今年のお正月開けに飛び込んできたジョニー・ウィアーの結婚報道!
お相手は、非常に目を見張るイケメンで、ロシア人男性(弁護士)。
フィギアスケート界においては、彼が「同性婚の先駆者」となった。
ジョニーは、すでに 「I am gey!」 と カミングアウトしていたので、
さして驚きはしなかったが・・・
その後、動画サイトでカミングアウト前後に出演したトークショーを
いくつか観ていたら、彼の “突き抜けた幸福感” が 伝わってきた。
その輝きは、うらやましさを覚えるほどだった。
自分のスタイルを貫きながら、毅然と、主張している言葉には、
昔のような暗い同性愛者のイメージは皆無である。
確固たる価値観を語り、彼独自の世界(意見)を伝えようとしている。
適宜、我流とジョークをきかせては、達観した反応が目を引く。
ファッションセンスがぬきんでている彼のこだわりは、ある意味で、
随所に感じとれて、彼のトーク番組を観ていると 解放感さえ覚える。
とても自分に正直な・・・ある意味でピュアな人だと思った。
真面目な番組には、それに応じたコメントができる聡明さもある。
とても人間的で、繊細で、彼独自の価値観と世界を持っており・・・
一言でいえば、非常に “魅力的な人” だ。
もともと中性的で、ゲイっぽい雰囲気をかもし出していたし、
カミングアウトしても、「やっぱり~ぃ」としか思わなかったが・・・
正直に言うと、結婚するまでの行動力があるとは思っていなかった。
そういう意味では、競技大会でのフィギュアスケーターとしての
彼しか知らなかったので、当然のことではあるかもしれない。
同性婚のニュースを受けて、私は より詳しく情報がほしくなった。
彼に対する興味がわいたのだろう。
行動力の源と、彼自身の思考が、もっと知りたくなったのだ。
だから、過去に出演したトーク番組をネットで探し、観つづけ・・・
その結果、一人のスケーターの印象は、がらりと変わった。
素敵な身体のフォルム。
芸術的で繊細な表現力。
美しいスケーティングで魅了して、世界中に多くのファンを持ち、
日本にも何度か来日している全米チャンピョン・ジョニー・ウィアー。
その彼が、今、人生を謳歌している。
もともと「結婚」というものは、一般的に、他人である男女間について
法律上認められていた婚姻関係の成立ではあるが、
もっと本質的なことを考えれば、愛する者同士が「家族関係をつくる」
という観点においては、同性愛者の婚姻は何ら不可思議なものではない。
ジョニーたちは、将来、養子をもらって、二人で子育てをする考えで、
違和感なく受け入れたい人生設計も持っている。
愛し合う者同士が到達するであろう “自然な流れだ” と 思う。
元来、同性愛者は太古の昔から存在していたにもかかわらず、
社会的には差別的待遇を受けて、本来の自分を隠して生きていた時代が
長く続き、やっと30年ぐらい前から、具体的にはこの10年ぐらいで、
大きな変化が起きてきたと言えるだろう。
日本では、まだ同性愛者の婚姻が認められていないように、現在も
世界のいたるところで、「同性婚」についての議論が かわされている。
実際には、まだ(偏見に満ちた)マイノリティーの見方が主流だろうし、
現実的なことを言えば、生きていくうえで壁に遭遇することも多いと思う。
しかし、芸術的な志向が強く、それを生業としている人には、
そういうゲイ的な背景がある人が多いのは事実だ。
音楽家、俳優、デザイナー、クリエイタ―やアーティスト全般、
産みの苦しみを味わっているような職業の人こそ、感受性が強く、
特別な感性によって、表現する力を蓄えられるものであるために、
私個人は何ら不思議な想いを抱くこともない。
もちろん、差別なんて、とんでもないことだと感じている。
ジョニーは、本当に幸福そうだ。
自分の人生を楽しんでいて、それが氷の上の姿にも影響を与えている。
昨年(後半)のジョニー・ウィアーのアイスショーの動画を観ると、
エンターテイメントとして、素晴らしいと感じる。
競技生活を休んでいるので、身体の線は少しばかり変わったけれど、
衣装、メイク、表情、目線の流し、手足の動きの細部にいたるまでが、
独特な「彼の世界」を作り出している。
いつものプログラムを、衣装ごとに振付を多少変えて、披露しているが、
やはり目を引くエンターティナ―だと思う。
彼が敬愛する 「Lady Gaga 」 のナンバーは、本当にどれを観ても、
引き込まれる感覚になる。
「Lady Gaga 」の歌詞は、衝撃的で、同性愛者に指示されているが、
まさにジョニーが共感し、創作力をかきたてられる世界観なのだろう。
しかし、それにしても・・・、個性的な彼のセンス!
競技プロとは違って、とても前衛的で、私はどの作品も好きである。
競技大会は、どんどん四回転ジャンプ時代に入ってくるだろうから、
ジョニーのような選手は、ショ―向きなのかもしれないとも思う。
制約のない “彼がつくり上げる世界” を、もっと堪能したいという
そんな欲求にかられるというのは、彼自身がアスリートというよりも、
表現者の域に入っているように感じるからだろうか。
人には、時が経たら、その人にあった環境や居場所が存在するものだ。
彼は、今、充実した時間を過ごしながら、さらなる生き方を探求するため、
楽しい時間を過ごしているように感じる。
誰にもある幸せのピークを迎えているのかも・・・。
彼のイメージは、まさに「美の探究者」だという印象がする。
※2014年3月20日
離婚を発表した。
わずか二年の結婚生活だった。
愛し合うことは この上ないことだし、婚姻は重要なけじめだが、
それを継続できなかったことは残念なことである。