我が父が亡くなって数年もたつのに・・・・
隣町に住んでいる亡父の主治医は・・・・
私にとっても「かけがえのない存在」になっているのではないかと、最近心から思う。
いつも、父と私を見守り、常にアドバイスをもらい、時には助けてくれたりした。
これまでの主治医の「親切な心根」が伝わっているので、先生の顔をみるだけで、
“あたたかいもの”が、私の身体中に流れてくる。
彼と話していると、私が思い悩んでいる元凶となっていることや、現状が・・・・
「自分の中で、はっきりと感じられる」。
そして、彼の指摘は、誰よりも的確だ。
私に対しての感想は、常にぶれていないし、的をはずさない。
洞察力は、かなり鋭い。
たとえ彼の洞察とは「少し違う」と感じても、そう言われたことに対して嫌悪感などは、
全く感じたことがない。
むしろ、そこから、自分独自の「方法論(対策)」や「道」が、見えてくることが多い。
人間関係が、とても明確である。
私は「信頼している」し、先生は介護をしていた頃から私を観察し続けたことによって、
誰よりも性格や思考癖を知っている。
時間は短くとも、濃密な人間関係を築けていた・・・からだと思う。
気を遣わないで、言いたいことも言える。
やはり、「信頼できるか、どうか・・・」ということは、非常に大切な要素である。
もちろん、指摘が的確で、より具体的であり、尚且つはっきりとしているので、
私もイメージを抱きやすいという特徴はあるが・・・・
今の私にとっては、「大切な人」の一人となった。
とても、感謝している。
今回も、会いたくなって、最近の想いをぶちあげたが・・・・
すごく軽い気持ちになった。
私たちは、付き合いの長さと濃密さからか・・・最近 (いけないと思いつつ・・・)
ついタメ口で話し込んでしまう。
先生も、私の動向や、生き方に、少なからず興味を示してくれているので、
安易な態度で対峙することは、これまで一度もなかった。
長い旧友のように、接してくれるのが、何よりも有難いことである。
私たちの話題は時々それるが、いつも彼が笑顔を忘れないために、私は “救われる”。
本当に、先生には 「感謝」 の一言を贈りたい。
いつも、思ったことをそのまま伝えるのだが・・・・
今回、私の別れの言葉は、
「やっぱり逢いたいなぁと思ったときに、逢うのはいいなぁ。
ありがとう! 先生~~。 またね~~~。」
言ったとき、ちょっとだけ照れてしまったけれど、心は晴れたので「御礼」のつもりと、
正直な気持ちを伝えたかっただけだった。
先生と気楽に会えなくなるのが嫌だから、
引っ越しが億劫になってしまいそうだ。
どうしよう・・・・・なんてネ。