願い

2006年06月15日 | 雑感 -


今日は、曇り空が・・・そぼ降る雨になり、やがて大きな雨粒になった。

今朝、パイルシーツを干して“まもなく”だった。
電話がなって、受話器をとってみると、隣のYさんだった。
名乗る前に「雨ふってきたわよ。とりこみなさいね~」

 「えっ」

電話を切って、二階の物干し場にあがったら、
携帯をしまっている“お出かけ姿のYさん”が見えた。
手を振って、一言お礼を投げかけたら・・・

「今日は、いるの~?」

その質問の意図は、夕方判明した。

大きな「白い紫陽花」の鉢と、
バラとガーベラの淡い色味の花束をかかえたYさんが、玄関に立っていた。
「花束は、お父様のイメージでつくってみたのよ。
 どう?こんな感じじゃない(笑)!」

「昨日は、お父様の月命日だったでしょ?
 お出かけだったみたいだったし・・・お線香をあげたかったから」
「他の皆も、心配していて・・・お線香をあげたいって言っているの」
近所の主要メンバーが、気遣ってくださっているようだ。

なんか・・・身にあまるシアワセだぁ。
ありがたい。
うれしい。
命日を覚えてくださっていたことも、心配してくださっていることも・・・。

仕事がらみで自宅を離れることが増えたり、帰宅時間が遅い日もあったり、
家にいても荷物の整理に時間がとられ、部屋の模様替えでバタバタとしたりして、
どうしてもご無沙汰してしまっていた。
それに、父の話題には触れられたくなかったし、泣き虫顔を見られたくなかったので、
自分から(あえて)接触を避けていたような雰囲気があったと思う・・・。
何度か道ですれ違ったり、立ち話などはしたが、やはり率直なところは、
本来の“自然体の関係”ではなかったように感じられる。
自分自身の心が叫んでいた。
“父の話は、もうしばらく・・・したくない。ごめん。泣いちゃうから・・・”


「お父様はいなくなっちゃたけれど、また遊びに来てもいいかしら?
 時々、お線香をあげさせてね」
そう言って、位牌の前に、香り線香を供えてくださった。

なんだか、“ひとりぼっちじゃない感”がして、私の心が安らいだ。
父を亡くしたことによって、「天涯孤独」という立場になってしまった私は、
自由を手に入れたと同時に、たとえようのない孤独感と向き合っている・・・。
そして、自分流の付き合い方を見つけきっていないために、自分自身が
ゆらいでしまうような感覚がしているのだろう・・・。
ただ単に、「自分で思い込んだ(根拠なき)不安」に“過剰に”振り回されている。
「私は、このままの私でいればいい」・・・ただ、それだけなのに・・・。


これからは、この家にたくさんの人に来てもらって、
父との思い出で刷り込まれた記憶を、違う思い出で満たしていきたい。
この家のイメージを、ぬりかえたいのだ。
「介護生活」から、「明るく楽しい雰囲気の家」に・・・。


そして、もっともっと元気になって、“笑顔いっぱいの自分”に戻りたい。
そういう自分になったら、「近所の皆と“おいしいご飯”を食べたいなぁ」
心から、そう思った。

現実を受け容れて、行動を起こし、
自分を“ふさぎこませているもの”を(自分の中で)処理していけるように!
以前の“前向きな私”に戻ろう。
自然と戻っていけるように努力していこう。
そういう決意に似た願いが、心の底から湧いてきた・・・。
コメント (2)

信念

2006年06月14日 | 雑感 -
病院へ出向いて、看護部長と面談した。
父が亡くなった翌日に“会う約束をしていた人”である。
  (結局、そのアポイントは流して、
   私は父の喪に服すことになったので、
   今回の面談が初対面である)

その後、事務部の担当者と面談。
内容に不備があり(詳細はあえて記さず)、諸々の処理は完了できなかった。
病院の入院費に対しても、支払いができず・・・またもや不完全なままになった。


アポはとっていたのに・・・
病院長との面談まで、なかなか“たどりつけない”。

 
今日、おどおどした安定感のない事務担当者には、
自分で今後の対応を選択してもらった。
「この書類は完璧であると、あなたにとって自信のあるものだと言えますか?」
  「いいえ、言えません」
「それであれば、現時点で、どのようにするのがよいと思われますか?」
  「一週間時間を頂き、再度お話し合いをさせてください」

来週は、当地を離れるため、最終週に約束をすることにした。

病院とのトラブル折衝は・・・
またもや、不完全なまま放置されることになった。
こういう“ちょっとしたこと”が、大きなストレスになったりもする。


気分をすんなりと入れ替えるためには、ある意図的なアプローチが必要だ――
そう感じた私は、もやもやした気持ちを解きほぐすために、
その足で「対面コーチング」を受けに行った。
自分の心の内がクリアになった部分がたくさんあったことと、
「わだかまっていること」「こだわっていること」が明確になったことが、
何よりも“ありがたい!”
すくわれることはないし、苦しみが癒されるわけでもないが・・・
このことを処理していけば、私の膿(ウミ)は無くなっていくだろう――
そういうキーワードをみつけることができた。
目の前の“苦しみ一辺倒”から一変して、一条の光が差し込んだような感覚だった。
それに、コーチの前で泣きとおしたことで(笑)、気分はかなりすっきりとした。
コーチはずっとずっと私の手を握ったままの状態で、“ぬくもり”を与え続けてくれ、
心がつながっている感覚を通して“安心感”を与え続けてくれた。
だから、自分の内側にも向き合えたし、キーワードを手にすることもできたのだろう。
でも、知らない人が見たら、きっと私たちは「恋人同志」に見えただろうなぁ―。

苦しみは、常に“自分自身がつくりだしている”。
でも、その心や感情に嘘をつくことはできないし、フタをすることもできない。
必ずや矛盾がでてきて、この身が引き裂かれることになるからだ。
だからといって、不感症になることも、鈍感になってしまうのも、本意ではない。
私はいつも“私らしくありたい”し、
私がヨシと思うことは「良し!」と言い続けていたい。
そして、たとえ辛く哀しいことでも、びんびんに感じながら、
そのことを乗り越えていきたい・・・。

ざわつき

2006年06月07日 | 雑感 -
私という人間は、“欲深い人だ”と思う。
上を見て、さらに上を目指していく傾向がある。
父のことについても、そうである。
現実(現状)を受け容れられてはいるのに、
やはり「こうだったら、よかったのに」という気持ちが吹き上がってくる。



 一番想いが残るのは、「(父にとっての)孤独感のない生活」である。
 父の主治医が建てたグループホームは、3月からのオープンだったので、
 結局父はデイサービスで三回お世話になっただけである。
 その施設に、最後の写真となった「記念撮影」の一枚が、保存されていて・・・
 それを額に入れて、カードとともに先日プレゼントをしてもらった。
 すごく泣けた。
 初日は“泣きながら出かけたのに”、翌日からはお迎えを心待ちにして、
 それからはスタッフの皆さんとも打ち解けて、自分なりに楽しんでいたようだ。
 「私たちにとっても、忘れられない人です。
  この施設の一番目のお客様でしたし、とても勉強になりました。
  最初にお風呂に入っていただいた人です」
 投げかけてもらった言葉が、とてもあたたかく、この胸にしみこんだ。
 そして、父の“嬉しそうにお風呂に入る姿”が思い出された。
 大きなヒノキ風呂にゆっくりと入る父―。
 突然見学に行った私が、声をかけたら、父は“満面の笑み”で応えてくれた。
 あの顔が忘れられない。最高の笑顔だった。
 スタッフの人からは、当然だろうが「楽しんでいた」という話を聞いた。
 もし、それが本当であれば・・・
 ほんの少しの期間だけでも、若々しいスタッフに囲まれて、
 明るく楽しく、雑談なんかしながら、生活させてあげたかった・・・。
 そんな気持ちが噴出してくると、たとえようのない虚しさに包まれる。

 

 二回目のデイサービスの日。
 父はグループホームの担当者を呼んでもらって(一度見学に行ったのだが)
 「二階のあの部屋をもう一度見せて」とお願いしていたそうである。
 そして、担当者に案内されて、うれしそうに部屋を見学したそうだ。
 この部屋は“自分の部屋だ”という認識が、父にはしっかりとあり、
 「お泊りすること」を楽しみにしていたそうだ。
 ショートステイもありえるが、個室を確保して、その個室に家族も
 泊まり込み、一緒に生活(食事や活動)ができるのが、その施設の特徴である。
 (だから、私は、出張仕事をはじめながら、生活を確立し、健康を回復し、
  二人で自宅と施設の双方で生活することをイメージしていた。
  基本料金を支払えば、食費他は臨機応変に対応してくれるというシステム)

 父は、嬉しそうに、自分の部屋を見せてもらったという・・・
 その話を聞いて、頭をど~んと打たれたような気がして、
 すぐに契約を取り交わした私は・・・・・
 無常にも、その翌日に、父を病院に担ぎこむことになる。
    (それは、WBCで盛り上がったその日―3月21日である)




こずえが揺れている。
緑がさわさわと音をたてて、時間が流れている。
私は、まだ「ここにとどまっている」という印象がする。

この広い家で、窓を開けて・・・
緑のざわめきを耳にしながら、ブログを書いている。
心地がよいのに、現状には満足していない。
胸の内は、とても苦しい。
落ち着いてはいない。

なぜならば、父を搬送した救急対応から入院までにいたる経緯、
具体的に言うと、病院サイドの「救急治療&初期治療に対する疑問」が残っており、
その後の主治医の心ない行動&発言に対しても憤慨するものがあり・・・
その言葉が・・・今も、“一番の苦痛”として、私の胸を刺している。
    (人として、医者として“あるまじき言動&行動”を
     浴びせられた。これは「モラル」の問題である)
入院費に対しても、まだ支払いを終えていない。
不鮮明な明細(受けていないサービスを膨大に計上されていた)によって、
改めて総合的に“病院の姿勢を正してもらっている”ところである。
    (これは、当方が明細を請求しなければ、発覚しなかったことである)
第三者を介して、正式に抗議をした。
病院を総括している公共医療相談窓口にも連絡して、現状の報告をした。
そこをも介して、当方の主張は伝えてもらっている。
父の納骨を終えて、四十九日があけた今月から、やっと病院との折衝がはじまる。
    (来週は、まず病院長&事務部長との面談が控えている)
これらのことは、非常に複雑であり、混迷を極めた状況で、
詳しいことを説明するのは(現時点では)かなり厳しいし、
その労力は“今の私”にはない・・・。
だから、今だ“不完全なまま放置された状態”なので、
私の心は、落ち着かないのだ。
苦しいまま、日々泣けてしまうのだ。

今後の対応によっては「私は、もっとストレスをためることになる」かもしれない。
でも、不完全なものを、このままに放っておくのは、もっともっとツライことである。
父や私のような患者(&家族)が増えないように、病院の不正・不誠実な言動・行動は、
追究していかなければならない。
人を物扱いして、人として看護してもらえないような病院であれば、
それに気がついてほしい。
私は、これまでたくさんの医療機関を見てきたが、
あんなに不誠実な病院は初めてだった・・・。

(最後の最後まで、転院を試みたが・・・その思いはかなわなかった)

入院してから亡くなるまでずっと“父の意識”は、ほとんどなかったようだ。
必然のような反応は、何度となく返してもらってはいたが・・・。
父が苦しまず、眠るように逝ったことが“たった一つの救い”ではあるが、
私はまだまだ泣けてしまうし、すっきりとはしていない。

だから、決してあきらめず・・・
自分自身とも、病院とも、
逃げることなく、闘うつもりである。
コメント (4)

四十九日

2006年06月01日 | 出来事 -
今日は、コロモガエの日。
そして、父の四十九日です。
納骨は三十五日に済ませたものの、やはり気分はどんよりとしていて、
四十九日が過ぎないと・・・と、つい言い訳してしまうのは何故でしょう(笑)?!

たくさんの人に言われました。
「あまりにも泣いていたら、お父さんの魂が“あちら”に行けなくなるから、
 元気に前向きに“忘れてあげなくちゃ”ね」。
四国でも、当地でも・・・
「あっ、もしかして“オーラの泉”?」
「観た?そう、そう、そうなのよ!」
何度も何度も皆に言われたので、私自身も番組を観ていたけれど、それ以上に
“忘れてあげることは必要だ”と(まるで刷り込まれるように)、徐々に思えてきました。


このようにして、私の1日+1日は、とてもゆっくりと過ぎていきました。

すでに四十九日。
それでも、私は、まだまだ泣けてしかたがありません。
涙は、枯れることがないのです。
心優しい人が、慰めてくれます。
「泣くことは、おかしいことじゃないよぉ」

      ありがとうございます。
      いつも、いつも泣いてしまって、ごめんなさい。
      そう思いながら、また泣いています(笑)。
      でも、最近は、すぐ泣き止むようになりましたョ・・・。



一昨日は、大騒ぎして、腕まくりして、
父の寝ていたベッドを解体しました。
ばらばらになったパーツは、土曜日の粗大ゴミ回収日に向けて
玄関先の踊り場に並んでいます。
あと数日だから、前日でもよかったのに・・・
何故か四十九日にこだわった私は、気分をすっきりするためにも、
思いの残るベッドを動かしたかったのでした。
そして、明るいカーテンに変えました。

今日は、お出かけして・・・
大きな買物をする予定です。
新しい門出に向けて、電化製品を「どっかぁ~ん」と買ってきます。
昨日は、そのために現金15万円を引き出し、用意万端整っています。

こんな他愛のないことで、区切りがつくとは思っていませんが・・・
ありのままの自分で、今日の「四十九日」を迎えようとしています。
それには、“今日やりたいなぁ”と思ったことを、“確実にやろう”と思っているのです。

やはり“区切りある日”です。
今日は、私にとっては“特別な一日”なのです。
一般的には、父の魂が、向うの世界に「旅立つ日」と言われ・・・
そして、その一方では、私自身の「生まれた記念日(誕生日)」でもあるわけです。
何故か偶然に、今日は二つの意味合いをそなえた一日です。
「偶然か、必然か」などというテーマよりも、今日の私にとっては、
「今日一日をどのようにして過ごし、何を感じ、何を手放すのか」ということが、
とてもとても大切な気がしています。