祈願

2006年01月30日 | 介護日記 -
「大丈夫だから・・・ね!」

この言葉を、口を酸っぱくしながら、何度も何度も耳元で話すと・・・
少しずつ意識が変わってくるようだ。
(そんな気がする)
変わらず、身体は重く・・・非常にたどたどしい動作ばかりであるが、
「自発性」が少しだけ出てきたようだ。

今日は・・・
ベッドから出て、洗面台で久しぶりに洗髪したり、
ベッドから出て、食卓に座って食事をとったりした。
トイレにも、(私が手をかして、時間はかかったが)自分の足で、たどりついた。
気持ちも、なんとなくではあるが、ほんの少しだけ回復してきたような印象だ。

        そう言いながらも、
        今日もまた、原因不明のことで、
        急に落ち込んで、泣き出したりもした。
        「早く死にたい」を、十数回連発して、
        「情けない」と言い続けた。
        こういう現象は、昨年夏以降(顕著に)増えてきたが、
        最近は特に多い。



「よくなったね」
「歩けたね」

その言葉を、何度も何度も耳元で話しかけてあげると、“こくん”とうなずく。
少しずつであるが理解はしてくれて、暗黒の“マイナス思考”が影をひそめていくようだ。
「“歩けた”という事実」も相乗効果として、父の中に深く刻まれていくみたいだ。
(そんな気がする)


毎日の積み重ね・・・
それが、何よりも大切である。
「このまま、どうにか回復していきますように」と、ただ手を合わせて・・・
現状を維持することだけで充分だから、上昇ではなくてもよいから、
どうにか減退していく状態を(少しでも)食い止められますように!
そう願わずにはいられない。

そうそう、私の腰もパンクしませんように!
たまには、夜ぐっすりと寝られますように!

          (ちょいと欲張りかなぁ?)
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仮説

2006年01月29日 | 雑感 -
父は、今日も泣いている。
顔をぐちゃぐちゃにして、泣く・・・。
最近特に、“感情の波”が著しい。
昨年から「早く死にたい」という言葉を、ただただ繰り返している。


内臓疾患のレベルを検査したことで、
私の中に芽生えた一つの“仮説”―――それは、
   「もしかすると“老人性のうつ病”ではないだろうか」、
   「あるいは、“うつっぽい状態”ではないだろうか」、
ということである。

老人性の精神疾患として、今一番“高齢者を悩ませている”のが「うつ病」らしい。

思い返してみれば、(日々寒いし、足も悪いので)日光浴もしておらず、
実際のところ(父にしてみれば)かなりストレスを抱えた生活が続いている。

内臓の状態が以前とほとんど変わらないのに、身体が動かない。
動かせない・・・というのは、何らかの精神的な作用が働いているように思う。
膝の関節炎が悪くなったということも大いにしてあるが、
「もしかしたら・・・」という気持ちが(私の中に)起こってきたのは事実である。


最近のうつ病は、「これはまさに“うつ”だ」という典型的な症状を示すのではなく、
家族ですら“それと気づかない”ような「軽症うつ病」が増えているらしい。
それだけ多くの人が、うつっぽい状態を抱えているということのようだ。

老人性のうつ病は、加齢によるものや身体によるものがあり・・・・・因子としては
「配偶者や仲のよい友人がいない」「話し相手がいない」「慢性の痛みや病気がある」
「動き回るのが困難」「物忘れなど環境の変化に対応できない」「家族内での変化」
などが挙げられるらしい。
父には、該当するものばかりだ。

決め付けないで、用心をしながら、まだまだひどくはない状態だと予測されるので、
まずは「希望を抱いてもらうこと」を念頭に置きながら、付き合っていこうと思う。

救急外来

2006年01月28日 | 介護日記 -
病院へ行くと、“人生の縮図”をみる。
病院という場所は、不思議な空間だ。
再生する人、終焉をむかえる人、そして、そういう人を取り囲む人々、
メディカルケアをする人々もまた・・・。
ちょっとした会話の中にも、自然と読み取れる“事情”、そして“感情”がある。


今朝の父は、あまりにも「身体が痛い」と言って、生気が無かった。
何をするにも協力してもらえず・・・終いには、反応も乏しくなって・・・
私は(どうなってしまうのかと心配になって)たとえようもない不安を感じた。
そして、ついに父は、ぐったりとして、まったく動かなくなってしまった。
意識障害のような状態で、原因がわからないからこそ余計に、私は落ち着きを失った。
隣のYさんに電話したり、介護タクシーを探したり、いろいろと八方手を尽くしたが、
何も手段が見つからなかった。いくつかの病院にも問いあわせたが、すべて撃沈!!
どうしようもなかったので、ついには「救急車」を要請した。
私の心情としては、ただ“うなる父”を、放置するわけにはいかなかったのだ。

   久しぶりの救急車だったが、
   やはり乗り心地は、良くなかったなぁ。
   私自身が酸欠状態になりそうだった・・・(ごめんなさい)。


しかし、救急車を要請したものの・・・
“路上駐車+路面の凍結”という・・・フツーならありえないことが重なって、
「救急車が(自宅前まで)入ってこられない」と連絡が入った。
しばらく待っていると、救急隊員が“折りたたみストレッチャー”で訪ねてくれた。
ストレッチャーだけを使ったのは、徒歩五分ぐらい――かなりの長い距離である。
それに、上り坂&下り坂があるので、おそらく注意を必要とした搬送だったと思う。
救急車が入れなかったのは、車の路上駐車(傍のパチンコ屋さんのお客らしい)が原因だ。
本来であれば、一台ぐらいが停まっていても何ら問題がないのだが、今日は路面が凍結!
過日の大雪で、雪かきをされていなかった大きなマンション前の道路(坂道)だった。
日あたりが悪いから特に、何日経っても雪が残っており、路面は凍結していた。
「こういうこともあるんだなぁ」
この事実で、ちょっとしたことだけど、本当にいろいろなことを感じた。
駐車違反、雪かき、マンション管理体制、社会システム、救急医療の特性、思いやり、
病気を抱えた人々の想い、介護人の立場、病院、笑顔の大切さ、言葉のやりとり、etc.

そういうこともあって、実際には、
要請電話から一時間半以上もかけて、やっと搬送病院が決定するという・・・
なんともまぁ“考えられない時間”を要してしまった。
心臓疾患や脳疾患の患者さんであれば、“かなり大きな問題になっただろう”と思うと、
身がひきしまる想いである。(たった30分が、生死を分けることもあるのだ)
山岳地帯の医療環境においては頻繁に聞くが、まさか“このあたり”でもあるなんて!
今日は、今まで経験したことのない偶然が、たまたま重なってしまったようである。

苦労して救急車に乗り込ませていただいた後にも、病院との調整電話が大変だ。
救急隊員さんの“病院とのやりとり”を聞いていて、感じたことがある。
様子を全部説明してから、ベッドの空きを確認して、受け容れの是非がわかるのは、
ちょっと“へ~んな感じ”がしたのである。
詳しい病状、名前、経緯などを説明してから、ベッドの空きを確認して、それを理由に
断られるということがフツーになっているらしいのだが・・・
そのやりとりを聞いていると、病院側に“選別されている”ように錯覚してしまった。
素朴な疑問として、「ベッドの空きを先に確認すればいいじゃん?」なんて感想を抱く。
担当する専門医、処置機能の確認など、必要な“すり合わせ”なのかもしれないけれど、
傍で見ていて、なんとなく“すっきりしない”対応だったのは事実である。

救急窓口に到着してからも、ひっきりなしに救急車のサイレンが鳴り響く。
搬送でお世話になった救急隊員さんにうかがうと、一日に7~8回は出動するらしい。
一つの車でさえそうなんだから、病院単位でいうと、かなりの数になるのだろう。
落ち着かない心境のまま、「外でお待ちください」と促され、長いすに腰掛けた途端、
何人もの救急患者を目の当たりにした。
「ご家族には連絡がとれないんです」と同行者が話しながら、飛び込んできた高齢者―。
付き添い人は、まさに施設の職員のような服装で、20代後半の優しそうな好青年だ。
患者さんは女性で、80歳ぐらいの年齢に見受けられた。
そういう似たようなケースばかり・・・次から次へと・・・・・
間髪いれず飛び込んできた別の高齢者に付き添った女性は、「相談員です」と説明し、
「ご家族と、まだ連絡がつかなくて・・・」と声を落とす。

“日本は、やっぱり高齢化社会なんだ”と、しみじみ感じる。
福祉施設や福祉サービスは、今や“なくてはならないもの”となっているようだ。
私のように、介護どっぷりという環境もまた多いだろうが・・・施設や社会サービスに
託した介護人生もまた多く、様々なカタチを呈しているようだ。

施設の付き添い好青年と、80歳ぐらいのおばあちゃんとの会話を、そばで聞きながら、
なぜか・・・自然と泣けてきてしまった。
父のことで張りつめていたからか、それとも心があらわれたのか・・・・
なんでもない会話なのに、すごく“感じてしまった”。
“ツボに入ってしまった”というべきか・・・
二人の会話の中に“心”を感じたこと、いたわりの気持ちが感じられたこと、
おばあちゃんが彼を信頼していたこと、すごく自然で感動的だったこと、
(私と父にはないような)人間的キャッチボールのある会話がうらやましかったこと―etc.


今日は、本当にいろいろな景色を見た。
様々なことを感じた。

病院に行くと疲れる。
母の介護は、大学病院だったが・・・あのときと同じように他人の人生が見えてしまう。
でも、素晴らしいエッセンスもいただき、やるせないエピソードも経験し、
心ない言葉もまた看護士さんからかけられ・・・とにかく、病院は“疲れる”。
それでも、力をかしてもらわなければならないほどに、父の状態は芳しくない・・・。


入院の可能性もあったので、タオルや着替えなどをバックに詰め込んで持参したが、
今日のところは帰宅している。
おかげさまで、最悪の検査結果ではなかったらしい。

処置していただいたが、(私の願い虚しく)飛躍的に改善されることはなかった。
父にしてみれば、あまり変わらない状態で、まだ激痛をともなう身体状態ではある。
しかし、検査をしてもらったことで、内臓疾患の(現時点での)レベルが明確になり、
多少の安心感は得られたので、それは“何よりも良かった”。

尚、“脳は、かなり萎縮している”ということが、CTで確認された・・・。

高いびき

2006年01月28日 | 介護日記 -
ドタキャンされっぱなしの自分が、ドタキャンをし続けている。

今日も、外出は急遽取りやめ・・・父の介護につとめる。

現状を打開するためには、今日は総合病院へ連れて行こうと思っている。
点滴とか、注射とか、そういうレベルの対処では“もう無理だろう”と・・・。

ゴー、ゴー。
父の高いびきがすごいので、枕を取りに走り降りる。

今は、朝の一仕事を終えたところで、父をしばらく休ませているところだが、
いかにして“あの巨体”を車に乗せるか・・・・・これは大問題だ。
隣のYさんにお願いするかなぁ。
しかし、それを想像するだけで、頭が痛くなる。

枕をとったのに、まだまだ高いびきは続いている。

環境の変化

2006年01月27日 | 介護日記 -
「いつもと違うことをする」っていうのは(誰にとっても)大変なことだが、
現在の父にとっては(より一層)そのハードルは高いような感じがする。

田舎に帰りたがった父は、田舎に帰ったことによって、状態が悪化してしまった。
これは、まぎれもない事実だ。
日々の「環境の変化」は、高齢者にとって影響が大きいことを実感する。

この数日、足の固まった父に「オムツ」の使用をすすめて、
それを習慣化してもらうために(実際)“はいてもらっている”。
排泄のために、起き上がる行為や、トイレに行く行為(ほんの数歩なのに)が、
父には苦痛をともなう苦しみになってしまうのだが、さらに、ソレを失敗することで、
このうえない精神的苦痛を味わうことになってしまう・・・。

「足が固まった“今”だけ―ね」
「また良くなったら大丈夫だから、“今”だけでも、しようよ」

しかし現実には、
オムツを着用したことによって、より排泄状態は“ドロ沼”になってしまっている。
より混乱をしているようにも思えるし、オムツ自体の存在を忘れているようにも思える。
実際には、オムツをしている意味は、全くない。
なぜなら、オムツの効用を得ずに、ただオムツを日々捨てているだけだからである。
・・・もう、「何が良くて、何が悪いのか」・・・私には、よくわからない。

日々の実質的作業(排泄失敗による掃除や洗濯)は、私にとってかなり大変だし、
落ち込んだ父の精神的ケアは、何よりももっと大変だ。
本来もっている前向きな気持ちは、どっぷりと暗黒に落ち込んでいく・・・。
度重なる寝不足と、身体的疲労(腰の痛み)が拍車をかけて、ついには
自分が“生きていること”にも、時々“疲れ”を感じてしまうという危険な状態を―
我が精神世界に感じている・・・。


昨夜、深夜二時ぐらいかなぁ・・・。
父が全裸で階段を登ってきて、「SOSコール」をした。
足が痛いので、奇妙な四つんばいになっていて、寝ぼけマナコに飛び込んできた光景は、
まさに(カフカが書いた)「変身」である。
      <※「変身」⇒目が覚めると、虫に変身してしまった男の話>
      <※不謹慎なようだが、この話を咄嗟に連想してしまった>
ショックを通り越して、もう凍りつくしかない。
いつものように・・・階下は、壮絶な状況で放置されていた。
私は、音に気をつけて、(いつでも父が安眠できるように)深夜の掃除がはじまる。
こういうサイクルで、(どうしても)寝不足になる。
決まって、夜の十二時、二時、三時、四時半と決まっている。
一度のこともあれば、二度、三度あるときもある。

毎日、疲労を極める生活に、自分でもびっくりしている。
雪だるまが転がるように、いつの間にか(数ヶ月で)状況は変わってしまった・・・。

今日の父は、自分の身体を支えることもできなくなった。
内臓疾患からのものか、精神的落ち込みが原因なのか、
それとも足の踏ん張りがきかないのか・・・
ベッドの上で、何もできない。
自分でやろうともしない。
巨体を抱きかかえる私に、“協力しよう”という意志もみえない。
発する言葉は、かなり自虐的で絶望的な内容ばかりだ。
聞いていると、“いやぁ~な気持ち”でイッパイになる。


前向きに転換させようと努力しても、かなり落ち込んでいく現実を感じる。
このまま、時間がたっていくと・・・私の精神構造はどうなってしまうのか、
私のもろく“きしんでいる腰”は、どうなってしまうのか・・・
本当に、先が見えない介護生活は、ヘビーな現実だ。
寝不足のためか、今朝はちょっとした頭痛を感じたので、身体を横たえたのだが、
気持ちがたかぶって寝られなかった。
結局そのまま――不完全な気分のまま“次の作業が待っている”。

今の私の日常は・・・
プライベートな介護生活が、ほとんどを占めてしまい、他には何もできなくなってきた。
生産性や生計を慮ると、すでに生きる気力が萎えていく・・・。
     <※父は、国民年金のため、生活は貧窮以外の何ものでもない>
     <※私は今、働きたくても、働く環境を奪い取られつつある現状だ>

自分自身の人生が、かなり低迷を極めている。
低空飛行から、不時着陸の手前(?)って感じかも(笑)。

やりたいことはたくさんあるのに、確実に目標を達成できる可能性もあるのに、
そのために費やす時間&労力は・・・すべて介護に注がれてしまっている。

それでも、何とか「生き抜いていける」とは思っているけれど・・・
根拠のない期待だったりもする(笑)。
「私は、そんなにヤワな人間ではない」「今までだって大丈夫だった」と感じつつも・・・
なんとなく打ち寄せてくる不安を掃いきることができずにいる(笑)。
だって、だって、「にんげんだもの」。
それがフツーだよネ。


それにしても・・・先週、発注したポータブルトイレのカタログが待ち遠しい。
福祉用具専門相談員の人は、きっと“切実感を感じていないのだろう”と思う。
私が、日々腰の痛みを感じながらケアしていることを、担当者は知らないのだろう。
ちゃんと説明して、伝えなければ・・・。
早々に、再度お願いをしてみよう。
適切なアドバイスがもらえるかもしれないし・・・。


頭に浮かぶ「無常」の二文字。
ちょいと危ないゾーンにさしかかってきた自分自身を感じる。
ここで、ふんばらないと、危険地帯に突入しそうだ。
いかにして、もちこたえさせて、
いかにして、ふんばらせようか。
この私自身を―。

現段階で、好転的な“環境の変化”をのぞむのは、厳しいことなのだろうか。

まずは・・・
とりあえずは・・・・・「何でもいいから、今夜は“大好物”を食べるとするか!」。

おかず

2006年01月25日 | 食事 -
近所のTさんが、おかずを持って来てくれた。

今夜は、「大根とイカの煮付け」。
昨夜は、「きんぴらごぼう」と「しゃけの切り身」。

ほんの少しだけど、二日連続のおかず・・・だ。

過日のお礼に野菜を持って行ったからか、
はたまた、
自分の目の前で、涙がちょちょぎれた私に気を遣ってくれたのか・・・(?)

状況は複雑なれど、
明るく「すみませぇ~ん」と頂戴して、ぺろりとたいらげた。
まぁ、深く考えないで、
ご近所のお付き合いだから、「親切な“ご厚意”を、そのまま頂きましょう」。

やはり、昔ながらのお付き合いにたけた方だから、
“もらいっぱなし”にはしないのだろう。
たとえお礼の品でも、もらったら“ほどほど”をお返ししてくれる。
Tさんは、去年もそうだった。
「江戸っ子」だから、あけすけに言葉を発するけれど、心持ちは冷たい人ではない。
付き合いの礼儀や作法は、心得ている人なのだ。
こちらが、かえって申し訳ないと思ってしまうぐらいだなぁ。

ありがたや~!
でも、もう明日は、ないだろうけれど・・・(笑)。
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号泣

2006年01月24日 | 介護日記 -
今朝は、昨日と同様に「号泣」から始まった・・・。

号泣したのは、父。
私ではない。

父は、自分自身がやるせないようで、「情けない」ようだ。

「お前に申し訳ない。勘弁してくれよ」
「ごはんは食べられるのに、はやくあの世に行きたいわぁ」
そう言いながら、泣き叫んだ。
あまりにも、おいおい声に出して泣くので・・・それもあまりにも大きな声なので、
私はつられることがなく、吃驚した気持ちが先にたってしまった。

どうにか“この場の雰囲気を変えよう”として、
「ごはんが食べられるんなら、とりあえず“ごはんを食べよう”」
そう言ってごはんを用意したら、少ない量ながら“しっかりと食べてくれた”。
食欲があるうちは、心配ない。
安心、安心・・・。
食べたら、また泣き出したけれど、しばらくしたら“ぐっすり眠りについた”。



今日は、ケアマネジャーさんと面談&打ち合わせをした。
度重なるドタキャン事件の後処理と今後の対応が、主なる目的だった。

ケアマネジャーさんの感想――「利用者が不在のサービスが多いのが現実です」

私の感想――「なんじゃい??それは・・・」 それでは困るではないですか??

  密度の濃い一日・・・。


ショートステイ責任者(上司)から電話が何度も入ったが、理解不能な内容だったので、
明確な私の主張を伝えた。当初からそうだが、論点をはきちがえている・・・。
何のリアクションもしてこない現場担当者の行動意識には、心がないように感じられ、
より一層不信感が日々つのっていく。
(心がないはずはないだろう。私としては、その心を伝えてほしいと思うのだが)
上司や周りの人の“いいわけ”ばかりの連絡で、かえって気分はかき乱される。

現場担当者からの気持ちのこもった一言で、全ては終わるのではないかと思うのに、
あり地獄のように状態を悪くさせているのは、周囲の対応そのものだったりもする。
“ことなかれ主義”が空回りしているような印象がする。
「どうしてこうなってしまったのか」――その事実を、率直に伝えてもらいたい。
今後このような痛手を被らないためにも、経験の乏しい私は“学習”の一環としたい。
そして、もし万一反省するべき点が先方にあるのなら、それを見極めてほしい。
もっともっとホンネでぶつかってもらえれば、分かり合えたり、歩み寄れたりもするのに―
すべてが平行線で、本質的なものから“はずれてしまっている”。
当然ながら、私の希望している説明などは、全くしてもらえない。
「馬鹿馬鹿しい」・・・疲れて、ストレスをためて、溜飲が下がらない。

     今日は打合せを入れていたので、こうして
     合い間に入る“ストレス電話”の対応がメンドクサイ!
     さりとて、“泣き寝入り的対応”や、“逃避的対応”をするつもりはなく、
     これが疲れる要因であることを自覚しつつも・・・
     これが「ワタシなんだ(私の生き方なんだ)」と、あらためて認識する。
     何度も、何度も、同じことを伝え続けた。

私の気持ち(感想)を受けて、夕方にやっと(初めて)現場担当者から電話が入ったが、
もっとひどい“心が見えない言葉”の羅列・・・・・
私は、かなり憤慨したので、“なぜ憤慨したのか”を、とくとくと説明した。
私が疑問を感じた点、曖昧な態度や姿勢、管理能力に、基本的な交渉力など等。
そして何より、福祉サービスの現場でいながらにして、心のない対応の仕方・・・。
人と人とがかかわる上で大切な何かが欠落している、そんな印象を抱かせる表現方法、
そんな個人的な見解から、具体的な事実に至るまで・・・・・。

その後、(アポなしで)自宅に訪問してきた現場担当者は、「号泣」の手前モード。
20代後半か30代前半の女性で、真面目で内向的なタイプにも見受けられた。
すっかり目を赤く泣き腫らしてしまい、涙がとめどなく流れてくるような状態だった。
私自身が(相手を)いじめているような感覚に襲われつつも・・・・・
今回のことについて、飾りのない“私の想い”を伝え続けた。そして、
「“来てもらっても扉は開けないです”と言ったのに、貴方は一人で来てくれましたね。
 こうして態度で示してもらったことを、私は前向きに受け止めます」と伝えたら、
「今回のことで、いろいろと考えました。深く反省もしました。申し訳ないです(涙)。
 言っていただいてよかったです。本当にありがとうございました!」とのこと。
詳しくは省くけれど、現場担当者を成長させるために今回の事件が勃発したようにも
感じるぐらい、私の中では複雑な感情と現状がせめぎあった。
どちらにしても、今日はゆっくりと話せなかったし、このまま放置するわけにもいかず、
来月頭に“(本来の目的に沿った)きちんとした面談”を持つことにした。
先方からは、明確な説明は、まだしてもらっていないのだから・・・。
「その際には、上司ではなく、(私は)貴方から話をきかせてもらいたいです。
 ちゃんと貴方が仕切ってください。どうですか?ちゃんと、できますか?」
私は、そのようにリクエストしてみた。
彼女は、硬い信念を秘めたような表情で、しっかりと返事をしてくれた。
「はい、わかりました。かならず、ちゃんとします」
そうそう! そういう前向きな態度と気持ちが、人(相手)の心も動かすのデス。
たとえ失敗したとしても、そう努力しようとしたことは素晴らしいことなんだから―。
(本当に、ちゃんとしてくださいよ、まったくぅ・・・)



  ※ちなみに、今日は・・・ドタキャンヘルパーさんも、駆け込んできて
   「すみません。私が忘れましたぁ~」と、屈託なく頭を下げられた。
   怒る気も完全に失せるぐらい明るいキャラで・・・
   得な性格だね(笑)。
   みんな、それぞれ捉え方が違うし、表現方法も違う。
   面白いものだと思う。

   しかし、
   なんだかなぁ・・・・・
   もう、いいよ。


“そんなこんな”で、今日も「へろへろ」になってしまった。
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硬直

2006年01月23日 | 介護日記 -
「へろへろ~~」 そんな一日だった。

昨夜、深夜の二時半ごろだっただろうか。
「お~い」という声が響いて、父の元に駆け下りた。

「どこに、いっとったん?」(何処へ行っていたのか)
私が出かけたことを訊いている。
不安を抱えた父に、あったかいミルクにハチミツを入れて飲んでもらって、
就寝したところで、自分も布団に入る。
この数日間の疲れで、どっぷりと意識が堕ちていく・・・。


明けた「今日」は、ご迷惑をかけたYさんとTさんに、お礼の挨拶に出向く。
泥ねぎ、ごぼう、長いも、椎茸、などの野菜や、ジャムクッキーなどを手に、
簡単なお礼を言って、あらためて昨日の様子を訊いてみた。
Tさんによると・・・
父は足が悪いので、階段の途中で歩けなくなって座り込んでいたらしい。
助けてほしくて、「誰か来てくれ~」と大声で叫んでいたということだった。
家の中に入れてあげると落ち着いて、冷蔵庫のジュースを勧めたりして・・・
「ふつーの人になったわよ」ということらしい。

  ※雪の上で座り込んでいた父の衣服は、その後
   ヘルパー資格を持っている「隣家のYさん」が着替えさせてくださったらしい。



ご迷惑をかけて、お手数をかけてしまったにもかかわらず、私は・・・
とっても、とっても申し訳ない“本当のこと”を、このブログに吐き出すことにする。

今の私は、繊細で、感じやすい精神状態にある。
だから、ちょっとした言葉に、過剰に反応してしまう自分を感じたのだ。
率直に言うと、Tさんの言葉には、冷水を浴びせられたように固まってしまった。
  「お父さん、やっぱり田舎がいいんじゃないの?」
  「一人で置いといて、大丈夫なの?危ないんじゃないかしら」
  「あなた一人で看るのは、無理じゃないの?」
  「お父さん、“まだらぼけ”よねぇ~。びっくりしちゃったわよ」
  「毎日、どういう生活しているわけ?」
  「何の仕事しているの?お給料はどうなのよ?」
  「あなたは、毎日何時ごろ帰るの?聞いておかないと・・・ねぇ」
一つ一つの問いかけが、とても息苦しかった。
私の生活(選択)に疑問を投げかけられているような気がして、心地良いとは言えない
窮屈な感覚に包まれてしまった。
それでも、一つ一つに答えて、状況を報告して、今の自分の気持ちも説明して・・・
“勝手な思い込み”や“相手の誤解”を解きながら、
ただ“わかってほしくて”一生懸命に話しているうちに・・・
気がついたら、Tさんの前で“泣いていた”。
「まずいぞ!」と思ったので、すみやかに失礼して車を走らせたが、
駐車場までのほんの数分で、私は大声をあげて“泣いた”。
泣くほどのことでもない会話のはずが・・・無性に泣けてきた。
本当に辛かったから。
きっと、この数年数ヶ月の状況と想いを、端的に振り返り“言葉にした”ことによって、
走馬灯のようにかけめぐったのだろうと思う。
Tさんにはとてもお世話になって、そのことには非常に感謝しているのだが・・・
何故か責められているような気分になって、どうしても辛い気持ちはぬぐえなかった。

しっかし、
今日の“アレ”は、子どもの時以来かなぁ~と思えるぐらいの大声だった(笑)。
「号泣」ってやつだね、たぶん。
でも、すっきりしたから、よかった。
声に出すってことも、たまには必要だ。
いつもは、声を押し殺して、ただ“苦しい息遣いで泣くこと”が多いからネ。

きっといつもなら、あんなに号泣したりはしなかっただろう。
私は、疲れていた。
精神的にも(ゆる~い時間が持てないことで)張りつめていたし、
日常の中でリラックスできる瞬間などは無縁になってしまっている。
その上、ショートステイの件やヘルパーさんの件、度重なる「ドタキャン」の連続、
それに何よりも、今朝の父の身体的状態もショッキングだった。
初めて、トイレの中での排泄(小さくないほうデス)を失敗したのだった。
オムツや洗濯などとは全く違う“排泄処理(掃除)”が、かなり厳しい現実だったりした。
こういうふうにして、どんどん日常生活に影響してくることを(あからさまに)
認識させられたような感じだった。
ショートステイの担当者の心無い電話を再三受けたことも、また過度のストレスをためる
きっかけになったようにも思う。
そういう“あれやこれや”が、一度に重なり・・・・・私の張りつめていた心は、
崩れてしまったのだろう。

でも、我慢する必要なんてないんだと思う。
歳なんて関係ない。
泣きたい時は、泣こうと思う。
今までもそうだったし、これからも・・・。
少しでも吐き出して、処理していくことを念頭に置いて、とにかく迎合することなく、
「自分」を貫いていこう・・・・・と思う。
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波乱

2006年01月22日 | 介護日記 -
昨日、目覚めた後に、かなり驚いた。
「大雪」である。
地球が、へんてこな感じがする。大波乱だ。
すりガラスの上からも、景色が真っ白なのか分かるぐらい・・・マッチロケ!

やわらかい雪を踏みしめ、奇麗な色と感触にウキウキした昨日と比べて、
今朝はのっけからスッテンコロリンしてしまい、ひやりとしたスタートだった。
何となく、いやぁ~な予感を感じて、「何も起こりませんように」と願いながら、
今日の日を過ごして、帰宅のドアを開けた瞬間・・・
やはり、何かあったような気配を存分に感じてしまった。

お隣の親切なYさんが来てくれていて、父の面倒を見てくれていた。
あえて外出しないようにと雪かきをしなかったのだが・・・その降り積もった雪の上に
腰をどっかりとおろして、父は道行く人を眺めて声をかけていたらしい。
 (父の下半身は、当然ながら“びしょびしょ”だった)
「お~い」と、大きな声をあげていたというようなことも聞いた。
具体的な様子は分からず、明日にでも促してくれたTさん宅にお礼のご挨拶をしようと
思っているのだが・・・・・淋しかったのか、茫然自失だったのか・・・
家にいない私を探していたのか・・・
本人が詳しく語ることはないので、第三者に様子をうかがうしかないようだ。

    ※近所の皆さんには、本当に感謝している。
     「助け合いなんだから」「気にしないで」と言われ、
     いつも、涙がちょちょぎれそうになる。
     一昨日にも、Yさんにはお世話になった。

一人でいることに不安になって、外に出かけたのだと思うのだが・・・
その他、きっかけになったこととして、あるいは現時点で考えられることとして、
昨日のヘルパーさんのドタキャン事件も影響を与えているように考えられる。
実は・・・12月に続いて、同じ担当者が同じように「ドタキャン」をした。
「来てくださる」と“うかがっていた”ので、私は食事の用意をしていかなかったのだが、
実際には「ドタキャン」だったために、父は食事が取れず・・・・待ちぼうけ・・・
私に対しては「来なかった」という事実を、恨めしそうに訴えるだけだった。
昨年末ほどの攻撃はなく、私が「うそつき」「たぬき」になることは無かったが、
父の中には(確実に)裏切られて、放っておかれた気持ちが募ったはずである。
そして、ひとりぼっちの寂しさと不安を経験したのだと思う。

このような事態(ドタキャン)が続いて発生することには疑問を感じてしまう。
先月は、「誰にも忘れることはありますから」と、苦言の一つも呈せず、
「これからは気をつけてください」という一言で済ませてしまったが・・・
同じことが連続でニ月繰り返されたことで、確認すべきことが明確化したと思う。
調整ミスか、連絡ミスか、それとも、私の勘違いなのか(そんなアホな?!)、
起こったことの原因や経緯について、キチンと“あらう”必要がありそうだ。

今回のドタキャンに関して、正直に言うと、“ふりまわされている感”がある。
小さなミスや、ちょっとした問題は“慣れっこ”になってきたが・・・
こういう初歩的な行き違いには対処方法がない。
折り合いをつけたり、当方が努力して改善されるものよりも、根が深そうな印象だ。
説明して理解していただいて、とにかく“援助していただく”というような関係性が
根本から崩れていく感覚なのだ。
一言でいうと、「信頼」ということ――。

今年が明けた途端、こういうことでストレスをためたくはないのだが、
なんだか父の生活介護の重要度が・・・日々増していく現実を目の当たりにして、
自分自身が非常に落ち着かない状態になっている。
これでは外出することができない。
(現在かなりセーブしている外出が、今後できなくなる可能性も在り得る)
自分自身の“不安”が大きく育っていく・・・。
当然ながら、「完全に安定すること」は不可能だと分かってはいるが、
どうにか“より良い状況”を模索していきたいものである。
そして、何よりも大切なのは、「今をみつめること」と「今をやり過ごすこと」。
どんな状況になっても、必ず“学び”はあるものと・・・ただただ自分を鼓舞しながら
日常を見つめていきたい。

本当に、日々「気力&体力を要する」ということを、切に感じている。
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不覚にも・・・

2006年01月20日 | 出来事 -
深夜のうちに洗濯機にほうり込まれていた衣類の確認を、怠った・・・。

「また、やっちゃいましたぁ」

尿パットが挟まっていたために、仕上がったときには・・・
とろとろに溶けた紙の粒が、衣類全般にからまってしまった。

             「おおぉ、すごいボリュームだぁ」

              小さな尿パットなのに、
              溶けて散らばった紙は、なかなかの量だ。
              ボックスシーツの裏側にも、全体的に
              べっとりと“こびりついていた”。


「まさかの不覚でしたぁ」

朝一番の洗濯の際だったのだが、八時半には自宅をでなければならず、
(とりあえず)風呂場に紙のつぶつぶを散乱させて玄関を飛び出した。
帰宅したときには、ちょっとばかり“つらぁ~い気持ち”が湧いてきた。

気をつけよう。
ちょっとした確認で、避けられるようなことなんだから・・・。

復活

2006年01月18日 | 出来事 -
2006年、良いことが続く1年になりますように!!



しばらく前に戻っていましたが・・・
ブログのない生活に慣れきって、ついぞ遠のいてしまいました。
当地でのペース環境に慣れることと、まさに“復活”することのために精一杯で、
ブログにはアクセスできていませんでした。

あまりにも年末年始が壮絶だったので(笑)、
しばしの時間を必要としたのも事実です。
今はまだ語りたくないぐらい“ヘビーな日々”でした(笑)。

とにかく、今年の四国は、寒すぎました。
雪やあられが、こんこんと・・・。



休眠中に、個人的にメッセージを頂戴しておりました。
みなさん、ありがとう~!
嬉しかったです。
日頃ご無沙汰の方からもメールがあって、とっても嬉しかったです。
少ない友人・知人の方からの「頑張れ:よくやっている:メール」は、
本当に力になりました。
年末年始の“奇妙なアクセス数”は、少ない友人・知人の方のものだと思います。
更新もしていないのに、ミョウにアクセス数が多くて・・・面白い結果でした。

今年は、どうなるのか・・・まだまだ不明なれど、
このブログは無理せずアップしていきたいと思います。
これまでは、ブログそのものに“引っ張られていた感”がありましたが、
年末年始のシンプルライフを経験したことにより、力の抜けた感じ方が芽生え、
「もっともっと自然に、すべてのことに取り組んでいこう」という気持ちを強くしました。


豪雪・異常気象の年明けから移行して、少しずつ“おだやかな暮らし”を目指して
毎日を積み重ねていきたいものです。
そう思いながら、本日も体験型(初回)ショートステイをぎりぎりになって断られ、
「そういうやり方で許されるのかなぁ?」と疑問を感じている次第です。
それは、来週に予定されていたものです。
昨年の9月に希望を出していたのですが、やっと12月頭に日程が決まりました。
そして面談を昨日してから、9月に提出した診断書を理由にした断り方でした。
矛盾に満ちた説明と、曖昧な姿勢、そしていい加減な仕事のすすめ方・・・。
ちょっとばかり吃驚しました。
9月から今までの流れを思い出しながら、ストレスを溜め込んでおります。
断られたこともショックですが、それよりも胸を痛めたのは“断られ方”です。
夜間は職員がおらず、生活介護は遠慮してもらっているということでしたが、
それであれば昨年の内に(診断書を提出した時点で)結果は見えていたことです。
何故、こんなぎりぎりの突然宣告になってしまったのでしょう・・・。
まさに、時間をロスした印象がしてしまいます。
論点がずれていたので、当方の想いを伝えたら、あとは平謝りです。
謝ってほしくて言ったわけではありません。
安易な考え方で、仕事に取り組んでほしくないのです。
それぞれの人が、其々の事情で介護をしているわけですが、「生きていく」ことにも
手抜きができないのが介護人というものです。
経済的にも、精神的にも、かなり重かったりするわけです。
私の場合は、単なる“介護休息(息抜き)”という意味合いではないショートステイで、
第二の人生のスタートを切るために必須となる“地方滞在”が理由です。
しかし、父を中途半端にあずけるぐらいなら、頼まないほうがましです。
だから、十分な時間をかけて、昨年から準備をしてきたのに・・・。
誠意のない態度で、私の人生の計が、ふりまわされるのは本意ではありません。
福祉関係の社会システムに関しては、私が分からないことだらけだからこそ、
(今回の件については)明確な姿勢を求めたいと思っています。
ただ謝られても、私には実態が見えてこないからです。
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