一周忌

2007年04月14日 | 出来事 -
一年が過ぎた。

あっという間のような・・・ずいぶんと長かったような・・・・・
そういう一年が過ぎた。

そして、今日・・・
一周忌を迎えた。



私にとっての「父の命日」は、病院に運んだ3月21日のような気がずっとしていて、
今もその気持ちに変わりはない。
息が途切れた今日というよりも、人格と意識をなくした「あの日」が、
父にとっての最期だったように思われる。

田舎に帰省したとき、
父と過ごした高齢のおばあちゃん数人たちと、近所の八幡神社で焚き火をした。
ぐだぐだと・・・何気もない話をして、
「あそこが痛い」「そこが痛い」という会話に寄り添いながら、
のんびり“まったりとした時間”を過ごした。


  「お彼岸さんのうちに逝った人は、極楽浄土が待っているらしいでぇ・・・」

  「苦しまんと逝って、うらやましいわ」

  「誰もが、そういうふうに逝きたいと、おもっとるはずやわ」


・・・・・「そうなんだ?」
<無宗教のくせに、こういうときだけは素直に反応するワタシ>

郷里のおばあちゃんたちの“この言葉”に、どんなに癒されたことか・・・。
  

 前向きに暮らしている日常だったとはいえ、
 人知れず、つらい想いを抱えて過ごした一年だったし、
 寂しさに打ちひしがれた一年だったし、
 ―あの日、父を、どうして“あんな病院”に運んでしまったのだろう!―
 結局は・・・そういう気持ちが、ついてまわる日々だった。
 気にしないようにしても、私の奥深い場所に、潜在的に巣造っている感じだった。
 そのモヤモヤしたやるせなさを、完全に打ち消すことができずにいたから―。

ものすごく愛していた母を見送った時、とてもとても辛かったのに、
あれだけ悔しくて、悲しく絶望的な気持ちがしたのに・・・
七年が過ぎた今は、父の最期のほうが脳裏にこびりついている状態である。
「時間は偉大だ」と、しみじみ感じる。
母のことは、風化したというよりも、昇華したという言葉が適切だろうか。
苦しみから逃げることなく、向き合う努力を続けたときに、
その事実は “また違った局面を迎える”のかもしれない。
  


一年か・・・。
もう一年かぁ・・・・。
今日も、お世話になった近所の人に、父の笑顔について話されると・・・
当時のことが思い出されて、「やばっ!」と・・・すぐに気分を切り替えた。
まだまだ、ちょっと油断すると・・・うるうると「ナミダ製造機」が稼動して、
ぽろりと目から“しょっぱいもの”がこぼれ落ちる。

大事な人と別れても、けろっとして平気な人もいるのに、
どうして私はこんなにも涙腺が弱く、情が深いのかと、ほとほと疲れることがある。
それも、私の長所だと思ってはいるものの、「もっと楽に生きたい」という欲が
ふつふつとわいてくる。
「感じられること」は、何よりもすばらしい。
しかし、感じすぎたことによって、
執着したり、とらわれたりすることは避けたいものだ。
プレッシャーになることも望ましくない。
いつものことながら、そんなことを考える。
やっぱり、心豊かに、無理なく、活き活きと暮らしていきたいから、
そのためには現状を少しずつ紐解くことも必要である。

それに、自分で決めておきながら、目標をえらく高く設定したり・・・・
期待されてもいないのに、期待以上の結果を残すために頑張ったりして・・・・
ワタシって、本当に、「愛すべきパボ(おばかちゃん)デス!」からネ。



     一周忌を迎えて、
     子供みたいな質問をしたくなった。

     「人は、死んだら・・・・どこへ行くの?」




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