久しぶりの
「 マギー ・ スミス 」
大好きな女優で、映画・舞台と、その活動は幅広い。
今回は、オペラを中心に活動してきた音楽家が、“終の住処” にする
老人ホームでの出来事をつづった映画に、主演していた。
監督は、私が好きな作品 「パピヨン」 のダスティン・ホフマンだ。
映画タイトルは、 「 カルテット!人生のオペラハウス 」。
彼女は元大スターの歌手だったため、その過去に縛られている役!
まるでマリア・カラスがこだわったような感情を持っている・・・。
彼女の最初の登場カット ・・・ スクリーンに アップになった途端に、
マギー・スミスの 「顔の “ しわ ” 」 が・・・ とても、現実的に、
・・・その役柄が背負っている悲哀を表現していた。
表情と一緒に、彼女の 「 顔 」 は、全てを物語るアイテムとなって、
リアルなご本人の女優人生まで リフレインしてきてしまうぐらい・・・
素晴らしい表情 ( カット ) だった。
私は、それだけで 涙が 出てしまった・・・。
それだけで、充分だ ー という表情。
通常の彼女の声は、高くもあり、低くもあり、
全て役によって、意図的に つくられているように感じるぐらい、
キャラクターの幅が広い。
最近は、年齢に則した変化があるとは感じるけれど・・・。
もともと美人だから、くりくりとした大きな目が魅力的で、
彼女の演技力もさることながら、外見からくる存在感は大きかった。
彼女の舞台をロンドンまで観に行った時、偶々 当日にチケットをとった
・・・ という日があった。
私は、気にいれば、何度か観劇を繰り返す癖(へき)がある。
その日、観やすい席が無く、舞台に一番近い (上手の)バルコニーを選んだ。
そこを選んだのはいいけれど、一緒に座った友人が クォーターの日本女性で、
当時は 一緒に 街を歩いていても “ 目をひくような美人 ” だった。
長い黒髪の東洋人女性二人が、バルコニーの柵に全身を乗り出して、
舞台を (異常なほどに) 凝視していたからだろう。
不穏な目線が、劇場中から 注がれることになったのを 恥かしく思い出す。
舞台に向かって右手のバルコニー。
私の観劇席が、「一番舞台に近い席で、どれだけ観にくい席か」、
この写真で、少しは理解していただけるだろうか。
ほとんど舞台上にあるような位置にある。
他のバルコニー席は、たくさん空いていたのに(笑)。
私は、ずっと 舞台上の マギー・スミスさんしか 追いかけていなかったが、
その彼女と、カーテンコールで 目線があった。 顔を向けてくれたのだ。
あまりにも、奇妙な席 ( 舞台に近すぎて、袖も観えてしまう席 ) に、
美しくて 変な東洋人が、下品な格好で 柵に張り付いて、観劇していたからだ。
友人は英語が完璧ではなく、無表情で凝視していたのも異様だったと思う。
私は、袖で出番を待つ時の彼女を見入ったり、舞台監督やスタッフの動きを見たり、
好奇心が凄かったから (観客の目に晒されたが) あの席での観劇は満足している。
私が一人だったら、“柵越えの身を乗り出す観劇体制は しなかった” だろうし、
まず “あの席を選ばなかった” と思うと・・・すべてが 今は 良い思い出だ。
上記のようなことは、観劇に慣れた英国演劇愛好家は、決して やらない行為だ。
※ 英国のオールドシアターに出向くことが常の観客の間では、
幾つもの 「観劇のマナー」 が、“ 暗黙の了解 ” として 成立している。
二人 同じように 身を乗り出していたから 目を引いたのだと思う。
最近の彼女は 「ハリ―ポッター」 などで有名だけれど・・・、
私にとっては、やはり 舞台女優 としての イメージが強い。
背が高く、スタイルが良くて、他の女優さんよりも存在感があって、
何よりも 華がある。
そして、私は、「声フェチ」 なので、彼女の舞台上での声は、
とても上品で 大好きだ。 女性らしい優しさがある。
ジュディ、ディンチと同年齢の彼女には、「老女」役が増えた。
どんどん愛しさが、増してくるような印象を受ける。
私は、素敵な大女優 「 マギー ・ スミス 」 に、
自分勝手なイメージをつくりあげて、 ただ 崇拝しているだけ!
でも、それは・・・、 私にとっては、 とても心地よくて、
優しい気持ちを、 常に 与えてくれるものだ。