ひところ、国王が来日にして、注目された 「
ブータン 」。
世界一、幸せな国だ と言われている。
ブータンでは、家を勝手に建ててはいけないし・・・
森も 勝手に伐採してはいけない。
伝統を大切にする国だ。
食文化は、野菜と乾物を好み、多彩な料理法があり、
人々は全てに感謝して 満足しながら “ 生きている ”。
強いリーダーシップがあり、国民はアイデンティティーを保って、
世界の変化にも対応している。
伝統を継承している傍ら、文明をも しっかりと取り込んでいる国。
それが、「 ブータン 」 だ。
歴史的な背景がある、この国だけの仏教文化。
その独自性に育まれた穏やかな思考は、人々の生活の基本となり、
培われてきた教養を世界に発信しているようにも感じる。
子供たちは、国が定めた高度な教育を受けることができて、
しっかりとした意見を持っている女性が政治・医療の役職につき、
日本のように揚げ足をとる人種もおらず、明らかに 健全だ。
その全体的なイメージと、人々の暮らしぶりは・・・
「 一昔前の日本に似ている 」 という感想を持たれるようだ。
日本は、すっかりと様変わりをしてしまった・・・。
今、このときの日本という国では、突然の解散総選挙で持ちきりだ。
こうして ( 国民の意思にかかわらず ) 次々と変化を強いられる状況は、
日常生活にも少なからず影響をあたえるだろう。
何が幸福で、どのようにしている時に幸福なのかという質問にさえ、
今の日本では 「 自分の見解を述べられない人が多い 」 と思う。
そういうこと以外にも、“ 考えたりすること ” が少なくなって、
ただスマホやゲーム機をいじり、時間がすぎゆくだけの人も・・・。
税金の使い道や、政界の動向にも意識が向かず、
我が国への愛情も萎えてしまっている印象さえする。
自分の半径3mの出来事にしか関心がないような人が多い。
「ブータン」が注目された要素として、
国民総幸福量( Gross National Happiness, GNH )、
または
国民総幸福感がある。
これらは、
「 国民全体の幸福度 」 を示す “ 尺度 ”である。
そして、国民総生産 ( Gross National Product, GNP ) や
国内総生産 ( GDP ) とは、全く違うもの ( 計算方法が違う ) である。
果たして、日本人は
しあわせなのだろうか・・・。
社会全体の経済生産や、物質的な豊かさだけに注目すると、
お金や数値だけの基準で はかられてしまい、「
幸 福 」 という
大切な観点を見失うことにも なりかねない。
強い口調で弁明を繰り返す政治家の脳みその中には、
どのような基準が 軸となっているのだろう。
それを選挙という形通りの無常なシステムで決定する社会の側面は、
国民の生活を評価する比較価値論として誤解される可能性を秘め、
何か大きなパワーに操作されているような妄想が浮かんでくる。
何よりも簡潔なことは、人々の満足度と、国や政治にむけた期待度!
そして、私たちの日常生活の安心・安定・安全である。
日本国の人びとが、どれだけ納得しているのか・・・ということだ。
今一度、
根源的なことを考えてみたい という気持ちがしている。