不安定なパソコン

2010年11月27日 | 雑感 -

こちらが頼みもしないのに、勝手に「再起動」する我が家のパソコン。

新モデルを購入しているのに、まだセットアップが出来上がっていない。

帰宅して、また出かける・・・この多忙なスケジュールのために・・・・
また放置状態で、この家を後にする。

それまで持ってくれるだろうか。
一応、不在中のお願いごとはしておいたが、このパソコンがそれに応えてくれるのか。
いやぁ~、全く不安な状況である。

バックアップはとったし、大切な書類はフリーメールにアップして、
全国どこでも見られるように対応はした。

しかし、すでに多くのメールを失い、また再び失うのかと・・・いう寂しさが、
出発にあたって、心配なことである。
「1週間ぐらいじゃないか。頑張って!!」
そう願いながら、その感覚をデジャブのように感じてしまっている自分が・・・
なんとなく座りが悪い。落ち着かない気分だ。

何かあったときは、「そのときだ」。
そう心に決め、出かけることにする。


「愛」についての議論

2010年11月22日 | 出来事 -


「“愛” は、言葉だから・・・ね 」

複雑な状況の愛について語る人に、聡明な“ある人”は・・・そう言った。



確かに、愛は、単なる言葉でしかない。
人によっては、その概念も定義も違うし、抱いているイメージも大きく違うことだろう。

他の単語(言葉)と違って、境界線のあやふやな・・・とても広い意味を含み、尚且つ、
非常に抽象的な言葉であることは事実だ。
そして、また、シロ・クロがつけられない奥深い言葉でもある。

だからこそ、語りたくもなるし、
自分の愛について “誰かに聞いてほしい”と思うときがあるのかもしれない。


人によっては、その壮大な愛というものに悩み、苦しみ、日ごと胸を痛めて、
自分の気持ちを見つめている人もいることだろう。



「“愛” は、言葉だから・・・ね 」
まるで愛についての議論に終わりを与えるかのような意味合いと・・・・同時に・・・
その人の愛を受け容れ、擁護するような意味合いを持っていた・・・・その「言葉」は、
私の心の中に、少しだけ複雑な印象を残すことになった。
それが何故だかわからないが、日本人は「愛」について あまり語りたがらないようだ。
そういう傾向があるように、私は思う。
自分の愛について、克明に自覚して、説明できる人は、かなり少ない気がするぐらい
日本人独特の“美徳のような特性”を感じるときがある。

私は・・・愛は、そんなに難しいことではないような気がしている。
相手に対する「愛情」もまた、同じように、とてもシンプルな感情だと思っている私は、
ストレートに語ることを避ける人々が多いことを、とても寂しく感じる。

愛は、誰もが持っているものであり、誰もが経験している胸のたかなりである。

人それぞれに、概念は違えども・・・・「愛」について、
じっくり、しんみり、お互いに語り合うことは、とても豊かな時間だと思っている。


余裕があるような自分

2010年11月20日 | 自分 -

予定通り、昨夜、購入した最新型冬モデルのパソコンが、自宅に届いた。
今日、セットアップをしようと思っていたが・・・・・やめた。
もし不明なことやトラブルが起きたりすると、余計に時間はかかるし、気分は落ち着かず、
焦るようになってしまって、気にしないところで ストレスを溜めることもある。
今や簡単になったセットアップさえも、今日は、あえて、やめようと・・・そう決断した。


なぜならば、明日から、地方出張で、しばらく自宅には帰れない。
帰ってきても、すぐに東京を離れることになっていて、そのようなスケジュールが、
12月の二週目ぐらいまでは続きそうだ。
今までだって忙しかったのに、年末までは また怒涛のような忙しさが待っている。


今も、介護時代に痛めた腰が、ちょっとズキズキと・・・・。
疲労がたまると、なんとなく心地よくない。
気苦労や、身体の疲労は、なかなかすぐにはとれないものである。
こういうものには、精神的な要素も、大きく影響を与えていると・・・いつも感じる。



今日は、唯一のフリー日。
明日からの早朝出張に向けての荷作りをして、ぐっすりと寝ることにした。
たった一日だけでも、ゆったりと時間を過ごすことが効果的だと思ったりして、
あえて新しいパソコンには触らず、玄関に置いたままで出かけることにした・・・。


「ゆとり」というのには、全く違う時間でも・・・・
人にとっては大事な要素だと思うのが、この全てに対する“余裕のようなもの”である。
自分の後ろから“何か”が迫ってきていないような環境と、その“何か”をやらなければ
ならないと思い込んでしまって、切迫感にさいなまれているような精神状態は・・・・
あまり健康的ではないと思う。

身体を休め、疲労を取り去るだけでなく・・・・
心をフラットにして、自分の機軸に戻すことと、何かが起きたときに冷静に対応できる
基本的な基盤の修正が、「自分の奥底のセンサー」にも必要であるということだ。
そして、いつも感じるのは、このような行為は、定期的に行うことで、自分を守ることが
できるような印象がしている。
気力・体力・生気をあげて、自分の中の生命力さえもが、あがっているように感じる。
だから、あらゆる事態から、結局は「“自分を守ることができる”のではないか」と思う。



昼間は庭の花に水をあげて、植木の葉っぱについたほこりをはらって・・・・
玄関先を掃除して、あとは「明日からの荷づくり」のみだったが、それもほぼ完成した。

こういう風に「コントロールができる」ように、いつも、冷静に自分を見つめられると
現場での“失敗”や“トラブル処理”も 簡潔に行えるような気がする。
それには、やはり、時として、捨て去る部分を選択する決断も、必要なのかもしれない。


Good by!サンキュー号

2010年11月19日 | 出来事 -

今日、ずっと一緒にいた自家用車 「サンキュー号」 と 別れをした。

    ※「サンキュー号」の名前の由来は、
      ナンバープレートが 「3939」からである。
      感謝の気持ちを込めて、ナンバーは当初から考えて 選択した。



今朝、ついに、専門の中古車会社の方がいらして、わが愛車を連れて帰ってしまった。

もちろん、買い物に行くぐらいの頻度でしか使用せず、維持費との兼ね合いを考えると、
もう私には「車は必要ない」というよりも―「なくても大丈夫だ」という状況だったが、
「イザ!お別れだなぁ~」と思うと、(今朝は)ちょっと寂しい気分だった。

事務的な手続きとともに、サインして、印鑑を押して、キーを渡して・・・
すでに 私の車を買う人は決定しているようで、なんだか(正直)複雑な気分だった。
サンキュー号は、女性が好きになるようなアンティックカーのデザインなので、
意外とこだわり派の人は好きなデザインだと思う。
 (イギリス:ロンドンのアンティックタクシーに似たようなデザインである)


しかし・・・
歌にあるように・・・・「ドナドナ、ド~ナ~、子牛を乗せて~~」みたいな・・・
車なのに、「売られていく車」を、「子牛」にあわせてイメージしたりして(笑)、
私自身は なんとなく不可思議な心情だった。

その事もあってだとも思うし・・・・また、同様に・・・
歩きまわったり、調べものや調整事が多く、身体も心もフル回転だったし、
・・・・今日一日は、仕事も濃密で、全てにおいて かなり疲れた。



今日は「変化の日」、あるいは、「決断の日」。
実は、車を売ったかわりに、冬モデルの最新式パソコンを買ってしまったのだ!!!
これもまた、悩みつつ・・・複雑な気分で、今は到着を待っている。
明日の午前中には、我が家の住人となる予定だ。
一つ減り、一つ増え・・・・私の身の回りの環境も、時間が経てば変わっていくもの。
願わくば、明日は、悩むことなく、セットアップができますように!


「義」 と 「仁」

2010年11月18日 | 言葉 -

「義」・・・・「人として守るべき正しい道」 「人間のふみ行うべき正しい筋道」


「仁」・・・・「他者への思いやりや情け」 「思いやり」 「いつくしみ」 「なさけ」
       「他人と親しみ、思いやりの心をもって共生を実現しようとする倫理」



この二つの言葉は、常に様々な書物に出てくるし、儒教や歴史書には欠かせない言葉だ。



今、話題の坂本竜馬や高杉晋作は、「義を見てなさざるは勇なきなり」と意気があがって、
常に「義」に勇んでいたように思う。
それと対照的に、大久保利通や木戸孝允は、「義」に勇む部分は少なかったように感じる。
維新三傑の中でも、いろいろな姿勢と信念があるものである。



孔子は「仁」を尊び、孟子は「義」を重んじた。
どちらが正解ということはない。
それぞれの人物の姿勢や価値観が、このような「人生の “ 彩 ”」 を描いているのだ。




時々、ふっと感じるときがある。
人の人生よりも大切なものがあるだろうか・・・・と。

また、自分の命よりも大事なものがある人は、
どれくらい・・・この世にいるのだろうか・・・・と。

そういう人物の生き様は、おそらくドラマチックであり、容易にまねることもできない
崇高な精神によって操作されているものかもしれないが・・・・
仮にも人間として、ここにいる私もまた、何らかの使命を背負って生まれてきたのだと、
想いたいものである。
そして、自分の“願っていた大業”を果たした今だからこそ、清らかな気持ちを持って、
自分という存在を、あらためて、振り返りたい気分に陥るときもある。


もし、人生や命よりも、大切な“何か”があったとしたら、私の日々の“命の使い方”は、
変わっていたのだろうか。
そんな憧れに似た妄想にとらわれ、「生きがい」という言葉を熟考しながら、より高みを
目指したい欲求も芽生えてくる。
こんな私でも、まだ「生気」は残っていたのかと、ひそかに嬉しくもあり・・・・。


電車の中で、漫画に没頭する男性と、一生懸命にお化粧する女性の横顔を垣間見ながら、
ぼぉ~っと、そんなことを感じたりして・・・・時間をつぶしている(笑)。



私の人生を描いていくのは、常に私自身だから・・・・
心の豊かさを追い求めていく中に、本当の楽しさが見え隠れしているような気がしている。


「黄砂」現象の被害

2010年11月16日 | 環境 -

ほんの数日前まで地方に滞在していたが、「黄砂」によって、大きな影響を受けた。
晴天の日だったのに、空はどんよりと曇って、太陽に出逢うこともなく・・・・
切ない灰色の空をずっと見上げていた。
高村光太郎の妻:千恵子が言った言葉(東京は灰色。空がない。本当の空が見たい)を
思い出しながら、雲でもない、スモッグでもない、奇妙な「黄砂現象」について、
あらためて感じることが多くあった。
一昨日は東京にも「黄砂」が若干降りたようで、本当にどんどんと海を越えてくる砂に、
いろいろな意味で悩ましい・・・気分がする。
そして、それと同時に、やはり日本だけが頑張っていても、海を越えた他国からの影響が
このようにして自国に弊害をもたらすことを、現実的に経験し、非常にショックを受けた。

地球は、つながっていて、「ひとつの生命体である」ということを・・・・
切実に感じる。



気象現象としての「黄砂」は、大地や大気の条件が整うと、発生すると考えられている。
発生の頻度には季節性があるようだが、春が多く、比較的遠くまで運ばれる傾向にある。
ただ、春に頻度が極端に多いだけであり、それ以外の季節でも発生しているようだ。
まさに、私が経験した数日前の現象のように・・・・。

気象庁の「黄砂レーダー」というものを閲覧すると、かなり明確に把握できる。
発生した場所や、その砂ほこりなどの状態などが、チェックすることが可能だ。


黄砂は国をまたぐ範囲で、あらゆる被害を発生させ、しかもその程度は地域差がある。
発生地に近づくほど被害は大きくなり、屋外の物品に砂ぼこりが付着して汚したり、
周囲の見通しや日照を悪化させたりする。そのほか、交通に障害を与えたりもするし、
人間や家畜などが砂ぼこりを吸い込んで健康に悪影響を与えたりすることもあるようだ。
私の知人もそのようなことを言っていた。
実際、設備機器や精密機器などの中に、細かい砂が入って、破損したというケースもある。
私たちの今回の被害は、内部に砂が入って稼動しなくなった精密機器のトラブルだ。
とにかく、多数の被害が発生している。
(経済的損失は日本円に換算して毎年7000億円を超えとされる)




今回、私は・・・・正直に言うと・・・「黄砂」のことは知っていたものの・・・
「洗濯物が汚れて大変」程度にしか感じていなかった自分を、とても恥ずかしく思った。
やはり、「現実に被害を受けないと、その切実感はないものなのだ」と、率直に感じる。

地球上にある大きな弊害や、危惧するべき脅威(菌やウイルス)などが、この数年は
異状発生して、世界中の環境に何らかの影響を与え続けている。
これが、軽い状態であれば・・・・まだ日常生活も送れるけれども、いつか大きな事件や
大変な損害をこうむるようなことにならないように、ただ祈るのみである。


何から手をつけていいのか分からない。
けれども、やれることからやらないと・・・・いつか手遅れになる。
それだけは、おぼろげながら “確信している事実” でもある。
だから、「今」なのだ。


家電&店比べチェック

2010年11月09日 | 出来事 -

昨夜は、仕事帰りに家電店に立ち寄り、またまた様々な商品をチェックしてきた。
結局、購入したのは、情報保存と共有用の外付けHDD(1TR)だけだったが・・・・
商品知識は、デジタルカメラとパソコンの二つにおいて、めんめんと話を聴いてきた。



まずは、デジタルカメラ、リコーGXRの新しいレンズが発売になり、そのチェック!
(GXRは、レンズ交換のできる一眼レフレベルの“自分流のカメラ”が可能なタイプ)
最終的には、私が購入時よりも、性能がかなりアップしており、同じミリレンズでも
機能面においてはバージョンアップしている。
そして、なおかつ、値段も下がっていた。
「う~ん」 
「買う時期を早まったかぁ」
よくあることだが、少し待った方が安く買えることも多々あるので、その例だと認識。
そして、半年もすれば、また新しいキッドや、交換式レンズが発売になる。

ただ、私の持ちカメラのバージョンアップ機能も、会社のHPからダウンロードして
行えることが判明。
メモリーカードに内蔵させれば、一段とバージョンはアップするらしい。
これにはトライしようと思っている。

しかし、一眼レフレベルの性能が、小さなデジタルカメラに搭載されているなんて・・・
世の中(文明)は、どこまで変わっていくのだろう。




その後、広大な売り場を、うろうろと見ながら移動して・・・
パソコン機能+テレビ機能+DVDブルーレイ搭載のマルチデスクトップをチェックした。
現在、サブで使用中のパソコンを考えると、信じられないようなレベルにあがっている。
また、レンズカメラなども最初から入っていて、インターネットテレビ電話などは、
外付けカメラなしにスマートに交信できるようになっている。
また、お値段も昔のように、目が飛び出すような驚きではなく、これだけの性能があれば
当然かな~と思えるぐらいの値段で、私自身は「リーズナブルだな」と感じた。

現在のメインパソコンが4年を向かえ、最近、信頼が抱けない事案も増えてきた。
サブで使用しているノートのCPUが、バージョンが低く互換性において弊害も出てきた。
そろそろかなぁ・・・・と感じている。
いつ、決断するべきか・・・・今は、そのことだけになってきているようだ。
昨夜、一日の疲れもあって、つい衝動買いを(また)しそうになるのを、ぐっと
止めたが・・・・いつまで止めていられるか・・・・わかったものではない。
映像は綺麗な画面でみたいし、安心した滑らかな動作は、仕事の効率にも影響を与える。

あと少しだけ、熟考して、決めようと思っている。



願わくば・・・今週も、来週も、今月末も、地方滞在がず~っと続くので・・・・
近い将来は携帯端末でメールチェックしたりすることができれば、パーフェクトなんだけど
今はまだそのあたりまで手が伸ばせそうにない。
(脳みその許容範囲が年々減少しているので:笑)
来年は、スマートフォンについて、ドコモチェックかな??


室内LAN インターネット接続

2010年11月06日 | 出来事 -

4年間使用した「室内LANインターネット接続機器」が、な、なんと!・・・壊れた!
新しく、海外のメーカー製品を購入して、無事に、本日「接続完了」。
小さなボディで、接続も非常に簡単になり、セキュリティも機器内に搭載されている。

ありがたやぁ~。
たいした苦労もなく、接続できたことは本当に有難い。
昔は、一つ一つサポートセンターに電話していた頃があり、前回の製品は地方の商品で、
室内LAN も、ある意味ではメジャーになってきたようだ。


先日、会社でもインターネット接続がうまくいかず・・・・困惑後・・・
室内LAN に、(KEY:パスワードを聞いて)設定を変えたら、あっという間に回復!
コードのないインターネット接続は、本当に便利であり、同時に違和感のない形態だ。

次に目指すは、日本国内どこでも・・・・というインターネット環境か?!


しかし、4年という時間は、パソコンも、周辺機器も、お疲れが出てくる時期だ。
自宅のパソコンも4年使っていて、最近、かなり綱渡り的な状況になってきた。
一度、リカバリーをしたものの、状態は健全ではない・・・という印象だ。
そろそろ、新しいパソコン環境を構築するための機器選びをしなければと思っていて、
今日も、ホームページを使って、内容、搭載要素、価格などをチェックしている。
いろいろと悩み多き懸案事項が続くが、私にとって酷なのは、これらの面倒なことを
すべて同時に「やっていく」ことを 強いられているということだ。

住環境の大きな問題

2010年11月04日 | 出来事 -

最悪で、いやぁ~な文書が、また郵便箱に入っていた。

我が家の隣にある「広い敷地」は、とても快適な「緑地」であり、気持ちが良い。
今・・・・ 野鳥と昆虫の住処となっているが・・・・・
そこに・・・ 一度、取りやめになった「マンション建設計画を再開する」という通達だ。


前回も、何度か、建設会社と住民との話し合いの会が持たれて、この近所の人々は、
非常に感情的になって、闘争体制に入っていた。
当然、日照権は侵され、建設されると景観は壊され、建設途中は半年にわたって騒音に
悩まされるし・・・・・・何よりも、環境的に「住空間からもたらされている快適性」は、
ほとんど喪失してしまうだろう。


もし、この建設計画が実現しようものなら、私の生活は・・・・どろどろ・・・だぁ。
困ったものだ!! 
考えるだけでも、嫌な気分だ。
ストレスをためる一案が、また再発してきた。
これからも、頻繁に、面倒な問題をかかえてしまうことになってしまうだろう。
当初のように、交渉して、引越し代の一部金をいただくように考えようか。
住環境の条件が変わるわけなので、賃貸で契約している私としては、交渉の余地があると
思っているのだが・・・・これから、いろいろとリサーチすることにしよう・・・と思う。



部屋の掃除や、荷物の整理を気持ちよくはじめたら、こんな複雑な手紙が届いて・・・
なんとなく気持ちは落ち込んでいきそうだ。
マンションの建設計画は、まだまだ先のようだが、状況を把握して考えることにしよう。

引越しをまじめに考える時期がきたのだろうか。
それとも、単なる“揺さぶり”で終わり、前回のように徒労で終わるのか・・・。
これからの進展を、決して感情的にならずに、客観的な立場から見守っていきたい。


不安定な人々の傾向

2010年11月03日 | 社会 -

今日は、早稲田Vs慶応の優勝決定戦で盛り上がり、日頃のウップンを晴らした人も
多いのではないだろうか。
また、日本シリーズもあって、野球好きの人には、たまらない一日だっただろう。
何かを“きっかけ”にして、“思い切り 伸びやかな気分の時間を 過ごすこと”は、
気分転換となって、(日常生活の中では)本当に大切なことのように感じる。

一般論として、何かモンモンとしたものを溜め込むのは、精神的に良くないと思う。




話題は、変わるが・・・・・・
今月に変わってすぐに、留守電にメッセージがあったので、駐車場の契約不動産屋さんに
出向いていったときのことだ。
そこは老齢の男女が営んでいる地元の不動産屋さんだが、まだボケるには早い年齢の人だ。
しかし、私の連絡先(契約解除)が覚えられなかったらしくて、その確認だった。
(メッセージで、ちゃんとそう伝えてくれたら、問題なく、電話で済んだのに・・・ね)
女性が、とても切羽詰った印象がしたので、わざわざ(出勤前に)足を運んだのだ。


しかし、そこで、・・・事情を知らない(不動産屋さんの)もう一人の男性の方から、
よく理解できないことで・・・・
                 突然、キレられた! 
                              (意味不明?)




誰でも、最近は・・・年齢に関係なく・・・・
すぐに、キレるようだ。

見渡してみると、イライラして、落ち着きがない人が多い。

こんな顕著な現代人の傾向が、あらゆる場面や、あらゆる人々に感じられるようになった。

昔は「短気だね」ですんだことが・・・最近は余計な不安を感じるような時勢のために、
周囲の人々の反応に(必要以上に)気を配る必要が出てきた。
世知辛い世の中である。


社会的な経済状況が良いとは言えないし、だからこそ都会のビル内には店舗がすぐに
変わってしまうけれど、それは当地(郊外)でも同じことのようだ。
しばらくすると、気にしていた店がなくなったり、違う店になっていたりする。

経済的な不安定さは、仕事をしている人間にとって、質は違えども「不安感」をあおる
ことにもなり、それは・・・個々の人間の精神状態にも影響を与えていると思う。



私なんかは・・・・成金でもなく、また、守銭奴でもなく、
過去に大金を手にした経験もなく、そういう願望や執着なんて微塵もない。
だから、しみじみ思う。
「仕事があるだけ、いいんじゃない。 恵まれている方だよ!」
心から、そう思う。

でも、いつかは「仕事がなくなるかもしれない」とか、「生きていけないかも」とか、
今でも そんなマイナスイメージを抱くときがあるのは 事実である。
しかし、そういうときこそ、“自分の心の容量が図れるときだ” とも 思うし、
こんなマイナスイメージに負けてはいけないと・・・自分が自分を勇気付けてもくれる。

二十代の食べられなかった頃、私は生活費のために 借金するぐらい 困窮していた。
そんなときでも、いつも こんなことを考えていた。
「どうしても耐えられないくらい お腹がすいたとしても、
 誰かがパン一つぐらいは恵んでくれるかもしれない。
 そうしたら、また何日かは生きていられる・・・。
 ケセラセラ・・・だ!
 世の中、そんなに捨てたもんじゃないはずだ、きっと!」

しかし今、その「世の中の人々に対する印象」が、変わってきているのが、最大の問題だ。


昔の「昔」かもしれないが、ずいぶんと前の日本人がフツーにやっていたような・・・・
助け合える精神性と、繋がりのあるコミュニティの復活を、切に期待したいものだ。
      

自家用車との別れ

2010年11月03日 | 出来事 -

これまでお世話になった自家用車の必要性について、ずっと悩んでいたが・・・
今月で手放すことにした。

父の介護中は、主治医の病院へ週に2~3回の点滴治療と、そのほか整形外科へも行き、
また、遊びのために気分転換の公園や遊園地が眺められる場所、それにお風呂や食事など、
身体が元気だった頃は、よく車を使っていたものである。
父に当地に来てもらってからは、車がなければ困り果てることばかりだったと思い返す。

父の体調は、あっという間に悪くなり、車の需要度は・・・ 一期に落ちていった。
そして、ほどなくして、父は、逝った・・・。

それでもずっと自家用車 「サンキュウー号」 は、私の手元にあったが・・・・
ほとんど使わなくなって、バッテリーもあがるほどになってしまい・・・・・このたび、
ついに、手放す決心をした。

おかげさまで、使ってくださる人も見つかり、有難く思っている。

駐車場契約は、今月まで。  (先月には連絡も入れて、あとは車を引き渡すのみだ)

間もなくしたら・・・・ 別れる日が来てしまうのか―と、今は感慨深い。

見覚えのない顔

2010年11月01日 | 仕事 -

久しぶりに会社に行くと、知らない顔がいくつか増えている。

キャリア優先で入ったのだろうか・・・
まるで「おじさん」と呼びたくなるような・・・かなりの熟男も、うろうろしている。

契約社員のほとんどは、会社外で仕事をしたりしているので、
誰が誰なのか・・・特にわからないことが多い。
また、首のすげ替えは、ものすごく早いので・・・・もっと・・・わからない!



今日も、知らない若い男性が、何人もいて・・・・対応に窮した。
しかし・・・彼らは私のことを知っているらしく、
彼らから (私の電話中に) 目の前の卓上に 伝言メモが届けられる。

また、私が席をたったりした時や、エレベーターから降りると、会釈をされたりする。
でも、私からすれば「見知らぬ顔」ばかりである。

“彼らは、だぁ~れ?”




私が知らない人に知られているということは、別に何でもないことではあるけれど、
同じ会社内の共同体に属しているメンバーであれば、時を見計らって、自己紹介するとか、
せめて名前を名乗るとか・・・そういう“やりとり”があってもいいのいなぁ~と、
少しばかり寂しく思ったりする。


けれど、雑務に追われる若者や、契約社員などは、とても複雑な立場にいるので、
「こころ」を投げかけても、あっという間に、いなくなっていることも多い。

挨拶して、別れを言ってくれる人はまだいいが・・・・




会社内の労働形態が変わらない限り、このような経験と、切ない人間関係は、ずっと
続くことだろう。

仕事の現場でも、まさに「無縁社会」のような孤立感を感じてしまうこともしばしばだ。
これが「現代社会」の労働現場というものだろうか。