうか・・・。


今、“安定しない環境” の中で、私たちは生きている。
これからも、この世界で、生きていかなければいけないのであれば、
そろそろ腹をくくり、自覚をした方が賢明である。
うわっつらだけでなく、ちゃんとした「覚悟」を・・・。


 


このバーナード・ショーの言葉を、座右の銘にしているのは、
米バーモント州の山奥で暮らす絵本作家「ターシャ・テューダー」。
彼女は、自然と共存した暮らしぶりで、美しい庭をつくり続けている。

かつてバーナード・ショ―も、ロンドン郊外の50キロぐらい距離がある
アイオット・セント・ローレンスという小さな村にある家に出向いていた。
原稿は、家から少し離れた森(庭)の中の小さな小屋(二畳)を使った。
太陽の動きと共に、小屋の向きを移動させていたようで、全く素晴らしい
知恵を使って、自分の望む環境を手にしていたようだ。
採食主義者だったショ―らしい・・・自然と一体になったような・・・
それでいて、雑音が入らない、心地の良い書斎だと思う。

タ―シャもまた、同様に、美しい庭だけでなく、生き方そのものが、
ありのままで、肩のこらない自立した生き方である。
日本にも、昔ながらのそういう生き方の知恵はあったはずなのだけれど、
どんどんと忘れ去られていく。 寂しいことだ・・・と、感じる。