今日は、曇り空が・・・そぼ降る雨になり、やがて大きな雨粒になった。
今朝、パイルシーツを干して“まもなく”だった。
電話がなって、受話器をとってみると、隣のYさんだった。
名乗る前に「雨ふってきたわよ。とりこみなさいね~」
「えっ」
電話を切って、二階の物干し場にあがったら、
携帯をしまっている“お出かけ姿のYさん”が見えた。
手を振って、一言お礼を投げかけたら・・・
「今日は、いるの~?」
その質問の意図は、夕方判明した。
大きな「白い紫陽花」の鉢と、
バラとガーベラの淡い色味の花束をかかえたYさんが、玄関に立っていた。
「花束は、お父様のイメージでつくってみたのよ。
どう?こんな感じじゃない(笑)!」
「昨日は、お父様の月命日だったでしょ?
お出かけだったみたいだったし・・・お線香をあげたかったから」
「他の皆も、心配していて・・・お線香をあげたいって言っているの」
近所の主要メンバーが、気遣ってくださっているようだ。
なんか・・・身にあまるシアワセだぁ。
ありがたい。
うれしい。
命日を覚えてくださっていたことも、心配してくださっていることも・・・。
仕事がらみで自宅を離れることが増えたり、帰宅時間が遅い日もあったり、
家にいても荷物の整理に時間がとられ、部屋の模様替えでバタバタとしたりして、
どうしてもご無沙汰してしまっていた。
それに、父の話題には触れられたくなかったし、泣き虫顔を見られたくなかったので、
自分から(あえて)接触を避けていたような雰囲気があったと思う・・・。
何度か道ですれ違ったり、立ち話などはしたが、やはり率直なところは、
本来の“自然体の関係”ではなかったように感じられる。
自分自身の心が叫んでいた。
“父の話は、もうしばらく・・・したくない。ごめん。泣いちゃうから・・・”
「お父様はいなくなっちゃたけれど、また遊びに来てもいいかしら?
時々、お線香をあげさせてね」
そう言って、位牌の前に、香り線香を供えてくださった。
なんだか、“ひとりぼっちじゃない感”がして、私の心が安らいだ。
父を亡くしたことによって、「天涯孤独」という立場になってしまった私は、
自由を手に入れたと同時に、たとえようのない孤独感と向き合っている・・・。
そして、自分流の付き合い方を見つけきっていないために、自分自身が
ゆらいでしまうような感覚がしているのだろう・・・。
ただ単に、「自分で思い込んだ(根拠なき)不安」に“過剰に”振り回されている。
「私は、このままの私でいればいい」・・・ただ、それだけなのに・・・。
これからは、この家にたくさんの人に来てもらって、
父との思い出で刷り込まれた記憶を、違う思い出で満たしていきたい。
この家のイメージを、ぬりかえたいのだ。
「介護生活」から、「明るく楽しい雰囲気の家」に・・・。
そして、もっともっと元気になって、“笑顔いっぱいの自分”に戻りたい。
そういう自分になったら、「近所の皆と“おいしいご飯”を食べたいなぁ」
心から、そう思った。
現実を受け容れて、行動を起こし、
自分を“ふさぎこませているもの”を(自分の中で)処理していけるように!
以前の“前向きな私”に戻ろう。
自然と戻っていけるように努力していこう。
そういう決意に似た願いが、心の底から湧いてきた・・・。