共感する「感性」

2010年03月31日 | 自分 -

昨日から、「インド」が、頭から離れない。

随分前のことだが、ヨーロッパで意気投合した友人宅に、初めて招かれた時・・・・・
びっくりしたことがある。
日本では考えられないほどのリビングの広さに、私が敬愛する「ガンジーの肖像写真」、
「べランのパノラマ山岳画作品」、そして、カナダで古来から使われていた「かんじき」が
順々に飾られていたからである。
なんということだ。 
この偶然の志向の一致は・・・・?
私は、それだけで、その人がとても身近に感じられた。

肖像写真も、パノラマ山岳地図画も、とても大きな額縁で、その大きさにもまた・・・・
びっくりするぐらいだった。

つたない私の英語も、その人とは必要なかった。
境遇や、現在の状況は、説明したりすることがあったが、それ以外は・・・・
考えていることや、感性などが、言葉にしなくても通じるものがあったと思う。
ドイツ人で、同い年で、医療関係に携わっていた人だったが、やはり共感する“何か”を
持っていた人だったと感じる。

あの時・・・あの瞬間・・・・
「ガンジー」と「べラン」が、同時に私に襲いかかってきた衝撃は、今も忘れない。

私が惹かれていた二人の存在感は、リンクすることがないように思っていたので・・・・
だからこそ、びっくりしたのだと思う。
今から、13年前のことである。



「ガンジー」は、「インド独立の父」と呼ばれている。
非暴力運動によって、英国領土だったインドを、独立に導いていった人である。
インドの首都デリーは、ガンジーとも縁が深く、独立運動の支援者であった民族資本家
ヒルラー財閥のデリー邸を、たびたび寄宿先としていた。
彼は、晩年、ここで過ごすことが多かったと聞く。
そして、1948年1月30日、寺院に夕方の祈りに向かう途中、暗殺されてしまった。

このヒルラー財閥のデリー邸は、今も当時のままに、あらゆるものが残されており、
ガンジーが使っていた質素な寝室から、中庭まで足跡が印されている。
中庭の中央で足跡は途切れており、そこには石碑があるという。
まさに、そこで、ガンジーは、凶弾に倒れたのだ。



ガンジーの非暴力運動で自由を手にして、独立した「インド」。

ガンジーの魂は、世界各地の平和運動や人権運動に、大きな影響を与え続けていった。
しかし、彼の力によって独立を勝ち取ったインドにとっては、はたしてどうだろう。
ガンジーの「偉大なる魂」の影響力は、あまり大きくなかったとしか言えない。
インドは、その後、軍隊を持ち、領土問題で諍いを起こし、現在は「核保有国」となった。

インドの根深い身分制度の果てに、人々は何を求めているのかと・・・・
おぼろげに(複雑な気持ちを抱えながら)疑問に思うことがある。



私が魅せられたのは、ガンジーの思想や魂であり、“ガンジーそのもの”だった。
それだけ人の心を打つ信念の強さと、行動力を持ちえていた稀有な人が、ガンジーだ。
お金も、服も、満足な暮らしもせず、質素に生き、人々に「平和」を訴えた人だった。
“何も持っていないこと”が、こんなに素敵なのかと思えるぐらいの人だった・・・・。

しかし、たとえインドがどのような道をたどろうと・・・・
「ガンジーの理想」に感銘を持ち、その意志を引き継ぐ人も、世界中には沢山いるだろう。
そう、13年前にヨーロッパで経験した私の驚きのように・・・・。
少なくとも、私の中にはガンジーの思想が、確実に、着実に、生き続けている。




「道」の歩き方

2010年03月30日 | 言葉 -


  寒さと 暑さと 飢えと 渇(かつ)えと

  風と太陽の熱と 虻(あぶ)と 蛇(へび)と

  これらのすべてのものに うち勝って

  犀(さい)の角のように ただ独り歩め



            <by ゴータマ・スィッダールタ 「ブッタのことば」より>


               ※犀の角は、“魔よけ”などに、使われていた。
                 解毒剤や解熱剤としても使われていたが、現在は
                 ワシントン条約によって使用ができなくなった。




記元前5世紀ごろ、ゴータマ・スィッダールタは、現在のネパールのルンビニーの地に
シャーキャ(釈迦)族の小国の王子として生まれた。
29歳で全てを捨てて、求道の旅に出て、厳しい苦行の末に、菩提樹の下で覚りを得る。
ブッタ(目覚めたもの)となったのである。

現在のインドには、仏教の聖地と呼ばれる場所が、いくつも点在している。
写真で、ブッダの足跡をたどりながら、はるか彼方の昔に想いをはせる・・・。
真理も、道理も、悟りも、・・・それぞれに、「概念」も「定義」も違えども、
いわんとしていることに、違和感は感じない。
そこから受け取る当時の“市井の暮らしぶり”が想像できる。

ブッダの時代から、生活様式はガラリと変わっても、巡礼者たちが絶えることがないのは、
その風景や風土の中に、ブッダの思想が生きているからに他ならない。

インドは、人間のるつぼであり、人に会わなければ旅をすることはできない地である。
いつか、元気なうちに、ぶらり旅をしてみたいものだ・・・。

インドは、「神と信仰の国」であると同時に、「喧騒と貧困の国」でもある。
しかし、この地を“天国だ”と感じる人がいる以上、好奇心はつのるばかりだ。





華麗な表現力

2010年03月26日 | 人物 -

橋大輔さん、「世界選手権」の初優勝、おめでとう!  


怪我をして、苦労した時間を克服してから、彼の氷上の“表現力”は群を抜いた。
ある“心根の強さ”みたいなものが感じられて、今まで感じていなかった彼の存在が
突然(より一層)輝きを増して、魅力的に思うようになっていった。


私自身としては・・・・「フィギュアスケート」が、子供の頃から大好きだったので、
ずいぶん前から彼の演技をテレビ観戦してきたのだが・・・・
正確には、モロゾフコーチから離れた理由に、彼の男気を感じ、着実に気になり始めた。
その理由が非常に男らしく、潔く感じられ、「橋大輔」を注目するきっかけになった。
(大変な決断だったことは、離れた後の“彼の落胆ぶり”からも、容易に予想される)

その後の怪我で彼の選手生命が危ぶまれ、余計に応援したい気持ちが芽生えて来ていた。
プロレスラーじゃあるまいし、「膝のじん帯断裂」などという怪我は、大変なことである。
事実、こんな大怪我をして、手術をした後に、現役に復帰したスケーターはいないらしい。
            (それも、こんな短期間の間にだ。驚くべき事実である!)

ひそかに、私はずっと、テレビ中継やニュースで、彼の動向を、常にチェックしていた。
というよりも、「ひそかに、応援し続けてきた」というのが適切かもしれない。
それまでの活躍を観ていたからこそ、「再び復活してほしい」という気持ちが強くなり、
(現役離脱の時に)より一層「応援する姿勢が強くなってしまった」ようだ。


だから、復活してくれたときは、とてもうれしかった。
バンクーバーオリンピックの前後は、特に注目していたのだが・・・・
五輪では(すばらしいことに期待通り)銅メダルを獲得してくれた。
※当時、仕事で地方に滞在していて、リアルに集中して演技を観ることができず、
 周りのスタッフには、かなり「タカハシ話」をしていたものである(笑)。


だから、今回の優勝は、本当に嬉しい。
快挙である。
彼の名前は、歴史に残ることになった。

イタリアのトリノで行われているフィギュアスケートの「世界選手権」!
第3日(現地時間)25日、橋大輔さん(関大大学院)が、
ショートプログラム首位に続いて、フリーでも1位となった。
昨夜は帰宅するなり、ショートプログラムの録画映像にふけり、
深夜から今朝にかけての現地でのフリーの生放送に興じた!

結果として、彼は、「日本男子では初優勝」という快挙!
ショートプログラム「Eye」も、フリー「道」も、楽曲(選曲)と振付が素晴しくて、
彼の長所を(いかんなく)引き出しているように感じた。
指の先まで気を遣った“なめらかな身体の動き”と、華麗な自慢のステップ、
表情も豊かで柔らかく、リズムを刻みながら、身体全体で楽曲の世界を表現していた。
スケーターではなく、エンターティナーのような存在感がある。
本当に、素晴しかったと思う。

そして、何よりも、あのような大怪我からの短時間での復帰は、本当に考えられない。
賞賛する言葉が見つからない。

実際、モロゾフコーチによって引き出され、開花した彼の才能かもしれないが・・・
プログラムの振付などは、今年の方が彼にあっていたというのが、私個人の感想である。
明るく、華やかで、快活なイメージもあり・・・それでいて、美しいジャンプ!
身長の低さなどを感じさせない壮大な表現力! 柔軟な手足に、素晴しいリズム感!
音楽を身体でとらえた滑らかなスケーティングは、海外の硬い演技構成をしている選手を
はるかに飛び越えて、(彼自身が)全く違う次元へ行っている。


フリーでは、これまで誰も成功していない4回転フリップにも果敢に挑戦した。
 (両足着氷で完全成功ではなかったが、手もつかず、転倒もなかったし・・・)
やはり、男気のある精神力の強いスケーターである。

引退など絶対に考えないで、もっともっと競技生活をしてほしい人物である。
まだまだ伸びそうな才能と個性を持っているし、あの華麗なステップと、
素晴しい表現力は、他の人には出せない華やかさである。
今しばらく注目して、密かに追いかけながら、見ていたい人だ。

今回は、彼から“清清しい勇気のようなもの”をもらえた! ありがとう!!
だから、身体は寝不足だが・・・気持ちは晴れやかである。




 今期のショートプログラム「Eye」は、私が大好きなプログラムだ。
 ラテン系の音楽(コパ)に、華麗なステップが、非常に絡み合って、とても素晴しい。
 世界選手権では、表情も、演技も、なめらかで・・・総合的に見事だったと思う。

 たった一つ残念だったのは、トリノのTV映像のスイッチングが気に入らず・・・・
 私は彼の全身が観たいのに、エッジや半身のアップに(すぐ)スイッチされて、
 ものすごく不完全燃焼だった。たとえば、音楽に乗って、全身でリズムを刻んで
 いるような(何気ないけれど)素晴しいテクニックが垣間見えるシーンなどで・・・
 下半身の足元アップが続くと、もう「悔しい~。全身が観たいのに」と思ってしまった!
 同様に、肝心なところで、上半身のアップが続いて、納得のできない映像構成だった。
 基本的には、映像を撮影して世界に発信した(トリノの)スタッフがいて、彼らとの
 感性の違いだけはあるが・・・私は、相対的に演技全体(全身)を観たかったのだった。
 愚痴みたいで恐縮だけど・・・・そういう映像構成に頻繁になってしまったために、
 私個人としては、ほんの少し残念だった。 
 私は、ただ、全身で表現する彼の演技を、満喫したかっただけなのだぁ~。




●世界選手権 2010  SP 「Eye」 (ロシア版+イタリア版)







●世界選手権 2010  FP 「道」 (ロシア版+イタリア版+ドイツ版)







 ※今回の彼の総合得点は、バンクーバーオリンピックの金メダル受賞者よりも
   高い得点だった。

 ※また、バンクーバーオリンピックで、プルシェンコが意義を唱えた現在の採点方法!
  トリプルアクセルを「スーパーダブルアクセル」と解説しているように、採点では
  三回転という価値を評価されていない。選手達のためにも、難易度の高いジャンプは
  それ相当の評価をしていただけるように、世界基準を改定していただきたいと思う。



バンクーバーオリンピックのフリー演技「道」も、最初の4回転が失敗しなければ、
確実に「メダルの色は変わっていた」と言われた。4回転以外は、心のこもった演技で、
ジャンプも素晴しく・・・専門家や世界中の記者に、そう言われた理由は理解できる。
(事実、オリンピックでは、4回転を回避した選手が、金色のメダルを持ち帰った)
だからと言って、4回転を回避するような人ではないのだ、「橋大輔」という人は・・・
世界選手権では、その経緯を受けて、誰もが成し得ていなかった4回転フリップに挑戦!


芯の通った男気と、それに反比例するような優しい滑りが、彼の真骨頂だ。
大怪我からの復活と、これだけの結果・・・・・数々の困難を乗り越えてきた精神力!
完全に、魅せられている私がいる。


他人との交流

2010年03月25日 | 仕事 -

今日は、雨がそぼ降る中、打合せの連続!
頭を回転しながら、心に熱を入れ、言葉に愛情を注ぎながら・・・・
人と会い交えることは、実際「疲れる」が、やりがいがある仕事である。
携帯片手に、街を練り歩き、喫茶店をハシゴして、人と綿密に語り合う。
相手には、相手の意見があり、状況も違うし、具体的な希望もある。
私にも、ある程度の主張したい内容が、明確にある。
このコントラスト・・・・リンクするものもあれば、決裂するものもあり、
非常に楽しく、面白い時間である。

それは、なぜか?? なぜ、面白いと感じるのか?
答えは、とても簡単だ。「未来について、語り合っているからだ」。
現状維持ではなく、もちろん過去の振り返りでもない。
新しい仕組みを構築するための第一歩を、どう歩みだすか・・・・
それだけに、想いを結集しているから、話していて“楽しい”のだ。



話題は変わるが・・・
昨夜、会社で、悩みを抱えている若い女性が、現状を報告している現場に遭遇した。
おせっかいにも、私は1時間相当、彼女に対して、アドバイスを繰り返した。
100人もいる会社で、誰が誰かわからなくとも、仕事の内容はすぐに理解できる。
彼女は、最後に・・・・顔を真っ赤にした状態で、自分のデスクに立ち返り・・・・
私に“自分の名詞”を差し出した。
その名詞には、「ありがとうございました。etc.」いろいろと具体的な御礼の言葉が
たくさん書かれていて、昨日の日付けまで明記されていた。
ストレートな彼女のメッセージに、私自身も心が打たれたような感じがした。

話している途中で、彼女がつぶやくように(私に)問いかけた言葉が印象的だった。
「私は、変われるでしょうか?」
「変われるよ。 きっと変われる。 実際、私はこうして変わったもの!
 あなた自身に、変わる意志さえあれば、必ず変われますよ。大丈夫!」。

人の人生ではあっても、少しでも前向きに生きていってほしいし、希望をもってほしい。
悩んで過ごしていた私の20代を想い起こし、懐かしく、若い彼女を見つめた・・・。
あきらめないでほしい。 心からそう感じ、応援したくなった。
そして、何よりも、かけがえのない自分自身を大切にしてほしいものである。
今の私は、彼女の今後を見守りたくなってしまっている・・・。




今日は珈琲ばかりで、胃壁がぶるぶる&きりきりになったので、紅茶に変えたが、
食の量を少なくしてから、吸収される水分も固形物も、一機に減ってしまった。
私は、すぐに満腹感を感じるようになった。

夕食は、寿司を食べに行ったが・・・・思う存分食べられず、残念至極!!!!
先週決めた、憧れの「アジ」からスタート、
生しらす、生牡蠣、あぶりトロ、いくら、めねぎ、こはだ、そして、ぼたん海老。
なんということだろう。 これでお腹がいっぱいだなんて・・・・。
でも、夕食でも、仕事の話ばかりで、結局は打合せと変わらない会食になってしまった。
結局、寿司屋での収穫は、大きかった。


人との会合&交渉は、本当に「疲れる」が、やはり私の性に合っているのかもしれない。



企業の社会貢献度

2010年03月23日 | 社会 -

現在の若者達の70%近くが、「社会貢献をして、生きていきたい」と、考えている。
私たちの時代には考えられなかった崇高な意識であると同時に、人として、企業人として
“自分が埋没してしまう利益優先の社会構造”が背景に見え隠れしているようにも感じ、
非常に複雑な心境になることがある。

人は、何のために生きているのか。
何を求めて、生きたいと感じているのか・・・。
仕事は、自分の人生の中で、どのような役割で、どのような意味があるのか。



「社会貢献」は、まさしく“やりがいのある事業”だと思うし、世間に誇れることだ。
自分が勤めている会社が“社会貢献度の高い企業”であれば尚更、鼻高々になるだろう。

しかし、昨今からの経済状況が影響して、社会貢献事業に予算を割く企業は激減している。
海外への環境整備、井戸掘りや機材の提供、環境保護のための活動など・・・。
これまでは、数少ない志の高い企業は、その社会貢献事業の事実を公にしてこなかったし、
現在もTVコマーシャルなどでおおっぴらに「やっています~よ」ということもしていない。
個人レベルの「慈善事業」もしかり。
ひそかに、ボランティア活動や、心配り、経済的援助をすることが、常であって・・・・
それを派手に公開しすぎると、売名行為や宣伝活動として解釈されてしまったりして、
受け取る側の印象も、崇高な志がストレートに伝わらず、誤解されることもあった。
特に、著名人などは、そうだったのではないかと予想される。


しかし、もう時代は変わった。
資本主義経済も、世の中の常識も、とつとつと変化している。


世界は広く、果てしがない。
多くの人が助けを求めているし、実際、何十年も変わらず(世界的な視野にたった)
社会貢献事業に携わっている企業が、日本中に、たくさんある。
今こそ、その歴史や、企業理念を、国民に知らしめてほしい。
ずっと継続してきた“誇れる事業”の詳細を・・・・。


「企業」とは、どういうものなのか。
利益を追求するだけの集団なのだろうか・・・。
その企業の就業者が、どのような意識で働き、自分の会社をどのように感じているのか。
個々に違う「企業理念」と「企業精神」は、私たちにとって興味深いことだ。
核付けをするわけではないが、そういう時代に入っていったような印象がしている。
上場しているかどうかなどで、企業の価値をはかる時代は、もう過去のものだ。



個人の利益や、企業の利益だけを追求し続けている会社には、尊敬の念が芽生えてこない。
これは、あくまでも私個人の意見であるが、一番印象が悪いのは・・・・・
ホームページでは、よいことを明記しながら、実際は違う基準で経営している企業!
HPと現実とのギャップがありすぎて、思わず代表取締役に手紙を書きたくなるような・・・
疑問だらけの企業などである。
また、就労者を大事にせず、企業理念とかけ離れた対応をしている労働派遣業等を主に
している企業など・・・・・これらも、数え上げたらきりがない。

とにかく、このあたりを、今後は見極めていく時代に、入っていくような気がしている。

企業の社会構図の中での立ち位置(存在意義)を、改めて確認していきたい気分である。



満員電車の悲痛

2010年03月22日 | 社会 -

大都会には、多くの人が住んでいる。

ストレスは、健康には大敵だと思うが・・・・
実は「満員電車に乗ること」自体が、ものすごく苦痛なものだと思う。
想像を絶する混雑時間が、日々続くのである。


この二週間ちょっとぐらいだが、毎日のように、凄く混んだ電車に乗った。
朝の貴重な時間を、あれだけの苦痛と、精神的な負担をかけられるのは、
現代人にとって、非常に悲哀に満ちている。
協調的に物事を考えない人ではないかと思うぐらい、自己中心的な“乗り方”で
強く押して入ってくるお客さんが、(現実として)たくさんいる。
この時間帯には、3~6分待てば、次の電車が来るというのに・・・である。


混んでいる「満員電車」の中には、いろいろな人が乗り込んでくる。
背中にバックを背負っている人、昨夜のお酒が抜けないで臭い息をはきかける人、
音楽を大音量で聴きながら周囲の迷惑は考えない人、新聞を開いて読んでいる人、
杖を突いた老人がいるのに無視する人、もう乗れないのに無理して乗ってくる人、
ものすごい量の香水をふりかけている人、足を踏んでも知らんぷりをする人・・・・・
ごった返す車中には、本当に、たくさんの人がいる。

満員の電車なのだから、乗っている人同士、身体を密着させなければならない隣の人に、
ほんの少しだけ“ちょっとした配慮”が、できれば良いのに・・・・
そういう相手に対する“気持ちの余裕のようなもの”は、全く感じられない。


率直に言ってしまうと・・・・・
環境がつくりあげた人々のすさんだ「心の状態」を、まざまざと見せ付けられた感じだ。
周囲への“気遣い”はしない。できないのかもしれないが、実際できる人は少ない。
自分がこの時間を我慢するために、音楽や新聞(スポーツ紙ばかり)に逃げている。
そうすれば・・・「聞こえないふり」、「見ないふり」ができる。
シルバーシートや、それ以外のシートでもそうだが、座った人は、ほとんど寝ている。
寝ているというよりも、目をつぶっている。
そうすれば、何かあっても、しばらくは「気がつかないふり」ができる。
無関心でいられるのだ。
本当に疲れた人もいるだろうが・・・・・早朝から「疲れている」というのは、
(それはそれで)かなり厳しいものである。
とにかく、ある一定の満員電車の乗車中の時間に限っては、「自分を守ること」が、
何よりも大切なことのように考えているようにも感じられた。


毎日、満員電車に乗っていると、いじわるしたくなる人が増えるような気がする。
優しい気持ちに、なれないからだ。
陰険に押されたら、“押し返したい”という気持ちが湧いてくる、哀しいことに・・・。

そうして、すさんでいく「心」の変化に焦点をあてることなく、仕方がないから、
また満員電車に乗って帰宅して・・・・また満員電車に乗って会社へ行く・・・・。



私は、冷静に観察をしながら、「満員電車」に乗っていたが・・・・
日ごとに、どんどん「心が冷えていく」のを感じた。
すさんでいく自分自身を感じた。

日々の生活のスタートが“あれ”では、本当に“やる気”を削がれてしまう。
切ないことである。


有識者の方々も、あのような満員電車通勤を、毎日経験してみるべきではないだろうか。
一般国民の日常の暮らしが、どのようなものなのか。
具体的には、如何なる影響を与えているのか・・・・体験して、考えてほしいものだ。
フレックスタイム制導入と言いながら、やはり、満員電車はなくならない。



どうにかならないのだろうか。
時差通勤も、自宅労働も、ある規定とルールができれば可能なシステムだと思うが、
なかなか変わっていかないのは「仕方がない」のだろうか。
本当に、どうしようもないことなのだろうか。
あのストレスを、どうにか軽減する方法は、ないものだろうか。


1~2日ならまだしも、毎日だとしたら、精神が麻痺してしまう。
取り返しのつかない心情の変化を、確実に引き起こしてしまう「苦痛」がある。
毎日のことだと、当然のように決め付けてしまわないで、もっと人々の心持ちを優先的に
考えてみたら、違う観点からの「会社の労働規約」も可能だと思うのだが・・・・・。
これは、夢物語なのだろうか。

とにかく、「満員電車は、空気も悪く、人々の心がすさんだ空間であった」。
まさに、都会の社会が抱える悲哀である。



人脈が深い人

2010年03月17日 | 仕事 -

今日も、仕事の関係で、たくさんの人に会った。
その上で、感じたことを明記しておく・・・。


「人間関係が上手くいっている人」は、人脈が広いというよりも、人脈が深いのだ。
そして、やはり、その人の「人格」は、とても魅力的である。
誠実で、“嘘をついたりしない”などの基本的なことが、ごく普通にできる人である。

そういう人は、相手に対する想いと姿勢が、仕事上のあらゆる所作にあらわれる。
そのため、自分に虚無を尽くすのではなく、無理にコントロールするのではなく、
自然に「周囲と“わたりあえる”こと」が何よりも顕著な特徴のような気がする。


信頼を勝ち得るために必要なこととして、“自分の取り得(長所)”を見極めながら、
それぞれが“独自のスタイル”を探していくことも、重要なことのようにも感じた。
自分にない要素を求めて、人のマネばかりしていても、仕方がないだろう。
この限られた才の特徴をフルに活用する勇気を持ち、フットワークよく立ち回り、
より多くの人々に信頼してもらえるように努力することは、続けていきたいものである。



今日は、仕事が一区切りしたので、咄嗟に「会いたい人」に電話してみたが・・・
人気者はすぐにはアポがとれないものだ。
「さすが・・だネ」と、感嘆して、談笑して、電話を切った。
とりあえず、来週の週末に、時間を押さえてもらった。
私がすっきりした時に会いたい人って、私にとっては“どういう存在の人なのだろう”。
尊敬できる人であり、仕事のできる人であり、信頼できる人であり・・・
気を許せる人である。
私自身が、鎧(よろい)も、仮面もかぶることなく、裸の自分自身で付き合える人、
そんな人なのかもしれない。


優しい人

2010年03月16日 | 自分 -

深夜作業から帰宅したら、訃報が届いていた。

たくさんの人とお会いして、忙しい日ではあったが・・・
人の「人生」や「生と死」を考えながら仕事をしていた日だったので、
帰宅してから届いていた訃報の偶然性には、正直おどろいた。


16日(火)、赤坂のとある場所で、仕事で半年振りに、お会いした“その人”は、
(私にとって)とても素敵な人である。
「なぜあのような“優しい雰囲気”を周りに与えるのか」と、いつも同じ印象を抱く。
79歳になる現役の人で、一人ぐらしを感じさせないぐらいの“元気な女性”である。
身体も、脳細胞も、私よりも健康的ではないだろうか~とさえ、思わせられた。
その半生を(勝手に)想像すると、並大抵な道程ではなかっただろうに・・・・・

しかし、とにかく・・・・・あの“優しさ”は何処からくるのだろう。
そして、あの穏やかな雰囲気は、周りの全員に、シアワセな安心感を与えてくれる。


「優しさ」は、私を優しい気持ちにさせてくれ、
「穏やかさ」は、私を穏やかな気持ちにさせてくれる。

まさに“その人”から、あらゆる雰囲気を与えていただいているような感覚だった。

きっと“その人”は、人を慈しみ、この世の“全てのもの”を慈しみながら、
無理のない考え方で人生をおくってきたのだろうか・・・と、私なりに想像した。
あの優しさと、穏やかさは、フツーに生活していて(頻繁に)感じられる世界観ではない。

もっと、もっと、お話をしてみたい人の一人となった。
そして、79歳の“その人”は、「齢を重ねることも、そう悪くないものだなぁ」と、
私に思わせてくださった数少ない人の一人でもある。



春がかおる山菜

2010年03月14日 | 食事 -

春の「山菜」が、近所のスーパーにならんでいた。

くるりと巻いた「こごみ」、トゲトゲの木から取れる「たらの芽」・・・・・

山菜は、“春のたより”みたいなものだ。


これまでは、山菜がとれる地元にいかないと食べられないものが多かったように思う。
あとは、料亭や天麩羅専門店など、どうしても限られた場所でしか食べられなかった。

まさか、近所の何気ないスーパーで、「山菜」を売っているなんて・・・・。

山菜が商品として販売できると・・・・認識していなかったとは思えない。
やはり、数に限りがあって (たくさんとって根を絶やすと来年とれない理由もあり)、
私たちの分までは流通しなかっただけのような気がする。


全国の山がより健康になれば、“山の恵み”が、もっと都会にも流れてくるようになり、
私たちの口にも自然に入るようになるだろう。

食料自給率も、確実にあがる。

健康のためにも、社会構造上の観点でも、いつも国内のものを食べていたい。

日本人が昔から食していた“素朴”な“旬”の味こそ、心にも身体にも馴染むはずで、
ヘルシーな山菜は、身体の内臓にも無理のない食物であると思う。
生活習慣病(成人病)も、限りなく少なくなるはずである。

そんなことを感じながら、はじめて見るスーパーの「山菜」に、心奪われた。




国民への裏切り

2010年03月13日 | 社会 -

日本という国は、主権が「国民」にある。

にもかかわらず、これまでの総理大臣や政府の首脳陣は、「密約」の存在を隠蔽し、
そのことを国会では否定し続けてきた。
これは、国民に対する“裏切り”であり、“誠意のない姿勢”である。
ある政治家は、この事態を「必要悪」と発言した。
世の中には、いろいろな“しがらみ”があるのは理解できるが、国益にかかわることは
情報公開するべきであり、わが国が抱えている状態を明確に把握する権利が国民にある。

情報公開をしなかった首脳陣は、国民に「嘘をつき続けていた」ことになる。
国会で嘘の発言をした元総理大臣の行為は、犯罪ではないのだろうか。
主権を持つ「国民」を馬鹿にしているようだ。
大罪を負うべきではないのだろうか。


今、問題視されている「密約問題」は、
政権交代があったからこそ、露見した事実かもしれないが・・・・
このことを、決して安易に許すことはできない。

これからのことを考えても、また個々の政治家の自覚を促すためにも、
国民は黙っていてはいけない。
無視してはいけない事実である。


「未来」のために、「日本国」のために、「私たちの生活」のために、
なぜこのような姿勢を貫き通し、「言いなり」になり続けた日本の首脳陣の考えを
当時の社会背景を見つめながら検証し、議論していく必要がある。
はたして、当時の政府の対応は適切であったのか。
「歴史」から学ぶことは大いにしてある。
それに、世界情勢も刻々と変化する中で、大昔の「密約」に縛られるのも意味がない。
「密約」そのものを無きものにできないのであれば、その境界線と質感を克明に調査し、
今後の政治的交渉に反映するべきである。

もし、大きな問題や課題があるのであれば、正すべきシリアスな現実である。
露呈した今だからこそ、やらなければならない。
政権が交代した今だからこそ、あらためて基盤を固めて、密約条項を共有してほしい。

国民を無視して「仕方がなかった」では、決してすまされない“裏切り行為”である。

もしかしたら・・・と予想しつつも、現実を目の当たりに突きつけられるのは切実で、
あらゆる関係を修復し、基本を確認する必要を感じる(ショッキングな)出来事だった。

これからちゃんとした対応をしてくれないのであれば・・・
「私たちの未来」を、政治家だけには、まかせておけないだろう。


天下りなどの社会構造の構築、密約などの外務交渉・・・・
あらゆるものが、国民の目の届かないところで、一部の人間の利害によって
秘密裏に新興してきた現実を、あらためて見つめなおす時機がきている。



プラス思考

2010年03月12日 | 自分 -

人間は、もともと「マイナス思考」の人が多いらしい。
それを、あえて「プラス思考」に変革するためには、本人の努力と強い意志が必要だ。


子どもの頃、苦労したという自覚はもっていなかったが(比べようがないので)・・・
私は本来、絵に描いたような「マイナス満載の考え方をする子供」だった。
近所の大人たちから、私を称して「明るくて、楽しい子ね」とよく言われたのは、
親に心配をかけないように、子供ながら「大きな仮面」をかぶり通してきただけだった。

20代の前半までは、心の奥底に潜む“暗い塊”と、全てに覆いをかけたような考え方と
他人に対しては“決して本性を見せない性質”は、変わらず・・・・・
今、思えば本当に、一人ぼっちで、切ない時間を過ごしていたように感じる。

人生の転機となるような、幾つかのきっかけと、素敵な人との出会いによって、
徐々に心が解き放たれていくことにはなったが・・・・・
私自身の場合は(ながぁ~い)時間をかけて、変化していったように思われる。


単純に一言では語りつくせないが・・・・あえてそうしてみれば・・・・・
マイナス思考だった私が、プラス思考になったのは、「ケセラセラ」という言葉があり、
その精神を受け容れたことと、その覚悟(決意)をしたことにあるだろう。
    ※「ケセラセラ」とは、スペイン語で「どうにかなるさ」という意味である。

そして、何よりも重要な要素は、「自分自身を大切な存在として認識すること」。
自分が背負っている境遇や生い立ちを、たとえ“苦難だ”と感じてしまっても・・・
それを乗り越えることで、「自分を成長させることができる」と思えたことも大きい。


今の私が、より身近に感じているのは、「日々の生活を楽しむこと」、そして、
「常に肯定的にとらえながら暮らせるように努力すること」。
もちろん、肩に力を入れることなく、さらりと全ての出来事を受け容れられる度量と
余裕があれば、何もこわいものはない。


また、今後の課題として思い描いているのは、社会や他人のために最善を尽くしたり、
自分の価値観で自分を取巻く全ての人や仕組みにかかわっていくこと――。
それはきっと、「プラス思考」なんて小さな世界を飛び越えて、自分に大きな自己実現と
自己成長をもたらしてくれることだろう。

そんな余裕のある“豊かな生活が送れる未来”を、今は願うだけである。



私に向けた忠告

2010年03月09日 | 仕事 -


新しい環境(会社)に慣れるために、自分の味方を(いち早く)見つけることは、
心の支えにもなり、現実的な情報を得られる利点もあり、非常に大切なことである。
「味方」・・・・定義はいろいろあるとは思うけれど・・・少なくとも私自身に対して
拒否反応をもつことなく、ある意味で自分のことのように配慮してくれる人のことで、
違った方向から解釈すれば、私が心から「信頼できる人」のことである。

そんな関係だと一方的に思っている人と、今夜、初めて帰宅電車が一緒になった・・・。
偶然だとは思えなかった。
この時機に、こうして密なるプライベートな話ができたことを、とても嬉しく感じられた。
私から何も相談することはなかったけれど、まるで心の奥底を見抜いたかのような的確な
アドバイスをもらえた。 
それは、私の側に立った行動を促すものでもあった・・・。

今年、60歳を迎える“その人”は、もう少ししたら退職する。
きっと、ものすごく淋しくなるだろう。
会社で笑う回数も減るだろう。
そう思った・・・。
私にとっては、本当に「ありがたい人なのだ」と、今日・・・しみじみと感じた。
自分が普段思っている以上に、私は“その人の存在”を追いかけていたのかもしれない。
今や母のいない私にとっては、会社内での“母なる存在”だったのかもしれないとも思う。

一緒に帰宅した電車中に、降り始めた雪――。
彼女が降りた途端に、突然、激しい降り方になってしまった。
ぼ~っと車窓を見つめながら、空虚な気持ちを抱えていたら、あっという間に時間が過ぎ、
ぽたぽたという音を聞いていたら、あっという間に景色は真っ白に変わっていた。
数センチ積もった雪を踏みしめながら、亡父の足取りのように、一歩、一歩、ゆっくりと
滑らないように、雪まみれの階段を降りていきながら、自宅の玄関にたどり着いた。


私には、明日も明後日も、やることがある。
そのことに感謝しながら・・・・
毅然と、前を向いて、たとえ一人になっても、頑張っていこう。

「彼女の心からのアドバイスは、決して無駄にはしない!」。
強く心に根をはった言葉を胸に抱いて、明日も明後日も「やるべきことをやろう」。

明日の朝は早いというのに、雪の心配など何も感じない。
今、私は・・・・身体の中に芽生えた“熱いもの”を感じている!



週末のセミナー

2010年03月07日 | 自分 -

週末は、「お勉強タイム」としている。
もちろん、身体を休め、内臓を休め、不貞寝をすることもある。
また、心を癒すための時間にもあてているが・・・
時々は、馬車馬のように働いていた頃を思い出して、また初心に返ったような心持ちで、
大学講座やセミナーに参加している。
特に「無料」という文字を見つけると、ほくほくとインターネット申し込みをして、
すたこらと出かけていく。

腰が重くなったので・・・・当日の朝、必ず一度は「やめようかな」と思う。
しかし、時間が経つにつれ、やはり「行かないと何もはじまらない」と思い始め、
結局は電車を乗り継ぎ、初めて降り立つ駅に出向いたりしている。

出かけてみて、いつも感じるのは「無駄なことは一度もない」ということ。
得るものの多さは、変われども・・・・
来たことを後悔したことは(最近では)全くない。
それだけ、私の中の「選別するセンサー」が働き始めたということだと解釈している。
今、自分に必要なことを無意識に求めているのだろう。
私が魅力を感じるセミナーにしか参加しない・・・ということは、そういうことだ。

ひとつでも、ふたつでも、脳細胞が退化しても、
興味あることには前向きでいたいと、心から思っている。
そして、何かをキャッチする心意気だけは、死ぬまで失いたくない。
実際、こうして、行動していくことで、脳細胞の退化も防げるかもしれず・・・
また、「活きている実感」を手にすることができるのは、このうえない喜びである。

社会も、世界的概念も、技術躍進も、経済状態も、・・・常に変化し続けている。
そういう意味においては、「無駄な経験」など、あるわけがない。



お見合い「接待」

2010年03月05日 | 出来事 -

久しぶりに、仕事半分+ボランティア半分の接待営業をした。

昔から、頼られると・・・・・「いや」と言えないことが多く、今夜は長い付き合いの
“ある人”のために、一肌脱いだカタチになった。
なんとなく心に引っ掛かっていたのは、その人からの「個人的願い」を、何度も何度も
断わり続けてきた経緯があったからである。


その人は・・・・
年上なのに、まだまだ大人ではないような性格の持ち主で、放っておけない「天然」の
部分がある人だから、周りの人がフォローしてあげないとバクハツしそうな・・・
そんな「素朴な人」である。 
だから、“仕方がないなぁ”と思いながら、数ヶ月をかけて、無償で営業を重ねてきた。


人間関係は、ぐるりと巡ってくることが多いのを、これまで何度も経験してきたので、
今「投資している」と考えれば、いつかはまた再び私の元にも何らかの「出会い」が
あるかもしれない。 「お天道様からのご褒美かな?!(笑)」
まぁ、なくても何ら問題ないけれど・・・。

私に対する報酬や対価、結果、何らかの影響などは全く何も期待していないし、
実際、求めてもいない。
しかし、あのまま放っておけなかったのは・・・
彼と15年ぐらいの年月を重ねてきたことに対する「私自身の確認」かもしれない。



わかりやすく言うと・・・今夜は・・・・
私の人脈(A)と、私の人脈( B)を、紹介しあって、お見合いさせたような接待で、
私には何のメリットもないが・・・
いや、「美味しいものをたらふく食べた!」ということぐらいだろうか。
この接待営業が上手く折り合いがついて、将来、仕事に結びつくことを願うのみである。



他人からの評価

2010年03月02日 | 仕事 -

自分には“才能があるのだ”と、勝手に強固に思い込んでいる人は、実は・・・・・
屈折しているような印象がすることがある。
素直ではなく、ストレートではなく、信頼できないという感じがする。
コンプレックスや潜在的な不安の反動で、自分が才能があると過剰にひけらかしたり、
他人を(それも自分よりも目上の人を)軽々しく安易に揶揄したりするのである。
(勿論、本当に才能がある人は別だ)


ただ、その人の「ありのまま」で、いればいいのに・・・。


仕事をしていると、他人の評価を気にする人は多い。
実際、「ビジネス世界」という冠がつけば、他人や他社との相互関係や、
市場のあり方の中に、おのずと「評価たるもの」が現出してくる。
独自に自分の価値観を持って、仕事をしていく――と(自分では)思っていても・・・
どうしても他人の感触が気になってしまうものだとも思う。

やはり、そういう市場の評価で、あらゆるビジネスは回転している。
それが現実である。


しかし、慢心のゆえに、お世話になっている人のことを(それも立場的には上の人を)、
「あの人はチョロイ!」などと発言してるのを聞くと、私は本当にいい気がしない。
まさに、昨日のことである。
「あなたこそ、何を基準にそのような発言をしているのか」と言いたくなる。
そして、「自分の足元を冷静に見つめたらどうですか」とも・・・言いたくなった。
社会では「他人の評価」と完全に無関係に、生き抜いていくことはできないのだから、
もっと“真摯に自分のことに向き合う方がよいのではないか”と感じる。
つい「あなたこそ!・・・」と言いたくなった私は、あまのじゃくだろうか。


実際、私は、その人を「掘り下げが浅い」「自己中心的でコミュニケーション不足」と
いう二つの理由から、かつてプロジェクトから はずそうとした。そのメンバーである。
(しかし、会社の都合で「残してほしい」と懇願され、あきらめたのである)

浅はかな仕事への姿勢と、人に対する敬意のなさは、私が触れたくない態度である。
きちんとした仕事をして、なおかつ「チョロイ!」と周囲の人を言うのであればまだしも、
自分の力量不足を棚に上げた発言は、いつか露見し、何らかの制裁がくだるだろう。
私は、密かにそう思った。
そして、隣にいた私は、不快な気分になり、信頼感はまた薄れてしまった・・・。

その彼は、(よくあるケースで)心が満たされず、世評にこだわっている人ではない。
思い込みが激しく、自分を正当化することにこだわる人だ。
だからこそ、(気持ちのよくない)屈折した灰色の根底にあるものを感じるのだろう。
これまでの環境や、元々の性格が、そういう感情を巻き起こさせ、発言させるのだ。
常に、自分以外の人を軽んじて、馬鹿にしているように感じる時さえあるぐらいだ。

彼は、この世の中に完璧な人はいない・・・ということを心底わかっているのだろうか。
だから、人間は支えあいながら、生きていくのだ。
そう、私は思っている。


それでも、私は彼と楽しく、仕事をするように心がけている。
現実的に、当方が努力して、笑いの耐えない現場の雰囲気を作り続けているからだ。
しかし、彼の根底の灰色の部分を感じるたびに、もっともっと成長できるのに・・・と、
残念な想いにかられる。
へたにキャリアを積んできたわけではないはずだし、そこそこのスキルも持っている人だ。
だからこそ余計に、残念な気持ちがついてまわる。
とやかく言う立場にないのがもどかしいが・・・人の性質からくる対応は、本人次第だ。
現段階では、ただ私が「おしい」「もったいない」「損をしている」と感じるだけである。



人とかかわる仕事において、「人に嫌われたり、不快な気分にさせるのは最悪だ」と
私は思っている。相手に一緒に仕事をしたくないと思わせてしまうのは損失である。
たとえば、同じ事実を伝えるのにも、伝え方は数限りなくある。
まさに、その人の仕事のやり方に、仕事に対する「人間力」が漂ってくる。
真価が問われる要素だ。
それに、何も言わなくても、感情の断片は相手に伝わっていくものである。
そのために、仕事相手に対する配慮と敬意は忘れてはならないのだ・・・と思う。