ひとやま越えた。
プレッシャーを抱えながら、自分の嫌気にも向き合いながら、
ひと仕事を終えた一日だった。
どっぷりと疲れた。
誘われるまま、夜遅くあいているラーメン屋へ二人で出かけた。
そこで、私は、思い切ったことを「やってしまった」。
いつも身近にいた“隣にいて当然だと思う人”に
お別れの言葉を吐き出してしまったのだ。
一昨日に複線はひいていたから、彼は表情を変えずに、一点を見つめていた。
驚くほど冷静に、私の言葉に耳をかたむけていたように思う。
その後は、何気ない雑談をしながら・・・
駅に向かって、とぼとぼと歩き続けた。
いつもは、地下鉄の入り口で別れるのに、
彼は、私のために、ながい、ながい、地下鉄の階段をわざわざ降りて、
改札口まで送ってくれた。
「いいから」と言っても、聞き入れず・・・
特別な会話もないまま、ながい、ながい、階段を一緒に降りて・・・
改札口では、私が見えなくなるまで手を振り続けてくれた。
なんか、複雑~~。
「はやまったことを言ってしまったのか」
それとも
「適切な時期に、適切な言葉を吐きちらかしたのか」
なんだかんだ言っても、
明日も顔を合わす人だから・・・
「どうってことない!」って思うようにしよう。
改札口の近くで手を振る姿が、目に焼きついてしまった。
なんで?
そんな行動をしてくれたのか?よくわからない。
それを思い出すと、じんわりと涙があふれてくる・・・。
冷静に考えると、やはり感動的な一瞬だったのかも・・・しれない。
言葉じゃなく、行動で何かを伝えることも、できるんだよね。
そんなことを感じながら、「あの時」のことを思い出している。
「ごめんなさい」
そういう気持ちも、自然と湧いてきて、ちょお~~複雑。
明日は、笑顔で会いたい。
プレッシャーを抱えながら、自分の嫌気にも向き合いながら、
ひと仕事を終えた一日だった。
どっぷりと疲れた。
誘われるまま、夜遅くあいているラーメン屋へ二人で出かけた。
そこで、私は、思い切ったことを「やってしまった」。
いつも身近にいた“隣にいて当然だと思う人”に
お別れの言葉を吐き出してしまったのだ。
一昨日に複線はひいていたから、彼は表情を変えずに、一点を見つめていた。
驚くほど冷静に、私の言葉に耳をかたむけていたように思う。
その後は、何気ない雑談をしながら・・・
駅に向かって、とぼとぼと歩き続けた。
いつもは、地下鉄の入り口で別れるのに、
彼は、私のために、ながい、ながい、地下鉄の階段をわざわざ降りて、
改札口まで送ってくれた。
「いいから」と言っても、聞き入れず・・・
特別な会話もないまま、ながい、ながい、階段を一緒に降りて・・・
改札口では、私が見えなくなるまで手を振り続けてくれた。
なんか、複雑~~。
「はやまったことを言ってしまったのか」
それとも
「適切な時期に、適切な言葉を吐きちらかしたのか」
なんだかんだ言っても、
明日も顔を合わす人だから・・・
「どうってことない!」って思うようにしよう。
改札口の近くで手を振る姿が、目に焼きついてしまった。
なんで?
そんな行動をしてくれたのか?よくわからない。
それを思い出すと、じんわりと涙があふれてくる・・・。
冷静に考えると、やはり感動的な一瞬だったのかも・・・しれない。
言葉じゃなく、行動で何かを伝えることも、できるんだよね。
そんなことを感じながら、「あの時」のことを思い出している。
「ごめんなさい」
そういう気持ちも、自然と湧いてきて、ちょお~~複雑。
明日は、笑顔で会いたい。
日本中が、鬱蒼としている感じだ。
経済不安だけじゃない・・・何か目に見えない「魔物みたいなモノ」を
感じるときさえある。
私の日常は、こんなにもフツーなのに、
テレビのニュースや、乗る電車の中から聞こえてくる雑談からは、
“すっきりとしない”空気や雰囲気を感じるときがある。
隣の人のイヤホンからもれてくる音楽に、いらいらしてしまう自分もいるし、
終日“落ちつかない感覚”とつきあいなら、仕事をしているときもある。
ちょっと触っただけで肘をぶつけてくる人に出会ったときには、即座に
席をたってしまった。
今の世の中、何があっても不思議ではない。
自分のいらいら・もやもやを、ぶつける何かを探している人も多いし、
自己保持の気持ちが強く働いて、信じられない行動(言動)をとったり、
責任転嫁を簡単にしたり、自己チュー(!)の典型人がいたり・・・
・・・・・いやぁ、とにかく、何が起こっても不思議ではない。
そんな状況がかさなり、
「今、私の目線と心情は、どこに向いているのか」と、
わが身を冷静に見据える癖がつきはじめている自分を、一方では感じる。
過去もかなり振り返るし、未来もかなり悩む・・・。
それを避けることなく、繰り返すことによって、何か少しずつ
変わってくれたら・・・と思うときがある。
あえて触れなかった「過去」というしろものは、対峙しがいのあるものだ。
「人は変われる」と、心底信じている私は、自分にも多少なりとも
期待してしまうんだなぁ、これが!!
ただ、それに要する「時間」というもの。
これが何よりもキーポイントである。
タイミングがずれると、すべてを失ってしまう。
「仕事」や「結婚」だけじゃなく、そういう事態を何度も経験してきたから、
やはり感じてしまうのだろう。
「一つが終われば、一つが始まる」
また、新しい出会いと経験に、自分の生活や夢をからませながら、
生きていこう。
生きていること自体、非常に有難く、稀有なことなのかもしれないのだから―。
「実際、私は生きている!・・・もんネ」。
経済不安だけじゃない・・・何か目に見えない「魔物みたいなモノ」を
感じるときさえある。
私の日常は、こんなにもフツーなのに、
テレビのニュースや、乗る電車の中から聞こえてくる雑談からは、
“すっきりとしない”空気や雰囲気を感じるときがある。
隣の人のイヤホンからもれてくる音楽に、いらいらしてしまう自分もいるし、
終日“落ちつかない感覚”とつきあいなら、仕事をしているときもある。
ちょっと触っただけで肘をぶつけてくる人に出会ったときには、即座に
席をたってしまった。
今の世の中、何があっても不思議ではない。
自分のいらいら・もやもやを、ぶつける何かを探している人も多いし、
自己保持の気持ちが強く働いて、信じられない行動(言動)をとったり、
責任転嫁を簡単にしたり、自己チュー(!)の典型人がいたり・・・
・・・・・いやぁ、とにかく、何が起こっても不思議ではない。
そんな状況がかさなり、
「今、私の目線と心情は、どこに向いているのか」と、
わが身を冷静に見据える癖がつきはじめている自分を、一方では感じる。
過去もかなり振り返るし、未来もかなり悩む・・・。
それを避けることなく、繰り返すことによって、何か少しずつ
変わってくれたら・・・と思うときがある。
あえて触れなかった「過去」というしろものは、対峙しがいのあるものだ。
「人は変われる」と、心底信じている私は、自分にも多少なりとも
期待してしまうんだなぁ、これが!!
ただ、それに要する「時間」というもの。
これが何よりもキーポイントである。
タイミングがずれると、すべてを失ってしまう。
「仕事」や「結婚」だけじゃなく、そういう事態を何度も経験してきたから、
やはり感じてしまうのだろう。
「一つが終われば、一つが始まる」
また、新しい出会いと経験に、自分の生活や夢をからませながら、
生きていこう。
生きていること自体、非常に有難く、稀有なことなのかもしれないのだから―。
「実際、私は生きている!・・・もんネ」。