自分でつくる「人生」

2011年04月30日 | 言葉 -


  たとえ 君だけのためを考えて決めたことでさえも また
  他の誰かをも傷つけたならば 悲しみに包まれる

  人生 それは君が切り開けよ
  人生 自分でつくるんだ
  道しるべのない 地図もない けれど あてのない旅じゃない
  迷うことはいつでも 進むことだから



  たとえ どんなわけがあり別れても それは別れなんだとして
  もしも 愛のため何か失うことさえ 恐れないでほしいよ

  人生 それは君が切り開けよ
  人生 自分でつくるんだ
  光がみえない 暗闇を 前をみつめ 歩いていくんだ
  悩むことは必ず 進むことだから


  道しるべのない 地図もない けれど あてのない旅じゃない
  迷うことはいつでも 進むことだから



           <歌曲「人生」:村下孝蔵(作詞)>





最近、動画サイトで一番 衝撃をうけた歌「人生」の歌詞である。
弾き語りの上手な村下孝蔵さんが、ギター1本で、身体を揺らしながら、
口を真一文字に結んで、一心不乱に音色を奏でる。
いつもの弾き語りよりも、さらに気持ちが入っているように感じた。

歌は、とてもパワフルだ。
彼の伸びやかな「声」は、遠くまで届きそうな勢いがして
とても強いメッセージを感じる。

これを聴くたびに、私は胸が熱くなる!
そして、日頃から感じている“自発的な行動”をもって、自分自身で
我が人生をつくりあげていかなくては・・・と、改めて感じるのだ。

感動的な歌だ。
ライブの彼の歌「人生」は、最高で・・・
じっくり聴いていると、涙があふれてくる。
村下さんのパフォーマンスの凄さが、そういう感覚にさせるのだ。
ライブだからこそ、伝わってくるものがあるのも事実だし、
曲調の力強さから“伝えたいこと”が ひしひしと伝わってくるのも事実!


私にとって、この「人生」は、何度も繰り返し聴く曲ではない。
一度聴いては、また何かあったときに、聴きたくなる曲である。
その一回の・・・聴いた感覚を慎重に受け止め、しっかりと胸に抱きしめる。

今の私自身が、とても大事にしたい歌だ。




英国ロイヤルウェディング

2011年04月29日 | 出来事 -
今日は、英国ロイヤル・ウェディングの日――。
今夜7時~生中継が、あるそうだ。

ロンドンは、私にとって特別な場所で、懐かしい場所である。
ただ単に何度も訪問した都市だというだけだが・・・。

バッキンガム宮殿に、一般観光者として出かけた時も、
周辺のお土産物屋さんのロイヤルグッズの多さに吃驚した。
日本では考えられないほど、王室のメンバーは身近な存在のようだ。
また、宮殿では、外周護衛を担当する近衛兵の交代儀式も興味深く、
ずっと観ていたのを、昨日のことのように思い出す。
近衛兵は、ロンドン中の要所にいるが、クスリとも表情を変えない。
からかいたくなる衝動を抑えられないようなガチッとした態度で、
若くてハンサムな人が多いからこそ、近衛兵をじ~っと見てしまうし、
一緒に記念撮影したくなる不思議な存在だ。
隣に立って、記念撮影しても、目線をゆるがすこともなく、本当に
ピクリとも動かない。 大道芸人か、お人形さんみたいだった。


とにかく、今夜は、チャールズ皇太子とダイアナ妃の時のように、
華やかな結婚式になることだろう。
マイブームのケーキ「マロン」で、個人的に、お祝いするぞ。





私自身は、転居に向けて、今日から段ボールとの格闘がはじまった。
ひさしぶりに「肉」を買い込んで、「マスク」を買い込んで、
休みながら全ての荷物を整理していくこととなる。
さぁて、どこまで出来るか・・・、今年のGWは「奮闘」だ。
でぇっっかい段ボールのカタマリが届いたばかりだが・・・
とにかく、「行動あるのみ!」である。



そして、昨日の「ワールド」を受け、高橋大輔選手のコメントが
飛び込んできた。
昨夜の感想として「やめられない。ソチまで頑張る」ということだ。
これまでとは違う高橋選手の言葉に、意外だなぁと感じながら、
本当だとしたら、応援するよぉ・・・と改めて思ってしまった。
とにかく、一時の悔しさから出た言葉ではないことを願いつつ、
今後のことはゆっくりと考えながら、姿勢を示してほしいと痛感。
どのような決断にも、私は快く受け入れられる準備ができている。

子供の頃から大好きなフィギュアスケートだ。
観戦していくのは、今までのように変わらないだろうけれど、
注目するスター的な存在がいるか、いないか、というのは・・・
私にとっては大きな違いとなる。
もしも高橋選手が引退したら、私には羽生選手しかいない。
観戦者にも、それぞれに モチベーションがあるんだョネ・・・。
実際、私には、身を入れて観戦しなかったブランク期間があったように―。


世界フィギュア in Moscow

2011年04月28日 | マイブーム -

高橋大輔選手の今シーズンが、今夜、終った・・・。

日本だけではなく、彼にも大きな試練を与えたようだ。
予想のできないアクシデントが続いた高橋選手の今シーズンは、
最後の「ワールド」まで、劇的な展開だった。
東電のように「想定外だ」とは、決して言いたくないが、
あまりにも予想できない結末に、やはり彼の背負った運命を
なにげなく感じてしまう。
本当に波乱万丈な人だと思うし、波がある人でもあるし、
だからこそ応援したくなる魅力がある。
今後、どのように対処していくのかが、彼の人生の正念場。
運命だって、自分で変えていけるものだから・・・
高橋選手の“今後の動向”と“あらゆる選択”に注目したい。


高橋大輔選手の今期のプログラム・・・
大震災を経験した後に、明るいマンボメドレーに完璧に乗るのは
難しい精神状態だったと思うし、とにかく昨年からの体調不備は
ワールドに向けての調整に歯止めをかけたとも思う。
そして、何よりも、本人の「モチベーション・コントロール」が、
彼には大きな課題となり、背景に影を残したように思う。
高橋選手自身は、その点をどこまで客観的に分析しているのだろう。
コアなファンとしては、この結果を「現実」として受け止めつつも、
結局パーフェクトなピアソラを観ることができなかったことは、残念だった。 
やはり、(正直に言うと)落胆の気持ちは、否めない。
「もう一度、やりなおしたい」という彼の言葉に嘘はないだろう。

しかし、人生はいろいろだから、
本当に様々なことがあるのが人生というものだから、
私としては、情熱的に、且つ、冷静に、モスクワ大会を観戦した。

悩みや困難があったとしても、人によっては必要なことだと思う。
それでも、悩むことで前進していければ、このうえないことである。



実際、たった一年の時間が、パトリック・チャンの成長を促し、
元来なめらかな滑りをしていた彼に、四回転というジャンプを
与えたことによって、素晴らしい孤高のスケーターとなった。
驚異的な成長だし、驚くべきジャッジの評価点だった。
初の世界王者誕生!
20歳という年齢は、これからの安定感を期待させるようで、
現在のスケート界に衝撃を与えた高得点をたたき出した。
昨年の彼とは、全く違うレベルに、本当に驚いてしまう。
彼はジャンプ矯正機を使い、初歩的な稽古から取り組んで、
トリプルアクセルに四苦八苦した昨年とは全くイメージの違う、
四回転ジャンプのできるスケーターとして、氷上に立った。
培ってきた自信にあふれた演技は、世界王者にふさわしかった。
努力と成長と結果が、微妙に絡み合っているのだとしたら、
パトリック・チャンの来シーズンは明るいかもしれないとさえ思う。




世界選手権は、何が起こるか分からない。
他の大会以上に、各選手のメンタル面が影響することが多い。

もし、フィギュアの「天」がいるのだとしたら、それ相当の結果と
課題を与えていくものだろうから、この「ワールド」は東京開催から
モスクワに移行した時点で、一つの伏線になっていたのかもしれない。



ロシアやアメリカの代表選手のように、若手の活躍が目覚ましく、
十代の素晴らしい才能と感性を持ったスケーターと出会えることを、
今後も期待したいと思う。

大震災を氷の上で経験して、難を逃れ、避難所暮らしをした羽生選手。
日本の男子若手の代表として、来シーズンは頑張ってほしい。
見守り続ける楽しみを、ぜひとも、私に与えてほしいものである。


最後に、日本選手の台乗りが実現したことは良かったと思う。
小塚選手、銀メダル! おめでとう。

 ※女子も、金色の台乗りが実現。
  安藤選手の久しぶりの世界女王奪還、おめでとう。




「自粛」から「気分転換」へ

2011年04月27日 | 社会 -

世の中の「自粛ムード」が、とんでもない経済的な低迷を招いている。

東日本大震災は、被災した人々や、被害にあわれた方々ばかりでなく、
日本全国の私たちに、「辛く、切ない気持ち」をもたらした。
とてもショックを受けたし、ともに世界最大の地震の恐怖も味わい、
その後のシリアスな現状を受けて、大きな不安に包まれた日々だった。
その気持ちは、今も尚、変わらず 続いている。

どんよりとした雰囲気が、個人と社会全体を包んでいるのだ。


過日、草津温泉の観光業に携わっていた友人からメールをもらった。
今年のGWは人が少ないので、「遊びにこない?」というものだった。
私個人の予定がなければ、高校時代の友人を誘い、出かけるところだが、
現況、急遽「お引っ越しの準備(荷物の整理)」をしなければならない。
そのため、「残念だけど・・・今は、ちょっと行けない」と返事をした。
私は・・・本当に、引っ越しがなければ、たぶん行っていたと思う。


大震災は、人々に、意識しないところまで、大きな衝撃を与えたので、
様々な理由によって、このような現象が起こっているのだろう。
草津温泉だけでなく、箱根や日光など、いつもなら混雑を極める観光地が
このままでは閑散としてしまうようだ。



九死に一生を得た人々も、・・・また震災地以外の人々も・・・・
同じような暗い雰囲気を抱えているのだと思うけれども、日本の未来と
復興に向けての経済立て直しを考えると、やはり少しは行動的になって、
休日ほど楽しく過ごして、“気分を転換する”ことも必要ではないだろうか。

潜在的にも、将来に対する不安に押しつぶされ、マイナス思考で生きるのは、
あまりに「自分の人生が気の毒だ」と感じてしまう。



お金を使うことも大切だが・・・
それ以上に大切なのは、精神的な前向きさと、明るい気分に持っていくこと!

だから、「家族で、楽しい時間を過ごす」のは、とても大切だと思う。

旅は、一つの経済効果と、気分転換をもたらしてくれる。
主婦の皆さんも大変な家事から解放されて、時には皆でおいしい食事と
家族同士の語らいの場を、(意図的に)ゆっくりと作ってはいかがと思う。

自粛ムードも、いろいろあるけれど・・・
そろそろ、立ちあがっていく時期ではないかと思えてならない。


たとえ・・・
自分の居住地に大きな地震が来ても、
旅先で大きな地震に出会ったとしても、
家族と一緒なら安心だ。

共に、手を携えて、励まし合いながら、「楽しい時間を過ごせばよいのだ」と
家族がいなくなってしまった私は、心から思う。

想い出づくりは、条件が可能な時に、やっておくようにするべきだ・・・と、
(経験上において)しみじみと思う。
行けるときに行くべきだと感じるし、前向きにそういう時間をつくるように
皆で努力すると良いとも思う。
あとになって、それらは、自分を勇気づけ、輝いてくれることもあるからだ。


シアワセなんて、とてもフツーのさりげないことだと思うから、
そういう“ささやかなこと”を、丁寧に積み重ねていきながら、感じてほしい。
日常の大切さや、家族の絆、一人ではない感覚などを・・・。

私は、「おひとりさま」になった今だからこそ、心からそう感じるのだ。


探していた転居先決定!

2011年04月26日 | 出来事 -

日々、何かと「決断事項」が、“てんこもり”で・・・
一つ一つを解決しながら、前に進んでいる。
一歩一歩、亀のような歩みでも、前進していることは、
有難いことである。


かねてから、悩んでいた「お引越し」を決心してから、
いくつかお部屋を見て、探していたが・・・
結局、最初にチェックした物件に決定。
本日、無事に「契約を完了した」。
これで、一安心だ。
なんとか、一か月以内に、即効的に「契約完了」。


お引越し屋さんも、大手有名三社から見積もりをもらい、
営業の人の印象の良い会社に決めた。
それから、値段と、パンフレットから読み取れる姿勢を
総合的に考慮して、お任せすることにした。



当地に住んで、もう長い。
この家には、父との思い出が、濃密に つまっている。
ウグイスの声に起こされていた朝は、気持ちがよかったが・・・
隣の敷地にマンションが建設されれば、私の大好きな環境が
喪失してしまうし、地盤がゆるく「避難区域」だというのに、
ここの場所に、一年かけて、マンションが建設されるという。
現況、まだ100%建設決定になっているわけではなく、
当地の住民は一致団結して、著名活動しながら抵抗している。
しかし、認可はほとんどおりているようで、現実的には、
建設実行になっても おかしくはない状況だとも想定できる。

もしも、マンションが建設されることになったら、今の私には、
日々の騒音や、景観の変化には耐えられないだろう。
素敵な思い出があるからこそ、離れるのは「今だ」と感じてしまう。

それに、今回の大震災を経験したのは、とても大きな要因となった。
地盤のゆるい場所に、手抜きのように建設された古い一軒家だから、
とても不安感が強い。
絶壁に建っているのだけれど、そのコンクリートにヒビがあるのも、
大きな声では言えないが、とても怖い事実だ。
コンクリートは、100年で完全に砂になってしまうものだから・・・。



新しい生活を、身軽になって、(私自身が)一歩踏み出すことは、
非常に開放的な期待感がある。
とにかく、膨大な荷物を整理しながら、身の丈に合った生活を
していこうと思っている。

私の素敵な新生活に向けて、今はイメージングまっただ中。
事務的なことも多いけれど、それもまた必然的な流れだと感じる。

すべての行程を前向きに解釈して、とにかく「新しく、明るい、
日常」を心がけたいものだ。



しかし、過去の「最終決定までの軌跡」を振り返っても・・・
私は、最初に気に入った物件に対して、感覚的にひかれるようだ。
他の物件をいくつか見ても、やはり、そこに帰っていく。
なんとなく、興味深い、私の物件選択の傾向―。
特別な意味はないが、今回も、結局は・・・そうなった。
密かに、「まただ」と、私は思った(笑)。


必要不可欠な「孤独感」

2011年04月25日 | 自分 -

今、私は・・・  「孤独」を、少しばかり感じている。


時間が経てくると、自分も変わるし、自分をとりまく環境も変わる。
それは、自然な流れであり、何も不思議なことではないが・・・
変わっていく自分と、変わってしまった自分の気持ちが、非常に切なく、
感じてしまうことがある。

それは、かなり長い時間が経った後では、きっとこう思うのだろう。
 「あの時は、少し淋しかったけれど・・・
   ・・・あの選択は、あれで良かったなぁ、本当に!」



何かの「線引き」をしたり、何かを決断したりしたときに、人は・・・
時々不安になったりするけれど、それに近い感慨かもしれない。

我が人生史においては必要不可欠であり、通過しなければならなかった事!
そんな印象がしているし、それだからこそ“淋しい気持ち”がしている。



ただ、人との出会いの軌跡や、経てきた過去の自分史を振り返ると・・・
なんとなく複雑な心境になってしまうのだ。

今、ここに、
私の傍に誰かがいて、「それは英断だったね」と、ひとこと言ってくれたら、
どんなに気持ちが楽になるだろう・・・・と、感じてしまう。

いつも、いつも、私は、
どんな時にも、一人で決断して、一人で歩んできた人だから、
こういう不安定な時世だからこそ、こんな気持ちに陥るのかもしれない。


震災後に、結婚相談所に登録する人が、どひゃっと増えたと聞いたが、
わかるような気がする。


でも、結局は、「私は私」だから・・・「私流」を貫いていくに限る。
だから、自分自身で褒めてあげよう。 自分の人生観を!
私自身が選んだ決断を!


自然に対する畏敬の念

2011年04月15日 | 環境 -

最近・・・
打合せ前の会話は、現在、世の中を不安に陥れている「原発」関連か、
あるいは「東日本大震災」がらみの話題が多い。

そこで、相手からよく聞かれる言葉(表現)は・・・
「結局、人間は、自然を打ち負かすことができなかった、ということだよね」
ということだ。
何気ない言葉だが、私はこれを聴くたびに、哀しくなる。
そもそも、「自然」というものは、人類が競えるものでもないし、また同様に、
「打ち負かすなどという考えそのものが、傲慢である」と思っている私には、
そんな思考回路そのものに、違和感を強く感じてしまうのだ。



自然によって活かされていて、自然によって数多くの恩恵を与えられていながら、
全く“その事実”に対して敬意と感謝を感じていないというのは、横柄だと思う。
最大限に、自然から頂けるものを奪い取っておきながら、人類は容赦なく、
欲を膨らませていき、科学という文明によって、自分たちの都合の良い世界を
どんどんと つくりだしてきた・・・。
これが、現在までに至る軌跡(現実)である。

今、多種多様な“小さな疲弊した害”が現出してきているが、それには目もくれず、
さらに拍車をかけて、「便利で、都合の良い環境」を構築するために、一部の人は
世界的なネットワークをもって、密かに(秘密裏に)計画を進めている・・・。
それを批判しているのではないが、疑問を感じてしまうケースが存在するのは事実だ。



人間は、本来、自然や宇宙に対して「畏怖の念」を抱いてきた。
原始的ではあっても、そのような気持ちは、傲慢になりかけたときに、人類にとって
ストッパーの役目を果たしてくれる重要なものだったとも感じる。
人間の力は、自然の力に比べれば、とても微量であり、はかないものなのだ。
そんな昔から解りきった摂理を乗り越え、変えていこうとか、操作しようとか・・・
そういう意識になること自体、非常に危機的な状況ではないかと、私は思う。

自然の中に生き、自然と共に暮らし、自然のモノを食べ、日々を共存・共栄しようと
努力してきた古来の人々と違って、現在はあまりにも生活環境が変わりすぎた。
もう歯止めはきかないし、後戻りもできないだろう。
しかし、だからこそ「今なのではないか」と感じる自分がいる。

今こそ、いろいろな意味で、人間が地球に生を受けて、無理のない暮らしをしていた
時代の「考え方」を見直して、そこから参考となるべきものを学ぶべきだと思うのだ。
当然、同じような考え方はできないだろうけれど、また同じような生活はできずとも、
私たちが「大いなる自然」を“打ち負かすという意識”にとらわれている限り・・・
シアワセな暮らしぶりを維持していくことはできない印象がしている。

地球の片隅に住まわしてもらっている人類の命もまた、あまりにも短く、はかない。
だからこそ、ひと夏の蝉のように、ひとしきり泣き続けてこそ・・・全うできるものが
あるのではないかとも思う。



私は、一生懸命にがんばっている人には、「がんばりましょう」とは言えない。
しかし、後悔を残さず、物事を過剰にマイナスに考えず、皆で一緒に「前を向いて、
すすむことのお手伝いはできるのではないか」と確信する。

自然を敬い、自然の驚異にさらされてきた日本列島に生きる民族だからこそ、何度も、
立ち上がってくることができた歴史がある。
それは、素晴らしいものだ。
今回の「東日本大震災」に関しても、ただ単に「天災」として自然に矛先を向けず、
“被害をこうむることなく、生きながらえた人々の問題”として捉え、そして、
よく考えて対処していくことではないだろうか・・・と強く感じる。
なぜなら、その背景には、あらゆる複雑化した社会構造が隠れ、それと同時に、
現代の人々の価値観がひそんでいて、被災地の人々の暮らしに影響しているからだ。
だから、「日本全土の問題として捉えなければ、未来はない」ような気がする。



何度も言うが・・・自然が悪いわけではない。
しかし、自然は、時として驚異的な力を見せつけることがある。
太陽、空気、海、風、雨、雷、山、川、湖・・・あらゆる自然の意図は何もない。
自然は、常に無関心に、人類に襲いかかってくるだけだ。
というよりも、その自然現象が、人間側にとって不都合だっただけのことだと思う。
それが、災害という枠の中に、押し込められてきただけのことだ。
従来の地球の循環システムを考慮に入れず、ただ“人間中心”に物事を判断すれば、
都合の悪い自然現象は「災害」ということになる。
私たちは、だからこそ、自然に対して理解のできない何かを感じることがあるのだし、
太古の昔から「畏怖心」や「畏敬の念」を抱き続けてきたのだと思う。
そんな気持ちや姿勢を忘れた時や、時間の経過とともに傲慢な意識にとらわれた際に、
自然は圧倒的な力を見せつけるもののようだ。

自然に対する認識や、人間社会と自然界の関係については、個々の人々が、改めて
考えを深めて、今後の生活に反映させて、より良き人生観をもつための「起点」と
なってほしいと思っている。
私もまた、今・・・、一つ一つの現象と向き合いながら、自分の中で、認識を深めて
いるところである。
いつか、素敵な精神世界に到達できることを願いながら・・・・。


途絶えることのない「余震」

2011年04月12日 | 出来事 -

相変わらず、続いていく「余震」が、不安をかきたてていく。
特に、我が家は地盤がゆるく、揺れの反響が強いようである。
先月には家財品の陶器類やガラス類の破損など、多くの損害を被った。

また、我が家は、山を削った絶壁にコンクリートでせき止め、土を盛って、
その上に家屋を建設している。
築28~29年と言えば、現在の耐震強化も施されておらず、時期的には
バブル期のため、どうみても「手抜き工事」だと思われる部分もある。
たとえば、天井がふさがっていなかったり・・・などなど。

今回の大震災と、たび重なる余震、そして、隣の谷間のマンション計画で、
この家に対する愛着が、完全に薄れてしまった。
せっかく仲良くなった近隣の皆さんと別れるのは、すごく残念だけれど、
それを秤にかけても尚、「引っ越したい気分が強くなってきた」。


今日も、東京のど真ん中で、昼頃から根を詰めていた会議の最中に、
震度6の大型地震が起こった。
「福島が震源地だ」という声が、近くから聞こえてくる。
目の前に座っていた仕事関係者が、携帯で緊急招集を受け、走り去って・・・
私は会議室に一人取り残された・・・・。
なんとまぁ、切ない時間だったことか・・・。


次の予定に移動中、午後4時ごろ(?)に起こったという地震のため、
またもや、電車のホームで待たされることになり、線路の点検が始まった。
こんなに頻繁に大きな余震がくると、地震のたびに、点検する皆さんも大変だ。

ビルに入ると、ついエレベーターを避けて、階段を探してしまう私。


無駄な電気を使わず、階段で運動するというのは良いことかもしれないが、
精神的に「不安」というのが付いて回り、あまり快適ではない。
最近は、どんどん震源地が関東に近くなり、いつか大きな震災に、
当地もあうのではないかという・・・覚悟のような気持ちもある。
それは、それで、仕方がないとは思うけれど・・・
できることなら、そうならないでほしいものだ。


いろいろな業界で、今回の大震災の余波があるようだ。
もうしばらくは、様子をみて、対応を考えていく必要がある。


「今」を生きる “大切さ”

2011年04月11日 | 言葉 -


   この地上にて “最も小なるもの” は、「貪欲」「快楽欲」「大言壮語」であり、

  “最も大いなるもの” は、「寛容」「柔和」「慈悲心」なり。


                   <by エピクテトス(ギリシャの哲学者)>




グランドゼロ―【9・11】のように、
東日本大震災―【3・11】の起こった日の数字が・・・
私たちの記憶の中に、しっかりと刻まれた。

今日は、黙とうではじまり、黙とうで終わる一日。

ちょうど一か月が過ぎた。
しかし、また大きな余震「震度6」があり、
忘れてはいけないことを知らしめるかのごとく、
自然現象は途絶えることがない。

一日を生きることの有り難さと、残された者の切なさと、
逝ってしまった人を愛しく思う気持ちが、
とても複雑な形状をして、時間とともに変化していくようだ。

物欲にまみれ、あらゆる欲望を追及した過去の日々は、
自然との折衝を避け、ともに「今を生きる大切さ」を教えてくれる。

生きていてこその人生だから、
自分がつくりあげていくべき人生だろうから、
まずは・・・しっかりと「生き抜いていくこと」から始めなくては・・・。


再びの地震 (M 7.4)

2011年04月08日 | 出来事 -

昨夜11時32分頃、宮城県沖にてマグニチュード7.4という規模の地震が
あり、・・・またもや、あたふたとする事態となってしまった。

「余震」だそうだ。 
震度6の「余震」だそうだ。

現在も、報道中継は続いているが・・・二時間たった今も、情報を得るために
テレビをつけている。



昨日は外出後、帰宅前に立ち寄ったコンビニとスーパーに気に入る甘味がなく、
仕方がなく「抹茶モナカのアイス」をほおばり、キャラメル・マキアートを
机の隅に置きながら、自宅の二階でパソコンに向かっていた。
かなり集中して作業していたので、時間の経過を全く感じなかったのだが・・・
気が付いたら、おなかがすいていた。 
夕食を食べていなかったのを、ふっと思い出したのだ。

夕方からずっとぶっ通しで作業していたので、23時半少し前に一階に降りて、
「小腹がすいたぞ」と・・・ 台所で、やかんを火にかけたところだった。
そして、テレビをつけた途端、「関東も注意してください」というテロップ!
「なにこれ~~」
そう思った途端、数分後に、すぐ大きく揺れ始めた。
「まただぁ~~」

一階の台所で、食器棚のガラスが、ガタガタと音をたてている。
「先月と一緒だ」
何度も経験した余震などを思い出して、ただひたすら止まるのを待っていた。
多少は慣れたとはいえ、やはり怖いものである。


各局、地震緊急速報になって、津波避難勧告が伝えられた。
震度6、震度5、震度4、・・・マグニチュード7にも驚かなくなって・・・
そんな自分には、びっくりするぐらいだ。
それだけ、先月からの余震が続いていたということなのだろう。
最近の日本全土の状況を考えると、なんとも言えない気分になってしまった。


原発のことが頭をよぎったが、何もないとのことで、一安心。
避難している方々も、落ち着いている・・・とのことで、一安心。


東北地方のまだらについている電灯の風景を、ぼぉ~っと見ながら・・・
停電していたとしたら、すごく不謹慎だが、こんなことを感じてしまった。
今年の夏は、節電でエアコンがきかず、暑い夏を過ごすことになるだろうから、
どうせなら「汗をかきながら、夜はちゃんと寝て、早朝に起きるような生活を
するように努力しよう」・・・なんて感じたりして・・・
虚脱したような状態で、ただ感情もなく、現実をそのまま観た状態での自分だ。
今この時点で体内時計が狂いまくっている私の身体を、「晴耕雨読」ではないが、
人間らしく、ゆったりとした“健康的なリズムに戻したい”とも考えたりした。
それは、憧れに近い・・・理想的で躍動的な自分をイメージしたのだった。
昨夜も徹夜して、実のところ・・・かなり最終段階の詰めの仕上げ状態のため、
精神的に張りつめているので、なんとなく・・・ゆるい生活に憧れたのだろう。
それに、電気の消えたビル街を見ていたら、「夜は暗いのが普通なのだ」と、
昔は“当然だったこと”を この文明の発達しすぎた都会の中で感じてしまった。
東京の景色は、あまりにも進みすぎた人類の欲望の総括のような・・・
そんなイメージさえもが浮かび上がってきたのだった。
深夜も煌々と明るい「眠らない街」なんて、人間にとっても、地球にとっても、
本当は健康的じゃないだろう・・・と。
植物にいたっては、昼夜がわからなくなって、成長に乱れが生じる。
実は、人間も、同じではないだろうかと(根拠はないが)なんとなく思った。


今日は、寝てしまおうか・・・いやいや、来週の火曜日のプレゼンがあるので、
やはり「今は頑張りどころだ!」という気持ちとの駆け引き状態が続く。

とりあえず、先ほど食したモノが、胃の中で消化するするまでは起きていよう。
東北の人々の生の声を聞きながら、深夜に“食後のひと時”を過ごしている私。


昨夜は食事会に誘われて、目黒で美味なるモノを食べることになっていた。
電車などは問題なかったようだが、おそらく自分は(不安で)混乱しただろう。
キャンセルして良かったのかもしれない・・・と、また偶然の出来事に感謝!
こうして、私にとって都合のよい考え方をして、また自分自身を納得させる。


まだまだ日本列島は、安定していない。
これからも大型の余震がある可能性があるそうだ。
ほぼ一カ月近くになろうとしているのに・・・規模の大きい天災は、気が許せない。
引き続き、気を引き締めて、対応していかなくてはいけないと、つくづく感じた。


ーー ーー ーー ーー ーー ーー

P.S. <22:00記>

やはり、地震直後には分からなかった被害が多数伝えられた。
大揺れによる部屋の乱れにより、怪我をした人。
停電により、人口呼吸器が作動せず、亡くなった人。
再びの大地震に、ショック死をした人。
怪我に至っては、多くの方が、病院で手当をうけている・・・。
東北では、やっとの思いで復旧したライフラインが、また途絶えたようだ。
・・・停電の状況が気になる。
ガス漏れも、あったようだ。


いわき市などは、お医者さんも警察官も・・・原発問題を恐れて、逃げ帰ったために、
人員が不足しているので、大変な状態だと伝え聞いていたところに・・・
このような最大級の余震が起こった。

現地の皆さんの心情を思うと、たまらなくなる。
こうして、シャワーを浴びられたり、ご飯が食べられることに申し訳なく思う私が
いるのだけれど、何をどうしたら良いのか・・・本当にわからない。

自分が罹災した時には(家財が何もなかったので)、まず「お金」が有り難かった。
義援金を一人一人に「お見舞金」として渡してももらえるのがスタートかなと・・・
そんなことを感じる。



日々の動向をチェックすると、気持ちが高ぶってくる。
強く揺さぶられる。

原発問題の風評被害が広がっていることは、何よりも胸が痛い。
目の前の現実に幻滅して、自殺した農家や酪農家も、現地にはいるらしい。

最前線で頑張ってくださっている勇気あるプロフェッショナルな方々に頭が下がる。
現在の被災地は、彼等によって守られているし、支えられている。

そして、どうしても、他人事に思えず、
がれきの中から「声なき声が、聞こえてくるような気がする」・・・。


とにかく、各自が勇気を奮い立たせて、生活を立て直すところから始まるのだと思う。
希望だけは失わないでほしいと、強く感じる。



大災害での「情報共有」

2011年04月05日 | 社会 -

今回の「東日本大震災」では、数多くの人が被災されました。

大規模な天災や、大震災、大災害などにおいては、ほんの“わずかの差”が、
「その人の人生を完全に変えてしまう」ということを、強く感じます。

また、生死を分かつことになる“境界線”というものは、様々な要因がありますが、
私自身は「情報」というものについて、身近に、より深く、考えさせられました。

天災や災害が、どのくらいの規模で、どのような状態なのか・・・ その全体像を
できるだけ早く把握して、その後の対応を決定し、どんな救難活動をしていくのか・・・
これは、重要なキーポイントになると思われます。

今は、通信衛星での防災行政無線が、全国のほとんどの市町村に設置されていて、
情報が伝わるようになっていたはずなのに、大震災の揺れがあまりにも大きく、
激しかったために、肝心の情報システムが作動しなかったのではないかと思われ、
そして、その上に大津波による壊滅状態は停電を引き起こしたでしょうし・・・
おそらく、非常の電源装置も役にはたたなかったでしょう。
世界最大の大震災&大津波のもとでは、人間が自信を持って作り上げたシステムは、
意味をなさなかったのかもしれません。
道が分断されているなど・・・あらゆる状況を掌握して、対策をたてるまでにも、
ある程度の時間を要したのは、このような情報のやり取りが基本となりますが、
なかなか順調にいかなかった部分が、多々あったようです。
そのため、被災者のもとへ物資が届くのにも、何日も時間がかかりました。
道もなく、車もなく、ガソリンもなく、・・・・本当に苦慮する日々でした。
被災だけではなく、原発の問題なども絡み、事態は混迷を極めましたし・・・
あまりにも活動人員が少なく、被災状況が激しかったのも、理由の一つでしょう。
心が痛い毎日でした。

あらゆる重要な情報を伝えることは、非常時にこそ活かされるべきものなのに・・・。
今回は、様々な事情で、非常に残念な結果となってしまった印象があります。
今更、過ぎ去ったことを後悔しても辛いだけですが、いつか検証できる時期が来たら、
この経験を必ず無駄にすることなく活かしてほしいものです。



私としては・・・
地震もさることながら、大津波の到来に関しては、「避難勧告」が出された時に、
各家庭には、どのようにして伝えられていたのか、非常に気になるところです。
結局、またたく間に襲ってきた大津波にのまれ、行方不明になられた多くの人々が
逃げ遅れたことによって、自宅に取り残されたり、津波に連れ去られたりしました。


私も、そうだなぁと思うのは、「自分のところは大丈夫だろう」と、自分勝手に
楽観的に 思い込みがちな時があります。
この各々の「危機意識」が、今回の対応にも影響を与えたのかもしれませんが・・・
基本的に、誰もが想像しなかった未曾有の事態だったのが、どうしようもない現実で、
これに関しては・・・ただ、無念に思う気持ちが後を絶ちません。

日本は、地震の多い国であり、それを皆が知っていながらも・・・今回のように、
その「危機意識」を(咄嗟に)「適切な行動に移すこと」は、難しいのだと感じます。
私自身も、あまりにもびっくりして、腰を抜かしたように虚脱状態が続きましたし、
大きい揺れに耐え続けた“恐怖心”は、思い出すだけで身ぶるいするぐらいです。
自然の災いのもとでは、人間は無力な存在になってしまうこともあります。
しかし、だからこそ、もっと国民全員の危機意識の向上が必要なのかもしれません。
地震大国ーニッポンだからこそ、場所にかかわらず、全員が持つべき“危機管理”。
そして、その意識を共有して、切迫した状態を想像しながら、災害の緊急時に備えて、
対応していくことが、生死を分ける境界線になる可能性があるのではないかと思います。
また、避難行動につながる防災対策として、その具体的な「情報」が、地域の全住民に
厳しい心構えとして 伝わっていないことが、大きな問題ではないかとも感じます。



「情報」は、それを必要とする人に 完全に伝わらなければ、「情報」とはなりません。
現在も、多様な呼びかけが HPを通して 全国各地から被災地の人々に向けられていても、
インターネットなどが使えない避難所では、「情報」として成立していません。
我が故郷:徳島県でも、公団住宅250戸と、30万円の準備金と、雇用提供などを
用意している(交通費込)ようですが、移住した被災者は まだ一家族だそうです。
このような受け入れ体制を呼びかけている県や、市町村はいくつかあるようですし、
被災者支援団体や受入れボランティア団体などの活動も具体的になってきています。
しかし、まだ情報が伝わっていないことが現実としてあるのなら、残念なことです。
仮設住宅に全員が入居できるまでには、一年近い時間が必要かもしれませんので、
しばらくの間だけでも、手足を伸ばして休息できる環境で、ゆっくりとお風呂に入って
いただきたいという思いでいっぱいです。(あくまでも、私個人の想いですが・・・)

とにかく、「情報の共有」は、あらゆる場面で、本当に大切なことだと思います。




しかし、福島原発問題の事情説明会見もそうですが・・・
「情報の共有」は大切なことなのに、それがうまくいっているとは思えない現状があります。
なぜなのでしょう。
世界的に、危機的な状態が続いているのに、次々と問題があからさまになってきます。
風評被害も広がり、被災地域以外にも、影響が出てきているようです。
各団体が、いろいろな場所で、微妙に違う説明会見をすれば、混迷を極めるのは当然のことで、
国民だけではなく、世界の人々にも、さらなる不安を与えかねません。
そういう意味においても、「情報の共有」は、日本国民に向けても、国際社会に向けても、
日本が果たさざるべき義務なのだと思います。

原子力発電の先進国としても、今回の事故対応処理は・・・非常にシリアスな状況です。

一日も早い原発問題の終息と、安心できる環境確保を心から願いながら、これからの対応を
見守っていきたいと思っています。


パンダは「大熊猫」

2011年04月01日 | 出来事 -

今日は、上野動物園のパンダが、初お目見えした日。
ニュースでは、多くの人々が列をつくって、パンダ人気を再認識!
日本人は、本当に、パンダが大好きだ。
私も、また思った・・・「かわいいなぁ」。


パンダは「絶滅危惧種」であり、世界の中でも「珍獣」と言える。
動物の中でも、かわいい容貌で、“癒され系”の特別な生き物だ。


中国に生息するパンダは、おもに四川省に多い。
パンダと言っても、当然「ジャイアントパンダ」のことである。
中国語では、「大熊猫」(クマ科)と書くらしい。
四川省に「臥竜自然保護区」という広いパンダの保護区域があり、
ずいぶんと前になるが、その場所を訪れたことがあるのを思い出す。
成都という街から、舗装のされていないガタガタ道を、車に揺られながら
5時間~6時間走った。両側には、山水画のような岩の切り立った山!
やっと到着したのが、臥竜にある「パンダの保護センター」。
当時は、近くに飛行場が無くて、車を手配して、苦労して出かけたものだ。
(センターは、2003年に一般公開され、今は近くに空港もできている)


子供のパンダは、怖くはないけれど・・・
大人になったパンダは、個体の性格によっては凶暴なものもいて、
保護センターで働く方の手足の傷を見たときには、びっくりしたものだ。
かわいいけれど・・・・「やっぱり、パンダはクマ科なんだぁ」と、
その痛々しく壮絶な爪痕を、まざまざと見つめた。
パンダの爪は、鋭くて、先が尖っているので、かなり危険だ。
それでも、「かわいい」と、センターで働く彼らは言っていた。
「遊んでほしくて じゃれてくるだけ。それがこの傷跡なんです」・・・と。

私は臆病者なので、(傷跡を見た後で)パンダに触るのを躊躇した。
初めての体験に、男性陣も、すんなりとは触れない気分のようだった。

その後、センターで働く方が、連れて行ってくれたのは運動場だった。
屋外の緑の中で、開放的に、両足を投げ出して食事するパンダ。
大人のパンダは、ササを食べているときは無防備になるらしく、
食べることだけで 頭がいっぱいになるらしい。
「他のことには気がいかないから大丈夫、安全です」と言われて、
食事中のパンダの背中を(後ろから そ~っと近づいて)そっと触った・・・。
指の感触は、思ったよりもゴワゴワで、「これがパンダ?」というぐらい
硬くて、しっかりとした毛並みをしていた。
それは、再び「やっぱり、クマ科なんだぁ」と思う要因になった。


しかし、愛らしい黒目をして、動作も もっさりと個性的で、
やっぱり・・・パンダは「かわいい」。

その当時、立ち寄った上海動物園では、生まれたばかりの双子のパンダが
お母さんにじゃれついていて、なんとも言えない「かわいさ」だった。
時間を忘れて見てしまう。 あまりにも、かわいくて・・・。


パンダには、癒される。
あの動きのペースが落ち着かせるのか、愛くるしい動作が良いのか。
いったい何故なのかはわからないが、本当に「かわいく見える」。

上野動物園に来てくれた二匹の かわいいパンダが、日本全土にも
癒しをもたらしてくれるといいのにと、心から思う。
これからの発情期を経て、念願の二世誕生などという知らせがあると、
また盛り上がりそうだ。

何十年ぶりに「上野動物園」というのも、アリかも・・・。
そういう時間も、いいなぁ。
桜を愛でて、池のほとりでまったりとしたりして、なんか陽だまりの中で、
ぼんやりした時間を過ごしてみたくなった。
いつか、行ってみたい。