接待の気苦労

2010年02月26日 | 仕事 -

昨夜の「接待」は、久しぶりにどっぷりと疲れた。
過剰な忙しさが続き、出張が続き、気を遣う仕事が続いたせいで、
私は余裕がない身体状態だったからだと思う。

「接待」とは、本来「お客様をおもてなしすること」を意味するらしいが、
最近は仕事上における商談や交渉や、あるいはプレゼンに近い打合せの場の印象が強い。
だから、大切でもあり・・・・また同時に、緊張し、疲れる場となってしまっている。


「接待」と言えば・・・・
一時の官僚接待や、料亭を使った談合などの芳しくないイメージも、根強く残っている。
当時、流行った「ノーパンしゃぶしゃぶ」という言葉も、全く理解できないまま・・・
「接待」という言葉だけが、私の中で独り歩きしてきた。

しかし、やはり「接待」と言っても、本当にたくさんの種類があるものだと思う。
また、いつもの同じメンバーで接待しても、その中に一人だけ異質な感性の人が入ると、
場の雰囲気がガラッと変わってしまうものである。
誰がひっぱっていくのか、どこへひっぱっていくのか・・・そのあたりの接待の背景が
大きく影響してくる。

昨晩の「接待」は・・・
私が現在所属している会社の社長に頼まれて、彼が初めて参加したのだが・・・
いつもと違って、相手も緊張しているような感じで、いつもの会食と雰囲気が違った。



私は、お酒が飲めないので、酔っぱらって話が くどくなっていく社長に辟易しながら、
終電の時間をチェックしていた。
それも、隣の人の腕時計で・・・・。

楽しくないと、時間の進む印象は「遅い」。
しかし、ある程度、接待しなければならない側の場合は、張り切って元気良く、
その場を盛り上げなくてはならない。
また、目的とする方向へ導くお手伝いもしなければならない。
それがまた、私にとっては、一種、ストレスフルな行為だったりするのである。

「そうなんですよネ」と、同調する言葉を並べ立てながらも、心は晴れない。
それは、自分が偽りの姿でいるからに他ならない。
自分の意見そのものさえも、否定も肯定もできない微妙な位置関係が心地よくなかった。

無理はしていないが、予想以上のことを期待されても困るし、ただ笑顔で流されても
対応に窮するもので、私の立場としては非常に気を遣う会食だったとしか言えない。

異業種交流会と思うには非常に無理があり、やはり「接待」以外の何者でもなかった。


所属会社の社長は、私のコネクションを最大限利用して、大きなことに引き込もうと
画策しているようだ。
私としては、「人の土俵で相撲をとるな」と 諭したい気分だ。
でなければ、きちんとした待遇と契約条件面を、私に(最初から)提示するべきだろう。
フリーはいつも利用されるだけで、ゴミのように捨てられることも やぶさかではない。
これからは、主張するべき部分は、ちゃんと主張していこうと思っている。
前の会社を相手取って、地方裁判所に労働審判を訴えてから、私の考えと姿勢は、
ガラッとかわったかもしれない。

疲れてみて初めて判る「大人の世界の“いじましさ”よ~~」。



「知識」よりも「感性」

2010年02月25日 | 言葉 -


 知ることは 感じることの半分も 重要ではない

                     < by レイチェル・カーソン >


      by 「The Sense of Wonder」



「センス・オブ・ワンダー」は、彼女が残した最後のメッセージ(作品)でした。
この言葉は、きっと「知ることには、さほど意味がない」ということでは決してなくて、
そのことよりも「感じることがより大切だ」とおしゃっているのでしょう。

人間は、成長すると何故に、子どもの頃に持っていた“素直な心”を、なくしてしまう
のでしょうか。 「社会」に、もまれてしまうからでしょうか。
自己の核よりも、“優先すべきものがある”と、教えられてしまうのでしょうか。

子どもの頃に持っていた“素直な心”は、とても清らかで 楽しいイメージがします。
ストレートな好奇心や、損得のない愛情のかたまりや、不思議なものに対する挑戦!
自分の子供時代を思い出してみても、幾つも“ほのぼのとした情景”が浮かんできます。

「美しいものを、美しいと感じる心」は、偉大なる「自然」から学ぶことが可能です。
そういうことの大切さを、理解しやすい文章で子供たちに伝えたのが、この作品です。
「センス・オブ・ワンダー」には、昔も今も、子供たちの可能性は同じであり、
きっと どの時代に生まれても、“同じような学びを得ることができるのではないか”―
と、心から感じさせられます。

また、大人たちは、今こそ、生態系の上層位置にたっている人類の「責任」として、
“果たすべきことがあるのではないか”と、心底思ってしまいます。
それが、子供たちの将来のためになり、大人の日々の暮らしのためになるのであれば、
尚更、素晴しいことです。



新雪に出会えた雪国

2010年02月24日 | 自分 -

深雪に包まれた雪国。
大きなバッグに下着を詰め込み、先週、息が凍える早朝に、出かけた・・・。



徐々に変化する車窓は、「心」を「大都会:東京から離れさせてくれる」。
ただ、流れゆく景色を見ているだけで・・・。

視覚の支配は強烈で、雪景色を暖かな電車内で見ているだけで、肌に突き刺す寒さが
想像されて、まるで厳冬の中にいるような感覚になる。
それと同時に、白い雪景色が大自然の中に溶け込んで、その美しさに見とれてもしまう。

滞在中には、しんしんと、途絶えることなく、新雪が降り積もり、
一晩の内に景色が変わって、まさに「一面の銀世界だった」。
そのおかげで、カキ氷よりもやわらかい「美しい雪」に触れることができた。
真っ白で、やわらかくて、綺麗で、冷たくて・・・
手の中でゆっくりと水に変わりゆく新雪!

木々の間には、真っ白な雪が積もり積もって、非常に幻想的な世界だった。

手作りのかんじきを履いて歩いたけれど、やわらかい新雪には埋もれてしまう。
西洋かんじきのスノーシューの方が快適だが、ごつごつしていて私は好きではない。

私が一番好きなのは、何もない真っ白な新雪に、自分の足跡をつけること。
雪国使用の長靴を履いて、ずぼっ、ずぼっ、と・・・・
めり込んでいく感じがたまらない。
犬のように、マーキングしているような印象を受けながら、それでも、
ずぼっ、ずぼっ・・・、夜中に活動した動物の足跡をたどるように・・・。

雪国には、雪国の美しさと楽しみ方がある。

しかし、それにしても「雪かき」は大変なものだと、初体験して改めて思い知った。
高齢化社会になった時、雪国の一人暮らしのお年寄りの“越冬”が気になってしまう。
やはり、今、腰が硬くなって痛いのは、あの雪かきのせいなのだろう・・・と、
背中の痛みが、未来の過疎地帯の痛みに感じられてしまう。



帰ってきたとき、感じたことは、この心地の良い疲れは、遠くへでかけた事実が、
移動時間よりも、「移動距離に反応している」ということ――。
まさに、自分の“思い込み”そのものである。
「離れた場所へいったんだよね・・・」
心の奥でイメージしたことが、表面意識に影響しているのだろう。

わかりやすく言うと・・・自分の印象(意識)としては・・・・
長時間をかけて山梨へ行っても、短時間で青森へ行った方が「遠くへ行った」と
感じてしまうということである。

人間の意識というものは、ケース・バイ・ケースで、面白い体験をさせてくれる。




「誠実」であること

2010年02月17日 | 言葉 -


    自分に誠実でないものは、決して他人に誠実であり得ない。


                      <by 夏目漱石>



自分以外の他人に「誠実であれ」と求めるのは、非常に厳しいことかもしれない。
ただ、「この人は、誠実な人かどうか・・・」を、見極める力を持つことは、
自分自身で努力すれば、かなうことだと思う。
時々、“自分にだけ誠実で、自分以外の人には誠実ではない人がいる”ので、要注意!


今夜は、信頼できる二人と、まだ見極め中の一人と、一緒に会食をした。
仕事の打合せ後の懇親会ではあったが、やはり「心を許せる人」に、自分で自然と
反応していることに気がつく。
見極め中の人には、できるだけ意見交換をしたり、気持ちを汲んだりすることが、
今後、必要になってくるかもしれない。
私は、誰に対しても拒否反応がなく有難くもあり、結果オーライになることが多い。
しかし、その反面、「相手を信じたい人」なので、結局は利用されてしまうこともある。
また、もっとひどいのは・・・騙されてしまうこともあるのだョ~~!


心理的な基盤

2010年02月16日 | 仕事 -

不安定な・・・この時世・・・いろいろなことを感じる。
仕事もプライベートも、様々だ。


そんな中・・・今日は、嬉しいことがあった。
4月~来期のプロジェクトが順調に進み、私の企画が最終決定したのである。
本当に、喜ばしいことだ。

現在、一つのプロジェクトを決めるのは、昔とは違って、大変なことでもある。
バックホーンのない私にとっては・・・特に・・・。
立場的にも、会社内で浮いている私は、一匹狼のような存在で、好き勝手なことばかり
していると言っても間違いではないかもしれない。
ただ、自分の企画や、自分の責任ある仕事だけは、(誰もやってくれないので)着実に
しっかりと成し遂げている。

そういう会社内の立場など全く関係ない状況で、今日のような有難い結果になった。
自分で、会社の力を借りずに、ただ一人で根回しと実績と結果を積み重ねてきたからだ!
と、そう思いたい現実だった。
会社内に相談する相手も、愚痴をいう相手もいない稀有な立場の私だからこそ・・・
正直、本当に嬉しかった。年に何度かある「喜びの瞬間」だ。



短絡的な流れは、――仕事が決まる―――仕事が終わる―――お金が入る―――
しかし、こんな単純なことばかりではない。

固定給与で働いている人には、はかりしれないものかもしれないが・・・
最低限度の生活が可能な「経済的な安定」――これは、意外と大きな意味を持つ。
精神的に「安心ができる」ということは、自分の心の基盤がある――ということでもある。
そういう「境遇」や「場所」、「モノ」、「人」があれば、人は前向きに進むことができ、
何よりも“探究心”が大いに花咲くことになる。
・・・ということは、「可能性が広がり、チャレンジする機会が増える」ということだ。
「自分の可能性を信じ、挑戦していく姿勢」こそ、また、それを続けていく「意志力」が
素晴しい結果を産むことになるのだろう。


人は、「苦労」をしたり、「努力」をしたり、「困難」という壁に遭遇してこそ、
成長することができるものである。

ぬるま湯の中で、安穏と“精気のない目”でパソコンに向かっていても、何も変わらない。




自分を投影できるもの

2010年02月16日 | 人物 -

大好きな二人の写真家!
・・・「セバスチャン・サルガド」と「星野道夫」を考えてみた。

“地球”と“極限に生きる生命”を撮影することは変わらずとも・・・
サルガドは、常に長きにわたって「人間」を撮影してきた。
そこには、飢餓や難民の極限的な環境に生きる人々の姿が、ありのままに描かれていた。
空気感のある、生身の感情が沸き起こる写真である。
だから、彼は写真家ではあるが、ジャーナリストでもあるのだ。

星野道夫は、風呂もトイレもないあばら家で生活しながら、極北の地で生きる「命」を
追いかけていた。
しかし、彼が追いかけたのは、人よりも動物だったり、生命の循環だったり、その場の
現実だったりして、私からすると「自然」そのものだったように感じる。
そして、彼は、写真だけではなく、素晴しい文章を書く人だった。
ありのままの現象や、見たままの感覚を、彼の視点ではあっても、読者がみたように
まさに「そのまま伝えることができる文筆家」でもあった。

星野はもうこの世にいない。
何故、あのような「死」を迎えたのか。
それは、非常に簡単な理由では説明できない・・・。
偶然とは思えないような非業の死は、彼の宿命だったのだろうか。
折しも、その「死」によって、彼がより一層「無限化」することになった。
考えることよりも、現実が全てである。


私は、彼に「もっと生きて伝えてほしかった」けれども、
それが“かなわない現実”が目の前にあるということは、彼の解釈を真似るならば・・・
それなりの意味があるのかもしれない。
そして、尚、それが彼に与えられた「生」だったのかもしれない。


同じ写真家でありながら、人間を撮影しているサルガドと、自然を撮影した星野道夫。
二人の大好きな写真家の作品を目の前にして、心を裸にして、感じ入りたい。
見るたびに、「感じる」ことが違ってくる・・・。
そのときの自分自身が、裸のまま投影され、心の奥底から噴出してくるからだ。
だから、時間が経ったとき、また視たくなる。
新しい自分の感覚との出会いが、待っているからだ。

写真は、映像と違って動くことがなく、まさに芸術絵画や音楽のように、
自分の「想像力」を思い存分に働かせることができるために、
自分の中に思いもよらない「世界観」や「感覚&感情」が沸き起こってくるのだろう。
とても、自由で、豊かなイマジネーションが膨らんでくるのだ。
だから、素晴しいのだ。。。

まさに芸術の醍醐味である。



今夜、帰宅途中、真っ暗な天空から、真っ白な雪が落ちてきた・・・。
厳冬の雪原で、数ヶ月もの長きにわたって、たった一人で「命」を待ち続けた星野道夫は、
どのような想いだったのだろうか・・・・と想像してみたら・・・・・
一瞬の内に、身体が“身震いするような感覚”に見舞われた。
同時に、涙があふれ出してきて、しばらく止めることができずにいる私がいた・・・。

基本的には、人それぞれではあるが・・・・世の中の景色は、
「価値観をどこにおくのか」によって、「あらゆるものが変わって見える」ものだ。




「一人娘」の保険

2010年02月15日 | 自分 -

「一人っ子」の私。

子どもの頃から、「こまっしゃくれ」の「おませな子」だったらしい。


子供の出来ない両親が、当時、タイマイキンを払って、排卵誘発剤を購入し、
長期にわたる不妊治療をして、やっと生まれた子供が、この私である。
(当時の金額で100万円近い金額になると聞いたけれど、マサカネ~!)

田舎の一角では、まことしやかに、私は「七人目の子供」として噂されていた。
要は、近所のおばさんが言うことには「あんたはねぇ、お母さんが七回妊娠して
授かった子なんだよ」と、幼い私の耳元でささやくのである。
そして、その隣でお茶をすすっているおばあさんが「いやぁ、すごかったねぇ」と
感想を吐露する。そこに集った大人たちが目の前の子供のことを噂しているのだ。
子供心に、そういう第三者の噂話を聞くのは、心地よくなかった。
たとえ幼くとも、理解することができたのが、哀しいことだった・・・。


実際のところは・・・
母からは、私は4人目の子供で、出産できたのは2人で、生き残ったのは私だけ・・・と
聴いている。(妊娠回数については、誰が本当のことを言っているのか全く分らない)
母も、本当のことは言いたがらない顔色だったから、私も追及などはしなかった。
しかし、母が出産したのは、確実に2人。
「姉と私だけだ」というのは紛れもない事実である。(姉の墓は、今も私が管理している)

それに、私は・・・
病院にまでたどり行く前に、あっという間に、母に実家の「縁側」で産み落とされ・・・
(母が言うには、「だって、もう出ていたんだから・・・」と渋り顔だった:笑)
助産婦さんが到着したときには、呼吸困難で、危機的な状態を脱した経緯をもっている。
(この話は、最初から最後まで、なかなか笑えるエピソードが満載である)
だから、私を取り上げてくれ、処理してくれたのは、近隣の家に住む一般の人である。
(医学には全く知識のない)高齢のおばあちゃんだったらしい。 すごい話だ。
昔は、自宅で出産したので、その古い記憶をたどった・・・・と言っていた。
(おかげさまで、私はデベソではない!)


だからだろうか。
私は・・・子どもの頃から、紆余曲折、波乱万丈の人生!!


きっと両親には、「たった一人のこの子がいなくなったら・・・」という不安が、いつも
あったのだろうか。 
私の子供時代、身体は確実に弱く、体育などは頻繁に見学して、病院にも良く行った。
「せっかく苦労して、生まれたこの子がいなくなったら・・・」そう思ったに違いない。



■両親は、私を、“とんでもない保険”に入れていた。
  ☆「30年満期――JA共済――養老年払」☆
30年かけて、208万982円支払い、満期時には100万円が手元に戻る。
母が亡くなってからずっと私が支払っていたが、ほとんど馬鹿らしくて仕方がなかった。
 ※30年前の金額は、正直、現在の10倍の価値があるぐらいの値段である。

■「解約したいんですが・・・」とJA共済に申し出ると、
「お返しするお金が小額になります」と、ガンと受け付けてくれず、相当利率の悪い
保険になっていたようだった。最初からの決め事だと言われれば、それまでである。
昔は、こういうことが、フツーに、まかり通っていたのだろう。


保険というのは、本当に良く調べて、契約しないと 「とんでもないことになる!」


最近も、ひどい待遇の保険代理店に出会った。 過去、最低の経験をした・・・。
ねことあひるの好感度の良いCFを流している大会社である。
これは、現在、対応を考慮して、対策をきちんとするつもりである。(一考中なり)

 

St. Valentine's Day

2010年02月14日 | ナンセンス -

今年の「バレンターンデー」は、日曜日だから・・・・・
チョコレート業界の思惑ではじまったチョコプレゼント商戦は、義理チョコがなくなり、
時世もあり、日本では約10億円以上の売り上げが落ちてしまうということらしい。

チョコレートを贈る習慣は、最初イギリスで始まったらしいが・・・
それまでは「贈り物」の品は決まっていなかったようだ。

「バレンタインデー」には長き歴史があり、恋人たちの「愛の誓い」をかたどり、今も
世界各地で「男女の愛の誓いの日」とされる“記念すべき日”である。

私が最後に「本気チョコ」を贈ったのはいつのことか・・・あの時かなぁ・・・
あそこのチョコだったよなぁ・・・と、記憶も“おぼろげ”。


でも、今日、とても不思議なことが一つだけあった。
10年弱前に憧れていた(尊敬していた)人が、夢にしっかりと出てきたのだ。
これは、何かの前触れか、潜在的な繋がりの予兆か・・・
どちらにしても、「私はまだ大好きだから!」・・・久しぶりに会えて楽しかったデス。
ミソは、この日がバレンタインデーだということである。
(もちろん、なにもしないけれどネ)


雪と氷に覆われた世界

2010年02月13日 | 環境 -

「雪」と「氷」に包まれた世界――

バンクーバー・オリンピックが開幕した。 
注目されたセレモニー(開会式)では、その厳しい環境を前面に出しながら、
ネイティブを連想させる人々が登場したり、環境を考える演出が施されていたりして、
世界の中でも稀有な環境を持つ「カナダ」の特異性も感じることとなった。

   
    


極北カナダのヌナブト準州――
世界中で一番厳しい環境だと、私が思っている雪原で生まれるアザラシの赤ちゃん。
ホッキョクグマと同様、ワモンアザラシも、海氷がない場所では生存できない。

専門家によれば、地球温暖化によって (理由はこれだけではないかもしれないが)、
2040年頃には “夏期の北極海域から海氷が完全に姿を消す”という。
それは、彼らの「生きていく環境が、完全に奪われる」ということだ。

自然淘汰などという“大きなサイクルの中での営み”ではなく、人的環境変動によって
彼らの生きている環境を(強制的に)壊してしまうということに他ならない。



     


アザラシの赤ちゃんは、私が とても “特別な感情を抱いている動物”である。
単なる「センチメンタリズムだとは思いたくない」が・・・・
世界の中で、一番厳しい環境で生きながらえながらも、あまりにも 愛らしく、
ふさふさの毛皮で(一生懸命に)自分自身を守っている状況は、私の心を強く打つ。
まさに「生き抜いていく」という言葉が、顕著に連想される動物である。
それでいながら、とても可愛い!
汚れのない人間の赤ちゃんと同様に、とても純粋で、かよわいイメージなのに、
実はたくましいパワーを秘めているようで、見ているだけで 心が暖かくなる。



現在、世界の状態を考えると、極地動物の行く末は、誰も予想ができない状況だ。
それが分っていながら・・・何も対策が打てないというのであれば、ものすごく
切ない現実である。

動物園の温度設定された環境ではなく、やはり動物は(基本的に)生まれた場所で
伸びやかに生きながらえてほしい。

これは、本当に心が痛い問題である。
本来の自然のサイクルであれば、彼ら自身が変容を遂げて、生きながらえられるように
種を残すべく “何らかの対策”をしてきたのが、この地球上の動物達の生き方だった。
しかし、現在は、人的影響によるために、時間があまりにも無さすぎる。
それだけ恐るべきスピードで、極北地帯の環境が変わり、氷が溶けているということだ。
今後の行く末を見守っていきたい。



「健康」を考える

2010年02月12日 | 自分 -

病気は嫌い! 大嫌いである。

私自身は、「痛み」には、耐える自信がない。
身近な人々が病気になったときは、たとえようがないくらいツライ!



しかし、「健康」ということを考えると・・・
「病気ではない」ということが、必ずしも 「健康であるーとは限らない」。

もちろん人によって、定義は違っていくるとは思うが、
私自身にとっての「健康」とは、どういうものーどういう状態なのだろうか。


本当の意味での「健康」について、気づいていきたい。

最近は、身体だけではなく、「心の健康」も叫ばれはじめた。
バランスの良い日常生活を送っていても、健康を(突然)害することもある。
私の周囲にも、そういう人は数え切れない。



また、人間として・・・・
何よりも大切なのは、健康であっても、「幸せかどうか」という根源的な問いが
芽生えてくると、果てしなく議論していくしかない。
自分の中でも、ぐるぐると思考がめぐりめぐっている。
すべては、固体としての人間:個々の価値観に則して 決定されることなのだ。

私の優先順位は、どうなのだろう・・・。

この思考回路が元気なうちに、自分の観念を整理しておく必要がありそうだ。



リスクのパラドックス

2010年02月11日 | 仕事 -

社会に出て、仕事をはじめると「しがらみ」や「ルール」があることを知る。
また、会社によっては、世に出していはいけない「不透明な慣習」などに出会うことも
珍しくはない。
社長の独断的采配で進んでいる会社には、あらゆる理解不能なモノが、当然のように
成立していることもある。


私は、基本的に、「フリーランサー」である。
常に助けてくれるバックホーンとなるような背景もないし、後ろ盾もない。
もちろん、マネージメントをしてくれるプロダクションがあるわけじゃなし・・・(笑)。
新しい会社の中に、自分の企画をぶらさげて入っていくときの雰囲気は、異様である。
私にとっては、本当に「不自由な世界」だ。
自分の実績と、目の前の仕事を盾にして、知らない会社の利益をあげることを条件に
契約をするのである。
交渉から、プレゼンテーションまで、すべて自分の感性と判断でやっていく。
このような環境の中で、いかに自分が快適な「自由な世界」をつくれるのかは・・・
自分の仕事のやり方(実力)次第となってくる。
実力がなければ、自分でコントロールしたり、判断したりすることができないので、
不自由な度合いは大きくなるという、当然の流れになってしまう。


ただ、いつも思う。
「リスクのない仕事に、自己の成長はない」・・・・・・と。


リスクをとらない人が、この世の中にはたくさんいる。
(多くの会社で、いろいろな人を見てきた。特に正社員の受身の人たちがそうだ)
そういう人は、実は・・・「一番高くて危険なリスクをとっている人ではないか」と思う。
まさに、「リスクのパラドックス」である。
しかし、幸か不幸か・・・彼らは、その事実に気がついていない。


「自由であること」と「リスク」は、表裏一体のところもあったりして、考えてみると
「自由がなければ、リスクもない」ことが多い。

私のような・・・常に自己責任で動いている人間には、結果が全てであり、それによって
評価も待遇も、会社での位置も全て変わってきてしまう。
こうして、体調が悪いことを報告する必要はなくとも、仕事はしていなければ、自宅で
いることをフツーに、それも頻繁には許してもらえないだろう。
これもまた、ある距離感を私が会社と持っていることと、その仕事のやり方を、会社が
受け容れてくれているかどうかという・・・そういうことにかかっている。


個人として、会社には強いつながりを持てる人はできなくても・・・・・
仕事相手には、いつも「大切な人」との出会いがあり、「これからも繋がっていたい」と
思える人が増えてくる。
これもまた、自己責任の範疇で、会社の名前にかかわらず、私の仕事内容を見てもらえた
結果がここにあるのである。
そういう前向きな考え方によって、廃退的な社風を打ち消す、我が「モチベーション」と
していきたいと思っている。



激闘に耐える!

2010年02月10日 | 自分 -

「激痛」は、まだ続いている。 ずっとである。 久しぶりの「激痛」だ!

これだけ続くと、本当に嫌になる・・・。 「神頼み」の域に突入だ。
そして、「何故なのか」と、違う疑問が頭をもたげてくる。 
全く意味のない想いなのに・・・。 


 今日は自宅作業にした。

鎮静剤を飲み、呼吸を整え、PCに向かい、“まるで何事もなかったかのように”
仕事相手とメールして、次のアポを取ったり、スケジュール確認をしたりしている。

こういう時、人は「どのような心理状態に陥るのか」と、いつも思う。
私は、電話では仮面をかぶって元気なふりをするので、余計に気分が疲れる時がある。
休めれば、それに越したことはないが・・・・不幸にも、今日は無理のようである。


心も身体も、「元気で仕方がない!」「この元気を分け与えたい」という人は少ない。
誰もが何かしら、悩みを持っていたり、過去に病歴があったり、最近発病したりして
自分の個人的状態を抱えながら、一生懸命に生きているはずである。
昨夜の打合せ相手も、「最近、糖尿病を発病した」とカミングアウトされた。
そういうとき、誰かに聴いてほしいものなのかもしれない・・・・。


私は、ずっと鎮静剤を飲んでいたので、どうしても「胃」の具合が人よりも弱い。
父は若い頃、「胃」の手術をしているし、もともと元気な胃をもっているわけではない。
そこにきて、毎月の過剰な鎮痛剤摂取は、かなりの負担を課しているのだろう。
そのためだろうか・・・
若い頃は、「胃痙攣」をたびたび起こしては、地べたにうずくまる日々だった。
人肌の牛乳をちびりちびりと飲みながら、胃壁を守り、医者への道を急ぐ・・・。
今はもう、「激痛」も軽くなったし、「胃痙攣」も無くなったが・・・きっと、
若い頃の無理が、身体のいたるところに(何かしら)残っているだろう。

頑張り屋さんの私は、徹夜など問題にせず、仕事にも熱中してきた。
何をするにも、没頭して、我を忘れたように、頑張ってきた。
貧しかったが・・・素晴しい青春時代だったと、しみじみ思う。
そういう学生生活と会社や人との出会いを、与えてくださったことにも感謝している。
  
     

しかし、人の「幸福」と「不幸」は、誰もが同じだと思っている私は・・・
何らかのバランスをとる必要がでてくるときが、きっとくるだろうと思っている。
私は、今は孤独だけれど、“素晴しい人に出会いすぎてきた”と思っているからだ。
しかし、その反面、人よりも「不幸」な状況もかなり背負ってきたとも思う。
毎月の「激痛に耐えること」だって、本当だったら無意味なことかもしれない。
しかし、そういう体質というか、病気というか(?)を与えられて、これまで生きてきた。
それこそが、私の「人生」なのだ。
そして、「そこから得たものや、学んだものもまた、多いんだよね」とも感じる。


今も、また追加で薬を服用して「今月はキツイなぁ。またかぁ」「辛いよ」「痛い」と
正直、嘆いている。 私は、そんなに強い人間ではない・・・。
食べ物が食べられず、朝食:りんご一個・・・・あとは胃壁を守る牛乳だけである。
白湯は、何杯も、浴びるほど飲んでいる。
内臓を守りながら、薬の効き目の効果をあげる方法を、数十年の間に学んだのだ。
切ない情報ではあるが・・・これもまた、「一つの学びだろうか(笑)」。


絶食は身体の再生をもたらすので抵抗感はないが、「激痛」には耐え難い。
悶絶するわが身を久しぶりに経験した。 齢をとっても、こういうことってあるんだなぁ。
安易に考えていた自分を、ひとしきり反省した。 
さすが我が「持病」だ・・・主張してくれるよ!全く・・・・。

明日は、普通の状態に戻っていることを切に願う・・・・。



「激痛」との闘い

2010年02月09日 | 自分 -

私は「激痛」には、耐えたくない。 
と言うよりも、もう「激痛」は、飽きた・・・。


今日も久しぶりに「激痛」が突然襲ってきて、飛び込んだ喫茶店で長時間動けなかった。
この齢になっても「まだかぁ」と切ない気持ちで、ぼぉ~と“意識が遠のく”のを感じた。
昨夜の会食は23時を過ぎて、疲れ果てていた。そのうえ、今日も打合せが続き、
ランチもPC片手におにぎり一個、夕食もゆっくりとれず、時間に追われる一日の最後に、
やっとの想いで“たどりついた赤坂の喫茶店”で、2時間近くも“うずくまっていた”。
もちろん、コップ1杯の水で、通常の二倍の鎮静剤を自己判断で服用。
(だいたい激痛の具合で、常用鎮痛剤の量がわかるようになったからである)
後は、ただひたすら、激痛が治まり、動けるようになるまで、ただ「待つのみ」・・・。
どれだけ時間がかかろうが、歩けるようになるまで、「待つのみ」なのだ。



私には、初潮を迎えた小学校6年7月17日から・・・ずっと、ずっと・・・
異常な激痛を伴う「生理痛」と闘っている。
尋常ではない激痛が、毎月襲ってくるのである。
子どもの頃は汗をかいて、息もたえだえで、異常に痛がるので、動くことも出来ず、
いつも医務室で寝ているか、担任の先生に自宅に送ってもらうかだった。
翌日は休むことも多かった。 母が汗びっしょりの服を着替えさせてくれていた・・・。
これが毎月、続くのである。

病院に診てもらったら、「子宮後屈病」だと診断されて、母親の内臓の遺伝をそのまま、
引き継いだカタチとなった。 <発育不全の、子供の頃のことである>

そのうち、激痛のために、はぁはぁと呼吸するので「過呼吸」の現象のようになり、
手足がしびれてきて、全く「辛い」としかいえない状態となっていった。
激痛が本当に耐えられなくなり、我慢が限度を超えて、鎮静剤を服用するようになった。 
医者からも「無理をせず、飲んでください」と、薬の服用を勧められた。



東京に出てきてからは、2度、周囲に勝手に救急車を呼ばれ、大病を疑われた。
たとえば・・・駅のトイレへ行く通路で座り込んだ朝、隣を行過ぎる誰もが無視!!
「都会は冷たい人ばかりだなぁ」と、しみじみ感じた。
(私自身も、助けを呼ぶほどの勇気もなく、まだシャイだった)
うずくまっている足が疲れて、もう地べたに倒れると思った瞬間、隣を歩いていた女性に
声をかけた。「すみません。駅員さんに伝えてもらえますか? 苦しくて・・・」
駅の事務室に運んでもらって、早朝の駅の慌しさの中、駅員さんに説明をした。
「生理痛ですから、心配要りません。薬を飲んで休んだら問題ありませんから」
息絶え絶えにそう伝えたのに、あまりにも異常に見えたらしく、顔色も悪く・・・
また救急車を呼ばれた・・・・。
 (駅員さんも心配するよね・・・何かあると問題になるし。)

担架で運ばれる最中、あの時の「空」が“真っ青で綺麗だった”のを覚えている。
私が20歳になってすぐぐらいの頃のことだ。
救急車を呼ばれた途端に、身体中が脱力するのを感じた・・・。
「もう、どうにでもなれ~~」そう、思った・・・。



そのほかのエピソードとしては、駅のホームで座ったまま、2~3時間とか・・・
会社のトイレに座って、動けなくなって、1時間以上待って、同僚が来るのを待って、
デスクから薬を持ってきてもらったり・・・・。
本当に、この持病には苦労してきた。(笑い話は、本当にたくさんある)
鎮静剤を飲むタイミングを逃すと、すぐ動けなくなってしまって、激痛と闘わなければ
ならないからである。「激痛」がやってくるのは、いつも突然で・・・やってきたら、
ひ弱な私は、なす術がなく、ただ絶えるのみである。



もしも・・・である。
私が、将来、全身「がん細胞」に侵されたとしたら・・・
私は迷わず、「苦痛」や「激痛」を耐え忍ぶことなく、「緩和ケア」を選択するだろう。
再生することができない病魔との闘いは、自分にとって無常である。
また、西洋医学の抗がん治療も、相当の確率と、生還する確率が高くない限り、
私は選ぶことはないだろう。
あえて「癌」と闘い、打ち勝とう・・・というよりも、自分の「生」に訪れた「癌」を
迎えいれて、自分と共生して、残された「生命」を全うすることを選ぶように思う。
これは、私の「死生感」である。
「どのように死んで逝きたいのか」ということも、自分で選んで、最後の最期まで
“自分で我が人生を決めていきたい!”のが、私の生き方である。
どんなに辛くても、哀しくても、毎日泣くしかなくても、それはそれで良いと思っている。
自然に、自分に与えられた人生を、全うできればそれで良い。


小学校の頃からの「激痛」との闘いは、本当に壮絶だったので・・・
「痛みに耐える」ことには、本当に・・・もう飽きてしまった。
生きながらえることは大切で意義あることであるが・・・状況が許されるのであれば、
私は緩和ケアを選んで・・・「24時間、心臓が止まるまで眠っていたい」――という
選択をするだろうと思う。


そして、雪の降る寒い時期に、一際あざやかに美しく咲いて、
どさっと花ごと(首ごと)落ちていく「椿」のように・・・・
最期は、潔く、楽に、苦しむことなく、自然に逝きたいと思う。

    

それは、まるで日本古来の侍の切腹風景を想像させるような「潔さ」が理想だ。

二人の両親を長時間にわたって介護して、最期の顔も、目をつぶることなく見据えて
送り出した私が選んだ、私自身の最期の理想的な姿である。
「苦痛」のない、穏やかな最期――。
無常なリスクをとることのない人生の終焉を受け容れた「自然な最期」――。
それが、私の理想的な姿である。



「飽食」と「飽満」

2010年02月08日 | 食事 -

「飽食の時代」と呼ばれた頃があった。
「飽食」とは、「飽きるほどたくさん食べること」あるいは「食物に不自由しないこと」、
「生活上の苦労がないこと」という意味を言う。人間の「欲」の行く末である。

この時代になっても、東京はまだまだ「飽食」&「飽満」を続けている・・・。

大都市の夜、多くのレストランや居酒屋で、大量の皿鉢に盛られた料理が振舞われ、
翌朝までにはゴミ箱に捨てられて・・・夜明けと共に、カラスの餌になっている。
コンビニやチェーン展開のハンバーガーショップでは、まだ食べられるようなお弁当や
商品が大量に捨てられ、深夜や早朝のゴミ捨て場には、食料を求めた浮浪者が集まる。


私は・・・やっと・・・
土曜午前中に、皮膚科と内科をハシゴして、体調の悪さを訴えて薬をもらってきた。
口の横にできたできものは、ビタミン不足や胃やストレスが原因と言われているが、
この時期独特のアレルギー反応だとも言われた。保湿剤と、特別の塗り薬をもらった。
とにかく、数日は処方された薬を飲むために、食欲がなくても食事をとる日々・・・

だから、しみじみ思う。
何故、人は、朝、昼、夜と食べるのだろう・・・・と。
今日、私は薬服用のためにランチを食べたが、全く「おいしい」と感じなかった。
空腹でもないし、食べる必要性も感じなかったし、とにかく食べたいとも思わなかった。
過日、「永平寺」をテーマにした禅寺の修業(雲水)のドキュメント番組を観たけれど、
非常に現在の生活スタイルに“素朴な疑問”を感じることも多々あった。
すべてが肯定的にとらえられる内容ではなかったが、参考になることもたくさんあった。


とにかく、人間の身体は正直にできているので、常に自分にサインを送ってくれている。
そのサインこそ、私が大切にするべきものではないかとさえ思うほど、無理な飽満食事は、
精神的にも肉体的にも快適ではないものである。
「お腹がすいたら、食べたいものを食べる」という考えにたどり着いて、ちょっぴり幸せを
感じていたので、この数日の食事のペースに関しては、ちょっと快適ではないのだろう。


食事の量を減らしたり、絶食したりすると、身体の内蔵機能は回復することが多い。
「飽食」は、明らかに、自分の内臓を痛めつけている。
特に食べたくないものや、一緒に居たくない人との会食などは、もってのほかである。

今夜は、19:30~会食が入っている。
プロジェクトの長ばかりなので、少人数なのが、唯一の救いである。
また「飲めないの?それってサギじゃない!飲めるように見えるよ!」そう言われるぞ。
そしたら、へらへらと笑って、「そうなんです。いつも言われるの~」そう答える私。
品のある“おじさま達のお言葉”が、眼に浮かびます!!


他人との温度差

2010年02月07日 | 自分 -

人の気持ちの重さ、質感、ニュアンスなどは、他人と同じになることはない。
コンセンサスを丁寧にとって、限りなく近づけることは可能かもしれないが・・・
それには「相当の時間」や「諦めない覚悟」が必要になってくる。
並大抵のことではない。



打合せ一つにしても、決めておいた日程を 簡単にリスケする人もいる。

それについての具体的な例として、数年前のことだが・・・・
タイマイキンが稼げる仕事を依頼されたが、それを断わって、早くから空けていた日程を、
何事もないかのように、簡単にメール一本でキャンセルされたことがある。
そんなことは日常的によくあることだ。
個々の、スケジュール管理能力や、約束したことに対する意識の違いである。


自分の心根が、熱気球のように大きく膨らんで、今にも空に飛び立とうとしているのに、
ある人にはそれがソフトボールぐらいの大きさで、ゴルフボールぐらいの硬さぐらいで、
最終的には、何事もなかったかのように、時間だけが過ぎていくこともある・・・(笑)。

   

他人と温度差が違うのは当然のことだ。
それに失望したり、哀しく感じたりすることは、よくあることだけれど・・・
執着する方がバカをみることが多い。
不感症の人は、最後まで不感症だったりするからネ(笑)。

ただ、信頼を裏切られたり、真義に はずれたことに遭遇した時は、ちゃんと、
毅然と相手に伝える勇気は持っていたいものである。
その人が、どんなに偉い人でも・・・どんなに立場のある人でも・・・。



執着する心を捨て去り、「無」になることは難しいけれど、
あらゆる物事に対する“自分の基点”が決まっていれば、こわいことはない。

人と付き合って、かかわっていく以上、仕事でも プライベートでも、
似たようなことは多々あることだ。
これもまた、現実そのものである。
だからこそ、自分がしっかりとしていなければならないのだ!