横顔

2006年02月27日 | 雑感 -
父には、「かわいらしい(優しい)ところがある」という。

隣家に住むYさんの感想だ。
まず、笑顔が良いらしい。
にこっと笑うと、“いい感じ”らしいのだ。
「その雰囲気が良い」と、Yさんは言ってくださる。
私としては、「そうなんだぁ」と思いながら、ちょっと嬉しかったりする。

独りぼっちで“お留守番”しているときは特に、夕暮れ時が“ものさびしい”と思うので、
ヘルパーさんが依頼不可能な日曜日に(どうしても)私が外出しなければならない際には、
時間があるときに隣のYさんに見守りをお願いしている。
昨日もそうで、Yさんによると「もう少ししたら、娘さんが帰ってくるわね」と言うと、
父は“こくん”とうなずいて、ゆっくりと立ち上がり、壁につかまりながら歩いて
街灯の電気をつけに行ってくれる・・・らしい。

一年ぐらい前には、私の帰宅時間にあわせて、必ずお風呂にお湯をはってくれていた。
自分はお風呂が大好きなので、私にも「気持ちが良いから、入れ」とうるさく誘っていた。
思いやりだとは素直に受け取れない部分もあったが、やはり気持ちは伝わってきていたと、
今になってしみじみと感じる。

いつものことだから、自分では「当然だ」と思って“特に感じていない父の行動”が、
Yさんの感想によって、あらためて“そうだなぁ”と思うことがある。
こうして、人とかかわる事によって、
また、人とかかわって遣り取りする言葉によって、気づいたりすることがある。

そうして、そこから感じることと言えば・・・
たまには、「ニュートラルな意識で、相手に向き合うことも必要だなぁ」ということだ。
なぜならば、相手も自分も刻々と変わり続けているからだ・・・。

語録

2006年02月26日 | 言葉 -
ビジネス界の成功者:ブライアン・トレーシー氏。
本日開催された彼の講演会に招待されたのだが・・・予定があって行けなかった。
残念な気持ちを込めて、ブライアン・トレーシー氏語録をリフレイン!


   ☆「偉大なる聴き手になれ。」

   ☆「私達は潜在的な天才だ。私達が解決できない問題はない。
     どこを探しても見つからない答えなどもないのだ。」

   ☆「敗者は“不安が解消される”ことをし、
     勝者は“目標が達成される”ことをする。」

   ☆「あなたの目標の唯一の障害は、あなた自身の心の中にある壁である。 」


             <ブライアン・トレーシー(経営コンサルタント)>

信頼感の熟成

2006年02月25日 | 言葉 -
 
 
 「 鋭きも鈍きも ともに捨てがたし

    錐と槌とに使いわけなば 」


        <広瀬淡窓(儒学者・教育家)>



                    錐(きり):穴をあける道具
                    槌(つち):ものをたたく道具


  ※「人には長所も短所もあるが、皆それぞれよい個性を持っている。
    その個性を伸ばすことこそ教育である」という独自の教育方針を
    詠んだものだそうです。
    広瀬淡窓は、幕末から維新にかけて活躍した多くの人材を育てた
    ことで知られる人です。

戸惑い

2006年02月24日 | 雑感 -
行く道順(ルート)に自信がないと、ほのかに不安が押し寄せてくる。
自分の確信が、揺らぎはじめるのだ。
そして、いつの間にか・・・大きな恐怖心に変貌して、
自分自身の「確信」は「不確実な思い込み」になってしまう。

以前に経験したことだったのだが・・・。
自宅から高速道路にあがり、湾岸線を通って、羽田空港まで人を迎えに走った。
不安で不安で仕方がなかった・・・。
自分の車で空港まで走るのは、生涯初めてのことだったからだ。
胸がバコンバコン鳴って、「大丈夫なの?」と問いかける自分がいた。
パーキングで、心優しそうなトラックの運転手さんに道をご教授いただき、
ほんの少しは気持ちが安らいだのだが・・・。
いざ走り始めると、“猛スピード車”やたくさんの“ブンブン走る大型車”の存在感に
「どっか~ん」と打ちのめされた。
そして、何よりも到着便の予定時間が、気になって仕方がなかった。
「行かなければならない感(多少遅れてもどうにかなるのにネ)」が・・・
ひたひたと押し迫ってきて・・・。

空港行きリムジンバスを見つけて、「ふぅ~っ」と吐息をもらした私。
「このバスの跡をついていけば、到着できるぞぉ~」
やっぱり、“走っている道が間違っているのか間違っていないのか”は、
私にとって大きな不安材料だったのだろう。
(これは「この道をこのまま行って良いのか悪いのか」ということである)
          ※もしも“その道”が見つけられなかったとしたなら、
            その時はもっともっと不安だったのだろうと予想される。


あの時、人の「人生」に置き換えても、この“思考回路は全く同じものだ”と感じた。
自分の進むべき道が見つからなかったり、その道に不安材料を抱えていたりすると、
本当に「イライラ・ドキドキ・ドギマギ」になってしまう・・・。
こんなときにも、同じような不安感が襲ってくるようだ。

空港からの帰り道は、行きの恐怖心が払拭された。
なんとまぁ、晴れやかな心持ちであったか・・・、本当に不思議なものだ。
一度経験した道であるという安心感と、間違っていないという自信と、
誰かがそばにいるという心強さが重なって・・・
なんとまぁ、心が穏やかだったことか!
私自身の人生も、「こうであれば良いのだろうなぁ」と、しみじみ実感した。
行く道の方向性と、正当性、そして、一人ではないという環境作り・・・。
「なるほど」「なるほど」「うん」「うん」
またひとつ、自分の“大いなるキズキ”を体感した感覚だった。


今、私は・・・
父との関係、父への対応に対して、同じような印象を抱いている。
「どのような選択が良いのか」
「どのような対処が良いのか」
「これで良いのだろうか」
日々、同じような質感の“戸惑い”や“迷い”と出会うハメになる。

「大いなるキズキ」との出会いが、待ち遠しい。

新顔

2006年02月23日 | 出来事 -
今朝、ポータブルトイレが届いた。
本来は昨日の朝一番で届く予定だったのに・・・
「お約束では今日なんですけれど、届かないんですよ」と連絡して、業者さんに
確認してもらったら、「明日にさせてください」とのこと―。

「はぁ、まぁいいですけれど・・・」
             <最近は、お約束を簡単に忘れる人が多くなりましたネ>


てなことで、(私の外出予定が二時間遅れて・・・)
ヤットコサ届いたモノは、「う~ん」と惚れ惚れするような家具調ポータブルである。
頑丈そうなつくりで、ガタイの大きい父がのっかても、びくともしない感じだ。
魅力的な我が家の「新顔」である。

その新顔を目の前にして、父は上を見たり下を見たりしながら、
嬉しそうに観察して、なんとなく気に入ったような様子だった。
今朝も落ち込んで泣き出して・・・ヘルパーさんと一緒に顔をふいたところだったので、
ニコニコした表情は、ことのほか“喜ばしいことだ”と思ったのだが・・・

やはり帰宅してみると、どっぷりと再び落ち込んでいた。
  ひとりぼっちがいけないのか・・・
  排泄がうまくいかないのが問題なのか・・・

  「もうあかん」
  父は、ただ“この言葉を繰り返している”。

新顔は、観察だけで使用されておらず、今朝の状態のままだった。
オムツもうまく使えないで失敗を繰り返しているのだから、
ポータブルトイレも慣れるまでには時間がかかるかもしれないとは思うのだが、
とにかく今後の動向を見守るしかないようだ。

新顔さんの活躍を期待!!
「たのみまぁ~す」「おねがいしまぁ~す」

孤立感

2006年02月22日 | 雑感 -
どろどろ・・・
もやもや・・・
いらいら・・・
ごちゃごちゃ・・・

ついぞ、こぼれ落ちる言葉・・・「まったくなぁ」・・・。


誰もいない感覚――
相談する人も、助けてもらう人も、
身近には「誰もいない」。

友人には吐き出したりするし、彼らは誠意をもって付き合ってくれるけど、
そういう一時的な愚痴なんかでは満たされない。
きっと本来の私は、それとは違うものを求めているんだろうけど・・・
現実には厳しいんだなぁ。



私は、ずっとずっと「一人で」介護をしてきた。
いつも“孤立感”を感じてきた。
平成10年に逝った母の最期もそうだった・・・。
誰も助けてくれる人がいなくて、手伝ってくれる人もいなくて、
日々のことを聴いてくれる人もいなかった。
地元(四国)の大学病院でむかえた最期の八ヶ月間は、
寝たきりの母をおいて銭湯に行くことさえもできず・・・
本当に疲れ果ててしまった。
ベッドの脇にパイプイスを三つ並べて、毎夜就寝していたのだが、
身体を動かせない窮屈感が、より疲労をつのらせていったのだと感じる。
あの頃の私は、「自分の“助けて光線”が弱かったなぁ」と今は思うし、
気持ちのコントロールの仕方が充分ではなかったと心底思うけれど・・・
それは「今だから」見えていることだったりもする。やはり、誰もがそうだと思うが、
渦中の真っ只中にいるときには、(努力したとしても)冷静な判断は厳しいものだ。
とにかく、「介護生活」って“心身がボロボロになってしまうものなんだ”と思い知った。

    当時の私は、東京に住居(賃貸物件)をかまえていたし、
    ちょうどヘビーな仕事(他の人に代わってもらえない)を担当していたので、
    会社をすぐに辞められず、日帰りの二重生活を繰り返さなければならなかった。
    そして、身を割かれるような数ヶ月を経て、やっと母の元に落ち着いた。
    だから、経済的な負担や、精神的な重圧があって、余計に辛かったのだと思う。
    ・・・ホント、当時の私には、余裕というものが全くなかった・・・。

もちろん、そういう状況の中でも、ちょっとした“ふれあい”で心が満たされたり、
見知らぬ人との交流で救われたりもした。
同じ病室の人たちとは、家族のような付き合いになって、愛情がわいて、
みんなの間に“不思議な連帯感”が芽生えたりもした。
毎朝挨拶を交わし、顔色を見て、寝起きをともにして暮らしていくのだから・・・
「病室」は“ちょっと風変わりなコミュニティ”のようでもあった。
実際、自分の生活や心の風景も、徐々に前向きに変わっていったけれども、
それでも“孤立感”や“淋しさ”を完全に拭い去ることはできなかった。
事実、私は「一人っ子」だし、それは一生変わらないことではあるが、
このことに対する自分の捉え方が“曖昧だった”と、当時の自分を振り返って思う。
何故なら、根拠のない恐れや不安にとらわれて、不安定になってしまったからである。


「いま」の輝きを止めて、不自由に生きるのは“閉塞感”を生む。
永遠に終わることのない「何か」の“先延ばし”は、論理的に考えると、
“自分を傷つけ、周囲をも傷つける可能性をはらんでいる”かもしれない―と思う。

   私は、今、何を求めているのだろう?

   私は、今、何が目的で生きているのだろう?

もし・・・その目的のために「いま」を犠牲にしているのだとしたら、
そういう「今を犠牲にする考え方」は、現在の抑圧や重圧を正当化するための“何か”、
ある意味では“まやかし”かもしれないし、“理由付け”かもしれない―とも思う。

今、ここに存在し、
手を伸ばせばつかめるという、
「人生の意味」「喜び」「悲しみ」「迷い」「苦しみ」さえも味わうことなく、
未来に先延ばして・・・ただ「目的」に向かって歩き続けるだけの人生だとしたら・・・
いつかきっと疑問を感じてしまうかもしれない。

そして、そのときには、おそらく気づいてしまうのだろう。
“自分が歩んできた人生は、一体何のためだったのだろう ”・・・と。

――目的に対する「慮り」。


            ※[慮り(おもんばかり)とは、考えをめぐらせること]
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転倒

2006年02月19日 | 介護日記 -
最近、父はよく転ぶ。
身体のあちこちに、「アオタン(アザ)」をつくっている。

今朝も、ドスンとベッドから転げ落ちた。
寝たきりになったお正月からずっと足の具合が最悪である。
天候も不安定で、まだまだ寒い日々で、それも影響していると思う。

今日の昼食のときには、今朝以上に大変だった。
トイレに入ろうとして、ゆっくりと歩いていた父が・・・突然、
じ~っと立ち止まってしまった。
包丁を持ち、コンロに意識があった私は、同時にトイレの方に目を向けた。
しばらくチェックしながら、様子をうかがっていたが・・・
パンツをずりさげ、「イザ!一歩」という体勢になったので、ひと安心したら・・・
そこから、スッテンコロリン!ドスン!

悪いことに、後ろに(豪快に)倒れ落ちて、家具の角に頭をぶつけてしまった。
「あぁ~~」と声が出たが、おかげさまで・・・
去年の夏のように、何針も縫うような流血事件にはならず、
「いたいの、いたいの、飛んでいけ~」で済ませられたものの・・・
本当に冷や汗が出てしまった。

「ふぅ~」と、ためいき・・・。

不穏な雰囲気を感じたら、やはり「すぐに飛んでいくべきだった」と反省しきり。
最近の父は(比較的)成功していたので、ほんの少し安易な考えに支配されてしまった。

ガスのコンロなんて、止めればすむことなんだから―。
介助すればよかった。
すぐに走っていって、手を差し出せばよかったのだ。

ところが、最近の私の脳細胞は、本当に“回転が悪い”。
瞬時の判断力は、かなり低下している。
文字通り24時間体勢の介護生活が、体内時計を鈍らせているらしく、
何をやるときも「ドン(鈍い)な感じ」は否めない。
意識は緊張しているはずなのに、緊張していないような行動様式になってしまう。
集中力も途切れ、体力もたよりない感じだ。
私の頭や身体、そして心が、
「少し休ませてちょーだい」と懇願しているみたいだ。
“こんなことではいけない”と戒めつつも、元気が戻ってこない。
今日はお昼寝を1,2時間したが、「まだまだ~~もっとぉ~」と叫んでいるみたいだ。


※ 転んだ父は、トイレ(今日は“大きいやつ”)が間に合わなくなってしまって、
  結局、私の仕事は“また増えちゃった”りして・・・。
  正確に言うと、足が悪いので立ち上がれなくて、
  立ち上がろうと力を入れたら、出ちゃっただけなんだろうけれど、
  私も巨体の父を一人では持ち上げられないために、
  どうしても“間に合わなくしまってしまう”のだ。
  こうして、日々排泄物と格闘する日々!
  掃除と洗濯ばかりで、毎日がくれていくような気さえする(笑)。

会議

2006年02月18日 | 出来事 -
昨夜は、ひさしぶりに近隣六軒の会議だった。
しかし、ほとんど「いつもの雑談大会」になってしまった。
先日、隣接する「素晴らしく環境のよい空き地」に、マンション建設のお知らせが届き、
「いよいよ来たのか」という声とともに、「もめますね」という声が相次ぎ・・・
やはり“このような会議を定期的にもつ”ということになってしまった。
そうした経緯から、昨夜は「第一回目の近隣会議」だった。
これから建設会社との確認・折衝作業になっていくのだろう。

しかし、それにしても、この辺りの皆さんは、本当にホットだ。
近所付き合いのイメージを超えて、とてもとてもハートがあったかい。
余計なバリアーをはることなく、人が人と“かかわっている”。
ただ単に“かかわっている”のだ。

遅れてきた“ほろ酔いのWさん”の言い訳をさえぎり、Wさんのコートを脱がしながら
「そんなこといいから、とにかく、ほら、座りなさいよ」といさめるTさん。
それを見ていた皆の間に笑いが起こり、それに反応するTさんは、
「だって、うちの息子と同い年なんだもの」と、満面の笑み!
1年前に奥様を亡くしてしょげているWさんは、そういう親しみある会話が嬉しくて、
「皆がいて、こういう時間があるから、引っ越せないんだよなぁ」とつぶやく・・・。
それに、昨夜は申し送りなど何もしていないのに、其々が一品持参して集まって来た。
参加者全員各々に「焼きたて食パン」のおみやげを持参してきたYさんは、
「おいしいから、皆に食べてほしくって・・・持って帰ってね」と微笑む。
私はホシイモ持参で、他の皆さんも、煎餅やら和菓子やらを持参して・・・(笑)。
残ったお菓子類は、袋に分配されて「おみや」になって、持ち帰らせていただいた。

当地は、季節になると、ウグイスが鳴く。
暖かくなると“窓を開けて就寝する”のだが、朝は“鳥達の鳴き声”で目が覚める。
この環境がなくなってしまうのが、本当にツライ。
近隣対策会議の要点も、一応絞られてきたのだが・・・・・
Wさんは「ウグイスの住処を守れ」と力説。皆の思いも、全く一緒だ。
こういう自然が身近に感じられる環境でいるからこそ、こういう近隣との付き合いも
残っているわけで・・・それは自然と触れ合うことによって、“人間的な心持ち”も
いつまでも人々の心の底に残っていくものだと、私は確信している。
自ずと、自然を敬う気持ちや、自然の有難さを感じるし・・・それは、まさに
「命を感じること」ができるということでもある。
目の前の動物・鳥・虫・植物・・・そして、自分自身の・・・。ひいては、人間の・・・。
“命が見えている”ということは、人に対する対応も違ってくるものだと思うし、
人々が人として持ちうる感覚や常識観念などを培う手助けを、「自然」はしてくれている。
その人が自覚していなくても、“実際はそういう効果があったりするのではないか”と、
私は思う。しみじみ思う。
だから、今回のことは、かなりショックだし、哀しい。
マンション建設は止められないだろうが、こういう想いまでもが「何でもない」と
思われてしまうことには耐えられない。
やるせない・・・。
「主張しよう」という姿勢をお互いに確認して、「よりベターな状態で暮らしたい」と
マンション建設に関しての“細かい確認”をしていこうということになった。

私としては父が心配で、落ち着かないままの会議(20:00開始~)だったが、
3時間という区切りのよいところで父の目が覚めたようで・・・「ラッキー」だった。

次回の会議は、お金持ちのWさんの“アレンジ&おごり”で「夕食会」になるそうな。
申し訳ないけど、ちょいと楽しみ・・・。
何が食べられるのかなぁ。(いやしんぼうサクレツ!)

戦略

2006年02月17日 | 雑感 -
「うつ」には、バナナがよいそうな。

そう聞いてから、日々バナナを買い込んでいる。

昨日は、一本食べてくれていた。

         「しめしめ」・・・・・ほくそえむ私。

“おめざ”のまんじゅうを買わなかったら、もっと食べてくれるかなぁ。
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遅滞

2006年02月16日 | 介護日記 -
雨。

今日は、雨で・・・
朝からずっと“そぼ降る雨”。

「今日は、暗くなる前に、帰ってくるからね」
父の耳元に口を近づけて、大きな声で言った。
そして、ヘルパーさんに見送られながら、私は出かけた。
“父は理解してくれているだろうか”
         ・・・そう疑問に感じながら。


午前中の予定を処理し終わった昼頃、突然携帯が鳴って、
クライアントからのアポ要求があった。
急遽予定を変更して、私は待ち合わせ場所に向かった。
そして、結局そのアポは随分のびてしまい、どっぷりと暗闇になってしまった。
時計が気になり、落ち着かない私―。
「父は、大丈夫かなぁ」
「とにかく、飛んで帰ろう」
すぐさま、最寄の駅に直行した。

電車に飛び乗った途端・・・車内にアナウンス!
「ただ今、人身事故が発生し、電車の運転を見合わせています」
「お客様にはお急ぎのところ、誠に申し訳ございませんが・・・」
な、なんと!
死傷事故のようで、“レスキュー隊が救助活動をしている”とのこと―。

そぼ降る雨の中、同じようなアナウンスが何度も何度も流れるが、
一向に電車は動こうとしない。
人々は駅員さんに問い合わせている。
みんな、携帯を片手に、電話したり、メールを打ったり・・・
ぎゅーぎゅー詰めの車内から避難して、寒いホームで佇んでいる人の多いこと!
やっと動いたと思っても、一駅移動して15分固まり、また一駅動いて15分固まり、
一時間半以上もこういう状態が続いたのである。


「自殺なんだろうなぁ。はぁ~」
私の口もとからは、ため息がもれて、胸が息苦しくなった。

この国の自殺者は、年間三万人を超えているが・・・その数は、
毎年どんどん増えているらしい。
「高度な競争化社会」が生んだ精神的ストレス&心理的圧力・・・そして・・・
これが、最終的に「負け組(と呼ばれる人々)」が直面する現実なのだろうか。
常に“勝ち続けることを強いられた社会”で生き抜くことは、本当に過酷なことだ。
私は、それを想像しただけで、「ぐげっ」とえずきそうになってしまうが、
アナウンスを聞いている人々の表情は変わりなく、私にはそれがミョウに据わりが悪い。
  (勿論知らない人に感情を吐露するなんて、おかしなことだし・・・)
  (感じていても、感じていないそぶりなのは、ごく常識的なことかもしれないが・・・)
私の目には、車中の人々の表情が・・・能面に見えたのだ。
最初のアナウンスを聞いても、何も変わらない反応に、吃驚してしまった。
 「この雰囲気は、どういうこと?」
 「反応が全く無いのは、慣れてしまっているの?それとも、感じないの?」
だから(正直に言うと)・・・身が凍るような・・・とても居心地の悪い時間だった。



20時すぎ、やっとのことで、辿り着いた我が家―。
門灯が灯っていて、家はいたる場所から灯りが漏れていた。
「電気は、つけられたんだ。よかった!」
真っ暗の部屋で“ベッドで寝ている父の姿”が目に浮かんで、とても心配で心配で、
落ち着かなかった私には、すごく嬉しい“灯り”だった。

「ただいま~」と大きな声で玄関を開けた“私の顔”を見るなり、父は泣き出した。
「おまはん、どうしたん?」
「お前が一番世話してくれるのに(涙)」
「いないから、どうしたんかと思うて・・・(涙)」

      「ゴメン、ゴメン」
      「ホント、遅くなったなぁ」
      「心配したの?ゴメンね」

「今日は、はよ~帰るって言うたから・・・」
  今朝の言葉、覚えていたんだね。
  わかっていたんだぁ。
  それだけで、私は嬉しかった。
  
  理解していたんだな。
  それだけで、感激しちゃったぞ!

  理解したから、心配したんだね。
  理解してなかったら、こんなに心配しなかった・・・かもしれないんだよね。

    ふくざつ~~~。



部屋の中を見渡してみると、一度外に出たような形跡が残っており、
どろどろの土汚れが・・・。あそこも、ここも・・・。
トイレは、いつものように汚れていて、今日は鼻血のオマケ付だ・・・。
洗濯機には洗濯物が放り込まれており、着替えは(どうにか)問題なかったようだ。
当然夕食は、とれておらず・・・台所の机にはジュースがこぼれ落ちていて、
おまんじゅうのパッケージがいびつに開けられ、辺りに“きなこ”が飛び散っている。

父の“ひとりぼっちの悪戦苦闘の模様”が垣間見えて、
また“ぶすり”と胸に突き刺さるものがあり、
それもまた「ふくざつ~~~」だった。

やっぱり、一人で留守番してもらうのが、かなり心配になってきた。
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感謝

2006年02月15日 | 言葉 -



感謝している時、不安は消えます。

感謝している時、不運は消えます。

感謝している時、みんなとつながっています。

感謝している時、あなたは変わるのです。

そして、その気持ちで、ただ歩くだけでも、

周りの人は気づきます。

 
         
    <アンソニー・ロビンス (コーチ、コンサルタント、心理学者)>
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激変

2006年02月14日 | 介護日記 -
状態は、変わらず・・・

深夜には、何度か起きて、いろいろな“こと”の対処をする。

とにかく、父は“落ち込む”。

排泄に失敗して、「情けない」と繰り返して、泣きじゃくる。
できない事実は、随分昔からなのに(それも毎日なのに)、それでも
同じように嘆き悲しむのだ。

   泣きじゃくる父の顔の正面に、私は座り込んで、ひとしきり大きく笑う。
   まるで、それが「馬鹿馬鹿しいことで」「なんでもないことなんだ」
   「ちっちゃなことなんだ」と印象付けるかのように――。
  

父は、公園に行っても、数週間たつと忘れている。
数日後でも、特別なこと以外は、忘れてしまう。
たとえ同じ場所や同じものであっても、何度も感激してはくれるが・・・
嘆きや悲しみの“負の感情”もまた、何度でも新鮮に体感してしまうのだ。

そして、
「どのようにしたらいいのか」「どういうことに気をつけたらいいのか」について、
私の要望(意見)は伝えるものの・・・やっぱり前後左右間違えてしまったり、
自分流に勘違いしてしまったりする。
「認知能力」がないのだ。
たとえば、夜用オムツ着用や、オムツの使い方なども・・・
何度伝えても、そのとおりに実行はできないようだ。

フツーなら、そういうことはできるはずなのだが、
それぐらいの認知力はあるはずだと思いたいのだが・・・
とにかく欠落してしまっている。
実際には、できない。

隣のYさんに言われた。
「お引越してきた頃は元気だったのにね。草むしりや、庭弄りして・・・ね」
「毎日、お庭に出て、お掃除したりしていたのにね」
「えぇ、ほんとに・・・」
笑顔がよく出ていた“あの頃”が懐かしい。
ほんの数ヶ月(1年弱)で、大きく激変してしまったのは、誰もが認める事実である。
「こんなに、変わってしまうのか・・・」と、自分でも思っている。

私も、変わらず・・・
とにかく現実を直視することにも“心を荒れずに”“その度ごとに対処する”ようにと
ただただモチベーションをあげて、常に鼓舞し続けている。
「大丈夫」と繰り返すのは、父に向けてだけではなくて、
実は“自分自身に向けて”発している言葉だと感じている。
しかし、こうして“単純に言葉を繰り返す”だけではあるが、
パワーは湧いてきたりするので、たいへんありがたい。
自分で自分に暗示をかけるかのように、深く、深く浸透するまで“やり続ける”のだ。

もし、“かすかな救い”があるとしたなら、
「頭がいたい。くよくよ考えるからじゃなぁ」
と、父がこぼしたこと――。
少しは、現状認識ができてきたようだ。
やはり、あきらめずに声をかけ続けることは大切かもしれない。

こうして、“私たち二人の日々”は繰り返されている。

深夜独白

2006年02月12日 | 介護日記 -
トリノオリンピック初日―
初めて“夜中に近所を歩き回った”。
そうして、道沿いの家々では、たくさんの電灯が灯っているのを確認した。
いつものことやら、今夜(トリノ)だからなのか・・・(不明なれど)。

昼間購入した「鳥とブタのミンチ肉500グラム」。
大事なミンチ肉を、車の中に忘れたことを思い出し、深夜とぼとぼ駐車場に・・・
「バッカみたい」と思いながら、とぼ・・・とぼ・・・。
最近の私は、「忘れんぼう」だ。
「静かだ」「暗い」「街灯が少ないなぁ」「こちらも、まだ起きているなぁ」なんて、
どうでもいいようなことを考えながら、お腹がすいたのでりんごをかじりながら・・・
“いつもはしないようなこと”をしたりして(笑)・・・とぼ・・・とぼ・・・。

昨日の「日光浴」で“気分がよくなった父”に安心していたら、
足元をすくわれるように、こうしてまた二度も三度も深夜に起こされる。
「死にたい」を連発されて、よくわからないことを叫ぶ。
排泄は相変わらず失敗して、そのことで天国から地獄へと突き落とされてしまうようだ。
そして、数十年以上も前のことや、少年の頃にいじめられた同級生の名前を羅列して、
心のドロドロをぶつけてくる。
“現在と過去の違いが把握できていない世界”に、すっ飛んでいく・・・。

いつもは、お薬(安定剤)を飲んでくれて、落ち着いてくれるのだが、
今日は口も開けず、自分の思考の世界にどっぷりと浸りきってしまっていた。
私が発する言葉にも反応がないうえに、応えようという姿勢も垣間見えない。
何らかの力に支配されて、我が身を見失っている感じだ。
とにかく、口の中に薬を滑り込ませて、“時間とともに唾液で溶ける”のを待つとしよう。

昼夜逆転生活は、キツイ。
  (昼夜同等生活というべきか・・・)
二十代から三十代前半に経験していた過酷な重労働時代を思い出す。
過去最悪だったのは、「一週間で八時間しか寝られなかったこと」であるが・・・
あれは“時期が見えていたから耐えられたのだ”と思う。
「この仕事が終われば」―そういう確固たる事実に支えられていたし、
「好きな仕事だから」という意識のもとで、どうにか成立していた現実だった。
やはり、今の生活とは背景が違うようだ。
構造も違うし、関係性も違う。
同じ現象でも、全く異質なものに感じられる。

浮き沈みの激しい精神状態に対峙しながら、「疲れ」と「枯れていく感覚」を感じる。
父に対して優しくしてあげられなくなったら、私は“自分を嫌いになりそう”で怖い。
私自身が落ち込みそうで・・・そんな“根拠のない不安”にも威圧感を感じている。

夜が明けたら、お天気で、さわやかな日差しが舞い込んでくるといいなぁ~。
暗闇は、人を追いつめてしまう。だから、夜中はやっぱり、よくないみたいだ。
お腹がすいて寝られなくなる前に、もう少し寝ておこう。

一割負担

2006年02月10日 | 介護日記 -
トイレにいくことが重労働になった父のために、ポータブルトイレを買うつもりで、
数週間前にケアマネジャーさんに頼んでいた。
やっとこさカタログが届けられたので、それを見てみると・・・
「ひゃ~」
「こんなものもある!」
便利そうな介護用具や、アイデア商品のような趣のグッズもあって、
“あったら良いかも”という思いがわいてくる。
ページをめくる手に、自然とリキが入る。

ポータブルトイレも、デザイン性が重視されたものや、
機能が重視されたものまで、いろいろな種類があった。
値段も高価なものから、安価なものまで・・・。

「迷ってしまうなぁ」

「スゴイ」の一言だ。
便座がぬくぬくの暖房付に、まず目がいく・・・。
「これにしようかなぁ」
ほとんど決まりかけてきた頃、他のページにも気がとられ・・・
あれやこれやと商品チェックが始まってしまった。

尿瓶も様々なカタチがあって、寝たきりタイプに便利なバキューム式のものがあり、
カタログは見ているだけでも飽きない。
早々に週明けにでも注文することにしよう。

知らないと「“得する機会”を、逸してしまうことがある」。
介護保険で買物をすることも、その一つ――。
だって、一割負担で買えてしまうのだ。
それは「3万円の商品が、3千円で買える」ということであり、本当にありがたい。
もっと早くカタログをいただくべきだったと、ちびっと後悔・・・。
「よ~し、盛り返すぞ!」
これから、“ちょっと得する情報”を収集しようと思う。
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日光浴

2006年02月09日 | 介護日記 -
「老人性うつ病」の疑いがある(うつっぽい症状がある)父を連れて、
日光浴に出かけている。

今日は、近くの公園に行った。
少し風があったので、展望台らしき建物の中に、長いすを二つ置いて、
お昼寝をしてもらった。
ポカポカとして、日差しが“あたたかい”。
父は、いつになく高揚感に満ちて、いつもなら降参する階段も根気よく登ってくれた。

車イスを持参していたので、展望台内での父は、手押しをしながら「歩き運動」をした。
“前向きで良い感じ”と感想を持ちつつも、同行者もかなり根気のいることだと痛感!
会話もしかり、身体援助もしかり・・・。

何か特別のことなどなくても、「楽しい」という気持ちが自然に起きるようになれば、
良い結果が得られるような気はするが・・・
今はまだ、モチベーションをあげて、見守り、導いてあげるしか“すべ”がない。
日々、少しずつ「刺激」と「変化」、そして、「愛情」を投げてあげようとは思う。

帰宅した父は、へろへろになっているはずなのに、
またまた(久しぶりに)お風呂まで入ったりして、
やっぱり刺激は良好だと感じた。
日光浴も良かったのだろうな。

今日の行動を察したように、近所のTさんが「お赤飯」をおすそわけしてくださった。
お返しに、切干大根を差し上げて、お礼を言った。
自宅でお赤飯をつくるなんて、やっぱり当地は都会ではないようだ(笑)。
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