エアーメール

2005年10月30日 | 雑感 -
昨日、アムステルダムからエアーメールが届いた。
10年前に知り合った友人からである。

「今もアムステルダムに住んでいるけれど、数年前に買ったイタリアの小さな家で、
 今年の秋も(一ヶ月)ホリディを過ごしたよ。とても楽しかった。
 自然や景色が最高で、住んでいる人々が暖かい“歴史ある小さな村”なんだ。
 とてもステキな場所で、最近は春と秋にゆっくりと過ごすことにしている。
 近くに来ることがあったら、是非遊びにおいでよ。待っているよ」

彼はアムステルダムで生まれ、アムスで育ち、アムスで今も暮らしているのだが、
私と同様に「スイスが大好き」で、スイスで何年も仕事をしていたことがある。
 【※スイスの公用語は、イタリア語、フランス語、ドイツ語、そして現地語。】
そのためもあって、彼は語学が堪能で、四ヶ国語を流暢に話すという。
2,3年前に購入した家は、イタリアの片田舎の「小さな村」にある。
絵葉書を見ると、歴史ある石造りの家が並び、その先には雄大な山並みが続き・・・
なんと雰囲気ある場所だろうと、いつも便りが届くたびに羨ましく思ってしまう。
きっと(言葉どおりの)「スローライフ」を楽しんでいるのだろうなぁ。

彼と私は、志向や好みがとても似ている。
話してみても、民族や文化の違いなどからくる“違和感”を感じることがなかったし、
おそらく今話してみたとしても“同じような印象を持つのではないか”と思う。
初めて会ったときも、そういう“目に見えない波動”のようなものに引かれて、
まるで昔からの友だちのように“楽しく過ごすことができた”のだと思う。
男女の甘い雰囲気ではなく、最初から“同志”みたいな感覚を抱いたのを覚えている。

「holiday(ホリディ)」・・・か。
そういう言葉も、そういう生活様式も、ヨーロッパならではのものだと思う。
日本には、長期休暇なるものは、なかなか根付かない。

私が、初めてイタリアのベニスに行ったときのことだ。仕事だったのだが・・・
滞在したホテルは、べネティア映画祭が開催される「リド島」という避暑地だった。
長期滞在する人が集まってくるようなホテルで、とても快適なホテルだった。
仕事を終えると、ホテルの庭にあるバーでカクテルを飲むのが、毎日の日課だった。
そこで働いていたバーテンダーさんの生き方が、これまた印象的で・・・
「一年の内で、三ヶ月ぐらいしか働かないんだよ」
そう言っていた。
「あとは、楽しむんだ。自分のやりたいことをして過ごすんだよ」
生活資金は、三ヶ月労働で手に入れて、あとの九ヶ月は“自分の時間なのだ”と言う。
「贅沢はできないけれど、贅沢しなくても楽しいし、こういう生活に満足しているョ」
(・・・そうなんだぁ)
「自分の時間って、いったい何をして過ごすの?」という私たちの質問に、彼は
「大工仕事したり、キャンピングカーでイタリア中を旅したり、何もしないこともあるし、
とにかく“いろいろ”だよ。そのとき“やりたいこと”をするんだ」と答えた。
仕事で出向いた私たち皆から、嘆息が漏れた・・・。
「ふぅ~ん」
“別の世界の人だ”と感じながらも、羨ましくもあり、興味深くもあり、
そういう生き方をしても窮屈には感じない土壌があって、そういう生き方をしても
許容される社会がスゴイとも感じた。
それは、単に「イタリアだから」という理由では片付けられないものだと思った。


日常の雑多さに追われる日々だったのに、一枚のエアーメールが契機となって、
「ライフスタイル」&「ライフバランス」という言葉が頭をもたげてきた。
要は、私自身が“自分らしい生き方の選択をしているだろうか”ということだ。
何かに縛られている感覚は否めないとしても、それは必要な縛りだと認識し、
自分自身が「自律した人格として、責任を持って行動しているだろうか」という
生き方論のようなイメージである。そして、言い換えるとするならば・・・
「毎日の時間に“流されていないだろうか”」という素朴な疑問でもある。
それは、「私は、私自身の人生を、“自分自身の選択”で生きている“自覚”を持ち、
そしてそれを日々実行しているだろうか」という設問になってしまうのかもしれない。
誰かにやらされているのではなく、“しがらみ”や“縛り”に影響されているのでもなく、
私自身が選んだ人生を、ちゃんと生きているのだろうか・・・ということである。

実際「自発的に自分で選んだ意識を持って行動すること」と「流されていくこと」では、
大きな違いがある。
そういう日々の意識を振り返り、分かっていてもできていない事実に気づいたりして、
不思議な“納得感”に襲われてしまった。
羨ましく感じる気持ちと、そういう気持ちに満たされた自分の感情を思い知り、
現在の生活を客観的に考える“きっかけ”を与えてもらったような感じである。

時々は、立ち止まり・・・
自分を見つめて、自分の鼓動を感じて、行動そのものを見据える必要があるようだ。
でなければ、“流されていく”。
確実に、流されていく。
そういう未熟な自分を垣間見たようだ・・・。

ただ羨んでいるだけでは、ラチがあかない。
それに、“できないこと”に固執するのは、精神状態が健康的ではない。
だからと言って、すっきり忘れ去ってしまうのは、もったいない。
今は・・・十分“羨んで”、“未来の願望”として妄想を膨らませることにしよう。
そして、日々の生活の活力源の一つとして、心の底にしまいこんでおこう。

自分が死ぬまでには、イギリス、フランス、オランダ、イタリア、スイスと行脚して、
できれば南洋の孤島にも立ち寄って、友人宅をめぐる旅を敢行してみたいものだなぁ。

みんなに会いたい・・・。
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毛足の恐怖

2005年10月28日 | 出来事 -
100円ショップの商品は、感動的である。
一昔前の雑貨屋店に並んだ値段表示を覚えている私にとっては・・・
「えっ、これが100円? 本当に??」
そういう感想を繰り返してきた。
今も、用途によっては「これは100円ショップで買おう」と、アイデアを駆使して
我が家の住空間を満たしている。

父のベッド脇のマットも、大量に購入した。
大型100円ショップ店で、200円商品や300円商品のマット(敷き用)をメインに
(私のラッキーカラーである黄色のマットを)いくつも買い込んだ。
・・・・・今、それらに日々お世話になっている。

先日、購入した300円マットが、ちょっとばかり問題で・・・
毛足の長いマットなのだが、一緒に洗濯した衣類に、

                   黄色い「毛足」がべっとり!

安価な商品には、やはり“それなりの結果”がついてくるものなのだ。


「分けて洗えばいいじゃん」・・・・・「そうなんだけど」・・・・・・・・

父が洗濯機に入れてくれている場合があって、(言い訳なんだけど)気がつかなくて
すべてが毛足だらけの結果になってしまうのだ。
黒いスウェットパンツなどは、眼もあてられない“悲惨さ”だ。
洗濯機のスイッチを押す前に、ちょっとばかり“チェック”したらすむものを・・・
すでに3、4回の失敗があったので、さすがに「なさけない」気分だ。

ガムテープでは追いつかない。
やっぱり、コロコロローラーを購入しよう。
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ダブルブッキング

2005年10月27日 | 出来事 -
外出前の慌ただしい中だった。
本日のヘルパー発注が、ダブルブッキングされていたことが「発覚」!
タレントのスケジュール管理じゃないけれど、これには困ってしまった。

   ピンポーン!

   「へっ?あれれ!」   (聞いている人と違うぞ)

   「こんにちはぁ~!」  (どうなっているんだぁ?)

   「雨あがりましたね」  (どうしよう・・・)

怪訝な表情で世間話をしている最中に、もう一人のヘルパーさんが到着!
(一瞬ではあるが)お互いに「むっ」とした表情がして、それを私は見逃さなかった。
「会社に聞いてみますねぇ」と不満な気持ちを隠しつつ、表面的な遣り取り・・・。
私としては、初体験の事件のため、ちょっとばかり気を遣ってしまった。

結局、70名~80名のヘルパーさんを抱えている「在宅ケア・ステーション」なので、
さばく仕事量も多いのだろう。
それが大変な状況なのは容易に推測できるが、当方にとっては全く関係ないことだ。
肝心なのは、当事者が「丁寧に仕事をすること」だと思う。
でなければ、今回のように、ちょっとした連絡ミスが命取りになる。
今日のことに関して言えば、ヘルパーさんも此方も、被害者だと言える。

ヘルパーさんが電話をした担当者は、全く知らない人(聞いたこともない名前の人)で、
私が“連絡した内容(発注希望)”も、伝わっていないことだらけだった。
“一体、何人の中間管理担当者がいるのだろう”。
連絡網が気になった。

大きな組織の“落とし穴”が、ここにある。
キメの細かいケアをしていただくに越したことはないが・・・
誰しも失敗はあるし、忘れることもあるものだ。
このような「仕事の量と質のバランス問題」は、どのような現場(職種)にも当てはまる。

しかし、相手のためには、“ぐぐっ”とこらえて苦言を呈するに限る。
その場合は、“伝え方次第で逆効果にもなる”ので、それを気をつければ良いだけだ。
サービスを受ける側として、要望を伝えていくことは大切なことである。
一方的に批判(抗議)するのではなく、リクエストを伝えていくのだ。
それが無理ならば(実現不可能であれば)、契約条件そのものを見直す必要がある。
どこまでが無理で、どこまでが可能なのか・・・現状を把握する意味でも、
“はっきりと打ち合わせていく(確認する)こと”が大事だと思う。

「丁寧に仕事をする」ってことは、意外と簡単なことだったりする。
  (今日のダブルブッキングみたいに電話一本ですむことだったりして・・・)
しかし、それを完璧に遣り遂げるためには、かなりの注意と集中力が必要かもしれない。
「仕事」って、どんな仕事も、一筋縄ではいかないものだ。
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深夜の“さがしもの”

2005年10月26日 | 介護日記 -
深夜の一時半すぎ、父が・・・(二階にある)我が部屋のドアを開けた。
心もとない足で、階段を一歩一歩上がってきた。

「無いなぁ」

「何が?何か無いの?」

反応がない。しばらくじっと待っていると、目線を足元に落とす。

            きっと、思い出せないのだ・・・。

「どうしたん?今は、何しよったの?」

再び問いかけても、同じ反応である。
しばらく立ち往生していたが、仕方がないので階下に(二人で)降りていった。
それからが、「連想ゲーム」だ(笑)。

「薬かな(薬は飲んだよ)? 着替え?パンツかなぁ?入れ歯かなぁ?
 ジュース?それとも、おまんじゅう?甘酒が飲みたかったのかな?・・・」

あれやこれやの身の回りの名刺を並べ立てて、父の脳細胞を刺激してみる。
それでも、じっと座って動かない。表情も変わらず・・・思い出せないみたいだ。
父は“思い出そう”として、考えているのが分かる。
時おり首を曲げて、“おかしいなぁサイン”をおくってくる。

私は、その日着ていたカーディガンが布団の上に投げ出されているのを見て、
「ポケットに入れたトマト??」と訊いてみた。

ついに、父の反応があった。
「うん、うん」

ディサービスに出かけて、その農園で「かわいいプチトマトを三個頂いた」のだ。
その小さなトマトをポケットに入れて帰ってきたのに・・・
夜中に思い出して探してみると、「トマトが、みつからない!」。
だから、私に「トマトが無い」と伝えたかったようなのだ。

プチトマトは帰宅後すぐから食卓上に置かれていて、それを見た父は安心した。
「今日プチトマトをもらったこと」「トマトについて話したこと」などなどについてを、
私に報告したかったようで、“どど~っ”と話し出した。

父は、潔癖症のようなキチンとした性格なので、思い出したらすぐに行動する。
それに“せっかち”だから、“明日にしよう”という思考回路には至らない。
最近は、連日(深夜に胸が苦しくなったりして)起きていることが多くなったことで、
一日のサイクルがちょっとばかりずれてしまっている。
深夜12時から3時頃というのは、父にとっては「日中」みたいな感覚なのだろう。

「思い出せる」だけ、まだまだ認知の状態は「悪くない」と思うべきか・・・。
確実に認知の症状は現出してきているが、まだまだ「軽い」と言えなくもないのだろう。

父の思考とつきあうという事は、素朴で純粋な想いと付き合うことでもある。
徐々に「子供に返っていく」印象を持つことが多い。
「かわいいなぁ」と思うこともあるし、笑いが漏れることもある。
しかし、「かったるいなぁ」と感じることも、「じれったいなぁ」と感じることもある。
反応の遅さにイライラしてしまって、「まただぁ」と落胆をしたりもする。
そういう意識が芽生えたら瞬時に改定するように努めるのだが、イライラした気持ちは
なかなか鎮まってくれないことがある。(自分の未熟さを思い知る瞬間だ)

眠いマナコをこすりつつ努力して事件が解決する頃には、私も寝られなくなって・・・(笑)
今は、自分自身の“一日のサイクル”もずれてしまっている。
頭がちょっとばかり重く感じるのが、その証拠だ。
人間は、やっぱり「深夜には寝ているほうが良い」と、しみじみ思う。
今夜は、無事に寝られるかなぁ。(期待、期待!)
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生への執着

2005年10月24日 | 雑感 -
気分が良かったり、体調が悪くなったり・・・
父の変動が著しくて、対処するのに戸惑うことがある。

この数日間も、父は体調がすぐれず、ベッドから離れなかった。
それに、・・・何故か夜中に動悸が激しくなるようだ。
にわか医者の私は、ストレス性の心労と診断した。

体調が悪くなると、父は“自分の体力に自信がなくなり”、
どうしても“悪いことを考え過ぎてしまう”のではないかと推測した。
そのことによる“胸の痛み”・・・まさに“心のバランスを壊した状態”である。
今年5月(一人で帰省した四国で)、心筋梗塞を疑われて救急車騒動になったのだが、
その際にも「心労からのストレス」が原因だったことが(検査によって)明確になった。

いくつか質問を浴びせて、父の思いをはかってみると、明確な「意図」が見えてきた。
    「死にたくない」
    「出来るだけ長く生きていたい」
    「今は、つらい」
    「情けない」
    「迷惑をかけてしまうが、勘弁してほしい」
    「治らない病気だから、早く死にたい」
これらの気持ちが、今現在の父の心を(同時に)満たしているようだ。
まさに多くの矛盾が存在して、論理的思考と感情的思考が“せめぎあっている状態”だ。

父が、“一日でも長く生きたい”と思っていることに対して、私は「なるほど~」という
“発見感に満ちた感覚”を持ってしまった。
「そうなんだぁ~。そういう気持ちがあるんだネ」という“感嘆”に似た想いである。
元来、私の中には「現世に対する執着心がなく、いつ死んでもよい」という思いがあり、
父の根源的な欲求とは違っているからである。
だから余計に、新鮮な印象を抱いたのだろうと思う。
ニュアンスの違いはあるけれど、まだまだ生命力に満ちて、「生きたい」という願いが
あるうちは・・・“大丈夫”なのかもしれないと思った。
たとえ(どんなに)苦しくて、情けなくて、辛かったとしても、父の中に「光明の輝き」を
見つけることができるのかもしれないと・・・そんな印象を抱かせてくれた。

私にとっての「いつ死んでもいい」は、厭世的な気持ちから発生しているわけではない。
「いつ死ぬか分からない。それが自然界の摂理だから、それを受け容れよう」という、
“現実をありのまま受け取る”という感覚をイメージしている。
それは、これまでの人生の中で大きな影響を受けた“自然観”が、このような概念を
抱かせることになったのだと思う。
それに、何と言っても、「死」なんてものは、まるっきり分からない。
どういうものか、どういう感じがするのか・・・私には、全く想像できない。
分からないことがあって、いろいろと考えても“どうしても分からない”という場合は、
“無理して分かろうとしないほうが良い”・・・と、私は思っている。
・・・そのままにしておくのが、「まだマシかも」という気持ちがあるのだ。
結論を出そうと無理強いしたら、間違った考えに囚われたり、何かを思い込んだりして、
本来の姿が見えなくなってしまいそうだ。
だから、私にとっての「死」は・・・「分からないまま」なのだ。

しかし、父の「死にたくない」気持ちを知ってしまうと、「生への執着」という尺度では
“私よりも父の方が優っているのだろうか”などと考えてしまって・・・
忘れていたことを気づかせてくれたような、何かヒヤッとするような感じがした。
そうして、改めて「自分の人生観」について見直す“きっかけ”を与えてもらった。

私は、「生きる」ことに対して執着心が全然ないわけではない。
しかし、その反面、執着していないのも事実である。
スカスカの頭で、自分自身の想いを(順番を追って)めぐらせてみると・・・
「自分では死ねないから、死ぬまでは精一杯生きよう」――そういうシンプルな構図が
私の心の中にはあるようだ。(言葉を変えれば、それしか見えてこない)
「生」を意識的に操作したりすることなく、与えられたものであるならば“そのまま”を
「自分の価値基準でマットウしていく」・・・少なくとも「そう努力していく」ことが、
何よりも大切ではないかと思っている。
結局は、それだけのことなのだろう。


父の脳細胞と、感情の波から生まれいづる“生への思い”を、どう受けとめるのか。
父が人生を少しでも“楽”に生きられるようにするためには、何をどうすればよいのか。
今、私は・・・そういう漠然としたことを考えはじめている。
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専心祈願

2005年10月23日 | 介護日記 -
今朝から、一日中「困ったもんだぁ」の連続で・・・
(大事件があったわけではないのだが)なんだかんだと重なったりして・・・
今日の私は、ちょっとばかり“ヘロヘロ”になってしまった。

その筆頭は、父の“落ち込み”である。
今日は、久々に、紺碧の深海まで落ちてしまったようだ。

今朝の父は、号泣に近い表情で、感情をあらわにした。
相当に、辛くて、哀しくて、情けなかったのだろう。
何度訊いても、一言も答えてくれず、
何を話しかけても、反応は返ってこなかった。
久々の“落ち込み”だった。
本当に“ひどい落ち込み”だった。
そういうときの私は、まず吃驚してしまうが、“自分の反応”にも敏感になる。
一緒には泣けないし、必要以上に背中を押すこともできないし、
「たいしたことないから気にしないで」なんて(無責任に)言葉を吐くこともできない。

結局、父の号泣の理由は、分からず終いである。
“話すことも拒否したいぐらいの感覚だったのだ”と、想像するしかない。
しかし、私には手に取るように分かる気がする。それは・・・
思うようにならない現実(身体の不調)と、自分の人生についての空しさ(落胆)だ。

昔の父であれば、ガンコ一徹で、ある種の“強さ”があった。
大学を卒業しても郷里に帰らず、東京に残って、自分の行きたい道を選んだ「私」を、
父は「カンドー」した。頑として、意見は曲げなかった。
「もう二度と帰ってくるな」とハッキリ言われ・・・電話口に出ることもなく・・・
あの頃の父の姿には、威厳のようなもの――ある種の“怖さ”さえ感じていた。

そんな父が、泣いている。
号泣している。
毛布を顔にかぶせて、ずっとずっと動かず・・・じっとしている。
それを見た私は、やっぱり自然と、悲しい気持ちになってしまって、とても苦しくて、
「何が何だかわからない感覚」に襲われた。

辛くて、困っちゃったよ・・・ホント。

本当にツライ時は、人間は“うなる”ようだ。
普通にしているはずの呼吸さえも、苦しそうに息がもれてくる。
“不健康で、快適ではない状態だ”というのが、歴然と判るために・・・
そばにいる私まで、その“窮屈な感覚”が伝染してしまう。

耳があまり聞こえず、目もよく見えず、足は痛いし、身体はだるく自由にならず・・・
「人間が、人間として、本来持っている機能」を、一つ一つ奪われていっている父は、
まるで“針のムシロ”なのだと思う。
私なら、「一期に、一思いに、やってくれよ~~」と、叫びたくなるような状況だ。
そういう過酷な時間の流れを、今まさに、経験しているのだろう。
坂道をゆっくりと転がり落ちていくように、底なし沼に足をとられてしまうように、
「こと」は着実に起こり、父の身体に変調を来たしている。
それは、大いなる不安であり、とてつもない恐怖であろう。
石の中にいる愛ちゃんのことが頭を離れないのも、「そばに逝きたい」という想いが
父の奥底に根ざしているように感じられる。
     (実際、「早く死にたい」という言葉を頻繁に漏らしている)
たとえ、それが「逃避」であったとしても、楽になれることには違いない。


   私が、必ず「愛ちゃん(母)」にお願いしていることがある。
   それは、いつもいつも“一緒のこと”である・・・。

「父にとっても、私にとっても、一番ベストな状態でいられるように見守ってね。
 それが無理だと判断したら、いつでもかまわないから、お父さんを迎えに来てあげて!
 でも、かならず苦しまないように、連れて逝ってあげてね。
 それまでは、一生懸命頑張るから・・・。私が、ちゃんと頑張るからね。 」

慮る心

2005年10月21日 | 雑感 -
父の体調の変動が激しいのは、いつものことではある。
しかし、やはり「厳しい」。
そばにいる人間は、その変動の“大きな波”に、ふりまわされてしまう。

あれだけ元気で、あれだけしっかりとして、
足元も(たとえゆっくりではあっても)着実に歩みを進めていたのに・・・
突然の変化には、私もついていけない。

老人性関節炎のためには「歩いたほうが良い」という整形外科医からのお話で、
本人も「少しでも長く歩こう」と頑張るのだが・・・・努力した結果、肝臓の悪い父は、
少しの運動が災いして、突然動けなくなってしまう。
末期的肝硬変のため、無理がたたると危険な状態になる。
いつも、いつも、そうではないが・・・そういうことが、非常に多い。
まるで、抗生物質の薬害のように、(良薬がいつの間にか毒となってしまうような)
「矛盾した現実」を抱えてしまうのだ。
社会の中には、見る方向(視点)が違えば“全く違って見える”ことが多いが・・・
父の身体の中にも、そういう矛盾がひそんでいる。

日々の体調によって“がらっと変わる”ので、判断をつけるのも難しく、
「今日は、どれぐらい大丈夫かなぁ」と思いながら、いつも見守っている。

主治医に訊いても、確実なアドバイスがもらえることは“まれ”だ。
専門医とはいえ、専門分野が違えば・・・明言をさけて「担当医に聞いてください」と
答えるのがフツウである。
しかし、一人の身体の中には、様々な状況が(同時に)“せめぎあっている”わけで、
それが当然の姿でもある。
結局は、患者本人が自己責任で選択し、決断して、管理していくしかないのだろう。
しかし、それにしても、とかく「ややっこしい状況だなぁ」と感じてしまう。

苦しがる父を目の前にして、私は「何もできない」。
あたふたと“できること”をして、勇気付ける言葉を吐きながら、時間を気にして、
病院へ連れて行くことしか・・・できない。
それも73kgある巨体を一人で運ぶのは、重労働で・・・はっきり言って「無理」だ。
ほとほと疲れ果てる。

時間がないとき、予定が入っているとき、・・・私の心は分裂する。
「どうしよう」と迷って、迷って、状況を判断し、最善の方法を選ぼうと四苦八苦する。
自分の立場を守りたいと考えるし、父の状態を改善したいとも思うし・・・
本当に“心が引き裂かれる印象”を持ってしまう。
とにかく困り果てるし、辛いし、自分の置かれている状況を呪うことさえある。

「介護」というものを、一人だけの力で(問題なく)遣り遂げようとするのは・・・
限りなく難しいことである。
ちゃんとやろうとすることは、“一人の人間の「時間」と「労力」と「人生」を引き換えに
成立するものではないだろうか”・・・とまでも思うことがある。

そういう「覚悟」が、私にはできているのだろうか・・・。
このまま突き進んでいっても大丈夫なのだろうか・・・。
私自身が“破綻をきたすことはない”と言えるのだろうか・・・。

頭がぼぉ~っとしてきたので、今日は(ひとまず)「慮るのを休もう!」。
そうしよう。そうしよう。
うん、うん。
どんなに思いをめぐらせても、“来るべき未来”には、何の確証もない。
何よりも「自分自身で、視野を狭くしてしまっている」みたいだ。

明日になったら、また違う局面が見えてくるかもしれない・・・。
私は、「今日“やれること”だけを、一生懸命“やり続けていく”だけで良い」のだ。
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大人の我慢

2005年10月20日 | 出来事 -
よくあることで、ちょっぴり「悔しいこと」がある。

大好きなオレンジジュースが、朝起きたら「なくなっている」・・・。

子供が言うようなことで、ちょっと恥ずかしいことだが、
父に、しっかりと「飲まれている」のである。

「毎朝、寝起きに一杯、ぐぐっ~と、100%フレッシュジュースを飲む」―
私は、これを、とても楽しみにしている。
「健康的に、すっきりと、朝感覚で飲み干す瞬間」が、たまらない。
美味しい・・・。(オレンジジュース、グレープフルーツジュース限定)

   ※ちなみに、空腹時のフルーツ摂取は、身体に良い。
    身体に良いから、自分でも美味しいと感じるし・・・、
    美味しいと感じるものは、身体にも良い効果をもたらす。    

今日も、私の“ささやかな期待”が、もろくも崩れ去ってしまった。
足元に目をやると、ゴミ箱にジュースの紙パック容器が、しっかりと捨てられている。
  (多いときで、二つ三つ捨てられているときがあったりもする)

テーブルのランチョンマットがオレンジジュースを吸引していたり、食卓の下に
オレンジジュースが大量にこぼれているのを見たりすると・・・
ほんの少しだけ悲しくなる。
すみやかにモップを持ち出して、床のジュースを掃除しながら、
「この“こぼれた量”だけ残しておいてくれたらなぁ、一杯飲めたのに」
「私は、ほんの一口でいいんだけどなぁ」
と思ってしまう自分が、とても“せこいなぁ”と感じてしまう。
自分でも“いやしい感想だ”と思いながらも、浮かんでは消える・・・。

父は、目が悪い。見える状態が、よくない。
「黄班変性症」という病気である。
  (網膜の中心部が変性を起こしているので、手術による視力回復は無理だそうだ)
だから、パックからグラスにジュースを注ぐときには、十分な注意が必要である。
夜中のネボケ意識では、(当然ながら)“失敗する確率”は高くなる。
そういう状況だから、食卓の上下にジュースが“ぼとぼとと、落ちてしまう”のだ。

また、これも子供っぽいことだが・・・
なぜ「オレンジジュースが先なのだろう?」と、さびしくなる。
父が大好きなアップルジュースもピーチも、横にちゃんとあるじゃないかぁ~~。
オレンジジュースは飲むたびに咽たりして、“すっぱい”と嫌っていたのに・・・。

今日も、「オアズケ」だ。仕方がない。
まぁ、いいか。どうでもいいことだ。
我慢もできる。大人だもん。

お散歩日和

2005年10月19日 | 介護日記 -
降り続いた雨があがって、少しだけ気分も良かったので、
父を「散歩」に連れ出した。
道沿いにある“大きな柿の木”には、たわわに柿が実っている。
それを長い棒で揺らしながら、知らない“おじさん”が収穫していた。
ぽたりと柿が路面にたたきつけられて、葉っぱもたくさん落ちている。
典型的な「秋の風景」だった。

二人(父と私)に笑顔がもれて、一瞬上を見上げたものの・・・
ゆっくり歩く父の頭に落ちないように、おじさんの手元は止まってしまったので、
こちらも気を遣って足元を早めた。

杖を持たないで歩いて、アパートの入口で腰掛けて、“しばし、お休み”。
しかし、危なげで、心もとないので、杖を取りに帰って・・・手に持たせると
やはり安定して、再び歩き始めた。
父には、まだ杖をもつ習慣が定着していないので、“抵抗感”を感じるようだ。
「かっこ悪いなぁ」
一人で歩けていた記憶が残っているので、どうしてもそう思うのだろう。

近くの道を、二周まわった。
「スゴイ!」
「よく頑張ったね」
私も嬉しくて、声がはずんだりして・・・。
本人も上機嫌だった。

私が1分で歩く距離を、父は15分ぐらいかけて歩く。
それでも、歩けたことが・・・何よりも嬉しかったし、気持ちが良かった。

こういう日は、「希望」を感じる。
“もっともっと良くなるんじゃないだろうか”―そんな期待も浮かんでくる。

ちょっとした間違い

2005年10月18日 | 雑感 -
父は、固有名詞をあやつる能力が退化してきている。
脳細胞が、ちょっとばかり“ゆるんできた”からだろう。
私自身も、疲労困憊している時や、徹夜開けなどの“ぼ~っとした時”には、
同じような「ちょっとした言葉違い」をしてしまうものだ。


今日は、よくしゃべってくれたので、そういう間違い・勘違いがたくさんあった。
たとえば・・・

「ここらへんは、犬が多いなぁ」
と話した後に、
「犬は、捨てたんか?」
と、訊いてくる。

    「へっ?」と思うと、「ゴミは、捨てたんか?」ということだった。

「今日、入れ歯を落としとったんよ」
と、報告してくれた後に、
「入れ歯は、入れたんか?」
と、訊いてくる。

    「へっ?」と思うと、「電気毛布は、入れてくれたんか?」ということだった。


こういうギャグのような会話は、日常茶飯事である。
フツウの人が“ねらっても言えない”ような、なかなか面白い間違いがあったりもする。
時々ではあるが、大爆笑になる。
  (意表を突かれて、我慢できず、笑い転げてしまうのだ)
声に出して笑わなくても、密かに心の中で大爆笑しているときがあったり、
また、父の自尊心を傷つけないように、意図的に抑えるときがあったりもする・・・。

明るく笑えるかどうか・・・は、こちら側の精神状態に起因するところが大きい。
私自身が、余裕を持って、相手のペースで聞けている場合は問題ないのだが、
“ゆとり”がないときや、慌ただしい時間軸の中では、駄目である。
落ち着かない“イライラ感”などを、自然と“つのらせていく”ことが多いみたいだ。

そういうケースで、私が決まって感じることは・・・
「自分の価値観で受け取っているから」ということに他ならない。
父の状態や、脳細胞の具合などを熟知していながら、その事実を“すっ飛ばしている”。
あたかも「父が、自分と同じような反応をする人である」かのように思っているのだ。
そういう意識で聞いていると、イライラ感が湧いてきてしまうのだろう。
分かっていながら、自分の意識が他のことに集中していると、キチンと対峙できない。
人間なんて、そんなにいくつものことを同時にできるものじゃないんだ・・・。
本当に、そう思う。

「時間と心に“余裕”をもつこと」――
これは、私が日常生活を快適におくるためには、
「とても大切な要素なんだなぁ」と・・・しみじみと感じている。

カリカリするときも、楽しめないときも、プラスに受け取れないときも、
共通している状況は、「ゆとりがない時」だったりする。
「心を鎮めて、落ち着かせること」は、「自分自身が見えてくる近道」だから、
今はそういうことから“やっていこう”と思っている。

そして、父の“ちょっとした間違い”が、いつも明るく受け取られるように・・・ネ。

思慕

2005年10月17日 | 出来事 -
父が、謡っている・・・。

 ♪ かわいい、かわいい、あの子の姿 ♪
 ♪ いつまでたっても帰らない ♪
 ♪ 私はいつまで見ているか ♪


    ★      ★      ★


何度も何度も謡っているので、私は“好奇心”イッパイに訊いてみた。

「それは、誰の歌?」
    「自分でつくった・・・」
「じゃぁ~“かわいいあの子”は、誰なの?」
    「愛ちゃん」
「じゃぁ~お父さんは、何処で見ているの?」
    「墓地」


愛ちゃんとは、平成10年に他界した“父の妻”であり、“私の母”の名前だ。
“いつまでたっても帰らない”はずである。
いつも、いつも、心は・・・四国の墓地にあるんだね。

愛ちゃんに、本当に会いたいんだね。
切ないなぁ。

中途半端な優しさ

2005年10月16日 | 介護日記 -
いつも早起きの父が、今朝は「ネボスケ」だった。
“起こそうか、止めようか”悩みながら、とりあえず “朝の作業”を続けていた。
父が爆睡中でも出来る作業(ベッド脇の掃除やら何やら)をしながらも、
私の中には「もう少ししたら、起きてくるだろう」という楽観的な予想があったが、
なかなか起きてくれなかった。予想は、見事に裏切られた。

どうしても起きてほしい理由は、下記の三点だった。
(1)ベッドのシーツが湿っているようなので、交換してあげたかった。
(2)終日出かけるために(朝昼ごはんの用意をして)それを伝えなければいけない。
(3)「外出すること」と「帰宅時間」を知らせておかないと、心配してしまう。

「もう起こさなくっちゃ!私が遅刻してしまう~なぁ~」そう思った時間・・・
時計の針が八時を指した頃に、やっと起きてくれた。
(どうしたんだぁ?今日は・・・)
それから玄関を出るまでの20分の間に、私は怒涛のように身体を動かした。
父の耳元で、何度かお昼ごはんの説明をして、帰り時間を声に出して伝えた。

何度も何度も耳元で、大きな声に出して伝えないと、記憶に残らないことがある。
それに、慌ただしい伝え方だと、勝手に誤解しているケースもある。
伝え方は「余裕をもって伝えるべき」で、そうしないと失敗することが多いようだ。

掛敷シーツを双方とも交換して、洗濯機にほうり込んで、薬の用意を確認して、
なんだかんだするのに、20分は少なすぎた。
その上に、自分の外出準備も手落ちがでてしまい・・・
“どたばた”“あたふた”の20分になってしまったのだ。


反省した。

すごく反省した。

「気持ちよく寝ているから、もう少し寝かしてあげよう」的な中途半端な優しさが、
結局は元凶となってしまった。
あの気持ちを「優しさ」と呼ぶのか、「優柔不断」と呼ぶのかは別として、
やはり適切ではなかったと思った。
たとえ起こしたって、私が出かけた後は十分な時間があるわけだから・・・
私は、父をキチンと起こすべきだったのだ。
一過的な優しさは時間の先送りだけでしかなく、結論としては父のためにならない。
同様に、私にとっても良くはない。
“大丈夫かなぁ”という不安が、一日中ぬぐえなくなってしまう。
時間をとって、あらゆる余裕を持ってケアしてあげることの方が、メリットが多い。

「何故、私は、あんなに気を遣っていたのだろう」
夜中眠れない姿を見ているからか、起こすのがかわいそうだと思ったのか、
出かける自分が申し訳ないと思うのか、だからもう少し寝かせてあげようと思うのか、
・・・・・よく分からない。
でも、とにかく、今朝の私の優柔不断な選択は、不適切だった。

「どうするのが良かったのか」、瞬時に判断がつかなかった自分を確実に感じたし、
そういう思いの根底には「自信の無さ」が見え隠れしていた。


電車の中で、一つ決心した。
「今度は、父が起きてこなかったら、私が起こそう!」
「私の出かける時間の最低1時間前には、父を起こそう!」
「朝食をとる父の姿を見てから、説明をちゃんとして、私は出かけよう!」
「父の心のケアをして、すっきりと出かけられるようにしよう!」

とにかく、
出かけるときは、朝の「一時間を大切にしよう」・・・と・・・。



ピギー三昧

2005年10月15日 | ナンセンス -
かわいい

我が家の「ピギー」たち。

ブタブタ、コブタ、お腹がすいたぁ ・・・

                 ぶー  ブー!
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“できない”意識

2005年10月14日 | 雑感 -
洗濯は、私の日課となっている。
天気にかかわらず、たくさんの洗濯物がある。

かならず毎日というのが、父のベッド脇に置いてある敷物やマット。
これは、深夜の排泄の失敗によるものである。
失敗するようになったのは、この二ヶ月ぐらい・・・足の具合が悪くなってからは特に
その頻度は増してきて、今や「毎日」ということが定着してしまった。
父は、前立腺手術をしており、それ以来、どうしても尿意との格闘が続いている。
気持ち悪くて、コントロールできなくて、情けない・・・というものらしい。
男性にとっては、前立腺肥大をはじめ、前立腺にかかわる病気は、切っても切れぬもの。
特に高齢者にとっては、「私も貴方も・・・」という感じになってしまうようだ。

結局、父は・・・
前立腺の病歴や、脳の退化、体力の減退などによる複合的理由によって、
うまく排泄ができなくなってしまっている。
夜中の“起きぬけの「寝ぼけ」”が原因のときもあるようだ。

だから、父のベッド脇を、私は毎日掃除することになる。

私の意識は、下記の二つが、まず浮かんでしまう。
「今日も・・・だ」
「どうして、できないんだろう」

日々のことなのに、毎日この二つの意識を認識してしまう。
自然と湧き起ってしまう「どうして、できないんだろう」という否定的な思いを、
「できるためには、どうすればよいのだろう(何が必要なのだろうか)」とか、
「より良くなるために、できることは何があるのだろう」という意識に、変えていこうと
思うには・・・思うのだけれど・・・・・

    やっぱり、うまくいかない。

毎日、最初に感じてしまうのは、「どうしてうまくできないんだろう」という意識だ。
そうして、日々“改訂版・私の意識”を思いなおして、動くようにしているのだが・・・
これが意外と骨が折れる。
「どうでもいいじゃん」と思う自分が、必ずチャチャを入れてくる(笑)。
勿論、どうでも良いことではあるが・・・
「どうしてできないんだろう」という否定的な思いは“被害者意識”をぬぐいきれず、
私自身が快適ではないことに気づいたので、気づいたからには変容していこうと・・・。
ただ、それだけである。

今の正直な感触としては、もう少し時間が必要だと思っている。
それでも、(これから、たとえ時間がものすごく必要だとしても)、
過ぎ去った事実にとらわれ、否定的な意識に牛耳られた“私自身”を変えていくことは、
「(言葉以上に)大切なことだったりするんじゃないか」という気がしている。
おそらく、“行動そのもの”が多少なりとも違う質感になっていくだろうし、
何よりも“ついてくる結果”が大いに違ってくるだろう。

私をそう思わせ、私を突き動かしているものは、
介護生活を終えて、将来私が出会うであろう“私自身の姿”である。
きっと変わってくるはずなんだ・・・。
今よりも、現状維持した姿よりも、「より一層素敵な自分自身と出会いたい」。
そういう素朴でシンプルな“願い”こそが、私の原動力である。

笑う角には福来る!

2005年10月12日 | 介護日記 -
今朝の父の一言――

「おかあさんに、会いたい・・・」


     「おかあさん」という言葉には、
      私の母(父の妻)「愛子」を指す場合と、
      私の祖母(父の母)「キヌ」を指す場合がある。

今朝の「おかあさん」は、「愛ちゃん」のことだった。
逝って、ちょうど七年。
体力の衰えを感じるたびに、実家近くの墓地を思い浮かべるらしい。
「愛ちゃんが、待っている」と、つぶやいたり、
「アイちゃんは、♪ 暗い~暗い~墓の中~♪」と、抑揚をつけて謡ったりする。


今朝の父は、落ち込みの極地だった。
具合が悪いのと、心のバランスも壊し気味だったので、
表情から「どっぷり!」というのが、すぐに分かった。

喋る言葉に、力がなかった。
聞き取れない。
だから、「ちょっと待ってね」と言って、
まずは、父のベッド脇の汚れを片付けにかかった。
ゆっくりと、後で聞こうと思ったからだ。

このところ、私個人の深夜作業が続いたりして、体調が芳しくなく、
精神的余裕が不足していくと・・・どうしても、父のケアに手落ちが出たりする。
そのほとんどは身体を使うものに関してだが、一番メンドーなのが「心のケア」である。
時間をたっぷりとって、勇気付けてあげないと、すぐに落ち込んでしまう。
鼻血が出て、身体がだるくて、思ったことができない(するのに時間がかかる)ので、
どうしても自信がなくなってしまうようだ。
「私に迷惑をかけてしまう」ということも、精神的に「辛い」「申し訳ない」気持ちを
強くしてしまっている。
その感覚を感じるたびに、「大丈夫だよ」と話すようにしているのだが・・・
そのことで気分が晴れることは、ごくごく稀である。
身体がもち治っていかないと、心は立ち直っていかない。
「心」と「身体」は、常に連動している。

走りこんだ医院の看護婦さんが、明るい人で・・・
父が甘党だということや、日頃の生活ぶりについて話していると、
「よくおまんじゅうを食べるんですか?
 夜中に食べるんですかぁ?
 面白い~、ソレは・・・(笑)」 屈託なく、ケラケラと笑われた。

「オイオイ、なんだかなぁ・・・」と思うときもあるのに、
今日は・・・その“ケガレのない笑い”に救われたりして・・・。

「明るいのは、良いなぁ・・・」心底、素直に、そう思った。

笑顔は、人を元気にさせる。
笑うことは、身体の生理的システムの観点からも、かなり良好だと聞く。

明日は、私自身が「笑う日」にしよう!
そうして、思いっきり「福」を取り込もう!
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