熟考

2006年07月26日 | 出来事 -
今日、父の主治医と話した。
いい人である。
意識も高いし、信頼もできる。
彼は、発言と行動に“ぶれ”がない。

たった二年ぐらいのお付き合いにもかかわらず、
主治医の携帯TEL番号を知っている私は・・・
「有難い“出会い”をいただいた」と思っている。



この数ヶ月の経験、病院との折衝、その発端にいたるまで・・・
父の主治医と“ゆっくりとお話をさせてもらった”。
すごく深い内容だった。
二人の話題は、死生観、病院の医療環境、コミュニケーションのあり方、
医療体制、そして・・・日本国の現状(課題)にまで広がっていった。

私の心が、何度も揺れ動いた。
うそのない言葉に刺激されたからだ。
だからこそ「自分自身」の意識の置き所・・・その大切さを感じた。

私がストレートにぶつけた疑問―。
それに真摯に答えてくださった主治医は、
彼なりの立場で“未来に対する不安”を抱えていた。
質は違うが・・・確固とした説得力のあるものである。


私たちの最後の言葉は、
「どうしたらいいんでしょうか?」
「う~ん。どうしたら、いいんでしょうねぇ」
「そうですね」
「う~ん」
「何ができるんでしょうか?」
「何ができるんでしょうねぇ。何ができますかね?」


私たちの表情に曇りがなかったのが、せめてもの“救い”か・・・・・。


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新しい道

2006年07月09日 | 雑感 -


一人の人間が持ちえるエネルギーには、限りがある。
一人の人間が抱える時間にも、当然限りがある。

「今の自分にとって、余分なもの(だと思えるもの)」は、
大胆に切り捨てることも“時には必要だろう”。

知らないうちに、
心の中が“重量オーバー”になって、
「負担」「重荷」「重圧」なんて文字が見えたら、
ちょっと“思案時”かもしれないなぁ。

いさぎよく切り捨て、“手放すことが上手な人”は、
常に“今を楽しむことができる人”なのだと思う・・・。

本当に必要なものだとしたら、
たとえ切り捨てたり、手放したりしても、
いつか必ず自分の中に、再び“生まれいづるもの”なんだ・・・。

      おそらく、きっと。

      そう思えると、手放すことにも抵抗感がなくなる。


自分の中にある様々なモノを、今こそ“整理してみよう”。
だって、私という人間の容量は、かなり些少なんだなぁ、これが・・・。

たとえ・・・そうするために
いくつもの時間が必要だったとしても、
「今やること」がみえたら、やっぱり「やらなくっちゃ・・・ネ」。



    たった一つのピュアなモノが、
    たった一つ残るだけでも・・・・・私は満足! 
    むしろ、そうであってほしい・・・ぐらいだ。
    
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芽吹き

2006年07月05日 | 雑感 -


「あきらめずに、やって・・・良かった!」

「やっぱり、やってよかった!」

そう思えることは、何よりも貴重であり、喜ばしいことである。
周りの誰が・・・ということではなく、「私」が・・・である。



  「きっと大丈夫。うまくいくよ」
    このサインを自分におくり続けること。
    そして、その芽がふいてきたら、枯らさないように大事に育てること。
    たとえ、シアワセの芽が出にくい人にも、必ず芽吹きの季節はやってくる!
    そういうものなんだ。きっと。
    それだけを信じているだけでも、人生の景色は違ってくるのかもしれない。
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誠意

2006年07月01日 | 出来事 -

ひと頃、流行した言葉である。
とてもピュアな精神を含んでいて、本来のイメージは清々しい気分を想像させる。
そして、健康的な人間関係の礎でもあり、前向きな印象をもたらす言葉でもある。

  今週は、例の病院院長と面談をした。
  来週は、例の病院の元主治医(副院長)と面談する予定である。

私は、この二人を連想するとき・・・
「誠意」という言葉が、いつも頭から離れない。
そういう意識でいてくれたら、ずいぶんと受け取る印象が変わってくると思うし、
何よりも行動そのものが“全く違うものとなっただろう”と思う。

  院長との面談内容をブログに書きたい欲求が強いのだが・・・
  今は、(ある意図をもって)差し控える。

私の心が晴れやかに澄み渡ることを願いながら、
今はただ“信じたままに行動する”のみである。


       
PS: 
日頃は・・・明るい人です。
泣いてばかりではありません。
勿論、日々泣いているのも
ある意味で、事実ではありますがぁ~。
ご心配をいただいている皆様に
心から感謝するとともに
「ご心配なく」とお伝えしたいと存じます。
どうもありがとうございます。