東京都心は 「猛暑日」

2011年06月29日 | 出来事 -

暑い日々が続く。
今年は、特に暑いように感じるのは私だけだろうか。

梅雨は、このままの状態で終わってしまうのかと思うぐらい・・・
くらくらとする暑さが続いている。

今日の東京は、日中、35℃。

各地で「熱中症」の知らせが届き、我が故郷からも同じように
猛暑の知らせが届いた。
昨年は、いとこが「熱中症」で水分不足になり、五日間入院して、
とても大変だったとのことだったが・・・
今年は、早くも親戚の82歳のおじいちゃんが点滴を受けて、
がりがりにやせてしまったという。
高齢者は「暑さを感じない」とも、「エアコンを嫌う」とも言われ、
扇風機だけで生活する人も多い。

今日もまた、信じられない温度の観測がされたようだが・・・
私も今年初めて耐えられず「エアコン」をスイッチオンした。

電車では、汗をかいて、すごく辛そうな人もいるし・・・
真夏の匂いを、ぷぅ~んと漂わせている人もたくさんいる。

今年、東電の関係で、節電が叫ばれているので、
このような猛暑が続くのが予想される中、どのような生活に
なってしまうのだろう・・・と感じる。
また、東京では「計画停電」が行われるのだろうか。

被災地では、少しは涼む場所があるのだろうか。

すでに一カ月や二カ月先のことが気になってしまう日々だ。



  七月一日から小麦が値上げするらしく・・・
  今日はパンを買い込んだ。
  冷凍をして、しばらくトーストが食べられるぐらい・・・(笑)。
  スーパーでも、食パンの「今日だけお買い得セール」をしていた。



紫陽花の美しい季節

2011年06月23日 | 出来事 -


紫陽花が美しい季節には、私の精神状態もよいようだ。

6月生まれだから、紫陽花が好き・・・というのは短絡的だが、
あながち間違ってもいない。
雨に打たれ、耐えしのんでいるような花、それでいて強靭な花。
それが紫陽花だ。
生命力もあり、しとやかな存在感もある。


憧れている気持ちと、大輪の豪華さが目を引き付けるのだと思う。


今日は、その大好きな紫陽花が咲き、私の好きな白いカサブランカも
飾ってあった「特別な場所」を訪れた。

とても、とても、感動した。
そして、心が騒いだし、私自身が和んだ。
感情が放し飼い状態になってしまって、理性という文字を忘れた・・・。


人との出会いに感謝し、自分の生き方や考え方にも影響を与える人と
めぐり合って、本当に「貴重な時間」を 過ごさせていただいた。

きっと忘れないだろう。
そして、また、近い将来、必ず訪れることになる場所になるだろう。
これだけは、確信している。



心から言いたい。 
全てのものに、そして、今日出会った全員の人に。
「ありがとう・・・・」 と。


「朝陽」の持つパワー

2011年06月22日 | 雑感 -

日常とは違うサイクルで、スケジュールが動いていると・・・
自分のペースが乱されてしまい、なかなか安穏とした気分になれない。
ただ単に、今の私には、抱えているモノが多すぎるだけだとも思う。
優先順位を決めて、切り捨てたとしても、「やるべきこと」が
たくさんありすぎるとき、思っていたことと違うことをやってしまう。
身体も疲れていることを歴然と感じる。
昨夜も、気がついたら、早くからベッドの中で眠りにおちてしまい・・・
時間の感覚がないまま、意識は頓挫してしまっていた。

しかし、このことも「今朝の朝陽を観るためだったのか」と思うぐらいの、
美しい輝きの“日の出との出会い”が待っていた。
遮光カーテンの隙間から、こぼれおちたオレンジ色の光が、
あまりにも強烈で・・・・
強く、美しい閃光を放つ太陽は、本当に・・・ものすごいパワーを
秘めているものだと、しみじみと思った。


「朝陽は、心にも身体にもよい」とは、よく聞く言葉だが・・・
私の生理的な部分が体感することで、全く同じように共感する。
特に、「朝は感情的な部分が優位にたつ」ようで、
論理的思考よりも(顕著に)「感情が先に立つ」のを感じる。

先日も、ある知人から、朝陽を見て、意味もわからず涙があふれ、
その気持ちが止まらなかった・・・という話を聞いた。
わずか二十歳すぎにして、かなり感受性の強い人だと思ったが、
潜在的な部分に訴えかける強さがあったのだろうと思う。


今日のような強烈で、鮮やかな光を放つ「太陽」というものは、
この地球には“無くてはならない存在”だ。
部屋の中にまで差し込んでくる強い「光」は、自然と目を閉じさせ、
心をからっぽにさせて、ただ“浴びる”だけの体勢にしてしまう・・・。
目をつぶっていても、「そこにある」という感覚が離れず、
自然と気持ちは落ち着いてくる。
朝陽の熱が、ゆっくりと身体全体に広がり、そのぬくもりにも癒される。

ただ、数十分、ぼぉ~っとしていると、朝陽はびっくりするぐらいの
速さで位置を変え、いつの間にやら光の強さも増している。
その感覚と現実が、たまらなく心地よい。

たとえ、ひと時の休息でも、そういう時間が持てることは、
ある意味でシアワセなことだと思う。



新宿・韓国街の変貌

2011年06月18日 | 食事 -

本日は、韓国三昧なり。

午前中に仕事の荷物を受け取り、あらかたメールを入れたら、
あとは「新宿」で「韓国三昧」だった。
久しぶりの友人・知人と会い、懐かしく、皆で韓流の世界におぼれた。
まずは、韓国映画。 
コン・ユとイム・スジョンの映画。
撮影場所がインドだったということもあり、興味深く鑑賞できた。
MIZUEちゃん、誘ってくれて、ありがとう。


その後、韓国風カフェで、ブレイク・タイム。
私は、六種類の漢方が入っているという伝統茶を、オーダーした。
身体を温めて、風邪をひかないらしい。
今日は、そぼふる雨だったので、それを選んだ。
そして、韓国風かき氷「パッピンス」も初体験。
私は抹茶タイプを選んだのだが、抹茶にチョレート、フルーツに小豆、
そして、きなこやコーンフレークほか、たくさんのものが入っていた。
小さなお餅系のものや、名前が分からないものもたくさん・・・。
でも、混ぜて食べてみると、これがなんというか不思議なハーモニー。
とてもおいしかった。


そのあとは、韓国街で、韓国料理。
チャプチェ、チジミ、麺類など、何種類も・・・
おなかがはりさけそうなぐらい、たくさんの種類を食べてしまって、
何を食べたのか覚えていないぐらいだ。
まぁ、人数も多かったので、シェア―して食べることができたので、
種類も多くトライすることができて、何よりだった。

次は、おいしいチゲ鍋やサムギョプサルが食べたいなぁ。



一番、驚いたのは・・・ 韓国街の変貌だ。
20年近く前に、美容のために「韓国サウナ」に通っていた頃とは
まるで違うたたずまいと、お店の雰囲気に、本当に驚いた。
裏道は、何よりも興味深く、若い人たちが、楽しそうに
時間を刻んでいた。
最後に来たのは、4年前ぐらいだっただろうか。
しかし、その時と比べても、かなり変わっていた。


韓流グッズ専門店は、びっくりするような変化で、その時代(時期)の
流行りものが分かるぐらい、明確なディスプレイだった。
今は、K-POP が主流で、数年前のラインナップとは異にする店頭だった。

久しぶりに出かけてみると、本当に驚くことばかりだ。


しかし、懐かしいメンバーと楽しい時間を過ごせたのは本当に良かった。

会える時に、会いたい人に会えるように、自分から働きかけないと
ご無沙汰ばかりになってしまうけれど・・・
イザ、会ってみると、「時間」なんていうものは、あっという間に
戻っていくものである。

楽しい一日だった。




お母さんのような存在

2011年06月17日 | 自分 -

田舎に住んでいる叔父の妻である「叔母」が、母が亡くなってから、
とてもよくしてくれる。
私に対して 「お母さんだと思って」というのを、口癖のように、
電話で話している人だ。


今回も、リサイクルのために頼んだ レースのカーテンを、
私の指定どおりに、綺麗に作り直してくれた。
一軒家から集合住宅へのお引っ越しのため、カーテンなどは
本当にたくさん余ったので、ほこりよけのカバーに使ったり、
ベランダの目隠しに使ったり、いろいろと知恵をしぼって
利用しているが・・・さすがに、つぎはぎのテーブルクロスや、
納戸の入り口の変形サイズのカーテンなどは、私の手に負えない。
それで、仕方なく叔母に頼んだのだが・・・届いたものは、
洋裁で身をたててきた叔母らしい「簡単だったわぁ~」という
感想のごとく、素晴らしいものだった。
それに・・・なんと、たった一日で、全部を仕上げてくれた。

そのうえ、送った余り布で、素敵な手提げ袋をつくってくれ、
叔母がつくってあった夏物パジャマなども同封されていて、
とてもうれしかった。
最近の「吊りものスーツ」のように、パンツは短パンと長パンと
二枚がついており、感動的な部屋着のようなパジャマだ。


着ないで無駄になっている着物の布(絹)なども、いつかまた
オリジナル洋風ジャケットになるように、お願いしてみようかと
思ったりしている。
さすが、叔母の洋裁仕事はホンモノだ。



何でも「捨てる」ことはできるが、「再利用する」ことの方が、
手間がかかり、時間がかかり、お金もかかるのかもしれない。


今回、「糸代」として、同封した「手数料としての現金」が、
叔母にとっては切なかったようで、手紙で切々とそのあたりが
書かれていた。
「それを見た時にびっくりして、落胆しました。
 とても悲しかったです。
 私には、あなたのような娘をもてるはずもないのですが、
 自分は娘のように思っているので、・・・・」

お金をおくるのは、失礼だったようだ。
帰省した時に、お土産を買っていくとか、いつものようにして
お礼をした方がよかったみたいで、その後電話して、説明して
機嫌を直してもらったが・・・他人の心を推し量るのは難しい。

私の想いよりも、叔母の想いの方が、強いのが分かり・・・
とても嬉しいやら、気が重いやらで・・・
有り難い「贅沢な悩みのようなもの」が出てきてしまった。


叔母は、娘がいないことで、急に気持ちが全面に出てきて、
私との関係は短時間で濃密になったのだろう・・・と思う。
一時期は、定期的に長文の手紙をもらっていた時期もあった。

もう一つの理由としては・・・
母を亡くした後の父が、兄弟の中でも特に仲がよかったのが、
市内に住む叔父で、弟ながら「しっかりとした人」なだけに、
父は叔父に頻繁に会っていたようだ。
家庭菜園でつくった野菜を持参して、市内まで時間をかけて
出かけて行っていたのだろう。

私と同居してからも、帰省のたびに訪問して、会っていた。
そんな関係が数年続いたので、父が亡くなってからも・・・
単なる「親戚」以上の関係になったのだと思う。
我が家族が不在となった実家の世話(手入れ)もしてくれたし、
その関係はより密度を増していった。

大阪にいる息子さんの自宅に遊びにいったときも、叔父は、
「○○(私)に会いに行く方が気が楽だ」と感想をもらし・・・
お嫁さんとの関係に言及したようだ。

そういう叔父が、父が経てきた道を、たどりはじめた。
現在は、耳が聞こえづらくなり、杖がないと歩けないと
愚痴をもらすようになった・・・。
急に訪れた「老い」に対峙して、世話をする叔母は心配で、
いろいろなことが自分の中に起こっているのだろうと、勝手に
想像しているけれど、あながち間違ってはいないと思う。
息子は離れて生活しているので、日々の暮らしは他人のような
関係になってしまい、今や「血がつながっている関係」だけに
なってしまったようだ。
孫が小さければ遊びにも来るけれど、それもすでに遠のいて、
今は何年も会っていないような関係らしい。


遠く離れてしまっても、濃密な関係は築けるものだが・・・
「遠い」のを理由に掲げ、ご無沙汰してしまう家族関係が、
昨今はあまりにも多いように思う。
もちろん、電話代がかかるし、頻繁に連絡してあげることが
必要になるので、それなりに気は遣わないといけない。
しかし、そう思って、(必要を感じて)それを続けていくうちに、
その行為はごく自然な流れとなっていく。
そして、ついに、自然発生的に、心を投げられるようになる。
決して義務的ではない、心の奥からの気遣いに変化しているのだ。

人間同士の「信頼関係」というものは・・・・
「距離や時間を飛び越えて成立するものだ」と感じているために、
お互いの「心」や「気持ち」のやり取りを丁寧に続けるだけで、
濃密な関係が手にできるのだと、切に思う。

そして、私のように、たとえ相手と血がつながっていなくても、
成立することだと感じている。


「指示待ち仕事人」の多さ

2011年06月12日 | 仕事 -

おやおや~な事実が、発覚した!
お引越しの際に設置してもらったワードローブが壁にぴったりと
置かれているので、ドアを開けると・・・ 柱にぶつかってしまう。
隙間が全くないために、ワードローブの扉に傷がついてしまうのだ。
「げげっ、何、これ~~!」
この位置を指示したのは、私自身だ。

「どこに置きますか?」
「壁に近い位置にお願いします」
「ここでいいですか?」
逐一、細かく、聞いて頂けたので、有難いものの・・・
扉が(問題なく)開けられるかどうかの実験的な開け閉めについては、
私も 引越し専門業者さんも 誰もが、全くしていなかった。

本当は・・・ 昔だったら ・・・、
仕事上の経験から「ここらあたりで」という助言があったり、
すでに配置図を渡してあるので、どんどん自主的に作業してくれた後に、
最終的にバランスを確認して(家具の扉を開けたり、全体的に見ながら)
手直しをしてくれたり・・・と、引っ越し運搬の作業一つをとっても、
「使う側の立場に立った作業をしてくれていた」ように感じるが、
今回は、仕事の「やり方」が、昔と多少変わってきたと思った。
事務的で、使用者の確認がとれれば、それ以上のことはしない・・・
という、明確なマニュアルのような「やり方」だ。
もちろん、間違ってはいないし、当然のことであるが、
昔と違って、想像力とお客さんに対する思いやりが乏しいとも思った。
率直に言うと、“お願いしたこと以上は、何もしてくれない”ということだ。
これは、ひとえに、現場の「人の感性の違い」だ。



私の仕事上でも、とにかく「指示待ちの若手が多い」のが現実(現状)だ。
そして、指示した仕事以外のことはしないで、また次の指示を待っている。
たまに「少しは、先のことを自分で考えてみたら?」という助言をすると、
一瞬、複雑そうな表情をして、それなりに頑張ってはくれるが・・・
いつもしっくりとこないことが、最終的に待ち受けていることが多い。

  ※私は正社員ではないので、少し引いた立場でいるために、
   あまり突っ込んだ指導もできないように感じるし・・・
   会社の中では微妙な立場だ。
  (もし、正社員だったら、違う関わり合い方をしているだろう)

若さゆえの結果なのだと、私自身は受けとめているが、いつまで続くのかと、
密かに(まじまじと)横顔を眺めてみることもある。
激昂したり、マジに怒ったりはしないが・・・、呆れることは、時々ある。
失笑で済むうちは、何ら問題はないと思っているけれど、
果たして会社全体のことを考えると、どうなのだろうか・・・と思う。



私は、時として感じることがある。
これらは、「考える力の乏しさ」と「想像力の欠如」ではないか・・・と。
相手を思いやれ~とは言わなくても、「その先を想定して動くこと」は、
仕事をする上で必要な “思考の手順” だと思うのだが・・・。
簡単そうな自発的行動が、なかなか稼働しないようだ。

若者たちは、そういう思考で、今まで生きてきていないように感じるし、
とにかく、表情の変化も少なく、彼らは「感動」というものが少ない。
なぜなのだろうと、しみじみ(おばさん化した私は)感じる。

また、「気力」や「精気」のような根源的な人間にとって大切なものも、
徐々に失くしているのではないだろうか・・・と、感じることもある。
もちろん、人によってではあるけれど(笑)。
元気で、前向きで、有望な若者も、ちゃんといるが、正直なところ・・・
その格差が大きいという印象は、否めない。




最近は、仕事の質も内容も(立場も)、平均して3年周期で変わるから、
どうしても「プロがいない」のだ。

若い人が、育たないし・・・ それ以上の高みにあがろうという意欲が
見えてこない人もいる。

残念というよりも、生気を失くしていくようで、将来が心配になってくる。




我が家のワードローブを動かすのは、私にとってたいした問題ではないが、
日本の社会の規範や仕組みを変えるのは難しい。
だからこそ、その底辺にいて支えるべき若き人材が、より良き方へ向かって
育ってくれることを願ってやまない。



東日本大震災から三か月

2011年06月11日 | 社会 -

「3・11」の日付は、強く日本国民に刻印された。
まだまだ災害の爪痕が厳しく、人々の生活に影響を与えている。
今日で、ちょうど三か月だ・・・。


神戸の震災の時は、一ヶ月後の行方不明者は、たったの2名だった。
しかし、今回の東北は、まだ7千人とも8千人とも言われる・・・
ものすごい人数(数字)で、「津波」という天災の怖さを思い知らされる。



全国から集まった2500億円ともいわれる義援金は、被災者には
ほとんど届いておらず、わずか15%ぐらいしか配られていないと言う。

東北の復興作業をやり遂げるためには・・・現状として・・・
国の法律が壁をつくり、作業を止め、被災者の苦痛を高めているのに、
中央に鎮座ましましている政治家の動きは、政権争いが主で・・・
特別法案を採決する動きさえも聞こえてこない。
いつまで、このようなダラダラしたことを続けるつもりなのだろうか。
せめて、前進していかない理由を (国民に対して) 明確な背景を
説明する必要があるのではないだろうか。



現地で、義援金が手元に届いたり、仮設住宅の建設がすみやかに
はかどっているのは、民間の業者やボランティア団体などが入ったから
・・・などという「切ない話」を聞くことがある。
「国のやるべきことは、何なのか」・・・全く理解していない政治家の
日々の利権争いの報道を見るのは、本当にやるせない。
がれき撤去のボランティアに行って、汗を流してくれば・・・
代議士先生の切実感が(少しは)増すかもしれないと思ったりもする。
ボーイスカウトのように、韓国の徴兵制のように、たとえ数日間でも、
国会議員(全員)に「ガレキ撤去作業」を課してはいかがだろうか・・・。

国民の税金でご飯を食べ、国民の税金での議員宿舎に暮らす彼らが、
国民が求めていることを無視していいわけがないはずである。
彼らは、もう少し自分たちの立場と責務を、民意を受けて、全うしてほしい。
それができないのならば、(ボランティアで)実際に、自分の身体を使って、
ガレキ撤去等でこの国に貢献するべきだ。


私が、火災で罹災者となり、身一つで焼け出された時・・・
本当にお金もなく、家財道具もなく、着替える服も、寝泊まりする家も
失ったとき・・・ どれだけ心許なかったか ・・・ 今になって、改めて
思いだすと、辛い気持ちに包まれる。
若かったから、「日々、働くこと」で、どうにか気持ちを持ちこたえられ、
どうにか自分を維持できていたが、「孤立感」と「みじめな気持ち」は、
変わらず拭えなかったのを覚えている。
周囲は普通なのに・・・、自分だけが「何もない」状況だったから・・・。
物乞いをするわけにもいかず、やはり知人のご厚情に助けられ、
衣類一枚が援助となり、私には「愛ある支援(応援)」に感じられた。
「モノよりも、必要なものを買って」と言われ、手渡された「のし袋」。
お見舞と書かれた袋には、現金が入っていて、どんなに有り難かったか・・・。



義援金は、被災者の皆さんのために募られた「現金」である。
手にするだけで、気持ちが安心することもあり、かつて経験者した私は、
現在の状況に「はがゆい想い」が、ぬぐえない。

単なる「お金」ではなく、「命をつなぐお金」だから・・・。

全国からの「善意のお金」だから・・・。

とにかく、硬い床で、折り重なるように寝ている人々に、せめて
小額ずつでもよいから、徐々に配分してほしいと感じている。


役場も被災しているのは充分理解しているが・・・
不満がないように、均等に配分しなければいけないのも理解しているが・・・
あまりにも、いろいろなことが進展しない現実に、とても心配になり、
被災者の皆さんの体調が気にかかる。
今は元気でも、疲れは蓄積していくから、できるだけ早く対応をして、
人々の生活を立て直すように、国も市町村も民間も、皆が力を合わせて
応援していきたい・・・と、強く思う。

一人一人の命の重さを感じながら、精一杯守った「心の灯」なのだから、
これからの人生を(少しでも)意義あるように暮らしていただきたい。



日々の「3・11」の映像と、現状の光景は、胸に迫りくるものがあり、
私にはとても辛い現実である。
東北の皆さんが、気丈で、骨太の民族性を持ちえているのが何よりも
勇気をもらえることだが・・・
私たちは、その強い気持ちに甘んじることなく、決して忘れることなく、
ずっとサポートしていく姿勢を貫く必要がある。


「あきらめないで、心をひとつに、ニッポン!」 

「応援しているよ、東北!」


第三者からの 「自分像」

2011年06月09日 | 仕事 -

初対面の人と会うことは、私自身とても楽しみなことである。
それまでメールや、電話で、何度となく会話をしたうえで、
イザ!「お目にかかる」わけで・・・ これは・・・
自分の感じてきた想像とどう違うのか、実際はどんな人なのか、
たいへん楽しみな出来事である。

仕事上で知り合って、やり取りをしていく中で、相手に対する
イメージが勝手に独り歩きした状態で会うため、ある意味では
自分の“想像力の的確さを占うゲーム”のような感覚だ。
だから、楽しいのだろうーと想像する。
描いていた声のイメージと違う・・・外見の人だったりすると、
裏切られたぁ~と感じながら、同時に、面白い経験だったと思う。



今日は、そういう「初めて体験」と「はじめての対面」が、
二度(二人)もあったので、刺激的な一日だったと言えなくもない。

うちあわせは、平均して二時間程度。
バリバリと仕事をしていそうなタイプの女性ばかりで、
世間には意欲的なキャリアウーマンが、ごろごろいるという印象だ。

一人の人は、物腰もやわらかかったし、それなりに美しい人だった。
年の頃は、私よりも5,6歳~7,8歳ぐらい下だと思った。

その人から、
「今日は、○○さんがとても面白い人だと分かりました」
「引き出しが多い人なんですね」 
「楽しかったです」
・・・と、有り難いお言葉(感想)をもらった。


初対面の人から、そういう直情的な感想をいただくなんて、
私も「年をとった証拠かもしれない」。
別れる際には、フツーお辞儀をして挨拶するのが常だが、
何故か(彼女に)右手を抱えられた。
不可思議な行動・・・。
気に入っていただけるのは嬉しいけれど、単なるお付き合い上手かも・・・
と、感じることもあり・・・複雑な思いはぬぐえなくとも、
それでも、「引き出しが多い」と言われたことは嬉しかった。
何げなくポロリとつぶやいた言葉だっただけに、私としては
唐突でありながらも、嘘ではないような印象がしたからだ。


第一印象と共に、会って受け取られる印象は、その人を映し出す。
無理をしなければ、それなりの姿が相手に伝わることになるので、
やはり第三者の「自分像」は興味深い。
有り難く受け入れて、今後の糧にしたいと思う。



「冷麺」は夏が最高!

2011年06月09日 | 食事 -


「冷麺」は、昔から大好きだ。

だから、よく食べに行く・・・。

赤坂に行くと、必ず食べたくなる「冷麺」がある。
麺は、(通常の蕎麦粉ではなく) この店のは、
さつまいもの粉を本場の咸興から仕入れて、
手打ちしているらしい。

細くて、コシがあって、つるつると胃袋に入っていく。
汁は辛くなくて、さっぱりとして・・・
時々、恋しくなる「のどごし」。

白く透明ではない麺だが・・・
その顔つきは着飾っていないし、さりげなくて、
とてもよい。


韓国通専門家から紹介された店は、どこも裏切らない。
そういうレベルの質を維持している。
チェーン化されたり、爆発的な人気にならない限り、
その美味しさは変わらない。



「魂」 と 「肉体」

2011年06月08日 | 自分 -

最近、電車の中で、ぼんやり考えていたことがあった。

「魂」と「肉体」の関係についてである。

発端は、俳優の細川俊之さんが、生前「献体」を申し出ていたことに尽きる。
有名人や著名人の方で、「献体」をされたのは数少なく、私には衝撃的だった。
献体とは、「医学の発展のために、自分を役立ててほしい」という思いから、
自身の死後の肉体(遺体)を医学部や歯学部の解剖学教室に提供することである。
その肉体(遺骸)は、力のある解剖医学者が解剖したり、医者を目指す医学生の
遺体解剖実習に利用されたりする。
細川俊之さんの遺体は、一年後に荼毘にふされて、家族のもとに帰ってくるという。



その報道を聴いた時から、とても崇高な精神性と共に、勇気ある本人の決定に
頭が下がる想いだった。
咄嗟に感じたことは、「私にはできない」という、非常に短絡的な感想だった。
それが何故なのか・・・ その時は(自分の気持ちなのに) 全くわからなかった。

献体をするということは、ご家族の気持ちも尊重しなければならない。
生前に自分の意思を家族に伝え、理解を得られないと 実現できることではない。


亡くなった後の「肉体」に、遺族はこだわりを持ち、固執することが多い。
それは、たとえ「魂」が抜けても、「肉体」にも愛情があるからだと思う。
その身近だった人の形状を成した「肉体」は、あたかも生きているかのように、
まるで眠っているかのように横たわっているがために、「死」というものを、
受け入れられないケースもある。
場合によっては、死後の「肉体」に意図を感じたり、埋葬にもこだわる人がいる。


細川さんは、家族に「自分は献体する」と伝え、何度も繰り返していたようだ。
また、知人にも、死後の自分の肉体の行先を、雑談の中にも話していたという。
もちろん、実際にも、ご本人自ら、生前に医学部に「献体」を申し出ていた。
生涯、病気と闘い、晩年の亡くなる直前まで、様々な病気とは寄り添いながら、 
生きていた人だったし・・・・
その後、大阪芸術大学の舞台演出に関して講義をしていたので、そういうことも
影響したのかもしれない。
次世代の人々に、自分の足跡と想いなどを託す・・・かのような行為――。
おそらく、何らかの強い意志がなければ、「献体」などはできないだろう。



母の看病をしていた長期間中、大学病院の病室から見えたのは、献体した人々を
保管しておく建物だった。
特別な雰囲気を感じ取って、思わず「あれは何ですか?」と尋ねたのを覚えている。
その時に聴いた説明が、自分には衝撃的で、「肉体」を「貴重な財産」として、
あるいは、「実験材料」として、丁寧に扱いつつも・・・ 決して、人間としては
扱われない行程に、“切ない気持ち” を 感じてしまったのだった。
あの時の私は、とても愛していた母を看病中で、おそらく遺族の気持ちが先行し、
社会に貢献する意図など、微塵もなく・・・(無意識の内に) ・・・
献体された遺骸を、「母の存在」におきかえて想像したのかもしれない。



最近は、健康保険証にも、臓器移植提供についての意思確認の項目が増え、
私はすぐに記入することができなかった。
おバカなことだが・・・、勝手に妄想したり、いろいろなことを考えてしまって、
私としては記入するのに とても時間を要したのだった。
普通に考えれば、「Yes」か「No」で終わる質問だ。
友人たちも、何の迷いもなく、さっさと記入したと聞く。
しかし、私は、理由もわからず、ただ何となく・・・その先の行程を想像して、
自分の遺骸がどのような道をたどるのだろうか・・・果たして、どれぐらいの役に
たつのだろうか・・・・などと、いろいろと 熟考(妄想)してしまった。


そんな「魂」と「肉体」とが共に存在している「この身」について・・・
想いをめぐらしていた時だったが・・・・ 電車の中で、
突然、マイケル・ジャクソンの明るい音楽が、かすかに漏れてきた。
後ろに立っている男性からだ。
マイケルだって、彼の遺体は腐敗されない処置がほどこされ、安置されているが、
内臓や脳はすべて取り出され、検視官の手元に保管されている。
約150人が殺せる致死量のプロポフォール(麻酔薬剤)を注入された遺体だから、
検視作業は当然といえば当然だが・・・そういう事実を聞いたときは、とても
複雑な感情がぬぐえなかったものである。
屍(しかばね)と言ってしまえばそれまでだが、普通の「屍」ではない。
現在も、死因についての裁判が行われているし、彼自身の足跡もまた凄いものである。
こういう事実もまた、思考のアプローチの方向によって、印象が変わってくるものだ。
単なる「遺骸」という観点と、マイケルの「かつて肉体だったもの」という観点とは、
全く違う感情が湧いてきて、なんとなく複雑な想いでいっぱいになってしまう・・・。


世界の有名・著名な有識者の脳や臓器は、保管されていたりすることが多い。

同じように、オペラ歌手だった田谷力三さんも献体されたようだが、その声帯は、
まるで老いを感じさせない若々しく素晴らしいものだったという。




今年からはじまった私の問い・・・(堂々巡りの自分への問いかけ)・・・
「死」を迎えた人間の「肉体」は、「魂」が抜けた後に、どのような存在として
あるのだろうか・・・という問いには、まだ答えが見つかっていない。
考えなくてもよい問いだったりするし、自分にとっても早急に必要な問題でもない。
しかし、人類の仕組みや、この世の中のサイクルを相対的にとらえた際には、
私は どうしても考えたくなってしまうようだ。
過日、ホ―キンス教授が、「天国というものは存在しない」と断言したことにより、
また私の感慨は深くなってしまった。
残された人々の慰めであり、死者を弔う大事な世界である「天国らしき概念」が、
科学的見地から「存在しない」ということは、「魂」の行先も無くなってしまい(?)、
「人間は死んだ後に、どのような道程をたどるのだろうか」などと考えてしまう。


私は、心のどこかで、この世俗からいなくなった人と、また会いたい気持ちがあり、
どこかで「いつかまた会えるのではないか」という“淡い期待感”があるのだと思う。
そう感じられることで、今の気持ちは軽くなり、また次の世界での楽しみが増える。
私自身が楽になり、俗世で生き続けることに対する意識が高まることもあって・・・
そのために、この世の先の「魂がたどりつく場所」を求めているのかもしれない。
自分のためと言ってしまえば、それまでだが・・・ そうかもしれないとも思う。


とにかく、「分からないことを(分からないなりに)考えるのは無駄ではない」 と
常に感じているので、いつも電車の中で・・・ こんなことを考えているのだ。
  (思考の掘り下げのための・・・一人遊びの一種というわけでもないが、
   こういう傾向はあるようだ)

電車内には見知らぬ人々が沢山いるからこそ、その光景は客観的な思惑にも導かれ、
きっと多様な考えがあるのだろうなぁ・・・と、いつも結論のように感じたりする。

私自身の心は定まらなくとも、想いをめぐらしていることは、嫌な時間ではないし、
自分の「死生観」をまとめ上げる行程の一つとしては、大事な作業だと思っている。




「粗大ごみ」にて一件落着!

2011年06月06日 | 出来事 -

昨日は、旧宅に出かけて、納屋の整理をしてきた。
納屋の中に入れ込んでいた「新宅に持って帰るもの」と、
いくつかの「粗大ごみ」を整理して、収集所まで運ぶこと―。
それが昨日の仕事だった。

ちょうと、今朝の今頃だろうか、粗大ごみの収集車が、
旧宅辺りに、まわってきてくれているだろう。


本当は、捨てても大丈夫なものが多かったのだが・・・
最近の私は、モノもお金も無駄にしないような考えのもと、
使える物資は最後まで使おうと思っている。
20年近く一緒にいた「(手造り)ブタのぬいぐるみ」はお隣の子供へ、
そのブタを入れていた藤の籠は、また別のお宅へもらわれていった。

 

旧宅の庭の草取りをしていた「カマ」数種も別のご近所さんへ、
また、園芸の陶器の「鉢」、壁にもたせられる「整理棚」、
園芸の「肥料」や「土」、園芸用の「添え棒」、「ホース」などなど・・・。

たくさんのものが、旧宅前の「私道」がバザーショップとなり、
「それ、もらうわ」
と、近所の皆さんがうまく折り合いながら、分け合って下さった。
もちろん作業もお手伝いいただき、あっという間に完了!

我が家の「リサイクルショップ」は大反響だった。


そして、その後は、最近越してきたSさん宅に集まって、
コーヒーやお茶を何杯も飲みながら、いつもの「ダべリング」。
私の新居生活にも興味があるようで、質問が飛んでくる。

ゴマプリンと、蒸しケーキをつくってくださったSさんは、
お料理上手で、本当に性格も穏やかで 素敵なお母さんタイプ。
数時間滞在して、旧宅近隣の皆さんとの交流を 楽しんだ。

その後、いつも出かけていたショップに行って、唯一
「なべ敷き」を買って・・・・
いつも出かけていた辺りをふらふらと歩きまわって、
数年間の出来事を確認するように 目に焼き付けてきた。


昨日の一日は、旧宅最後の一日だから・・・
とても“記念すべき日だったのだ” と 思う。
大家さんトラブルをはじめ、たくさんの出来事や問題があったが、
父との楽しい思い出もつまった「家」だった・・・。

今後も呼ばれて行ったり、遊びに行ったりはするだろうが、
昨日の一日のような気持ちは、もう感じないだろう。

これで、一区切りがついたという感慨でいっぱいだったから・・・。


「心育て」 と 「自分育て」

2011年06月04日 | 自分 -


人間という生き物は、元来「マイナス思考の人が多い」と
言われています。

心も身体も疲れ果てている「今の私」は、・・・ 特に配慮して、
客観的に自分視を試みながら、様々なことに対峙していかなくてはと
そう感じています。


リカバリーするためには、自分の「心育て」が必要です。
そういう際には、時として「自分で、自分を褒めてあげる作業」を、
努めてするようにしています。
他人ではなく、自分が自分を認めてあげるーという思考です。
ひとことで表現すれば「受容する」というのでしょうけれども・・・
そう簡単な作業ではないと、常々感じています。



「ほめる」という行為は、人間関係をよくするばかりか、
自分の立ち位置をも確認させてくれるようになります。
だから、大切なことだと思っていながら・・・最近・・・
忘れがちになっていました。
目先のことに追われ、ただ疲れ果て・・・。
これでは、あまり良い傾向ではないと、しみじみ思いました。




きちんとした「褒め方」というのもおかしいですが・・・
私の「やり方」で、気をつけていることは、以下のようなことです。
 (1) 観察をする
 (2) 変化や進歩に注目する
 (3) 心だけでなく、身体にも触れる


また、他人との人間関係で追加するとするならば、
「信じる愛」というものも大切です。
親から子へ、上司から部下へ・・・などのケースでは、
大きな影響を与えるかもしれないスタンスです。



私の母は、受容感に満ち、“愛にあふれた人” でした。
学はなく、知識もありませんでしたが、人には愛されました。
その分、自分の命を削ってまで、他人には尽くしていました。
その母が、私に言っていた言葉は、とても深いものです。
  ★「あなたを信じている」
  ★「好きなようにやりなさい」
  ★「あなたを産んで、本当によかった」
これほど、私を愛してくれ、それを伝えてくれていた言葉は、
なかったと思います。
これを言われた方(側)は、強く心に残るはずです。
人を育てる言葉だと、私は思っています。



父の「心」の記録

2011年06月04日 | 自分 -

2001年の日付けのついた感熱紙のFAX紙を、二枚見つけた。

かつて 私が、大事にとっておいた「父の手紙」だった。

この二枚は、日付けから推察すると・・・
父と同居する直前に送られてきたFAXで、内容はとても日常的。

感熱紙のため 色が薄くなってきていたので、私は、すぐに
コピーした。
これで、ずっと記録として保存することができる。


しかし、読んでみると、保存したくなるような文章で、
あのころの父と私の関係が、すぐに思い出せるものだった。
すでに「耳」と一緒に「目」が悪くなっていたせいだろうけれど、
筆ペンで大きな文字で書かれており、判読不能な部分が
少しだけあり、残念だ。
(FAXも斜めに送信され、文字が消えていて完全に読めない)



   ○ちゃんへ
     お父さんから

 二十三日 親戚へ手伝いに行き
 お墓参りをした
 夜二人で 月の世界 
 宇宙を飛びまわって
 あそびました
 ○○も早く帰って
 宇宙を三人飛びまわりませう

                ※○は、私の名前




もう一枚のFAXは、もっと現実的で、日常的なものだ。


  三月○日は 旧○日で
  薬師様のおごまきとう
  皆の幸福を一生懸命に
  お祈りいたします
  昨日は朝早くから無礼な言葉を
  お許しください
  心よりおわびいたします
  毎晩仏壇で祈ると
  二人のことが浮かびます
  
  身体はっぷ父母に受く あえてきしよう    
  せざるは 心 孝を始めなり
  身をたて 道を行いもって
  父母の名をあらはすは 孝の終わりなり
      3月6日父より


  ※「身體髮膚、受之父母、不敢毀傷、孝至始也。」
   「身体(しんたい)髪膚(はっぷ)これを父母(ふぼ)に
    受くあえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり 」
   《「孝経」から》
    人の身体はすべて父母から恵まれたものであるから、
    傷つけないようにするのが孝行の始めである。

  ※「立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也。」
   「身を立て道を行い、名を後世(こうせい)に揚(あ)げ、
    もって父母を顕(あら)わすは、孝の終りなり」
    《「孝経」から》




独創的な父の世界――。
宇宙をとびまわる姿は、「銀河鉄道の夜」を想いだし、
すでに墓の中に入ってしまった母への気持ちが想像できる。
元気な頃は、花を手にして、毎日のように墓参りをしていた。

父が仏壇で祈っている姿は、この目に焼き付いて離れない。
信心深い人だったと思う。
母を見送った後に、二人で仏壇を選び、値段が高くて
しぶっていた私に、「わしもここに はいるけんなぁ」と
ガンとひかなかった“お気に入りの仏壇”。
実際、生前の父は、毎日(実家 仏壇の前で)おがんでいた。
般若心経から、知らないお経まで、大きな声で・・・
何度も となえていた。
まるで詩吟や唄のような風情があり、聴きごたえがあった。
それは、私と同居してからも一緒で( 仏壇は実家だったが)、
位牌と写真を見ながら、“大きな声”は 変わらずだった。


   


仲たがいをして、父から勘当された私が、
晩年は・・・こんなやり取りをしていたのか・・・と、
自分でも感慨深いものがある。

私には、そういう相手はいないが・・・
心安らかに逝けるように、“自分育てを怠らないようにしたい”と
思ってしまうような「父の手紙」だった。

振り返ると、過去には・・・父から文章をもらったためしはなく、
このFAXは貴重な思い出のような気がしてきた。


政治の世界は理解不能!

2011年06月02日 | 社会 -

東日本大震災を受け、日本の国の役割(仕事)が大きく、
方向を変えざるを得なくなった。

それを皆が分かっているはずなのに・・・昨夜から・・・
今日にかけては、騒がしくて、落胆する時間ばかりだった。
慌ただしくて、ドタバタだったのも事実で、明らかに
日本の政治家の世界は (私には) 理解不能だ。


管内閣の不信任案が可決から否決へ一変したことで、
政治家の内部闘争と、混乱する政治情勢に、国民は
その動向を見つめつつ・・・著しく信頼感を失墜させられた。

被災地の復旧・復興を掲げながら、全く今後の見通しと
希望が持てない現状に、誰が納得するだろう。

国民は、そんなに馬鹿じゃない。
被災地の現場は、こんな茶番を許さないほど 切実だ。



国会だけが、「何かとてつもない利権争い」のために
混乱し続けてきた。
足の引っ張り合いばかりで、前にすすまない現実!
いらいらしてきた質疑応答を見るにつけ、国会の議論の
低迷した時間つぶしに 落胆してきた。
「全く、何をしているのだろう」
「重箱のスミをつつくようなことばかりだ」
そんな状態をずっと見守り、ひやひやしながら・・・
やはり国民の期待からは かけ離れた “政治の現場” に、
ばかばかしき現状を、見せつけられた感じだ。

民主党の混乱と、今後の回復を含めて、失望させられた
政治家の世界は・・・ やっぱり、私には、よく分からない。


日本の国のかじ取りを任せられる人材がいないという
あまりにも切ない現状に、一国民として「情けない」と思う。

世界に向けても心許なく、日本の「茶番だ」という意見が多い
現実を、あからさまに露見させたことは、本当に やるせない。

何を重要に考え、何を優先して、仕事をしていくのか ・・・
あまりにも(今回のように)信頼感を失うようなことばかりでは、
本当に、「政治家の待遇」や、「国(政治)の仕組み」までにも
疑問を感じてしまう ・・・。


今、彼らが、「イの一番に “やるべきこと” は何なのか」、
「今回のことをどのように理解し、どのような意見を持っているのか」
「現在の日本国の課題として、何を挙げるのか」 ・・・
国会議員の「先生」全員にアンケートをしてみたいぐらいだ。
それをホームページにアップして、国民全員が見られるように
誰か編集してほしい。
一人一人の議員の「自覚」「価値観」「責任」「現状理解の質感」を
知りたいと、強く思う。
おバカな議員は、もう二度と国会に出てきてほしいと 思わない。
その判断を、自分自身でしたいと、心から思ってしまった。
そのための「個々の情報を得たい」と感じた一日だった ・・・。

政治家に、この国を任せていられないと、心から思ったからだろう。



「ため息」は「愛情飢餓?」

2011年06月01日 | 自分 -

身体と心は、微妙に連動して、影響しあうことが多いです。
最近の私は・・・まさに、そういう状態でしょう。

たとえば、精神的なコントロールが必要な日常生活の中で、
肉体的な疲労を蓄積していくと、自分がぼやけてくるのです。
根ざしているものや、目線の先のビジョンなどが、徐々に
揺らぎ始めてくるような不安も感じます。
そうならないためには、自分の中の「悪い気のようなもの」を
外に出す作業を、定期的に施していくことが必要です。

それは、私にとっては「呼吸」です。
鼻から吸って、口から吐き出す「呼吸法(腹式呼吸)」を、
ずいぶんと前から(意図的に)やっています。
体調不良や、精神的なバランスの悪さを感じたら・・・
ゆっくりとしたペースで、何度も腹式呼吸を繰り返します。
ヨガや瞑想での呼吸法と似ている「自分独自のやり方」です。

息を吐き出す時には、自分の中にある様々なものが噴出する・・・
そんなイメージを抱きながら、腹式呼吸を繰り返します。
吐く時間を長くするので、交感神経や副交感神経のバランスも
整えてくれて、とても気持ちがリラックスしてきます。



身体が疲れた時、気がつかないところで「ため息」を吐いている
ことがありますが・・・
私が介護生活をしていた頃、自宅の門前で そうだったみたいで、
隣家の人に指摘されたことがありました。
「家に入る前に、なんか、ため息をついているよね?!」
「帰ってきたな~と思ったら、ふーって聞こえるから」・・・と。

私には、「心(息)を整えるための呼吸法」のつもりでしたが、
それが、・・・他の人には、深い「ため息」に聞こえたのでしょう。
しかし、あながち 間違っているわけではないとも感じます。

何故なら・・・私には・・・
「ため息」は、酸素不足であり、愛情不足だと思えるからです。
もし、この世の万物に “愛があふれている” と気づいたら・・・
そして、そのことを、心底 “信じる” ことができたとしたら・・・
その時点で孤独感が薄れて、無限の愛の源を(自分の中に)感じて、
「愛を供給できる人」になることができるかもしれないのです。
・・・というか、・・・私は、そう思っているからです。

だから、「ため息」ばかりが多くなってしまった最近の私は、
肉体の疲れが、心の疲れにも繋がっていると、強く感じますし・・・
それを回復してくれる愛情が足りないとも感じています。

あふれんばかりの愛情を抱いている人は、今の私のような状態ではなく、
もっと安定した精神性をキープしているのだろうと想像しています。


「愛をいただく」のも、「愛をあたえる」のも、全く同じで・・・
「愛」を介在した行為です。

自分の周囲に、もっと増やしていきたい「ささやかな愛」を!

今日は、そんなことを・・・ぼんやりと感じた一日でした。