今日は、新宿で映画を観て、買い物をするつもりだったが、(台風の到来が理由で)
急遽予定を変更して、増えた書籍の整理をすることにした。
その中に、旅行に行きたいと思って、なんとなく買った旅行情報誌「インド」があり、
また手を止め、読み込んでしまった。
この本を買ったのは、今年の頭だったが、やはり魅力のある国だ。
しかし、熟考して、今はとにかく、手放すことにした。
(すべての書籍は、図書館に寄贈予定である)
インドは、とても興味のある国で、ずっと前から行きたかった場所だ。
過去の歴史を紐解くと、神秘的な興味がつきない国――。
未来に対しても、これからも経済成長を遂げ続け、希望と可能性にあふれた国――。
赤茶けた大地、喧騒と混沌とした雰囲気の中で、「時間」という概念をとらえてみると、
おそらく“現代人としての感覚”に包まれた「この生活」から、大きく逸脱した経験と、
信じがたい“富裕と貧困の現場(格差)”に 出逢うことは歴然としている。
だからこそ、行ってみたいのだ。
情報誌に掲載されている遺跡の写真だけでも、悠久の時を感じさせてくれる存在感がある。
厳しい自然と、深い文化や、神秘的な信仰が、日常に取り込まれているインドの人々には、
私が想像していない「価値観」が存在しているのだろうと、勝手に想像している。
あの場所で暮らす人々と、時間をかけて、冒険しながら、触れ合い続けることによって、
自分の内なる“奥深いところ”に、どのような変化が起きるのか・・・・・それとも・・・
何も変わらないのか・・・・・・これに興味があるのだ。
私が、ずっと思い描いて、憬れていたことは・・・・・
パックツアーではない「自由旅行」でなければ得られないような気がしていて、
そうでなければ、ゆったりと自分自身とも向き合うことができない印象がしていた。
新しい感覚とも出会えそうにないかもしれない・・・・・そんな“思い込み”もあった。
それは、“希望”でもあり、“直感のような確証のない感覚”だった。
昔は、外国に何度も長期の自由旅行(気まぐれな一人旅)に、出かけていた。
正直、その時のように、数ヶ月以上は滞在するつもりでいたのも事実だ。
近所のインド料理店のインドの人々と会話しながら、実際に様々な情報を集めていた。
しかし、若い頃なら まだしも、今となって「インド中を一人旅する」には、
ある程度の「基礎体力」と「精神力」が必要になってくるだろう。
※パックツアーで一週間出かけたという友人も、後半はお腹をこわしたと言う。
ストレスまみれの私の身体の中に、免疫力がどのぐらいあるのか・・・疑問なところだ。
今は・・・仕事の都合や、体力の減退を考えると、やはり心配事が付きまとう。
生活のこともあるし、急に現実的なことに、戻されていく自分に寂しさを覚えてしまうが、
仕方がない。
容易に あきらめてしまわず、心の中で願っていれば、いつかは叶うような気がする。
だから、今は・・・
(今年の頭に買ったのだが) あえて、この本を手放そうと決心した。
瞑想の国:インドで、長期旅行――それも気まぐれな旅(その日の気分で過ごす)を、
いつかは実行してみたい。
しかし、今は、「時間」と「心の余裕」と「覚悟」がない。
基礎体力にも自信がない。
やはり・・・もうしばらく先のことになりそうだ。