「大切な人」の洞察力

2010年05月30日 | 出来事 -

我が父が亡くなって数年もたつのに・・・・
隣町に住んでいる亡父の主治医は・・・・
私にとっても「かけがえのない存在」になっているのではないかと、最近心から思う。

いつも、父と私を見守り、常にアドバイスをもらい、時には助けてくれたりした。
これまでの主治医の「親切な心根」が伝わっているので、先生の顔をみるだけで、
“あたたかいもの”が、私の身体中に流れてくる。


彼と話していると、私が思い悩んでいる元凶となっていることや、現状が・・・・
「自分の中で、はっきりと感じられる」。
そして、彼の指摘は、誰よりも的確だ。
私に対しての感想は、常にぶれていないし、的をはずさない。
洞察力は、かなり鋭い。
たとえ彼の洞察とは「少し違う」と感じても、そう言われたことに対して嫌悪感などは、
全く感じたことがない。
むしろ、そこから、自分独自の「方法論(対策)」や「道」が、見えてくることが多い。


人間関係が、とても明確である。
私は「信頼している」し、先生は介護をしていた頃から私を観察し続けたことによって、
誰よりも性格や思考癖を知っている。
時間は短くとも、濃密な人間関係を築けていた・・・からだと思う。
気を遣わないで、言いたいことも言える。

やはり、「信頼できるか、どうか・・・」ということは、非常に大切な要素である。
もちろん、指摘が的確で、より具体的であり、尚且つはっきりとしているので、
私もイメージを抱きやすいという特徴はあるが・・・・
今の私にとっては、「大切な人」の一人となった。
とても、感謝している。


今回も、会いたくなって、最近の想いをぶちあげたが・・・・
すごく軽い気持ちになった。
私たちは、付き合いの長さと濃密さからか・・・最近 (いけないと思いつつ・・・)
ついタメ口で話し込んでしまう。
先生も、私の動向や、生き方に、少なからず興味を示してくれているので、
安易な態度で対峙することは、これまで一度もなかった。
長い旧友のように、接してくれるのが、何よりも有難いことである。

私たちの話題は時々それるが、いつも彼が笑顔を忘れないために、私は “救われる”。

本当に、先生には 「感謝」 の一言を贈りたい。


いつも、思ったことをそのまま伝えるのだが・・・・
今回、私の別れの言葉は、
「やっぱり逢いたいなぁと思ったときに、逢うのはいいなぁ。
 ありがとう! 先生~~。 またね~~~。」
言ったとき、ちょっとだけ照れてしまったけれど、心は晴れたので「御礼」のつもりと、
正直な気持ちを伝えたかっただけだった。




   先生と気楽に会えなくなるのが嫌だから、
   引っ越しが億劫になってしまいそうだ。
   どうしよう・・・・・なんてネ。


必要とされる意味

2010年05月29日 | 言葉 -


  誰もが押し寄せる所なら 誰かが行く。
                    
  誰も行かない所でこそ、我々は必要とされる。


                            <by 中村哲:医師>


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  「氷河の流れのように」                    中村 哲



 農村や下町に行けば、そこには殆ど昔と変わらぬ人々の生活がある。
そして我々の活動も、これらの人々の涙や笑いと共にある。
何世紀も営まれてきた人々の暮らしが、たかだか10年やそこいらのプロジェクトで
変わるものではない。
しかも、俗にいう「進歩」や「発展」が本当にこの人々の幸せにつながるかどうか、
私は疑問に思っている。

 我々の歩みが人々と共にある「氷河の流れ」であることを、あえて願うものである。
その歩みは静止しているかの如くのろいが、満身に氷雪を蓄え固めて、巨大な 山々を
確実に削り降ろしてゆく膨大なエネルギーの塊である。
我々はあらゆる立場 を超えて存在する人間の良心を集めて氷河となし、騒々しく現れては
地表に消える小川を尻目に、確実に困難を打ち砕き、かつ何かを築いてゆく者でありたい
と、心底願っている。

                       <以上、ペシャワール会のHPより>

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中村哲さんは、パキスタンのペシャワールを根拠地として、アフガン難民の診療活動を
持続的におこなっている日本人医師である。
そし、アフガニスタンやパキスタンにいくつかの診療所を建設しながら、それと同時に
アフガニスタン東北部山岳地域の“無医村”における診療にも たずさわっている。


最近では、戦争によって破壊された環境のアフガニスタンの人々のために、日常生活を
人間らしく暮らしていけるように、井戸を掘り、用水路を拓く活動にも力を注いでいる。



頭がさがる思いで、中村さんの活動を見つめ、見守り、応援していきたいと感じる。
私には到底できない活動を、長きにわたり、されていらっしゃること事態、何にも増して
尊敬するべき行為である。


友達からの一言

2010年05月28日 | 自分 -

「 あなたは、何処にいても、どんな暮らしぶりをしても、
  あなたらしく生きられる人だと思う・・・・」


「 私は、あなたのことを “豪い”と思っているし、
  皆がそう言っている。 
  あなたが考えるように したらいいんだと、私は思うよ 」




久しぶりに電話した親友に、日頃の愚痴のようなことを吐露してしまったら・・・・
とても優しい言葉が返ってきた。
有難い言葉だったなぁ。
じんわりと、とても心に響いた・・・・。
最近の“弱っている自分”を振り返ることが必要な時期だからこそ、有難い言葉だった。



  <おまけ>  「貴方と久しぶりに話したら、私も勇気がわいてきたよ。
            話せてよかった。本当にありがとう。」
         現在、彼女は、小学校の教諭をしている。
         彼女なりの苦労が多々あるのだろうと、勝手に想像した・・・。
         私も教諭免許は取得したが、当時の現場との相性がよくなかったし、
         自分には「やりたいことがあった」ので、他の仕事を選んだ。
         私が、もし教諭になっていたら、とんでもない教師になっただろう。
         教育実習の際から、生徒の頭を出席簿でドッカーンとたたきまくって
         反省日記をつけていた無頼な実習生だったからネ。(暴力実習生?)
         
         

Seize the day !

2010年05月26日 | 自分 -

自分のことは、わからないものである。
迷路に迷い込んだかのように自覚している時は、尚更だと思う。
客観性のような目線で、「自分」を判断するのは、かなり冷静さを取り戻してからだろう。


これまでのことを振返ってみると・・・・・
たとえ無謀なことであれ、自分が「やれる!」と思ったことは、かなり前向きにトライし、
一生懸命さが手伝って、実現している比率も高い。

前向きにとらえられないケースは、(もちろん様々な要素が複雑にからんでいるが)
自分の潜在的な意識が「やりたくない」「これは違う」と感じていることも多い。



何かを「やりたい」と感じたとき・・・・
やりたい意識は、行動力の原動力であり、人間本来が持っている大切なエネルギー源だ。
だからこそ、その「モチベーション」がクリアに感じ取れない場合は、自分の心が晴れず、
全てに対して「心ここにあらず!」になってしまうのかもしれない。
当然、結果がついてこないことが多くなるのは必然であるし、自然な流れだろう。


     
          



誰も責任はとってくれないし、他人に責任を押し付けることもできない!

「自分の人生は、自分で切り開き、自分で責任を持つ!」のが、全ての人に課せられた
定めのようなものだ。


私も、まだまだ「これから」だから・・・・与えられた環境下のもとで、
日々悩みながら、ほどほどに頑張らなくては・・・!!


今の自分の気持ち

2010年05月22日 | 自分 -

「愛」を常に胸に抱いて、「愛」に包まれ、生きていきたいと・・・いつも思っている。

「愛」とひとことで言っても、いくつもの種類のたくさんの「愛」が存在することは、
誰もが気がついていて、誰もが確認していることである。


「愛」が、自分の中に常にあったとしても、時折「それだけで生きていけるのだろうか」と
感じることもある。 本当に、正直な感想ではある。



    
   

今日からしばらく地方へ出張して、そのついでに、久しぶりに「森」に入ってくる。
イメージトレーニングや、自分と向き合う時間を、意図的につくろうと思っている。
綺麗な空気を吸って、自己を開放して、自然の中で “一人で過ごす「自分との対話」”。
問題が山積している今だからこそ、効果的かもしれない・・・・。
いや、そうであってほしい。
壮言なる自然は、いつも大きなキズキを与えてくれる。
人に気を遣わず、自分らしく活きていける「人生の選択」をどうするか・・・・・
今年いっぱいは、あがきつつ、ゆっくりと考えて、行動していきたいものである。


愛に対する反応

2010年05月19日 | 言葉 -



  愛には 苦痛に満ちた反応はない。


                <by ヴィヴェカーナンダ (インドの宗教家) >





今年は、「国連生物多様性年」ということで、「生物多様性」という言葉をよく耳にする。

この地球という惑星には、多様な生物が生きている。
日本の一部分の場所だけで生活していては、想像できないぐらいのたくさんの国で、
多くの民族や人種が、生活している。

宗教の宗派も、確実に増え続けている。

彼(ヴィヴェカーナンダ)によれば、宗教の教義上の違いは矛盾ではなく、
1つの真理に対する異なったアプローチであるらしい。

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ヴィヴェーカーナンダはまず、宗教が様々な教えに分かれているという現実を見つめる。
人が思考する限り、宗派は増え続ける。ならば大いに増えるべきだと。
活動を生み出すには、二つ以上の力の衝突が必要である。
多様は生命の第一の原理であり、全てが同一というのは静止した死の世界だ。
問題となるのは自分だけが正しいと思い込み、他の教えを抹殺しようとすることだ。
彼は「相手の教えを壊すな」、「低いと思われる教えは引き上げよ」という。
彼によれば、宗教の教義上の違いは・・・矛盾ではなく、1つの真理に対する異なった
アプローチである。
それらは違いにより補い合う。
一つの教義に真理は収まりきらない。(多様な宗教の全体が真理である)

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今、私は、多様な人間が住み分けている「社会」や「会社」という集合体を考えている。
非常に身近に、多様な人間の集まりであると同時に、多様な思惑と思考の衝突する
場所であるからだ。
正直、私の置かれている「立ち位置」と、「立場(権力)」には満足していなくても、
仕事は履行できる。
しかし、それ以上の「生き方」を自分が求めた場合、少しばかりの迷いが生じる。

人間は、現状を把握して、コントロールする力量も持ち合わせていると思う。
そのために、必要なのが・・・・「愛」であり、「思いやり」であると、私は感じている。
たとえ、言葉にしなくても、心に描き続けるだけで・・・・目の前の人に伝わると、
ただ、ただ、信じながら、生きている。
青臭い姿勢かもしれないが、おそらく、私は・・・・
自分の「生」が続く限り、そうした生き方を貫くだろう。


自家用車の必要性

2010年05月18日 | 社会 -

若者たちは、自分専用の車をほしい気持ちと、現実的な経済的な問題のハザマで、
ゆらゆらと ゆれているらしい。

都内に車で踏み入れると・・・実際、とんでもない不便さを感じる。
駐車場を探すのが大変だし、確実に渋滞に巻き込まれるので、時間がよめない。
たとえ車がないとしても、何ら困らないのが、都会のインフラ構造である。
縦横無尽に、地下鉄やバス、JRの駅が点在して、ほんの10分歩けば次の駅だ。



大都会から電車で1時間弱・・・近郊にいるからこそ、車をどうにか持っていられる。
それでも、今は、その必要性が薄れた。

「車を手放そうかなぁ」と友人たちに話したら、「え~」という拒否反応が炸裂。
持っていると便利は便利だが・・・・・
隣のおばさんたちを、美味しい「うなぎやさん」に連れて行ってあげることもできる。



悩みどころだ。車検の更新が、来月の頭に迫っている。
車を所有していると、実際、維持費には(ある程度の)金額が必要になってくる。

父の存命中は、病院へ連れて行ったり、気分転換のため遊びに行ったりしたものだが、
今となっては電車を利用するだけで充分である。
父のように豪快な食事を取る人もいなくなったので、やはり買出しの量も減った。
こうして、私にとっては、自家用車の存在が不可欠ではなくなってしまった。
かといって、現在は、まだ、余暇に使うほどの「時間」と「心の余裕」もなく・・・・

もう少し、悩んでみようと思っている。
手放すのは、非常に簡単だが、また買うのは面倒な手続きが必要になってくる。
今は、ただ毎月の駐車場代だけで済んでいる。


稀な交渉の結果

2010年05月17日 | 仕事 -

私は、いつも、いくつもの企画を、同時進行している。

今日の企画モノは、ほぼ1年前からイメージした上で、かなり具体的に企画して、
数ヶ月前から準備して交渉を重ねていたプロジェクトだった。
それが、やっと(ほぼ)決まった。

しかし、当初、私の中に芽生えると想定し、期待していた「喜びのようなもの」は、
ほとんど感じることはなかった。


これは、実際、長きにわたって、“私が切望していた仕事”ではあったが・・・・
結局、決まってみたら、「私のパワーになるような質感ではない」と感じた。
どこの誰よりも、自分自身が「不思議な感情」に、今・・・おおわれている。

最終的に、すべての条件や結果が良くても、自分が満足していなければ・・・・
こういう感情の流れが、(自分自身の中に)自然と起こって来るものである。



今日の私は、とても冷静だった。
伝えることは伝え、時には腹をくくった誤解を招いてしまうかもしれないような表現も
多用したかもしれない。
今日の私自身にとっては、バジェットよりも仕事の質であり、
仕事の質よりも“私自身の感覚”の方が、重要な要素だったのだと思う。

プレゼンテーションというか・・・・企画意図を話すときだけ、多少興奮はしたが・・・
あとは冷静沈着、「距離感を意図的に持った時間」を過ごしたように思う。
ある意味では、稀にみる交渉の流れである。

これは、かなり冷静に振返ってみると・・・
私が、「あらゆるものに過剰に期待していなかった」ということを顕著に表し、
それと同時に、客観的に「ことの次第」を見極めつつ、交渉していたからだと感じる。
また、この企画に関しての思い入れが、私を取巻く環境の変化が要因となり、完全に
変わってしまったのだとも感じる。
企画や仕事に関しては、「想い」や「愛情」、「強く願う気持ち」のようなものが多いと、
決まったときの達成感なども感じやすいものである。



まだまだ、すべてはこれからの数ヶ月にかかっている。
内容も、成果も、すべてがスタートラインに立ったばかりの「かわいいプロジェクト」だ。
手塩にかける愛情はうせてしまったが、“利用する手立てはかなりある”と思っている。
だから、むげには扱わないし、無駄にするつもりもない。
それなりのアイデアと時間を、これから費やすつもりである。

しかし、「本当に、こんなに冷静でいいのか?」と、自分自身に疑問を感じる・・・・。



「こころ、ここにあらず?!」
                  「じゃ~、一体どこにあるの??」


私が居るべき場所

2010年05月15日 | 自分 -

昨日の打合せを受けて、またひとつ、私の心の中に「変化」があらわれた。

・・・このままで、突き進んでよいのだろうか・・・・


自分が“やりがい”を少しでも感じられるように、数年前から動いていた事業なのに、
理想とは違う役割と、体制、内容に、いきそうな予想がしている。
また、自分が始めたことなのに、自分がイニシアティブが取れないのであれば・・・
私が軸となり、大きな事業を成功させるために努力していく必要があるのか・・・と。

私の理想のようなイメージ(将来像というべきだろうか)が、わいてこない。
モチベーションがあがらない。
これは、かなり大きな問題である。



昔から、こういう状況に陥った時、いつも考えることがある。
それは「自分は “いるべき場所” にいて、自分が “やるべきこと” をやっているのか」
という・・・非常にシンプルで、奥深い「自分への問い」である。

たとえば、火は屋根の上にあると消されるが、かまどの中でいると、「もっと燃えろ」と
人々から喜ばれる。
火の存在している場所によって、火の活かされ方と、成果が歴然と変わってくる。
屋根の上にあると、大火事の元凶として“最悪の評価”となり、かまどの中で燃え盛ると、
人々から賛辞のような喜びが与えられる。
同じ「火」なのに・・・置かれている場所で、これだけ違う結果を招くということである。

私自身の存在も、そうなのだ。
本当に、自分がいるべき場所にいて、やるべき仕事や行動をしていれば、何ら問題はない。
ただ、自分の中で疑問を感じたり、快適性がなかったり、周囲に問題があったりすると、
「ここにいて、この仕事をしていて、いいのだろうか」と、思ってしまうことがある。
適切な場所で、自分を活かせる仕事をしていられれば・・・・・自分の中に、もやもやした
気分や感情も芽生えることはない・・・ような気がする。

悩みどころである。

ただ、悩むことで・・・徐々にクリアになることもあるので、少しばかり悩み続けるのも
悪くないと思ってはいる。
しかし、時間は、刻々と過ぎていき・・・・仕事も、プロジェクトも、前進していかないと
いけないのが、なかなか微妙な現在の状況である。

できることなら、しばし「時間」が止って、
私の気の済むまで、ゆっくりと悩んでいたいものである。

今の私自身が、切羽詰った状態で、このまま “心のリセット” ができなければ・・・・
後で後悔するような行動をとったり、間違った判断をしてしまいそうな気さえする。
現代のスピード社会では、“のんびりと決断できない” のは判っているが、
それを、あえて、選択して・・・・「時間を費やしたい」と感じる自分がいる。


「直感」ショッピング!

2010年05月12日 | 自分 -

仕事が落ち着いた午後3時半すぎ~~ 新宿で、ショッピングに興じた。
最近、なんとなく、イライラ&もやもやが続いていたので、「気分転換」の一種である。

ある(ヨン様が微笑んでいる)眼鏡屋さんの本店に突入!
昨年末から計画しながら、実現していなかったので、「メガネを購入する」ことにした。
今日は、三度目の来店だ。
前回は(週末だったため)、気に入っていたフレーム(赤系と紫系)があったのだけれど、
「まちぼうけ」ばかりで退屈してしまい、「平日来ます」と言い、帰宅してしまった。
しかし、いく度にフレームは変わるので「気に入ったものが残っているとは限らない」 と
思い知り、今日は 「うん、よし、買おう!」 と決心した。



最初は5つの眼鏡フレームを選んで、そこから一つ一つ落としていって、
最後に2つが残った。

結局・・・・残った二つの中から、店員さんの勧めるままに・・・・
無難なデザインで、軽くて、かけやすく、どんな服にも浮くことのないような雰囲気で、
クズダイヤもどきの石がはめ込まれた「薄いピンクフレームのメガネ」を選んだ。
しかし、かねてより、どうしても「赤フレームの眼鏡」がほしかったので・・・
私は、咄嗟に目の前の「赤」に手が出てしまって、「やっぱり、こっちの方が・・・」 と
一度決定したことを、あっという間にくつがえして、迷い始めてしまった。
そして、最終的には、「う~ん」とうなる時間が、無常に過ぎていってしまった。
(この赤フレームは、個性的すぎるということで、一番最初に削除したフレームだ)


赤フレームに手を出したのは本当に無意識のことで、「直感」のようなものだったが、
ゆっくりするわけにもいかず、最終的に(自分自身で、一人では決められず)・・・・
後に座っていたイケメン二人(20代後半~30代前半)に、私は何の警戒もなく声をかけた。
    「お話中にすみましぇ~ん。お願いがありまして・・・
       私にどちらが似合っているか、感想を聞かせてもらえますか?」
その理由は・・・・・
 1)彼ら二人が男性だから
 2)他人の目線で、第一印象での感想を知りたかったから
 3)彼ら二人が、センスよさそうにみえたから


返って来た言葉は、かなり面白いものだった。
「いいですよ~」から始まり、「赤の方がいいですね」「顔立ちとあっていると思うな」
と、直感で選んだ赤のメガネを推してくれた。
真面目に、いろいろな言葉を使って、「何故赤がよいのか」を、二人で語ってくれた。
 (二人とも、私のメガネ吟味を、楽しんでくれているようだった)
その上に、店員さんが勧めてくれた方のメガネを、「似合っていませんよ~」と・・・
かなりはっきりと指摘されてしまった。
これには、私も、びっくりした。

全く二人ともが、同意見だった。
ステッチが入った白ジャケットに白いパンツの男性と、グレーの縦じまのジャケットの
男性だったが、二人ともノーネクタイで、かなりおじゃれな服装だった。
そして、二人とも「おしゃれ系イケメン」のエリアに属する男性だったと思う。
デザイン系の仕事か、自由業みたいな感じがしたが、どちらにしても感性も、言い方も、
非常にはっきりとしていて、「自分の意見が言える人たちだ」という感想をもった。
もちろん、「彼らの主観(私見)」でしかないので、他の人の意見は違うかもしれない。
ただ、彼らの感想を、そのまま受け容れられるだけの説得力が、彼らの言葉にはあった。

最後は「どうもありがとうございました」と笑顔で御礼を言って、私は「赤」に決めた!
センスのいい男性(?)から勧められたものだと、私も心なしか嬉しい気分になって、
このメガネも大切にできそうだ。

最近は、メガネも着替える時代のようで、手軽にブランド物も買えるようになった。



現代社会の人間関係は、なんとなく希薄になっていって、とても世知辛く感じられ、
あらゆるモノに対する関心も薄らぎ、内に向かっていく人々が多い昨今、今日の二人は、
とてもダイレクトな対応と表現方法で、かなり好感が持てる人たちだった。
眼鏡売場を離れる際にも、カウンターに移動した白ジャケットでツンツンヘアーの彼は、
にこっと笑って、私よりも先に会釈をしてくれた・・・。

目で挨拶・・・「ありがとう!」 「さようなら」 「おすこやかに!」
「一期一会」とは、まさに、このようなことをいうのだろう。

大都会にげんなりしていたので、今日は彼らとの短時間の交流で、楽しませてもらい、
まだまだ「捨てたモンじゃないぞ」という機運が湧いてきた。

私の「直感」も、同様に、「もう少し信じてもよいのかもしれない」・・・・・なんてネ。


「チャイコフスキー」

2010年05月07日 | 人物 -

今日は、ロシアの作曲家「チャイコフスキー」にとって、記念すべき日である。
生誕170周年を迎えたのだ。

「チャイコフスキー」は、私にとって「ベートーベン」と同じぐらい特別な作曲家だ。
彼については、(幼少時代の「ゴッホ」と同じぐらい)何故か言い知れぬ興味を抱いて、
いろいろな書物を読み漁り、当時の事実(関係性)を調べ続けた時期があった。
もちろん、100%真実であるという確証はないままであるが・・・・世界中の研究家の
書物は、其々に “たいへん引き込まれるものであった”。

当時は、コレラが原因で死んだのか、それとも自ら砒素を服毒したのか、など・・・
まだ依然と、「謎」とされていた彼の死因については、決着がついておらず・・・・
彼の生い立ちから、青春時代、作曲についての詳細をたどっていく内に、死因以外にも
いろいろな “いくつかの疑問” が、(私自身の中に)噴出してきていた。

結局、チャイコフスキーの死因については、墓を掘り返し、彼の遺体を取り出して、
現代科学&現代医学を駆使して、徹底的に調査した。DNA鑑定もした。
そして、結論として、「チャイコフスキーは病死だった」と判断されたことで、
彼が亡くなってからすぐに勃発した「死因論争」は、ついに終止符が打たれたのである。
死に至るまでの短時間をドキュメント的に追いかけるのは、まるでサスペンスドラマを
観ている感覚に陥るぐらいだったが・・・結論が出たことにより、すっきりとした反面、
なにか気が抜けたような“意味不明な感覚”になったものである。


彼が生きた時代背景を考えると、本当に「独特な人生を歩んだ人だ」と思う。
日本では昔から親しまれていた作曲家で、叙情的で美しいメロディーが人気の要因だ。
興味がある人は、伝記でも読んでほしいが・・・彼自身は、なかなか個性的な人であった。
人生そのものも、残した音楽性についても、いろいろな逸話を残してきた作曲家である。
最後の自信作「悲愴」も、彼の当初の構想では明るく壮大な曲だったのに・・・
書き上げた後にすぐ死亡した事実によって、その後、曲のタイトルや解釈が変わって、
チャイコフスキーの本意とは、ずれていってしまった・・・という事実も判ってきた。
とにかく、繊細な音楽とはうらはらに、人間関係や女性との付き合いに対しては、非常に
特別だったように感じる。仕事をやめ、音楽に没頭できたスポンサーともそうだった。
経済的援助をしてくれた婦人とも、一度も面会をせず、数十年の間、付き合っていた。
ただ、文通をしているだけなのだ。
これは、(当時の音楽家とスポンサーとの関係にしては)たいへん珍しいことである。

また、現在は周知の事実だと思うが、チャイコフスキーは、同性愛者と言われている。
そのことを隠しながら、スポンサーや音楽界の中でも、地位を築いていった稀有な人だ。
「それがどこまで真実か」よりも、私は彼の心情の流れに大変惹かれたものだった。
感性豊かな美しい旋律は、繊細な彼の内面から生まれ出でた芸術音楽だった・・・。
私は、まだ何も知らない頃、巧みな “その旋律” に魅せられたと言っても過言ではない。


そして、当時のバレエは、まだ「世俗のものだ」という認識だったのに、最初に彼が、
「何故“バレエ音楽”を書きはじめたのか」などの疑問が(私には)芽吹いていた。
評価というか、人々の価値感としては、かなり庶民的に見られていたのがバレエだった。
当時は、女性が薄い布切れをまとい、劇場や会場で踊る「見世物娯楽」だったからである。
だから、バレエ音楽を作曲する人は、交響曲を作曲するような音楽家ではなかった。
(バレエは短い音楽だし、音楽家としてのレベルというか、「格」が完全に違っていた)
バレエでは、どちらかというと、振付師の方が音楽家よりも、力があった時代である。
それなのに、誰も手を出さなかった「バレエ音楽」に、チャイコフスキーは臨んで行く。
そして、まるで交響曲のような「長く、美しい、バレエ音楽」を書き上げていくのである。
ロシア語のできない私は、音楽的な知識もなく、本当に「好奇心」と「興味」だけで、
「何故なのだろうか」と書物に向かって、もやもやとした数年間を過ごしたものである。
しかし、チャイコフスキーという人を考えてみると、納得できる部分もないわけではない。
当時の「枠や殻のようなもの(固定観念)」と常に闘って、青春時代をすごした人ゆえに、
時代の流れや出会いと共に、必然的に選択したことだったのかもしれない・・・・と。
単純に考え、報酬がもらえるのであれば・・・という柔軟な考えだったのかも・・・と。
実際、彼には「バレエ」に対する固執するような嫌悪感がなかったのは事実のようだ。
彼の美しい感性は、「芸術」と「芸能」を、分け隔てなく、見据えていたようにも感じる。
(しかし、このことについては、確実な理由が全く見当たっていない)
一定の時を経て、今や、チャイコフスキーのバレエ音楽は、名曲と賞賛されている。
本当に、現在となっては、興味深い事実である。


私は、興味を抱くと、ことごとく調べて、その人のことを知りたくなる“タチ”である。
たとえ数百年前の人でさえ、それは同じだ。
彼は「偉人」の地位を確立していながら、クラシック音楽業界の中ではどのような経緯を
たどってきたのか・・・・どのような境遇で、どのような心情だったのか・・・など、
まるで(当時のことを)現在のことのように知りたくなるのである。


一般的に言うと、非常にながぁ~い時間がたつと・・・・周囲の評価と共に・・・・
壮言な「歴史」というものが、・・・・・自ずと、偉人をまつりあげることになり、
当時の事実とかけ離れたストーリーを、歴史上の見識者さえもがつくりあげていく。



最終的には、彼の死因が明確になった時点で、大きな「謎」が解明され・・・・
正直に言うと、私のリサーチング(興味)も、かなり落ち着いたようなところがあった。

いつか「彼が過ごした場所や、創作活動をした場所に行ってみたい」と思いながら、
結局、いまだ実現はしていないが・・・・・機会があれば行ってみたいものである。
彼の過ごした周囲の環境を、肌で感じたいと強く思っていた時期があったのは事実だ。

クリンの家での彼は、広い庭を散歩しながら、自然の中で作曲活動をしていたと言う。

生誕170周年の今日、懐かしく、「一昔前の、若い私自身」と対面した気分である。



    ※写真は、チャイコフスキーが晩年過ごした「森の中にある家」 (於:クリン)


仕事に対しての姿勢

2010年05月05日 | 仕事 -

連休中はお天気が続いて、日本中の皆さんにとっては何よりでした。
どこかで、人々が微笑みながら、家族団欒(だんらん)をしている風景を思い描き、
幸せな気分を共有させていただいているような “典型的な妄想” と共に(笑)・・・
今、この時、パソコンに向かっています。

河の上に “流れるようにかかった「こいのぼり」の群れ” を思い出したり、
海外で過ごした楽しかった経験を糧に、今、最終的な提出書類の確認に入っています。
GW開けに向けて、「今日、やっておかなければ・・・・」という気持ちです。


自分の背中は、私自身では見えないですが・・・・・
他人の行動は、すべて「見ること」も「感じること」もできます。
そこから、気がついて姿勢を正したり、自分自身を思い返したりしながら、
「今、やった方が良いと思えること」に、(今は)邁進しているということです。


誠実な努力をする人は、たとえすぐには報われなくても・・・・
長期的にみれば、“確実に他人に伝わるものだ” と信じています。
人間的なやりとりや、感情の誤解が生じても・・・・です。
そういうことを信じながら、仕事をしていけると、本当のプロフェッショナルに
なれるような印象を持っています。


市場原理を離れて(現代の利潤追求を目的とした)企業経営が成立しないように、
私たちは属している団体(会社など)の価値観に擦り寄って、生活が成り立っています。
常に、与えられた仕事との出会いを、「チャンスだ」と考えることができれば・・・・
気持ちは非常に楽になります。
嫌な感情に支配されつつも、仕事を成し遂げた時の達成感は (ケースバイケースですが)
それぞれに “言い知れぬもの” があると思われます。

仕事への興味の持ち方、たとえ持てなくても持っていけるようなノウハウを身につけ、
とにかく「一生懸命に臨むこと」――。

希薄な世の中ですが、人間関係と、仕事の内容は、「濃厚でいたい」ものです。


時間の概念

2010年05月01日 | 自分 -

  時間は、解き放たれてはじめて “自由に過ごせる”ものである。
  言葉をかみしめるだけではなく、実際 “解き放つ経験をしてみること” が、
  何よりも大切だと感じる。
  

  時間の概念は、体内にすでに埋め込まれている。
  それを、心や思考が“いつものこと”として、反応するように出来ているようだ。

  自分は“休んでいる”と思っていても、完全に身も心も休めていない現実は・・・
  こういう仕組みが出来上がっているからだろう。


  「完全に休むこと」は、(実は)大変な作業を要するようだ。
  心も、身体も、心底「リラックスすること」には、ある一つのテクニックが必要だ。
  それを会得して初めて、人は「完全に休むことが出来る」のだろう。