来年の展望を明るいモノに!

2011年12月31日 | 雑感 -


今年の私は、おだかやかにスタートしたにもかかわらず、
波乱に満ちた一年を過ごした。
そう思う。
まず、忙しかったし、転居などの環境を含めて、
自分の生活を一変する行動を起こした。
また、それに即して、影響をうけるように
心の中にも少しずつ固まってきたものがあったように思う。
もやもやしていたものが、確固たるモノになる伏線が、
今年の私には起こっていた・・・ということだろうか。


実際、少し前には、心の中にちょっとした決意に近い心境を
呼び起こすような出来事があった。
その前にも、似たようなことがあったし・・・、
全ては必然のように私を導いているようにも感じる。


来年は、「変革の年」になる予感がするし、
また、そのような行動力を伴う自分でありたいと願う。

一か月前に、来年の手帳を買ったが、
その色がなんと「赤」。
この数年の私は、ピンク系や明るい色を身の回りに置くように
なったけれども、はっきりとした「赤」というのは初めてだ。
仕事用に使っている茶色のシステム手帳とは別に、
まるで日記のように 心の変遷を書きとめようと・・・
小さめの手のひらサイズのシステム手帳を買った。
おそらく、来年は肌身離さず持ち歩くことになるだろう。

赤は衝撃的だけれども、自分を奮い立たせて、鼓舞してくれる色。
あえて心地よい色を選ばず、「前に進むために頑張る年」に
したいという気持ちの表れだと思う。


今年は、最後の最後まで「心身に負担のあること」が続き、
身体を酷使して、心を痛まして、自分を頑張らせすぎたと・・・
そんな反省が浮かんでくる。
本質的な自分を隠し、本心も尊重してあげられず、
目の前のことに囚われすぎて、時間を無駄にしていたようにも思う。



今年は「これ以上無理をしないでおこう」と、数日前に決心したが、
案の定、過剰労働がたたって体調が芳しくない。
昨日、最後の年末掃除をしようと思った矢先に、薬剤箱から薬を
とりだす始末・・・。(今朝も服用だ)

昔の私なら、無理をして、「やらなきゃ」と思って・・・
身体を動かしていただろう。
けれど、今の私は、本当に「自分を大事にしよう」と思うことを
優先して、選択・決定していこうという気持ちが強い。
だから、心と身体の示唆するままに・・・。



今年は、「良い仕事をさせていただき、良い出会いもあった」。

しかし、来年は、とにかく前向きに動いていける年にしたい。
「変革」 「変容」 「行動」 「攻撃」 「決断」・・・



今日の私のキーワードは、「呼応する」ということ――。
自分の中に存在するものが、外にも呼応するという現象を
感じている。
だから、出来る限りフラットにして、自分の中にあるものを、
善いものや、美しくて輝かしいもので、満たしていきたい。




宅配便のお届け時間

2011年12月29日 | 出来事 -

年末の宅配便依頼は、おそらく多いのだろう。

寝る準備に入ろうと思っていた矢先の午後10時すぎに、
「誠に遅くに申し訳ありません~~」
と、玄関のチャイムが鳴った。

田舎からの年越しのための餅・野菜などの宅配便が到着!
故郷の四国のお雑煮は、「白みそ Vs 丸もち」で、
野菜としては白菜やサトイモが定番になっている。

お米も入っていたし、くだものも・・・。

私が好きだと思っているサツマイモもたくさんで、
まさに今日、前回のイモを焼き芋にしていたところに、
また新しいイモが届いた。
“飽きたんだぁ”と言えない状況になってきている。


そして、「お赤飯」。
おばさんは、今も、お餅もお赤飯も自宅でつくるので、
二回分ぐらいのお赤飯がパックに入っていた。
他の地方はわからないけれど、「お赤飯」は、
我が故郷では特別な食べ物かも・・・。
お葬式の御膳にもお赤飯がでるのだが、お赤飯だけは
実家(嫁に行く前の家)がふるまう風習がある。


電話をしたら、すぐそこに叔母さんたちはいるように感じるし、
荷物が突然届くので、すぐそこにいるようにも感じるが・・・
イザ、帰ろうとすると、なかなか帰れないのが故郷であり、
実際、チケットをとって帰路につくと、「遠いなぁ」と
感じるのが・・・我が田舎である。

恋しい気持ちが、また膨らんだ。


今日は、いただきもので、たくさんの感情の波が
大揺れに動いて、師走の雰囲気を満喫状態だ・・・。

本当に、「来年は、良い年にしたい」と、心から思う。



今夜もまた“徹夜”決定

2011年12月27日 | 仕事 -

世の中には、「後出し じゃんけん」という言葉があり、
実際、そういうことを押し通そうとする人がいる。

「強く要求すれば、かなう」と・・・
簡単に思っていたら、それは大きな間違いだ。

しかし、仕事人として努力して、精一杯「誠意」を
みせるのが私だから・・・
また、今夜も、徹夜が決定した。

脳細胞の血管が、「またぷツぷツきれるぞぉ~」と、
想いながら、また今夜も PCに向かう。

明日の朝の状態が、予想できる。

明後日は、さわやかな自分でいられるだろうか。



自分の立場を守り、“我”を押し通すために、
主義主張をまげず、相手の話を聞かない人は・・・
簡単に「後出し じゃんけん」をする。
そのことを悪いとも感じていないし、
交渉の経緯や段階をも、自分流でやろうとするようだ。
いつか、しわ寄せが来るだろうし、
ほころびが出てくるだろうと確信はしている。
しかし、立場を考えて、どうしても、その主張に
従わなければならない人がいることは事実だ。
今の私が、まさに、そうだろう。
けれど、次は「ない!」。
その時は、私がケツをまくる時だ。
自分のキャリアとプライドにかけて、そう簡単に
ひれ伏したりはしない。


しかし、仕事のかけもちは、本当に厳しい。
もう、身体が悲鳴をあげている。
来年は、ゆったりとした一年にしたいと、心から願い、
今夜の時間を過ごそうと思う・・・。



徹夜あけの“心身の疲れ”

2011年12月26日 | 自分 -

今朝は、ほどよい疲れだったが・・・
興奮しているわけでもないように思っていても、
実は・・・かなりホットな気分かもしれない。

徹夜をしたのに、眠れない。
いつもの自分とは、全く違うのだ。

適切な言い方をすれば、「感傷的になっている」?
あるいは、「まじめに自分の人生を考えている」?

なんだか、よくわからないが・・・

かなり、シリアスな感情が沸き起こっている。



被災地の人々と触れ合ったことが影響をしているのか?
あるいは、徹夜して書類を仕上げたことが問題なのか?

明確なのは、私の立ち位置が心地よくないということ。
ただ、それだけかもしれない。


もっと裸になって、もっと気楽になって、
もっと身軽になって、生きてみたいと思う。

しみじみと思う。

来年は、やっぱり変革の年になりそうな予感がする。



東日本大震災の現地

2011年12月25日 | 社会 -


千年に一度と言われた未曾有の地震・・・大津波や原発事故は、
「2011年の日本」に 大きな影響を与えました。
人々の価値観にも、多少なりとも変化をもたらしたこと と
想像しています。

被害にあわれた方々に、心からお見舞いを申し上げたく存じ、
また、一日も早く「復興」を遂げられることを願います。


私は22日の夜明けと共に東京を出発しました。
津波がきた後の壮絶な光景が、いたるところに残っており、
その恐怖に近い感覚には、言葉を失ってしまいます。
また、被災地の寒さが全身に襲ってきて、夜は首元が凍えて、
目覚めた翌朝には“のどちんこ”に大きなしこりを感じました。
風邪の予兆です。
すぐに「葛根湯」を飲んで、体調をケアしました。
そして、被災地(宮城県)の現地入りの二日目の朝、
綺麗な輝く日の出を、厳しい寒さの中で見ました。

前日に目にした光景が残っていたので、心持ちは冷静でしたが、
「何があっても朝陽はのぼるのだ・・・」という、とても簡単で、
フツーのことに感動し、朝陽の写真をケータイの待ち受けに変え、
「この感覚を忘れずにいよう!」という自分へのメッセージに
しましたが・・・ 果たして、いつまで忘れずにいられるでしょう。
だから、「少し経ったら、また現地に行こう!」というのが、
今の正直な気持ちです。
連続的な意識の継続は、こういうケースこそ活きてくるように
感じてしまいます。


今回、私はすべての現地を巡ったわけではありません。
本当に多くの被災地があり、其々の状況を抱え、市町村やNPO、
地元の住民の皆さんが、それぞれの想いを抱えて過ごしています。
被災地と言っても、(「格差」と呼ぶには適切ではないですが )
生活の状況には大きな差異があり、そのため触れ合う側としては
複雑な感情を抱いてしまいます。

被災地の皆さんと話して、一番強く感じたことは、其々の想いです。
ボランティアの皆さんへの感謝の気持ちと、人とのつながりを
とてもたくさんの方が語っていらっしゃいました。
コミュニティが崩壊した地区の方々は、特にそうだと思います。

市役所の方は、「都会の若者たちが、自分で交通費を使って、
お手伝いに来てくれることが有難い!」と話してくれました。
その方は、かつて言っていた言葉「若いもんは・・・」というのを
撤回し、「日本の未来を明るく考えたい」と若者の意識をとらえ、
さらなる希望を持って、復興に取り組んでいる様子でした。
たのもしかったです。



私は、最初 車をレンタカーして回ったのですが・・・
走っていて突然目にする壮絶な現場が、あまりにも衝撃的で、
おそらく「3・11」と変わっていないであろう風景に触れた時は、
心がすごく痛みました。
膨大な家電の山、がれきの山、日常品の山、 一人一人の家財が
まとめられていましたが、その量たるや、本当に驚異的でした。
あの数の冷蔵庫が、一瞬にして、津波にのまれてしまったのだと、
思い知らされるほどの風景です。
しかし、あれが、現実なのです。

9か月経った今でも、変わらないメッセージを受け取れるほどの
風景が続いていました。
低地にある水田は、まだ水がひかなくて、まるで湖のような
おだやかな、不思議な“さざなみ”が表面を覆っていて・・・
カモやハクチョウが戯れている姿がありました。
数々の命や、自然の循環は、過去を抱えている被災地にあっても
徐々に適応しているようでした。


幼児や子供たちが、少しずつ笑顔を取り戻し、言葉を取り戻し、
親御さんの愛情が都会の人よりも強く、見守る気持ちも強いからだと
あらためて「人との絆」「関係の大切さ」を感じました。



市役所の入り口には、多くの住民が出向いて、手続きをしていて、
その案内に、全国のボランティアの人々が対応しています。
また、通り過ぎた大型の観光バスのフロントガラスには、
「被災地ボランティアツアー」と書かれており、バスの中には、
幅広い年齢層の人々が乗車していました。
空席は一つもない状況のように見受けられましたので、その関心の
高さを感じました。
被害のひどかった地域を見て回って、その後でお手伝いをするという
ツアーなのでしょう。
観光と社会貢献活動が一緒になったツアーなのでしょうけれど、
どうせお金を使うのであれば、まさにこのようなことに貢献するのは
何より素晴らしいことだと思いました。
それに、現地を自分の目で見て、空気を体感することは、意味のある
行為だと考えます。

都会の生活では感じられない「自己認識」や「存在意義」なども
適切に得ることができるボランティアは、乾いた環境の都会人にとって
(もしかしたら)良い経験ができる機会かもしれません。
其々の皆さんが、個々の気持ちで参加されているボランティア――。
必要とされている場所には、どのような人でも有意義な仕事ができる
環境があり、そのおかげで持ち帰ることができる宝物があるかも・・・。



私は、年齢に関係なく、「人とつながっていく大切さ」を感じましたし、
一般的に“社会にとって、よりよい復興とは何なのか?” について、
深く考えさせられた経験が いくつかありました。

私は、今、疲れていて・・・・ 心が完全にオープンにならず・・・
けれども、感じることは強く感じることができたので、そこを出発点に
来年の課題に結びつけていこうと思いました。

「この時期に、行って良かった」です。


    ※写真は、水のひかない水田に残されたままの車の残骸です。
      2011年12月23日撮影
     農業が盛んだった地域だけに、衝撃的な風景です。






被災地の師走・・・

2011年12月21日 | 雑感 -

私は、私なりの想いで・・・
明日、日の出とともに、今週いっぱいをかけて、
東北の被災地へ行ってきます。

たくさんのことを感じるでしょう。
たくさんの想いを受け止めるでしょう。

日々寒さが増してくる師走・・・
まだまだ生活に不便を感じている人々も多いでしょうし、
すでに歩みはじめている方々も確実にいらっしゃるでしょう。

私自身が気になっている以上、「心に刺さっているものには、
目を背けることなく、ちゃんと対峙する」に限ります。
そういう意味では、今回は、得るものが多い旅となりそうです。

私は、私なりの姿勢で、東北の現状を見てまいります。
そして、ふんだんに、眼前の現実を感じ取ってきます。


おそらく、私の性格上・・・旅の途中では・・・
胸の中に“つきあがってくるもの”が あると思いますが、
それも「現実」だと思います。

今、現在、元気に生きていらっしゃる皆さんに
鋭気をいただきに行ってきます。
そして、もし、何かお手伝いができることが、
少しでもあれば・・・
力の限り、尽くしてきたいと思います。

「行ってきます!」



プレゼンテーション

2011年12月19日 | 仕事 -

ただ、自分が作成した書類をもとに、
プレゼンするだけなのに・・・

たった数十分なのに・・・

今日は、口から心臓が、飛びでるぐらい、緊張をした。
これだけの状態は、数年ぶり、いやそれ以上かもしれない。

目の前にいる一人の存在感と、「これで全てが決まる」と
感じてしまう自分の心模様が、異常なる緊張状態を引き起し、
自分を含めて、皆の一言一言が、とても重く感じられる時間だった。



私がプレゼンテーションで語っている間、
意図的に深呼吸をして息を整えるかのように、間合いを取り、
タイトルをゆっくりと読み上げては、気持ちを立て直し、
なんとかプレゼンが終わった瞬間・・・

目の前の“その人”は、二拍ぐらいおいて、
むっつりとしていた表情を一変させて、
急に顔をほころばせ、高笑いをした。
この声が、広い会議室に響きわたった・・・。


プレゼンの内容が、究極的だったからかもしれないが、
その「笑い声」が何を意味しているのか・・・
最後までわからず、正直、私はドギマギしてしまった。
すぐに対応できるように準備をしつつも、何か・・・
心ここにあらずで、私らしさが発揮できなかったと思う。

まさに、目の前の“その人”の存在感に、完全にのまれていた。




最終的な結果は、どうにか前向きな方向へ流れたが、
私自身の中に、たとえようもない疲労感と虚脱感が生まれた。
奇妙な“もののけ”に 魂を 抜かれたような感じで、
これから向うであろう到達地点が、非常に重く感じられた。

「気を抜いたら、すべてを失う」・・・そういう危機感を感じ、
その潜在意識が「緊張」をさらに高めていた。

今も、そんな感慨と、ゆるく戯れている。




「かなえたい」「達成したい」

そういう欲望に似た“強い向上心”が、いつしか芽生えていて、
今の私は、いっぱい いっぱいである。

しかし、そのゆるい疲労感は、とても心地の良いものである。



「嘘つき」の受ける罰

2011年12月17日 | 言葉 -
 

  「嘘つき」の受ける罰は・・・

  「人が信じてくれない」というだけのことではなく、

  「ほかの誰をも信じられなくなる」ということである。


        <by バーナード・ショー(劇作家)>




今年の出来事を振り返ると、本当にたくさんのことがあった。
だから、いろいろなことを感じ過ぎたし、知りたくもないことを
体感しなければならない状況だったという気がする。
そういう事柄が、社会的事案にも頻発して、日常の暮らしは、
一変したわけで、人々の価値基準も多少なりとも変化してきた。

私は、他人に対する真摯な姿勢だけではなく、自分自身に対しても
「本質を見失うことのない生き方を選択するべきだ」ということに
“気づかせてくれた一年だった”と思う。

多々なる補助活動などの整理をしたし、引越しもして環境を変えた。
今は、労働環境を冷静に見極め、仕事に向かう気持ちを確認して、
来年からの自分のイメージを構築している最中だ。
それは、まさに、将来を見越してのこと・・・。



自分の力を信じて、これからの自分の可能性を信じて、
そして、何よりも、
自分の「心の声」に嘘をつかず・・・・。

そんな人でいられたら、本当にうれしい。
ただ、そう思う。



「ストレス」という言葉

2011年12月14日 | 言葉 -

「ストレス」とは、まさに・・・・

 “心のひずみ” を表している言葉だと思う。



人は、時々、言葉の使い方を間違っている状況があり、
私もその一人かもしれないが・・・
ストレスの原因を「ストレッサー」と言い、
生体の反応を「ストレス状態」と言う。

多少のストレスは、人にとって効果的になるときもあり、
また、その反対に絶対的なマイナス要素になることもある。



重要なことは、対処の方法と、自己のコントロールの仕方。
とても上手に付き合うことも可能だし、ほどよく受け入れて
自分の一部に取込むこともできる。


単に、自分の言い訳にすることなく、現在のストレス状態を、
克明に判断しながら、正面から向き合うことが・・・
驚異的なブレイクスルーに結びつくことも皆無とは言えない。

新しい自分と出会うためにも、非常に重要なポイントだと思う。
冷静に、前向きに、そして、あきらめることなく、
「今の私自身と向き合おう」ーと思っている。



GPファイナルの追撃!

2011年12月11日 | マイブーム -

大好きなフィギアスケートのGPファイナル(カナダ)大会。

言葉を失うラストの追撃だったと思います。
SP5位発進の高橋大輔選手は、気迫のこもった、それでいて、
とても優雅で、楽しそうな、余裕のある演技を見せてくれました。
上半身と下半身、手と足、すべてが動き続け、絶え間なく見せ場を
つくってくれている複雑で高難度のフリープログラムですが・・・
観るたびに完成度があがってきています。
高橋選手の素晴らしい進化です。


人の「意識の持ち方」や、「集中力の限りを尽くした成果」は、
このようにして、人の心を打つことになるのでしょう。
そして、それ以前に、本人の「心模様が体現化される」・・・
ということが証明された顕著な例のように感じます。

意志力の強さと、思い続けることと・・・
余計な情報を自分に与えず、クリアな状態で、
ただ「心」だけを残して、身軽に、リンクにあがる姿 ― 。



高橋選手と、羽生選手のフリーは、
・・・あの演技は、
とても感動的なものでした。
気迫があって、気持ちが感じられて、それでいて、
その人の力量も反映された、繊細で「独特な世界」でした。

真央さんのお母様の訃報も重なって、彼らの気持ちが、
とても強く結束されたようにも感じますし、
命の重さや、人を思いやることの大切さを感じることになった
今年という一年にふさわしい演技でした。



他の選手たちと比べるわけではないですが・・・
日本勢(特に高橋選手と羽生選手の演技については)
「心~気持ちの入り具合」が、観客やジャッジの皆さんにも
連鎖して伝わっていたことと・・・勝手に思います。


結果が何よりも幅を利かせるスポーツの世界ですが、
それだけではない気分になり、何度も映像をリピートしては、
彼らの表情や、身体のライン、指先のひとつひとつ、
呼吸までが感じ取れることが、とてもすばらしいことでした。



     ピンがあっていない現地の撮影カメラマンさんを
     除いて、・・・何の不満もなく、ただ、ありがたく、
     「がんばれ、ニッポン!」と心で叫びました。
     しかし、リンクの広告も、日本の企業が多く、
     この業界では今、日本の市場が大きいのかも・・・、
     などと感じてしまうほどの経済効果です。
     そのためにも、高橋選手と浅田選手の存在は、
     なくてはならない価値をもっているように感じます。



パワーハラスメント

2011年12月05日 | 社会 -

「めぐまれていない」と勝手に・・・被害妄想的に感じる時もある私は、
本音としては・・・ちゃんと「恵まれているんだ」と感じてはいる。
ただ、時々、愚痴を言いたくなったり、弱音をはきたくもなるのだ。
だって、「人間だもん」。
それに、「こんなに楽しくないんだもん」。

そして、本心としては、自分が完璧なまでの達成感を感じていないために、
甘えのようなことを感じてしまうのだろう。


昨日の福岡国際マラソンを観戦していて、今井選手を応援している私は、
川内選手とのデッドヒートを食い入るように観ていたが・・・・
やはり川内選手の意志力と精神力の強さを思い知ることになり、
つい自分への振り返りも含め、いろいろなことを感じてしまった。
彼の「諦めない姿勢」や、「力の限りに頑張りきる精神性」は、
正直に言うと、想像を絶する現実だ。
まるで、戦後の黎明期に徐々に足元を固めてきた(現在の)高齢者の世代に
見られるような必死さ・・・・なんと表現すればよいのだろう。

川内選手とは、「市民ランナーの星」、川内優輝(埼玉県庁)さん。
ロンドンオリンピックへ夢をかける24歳の公務員ランナーだ。

彼の自分流の貫き方や、個性だけでなく、漂ってくる人としての力強さが・・・
現在の自分の待遇や環境を、思いめぐらしては「深く考えてしまった」と
いうのが正直なところだろう。
内省というには、あまりにも おこがましい。
しかし、冷静に、今の自分の甘えを感じずにはいられなかった。


職場は、本当に快適ではない。
理由は、いろいろだ。
しかし、理由を他者に押し付けるのは論外だとわかっている。



だけれども、冷静に考えてみると・・・
「リーダーシップ」は、一歩間違えてしまうと「パワーハラスメント」になり、
その境界線もまた非常に微妙な部分があるようにも思う。

一般論としては、職場でのパワーハラスメントによる「うつ病」も、
先ごろから「労災に認定される」ことになった。

社会全体に広がっていく雰囲気は、価値観もすっかりと変えてしまった。
学校、病院、職場(企業)・・・あらゆる公的な場所でさえも、
理不尽な現実が絶え間ない。
人々の根底にある何かが、そうさせているとしか思えず・・・
パワハラを受けた人々は、実際にも、精神を病んでしまうし、
ひどいケースでは、自殺に追い込まれたりもしているらしい。


●攻撃型
・他の社員たちの前で怒鳴る
・1人だけ呼び出して怒鳴る
・机や壁などを叩いて脅す
・ねちねちと嫌味を言う
・肉体的暴力を振るう など

●否定型
・仕事をすべて否定する
・人格を否定する
・能力を低く評価する
・病人扱いをする など

●強要型
・自分のやり方を無理やり押し付ける
・責任をなすりつける
・サービス残業を強要する など

●妨害型
・仕事を与えない
・必要なものや情報を与えない
・辞めさせると脅す
・休ませない など




私は、正直・・・なんだか、よくわからない。

パワーハラスメントも、DVだって・・・・どこからこどまでが
許されて、「社会の教育的指導」や「相手への配慮」なのか・・・。


「理不尽な苦痛」・・・というのも・・・
どういうことをいうのだろう。

個々の価値観と経験値によって、判断材料も変わるし、
其々の性格からもたらされる根源的な要素により左右されることもある。



人が人であるために、
相手の想いを受け止めるのは当然だけれど、
まずは川内選手のような精神力と意志力があれば、どんなことも
乗り越えられそうに思えるのは間違いだろうか。
そう思いたいぐらいの強靭な姿を目の当たりにして・・・・
昔の「日本人気質」みたいなものを思い出したりしたのは事実だ。
すごく心があらわれたし、真摯に頑張ろうという気持ちになった。

スポーツは偉大なものであり、
こういう感慨を与えてくれた川内選手にも、心から御礼を言いたい。