the essential facts of life

2011年09月29日 | 言葉 -



I went to the woods because I wished to live deliberately, to front only the essential facts of life, and see if I could not learn what it had to teach, and not, when I came to die, discover that I had not lived. I did not wish to live what was not life, living is so dear; nor did I wish to practice resignation, unless it was quite necessary.

              
    <ヘンリー・D・ソロー:「ウォールデン 森の生活」より>



「ウォールデン 森の生活」とは、
森の中での小さな小屋の生活体験を描いた著作で、
“シンプルに生きる”ことを説いた自給自足の日々が綴られている。
物質社会に背を向けて、警鐘を鳴らしているかのような作品――。



人によって・・・
「自分の人生にとって “本質的に何が大事なのか”」
という尺度が、それぞれ違っているということは、
至極 当然のことでしょう。

だからこそ、いろいろな意味において、自分自身を知り、
社会の中の個人を認識し、その上で更なる自己達成を目指し、
まい進することも・・・必要なことの一つではないでしょうか。

いつになっても、・・・年をいくつ重ねても、
「答えがでない」ということは、個人の価値観も変わるし、
環境も変わり、社会構造も変わっていくがために、当然のこと!
しかし、それに即して、適応した自分の人生をイメージングすることは、
私にとっては、より重要なことに思えます。


※「the essential facts of life」とは、「人生の本質的な事実」。



お彼岸から準備する冬仕度

2011年09月26日 | 出来事 -

「暑さ、寒さも、彼岸まで・・・」とは、
よく言ったもので、そのとおりに 寒さが増してきた。
急に、肌寒くなったので、着る服に悩む日々だ。

半袖のぺらぺらの服ばかりが並んでいるクローゼット。
いつもなら、はやめに長袖や、防寒着を陰干ししたり、
入れ替えたりもするのだけれど・・・
今の私には、その時間とともに、気力もない。


スーパーに出向いて、やっと「お彼岸」を思い出し、
お供え物を購入する始末。
お彼岸には、両親の好きだった甘いものを備えた。

ご先祖様と両親に申し訳なく、まだ段ボールに包まれた
閑散とした部屋で過ごして頂いているスペースが頭をよぎる。
本当に、情けない。
なんということだろう。

「早く片付けて、冬物のこたつを出したいなぁ・・・。
 そして、お供えが無理なくできるような、ゆとりのある生活が
 一日も早くしたいものだ!」


私個人としては・・・・
引っ越しして初めての冬を、この部屋で、どのように越そうかと、
今、密かに思案中である。
床暖房という案と、いつものように大好きな「おこた」。
子猫のように、まるまって、“ごろにゃん”する「電気こたつ」は、
もう快適以外の何物でもない。
かけ布団の掃除は、頻繁にしなければならないけれど・・・
あの気持ちよさは、何とも言えない快感だ。

やはり、「こたつ案は、捨てられない・・・なぁ」。


日々、肌寒くなる気候を感じながら、まずは、この多忙さが
落ち着く頃には、どうにか「おこた」が定着できている部屋に
していたいものである。




そんなことを思いながら、帰宅した途端、携帯電話が鳴る。
夜中の23時すぎにかかる仕事の電話――。
ポルトガル国内云々のトラブル処理電話だ。ストレスフル!!

私は、やはり・・・まだ、精神的なゆとりある生活にはない。
いつになったら、あのころに戻れるのだろう。



台風15号の余波で・・・

2011年09月22日 | 出来事 -

日本列島に、「台風15号」が、直撃した。
多くの被害を出したようだ。

このところ、諸事情で、日付変更線を超えてから
いつも帰宅するのが日課になってしまい・・・
自分でも不本意ながら、このスケジュールに埋没している。



21日、昼ごろ、一人で赤坂からタクシーに乗った。
運転手さんが、こう言った。
「今日は、皆さん、ビニール傘みたいですね。
 だって、壊れちゃいますから・・・」
   
   いやいや、運転手さん、
   それを見越して、
   私はしっかりとした地味な紳士傘を
   持参したんですよ。
   それでも、やられてしまった・・・。
   骨が、ぽっきり。
   他の部分は折れ曲がって・・・。




早く帰ろうと思いながら、仕事が終わらず、
気がついたら、電車が止まった。

閉じ込められた・・・。

ほんの少しの差異だった。
「くぅ~、無念!」



皆、会社に待機中のメンバーは、サッカーを観て、
どうにかどうにか時間をつぶしていた。

私は、ただ もくもくと仕事をした。
あまりにも 会社内が うるさいので、
私はイヤホンで音楽を聴きながら、仕事をした・・・。



電車のダイヤは、完全に乱れてしまって、
発車時間も分からず、ただ立ったままの状態で時間をつぶす。
この筋肉痛は、いつできたのか・・・と、
不思議な身体のサインをキャッチした。
電車にたどりつくまで、結構、歩いたもんだぁ・・・。


帰りの道すがら・・・
台風が去った後の残骸を、たくさん拾い集めて、
その足跡を確認するように自宅まで帰ってきた。
折れた小枝、変形したビニール傘、
崩れ落ちた看板、散らばった葉っぱ、
マンションホールの水たまり。


明日は、田舎に電話しなければ・・・。


鼓舞することの大切さ

2011年09月20日 | 雑感 -

徹夜が続く日々を経験している。
タクシーで、夜が明けた頃に乗車すると、
つい目が回るような気分になる・・・。
頭がさえる時と、ぼ~っとする時が、
まるで交互に訪れるような状態だ。

ひさしぶりの多忙さに「目が回る!」とは、
まさに、このことだろうか(笑)。

 「ちゃうな、たぶん。なぁ・・・」



この数日、とても感じていることがある。
相手に対しても、自分に対しても、毅然と
明確に「言葉にしないといけないなぁ」ということだ。

それを、蓄積させてしまうと、精神構造上に負担が来るし、
健康状態もよくないと思う。

何よりも、燃えたぎる想いがあるときや、
切ない気分に打ちひしがれたとき・・・
吐きだして、心の中にため込まないように、
ある覚悟を持って、毅然と対峙する必要を感じる。

たとえ、どのような影響がでようとも・・・
自分に正直に生きることは、とても難しく、厳しいことだが、
何よりも“大切なことだ”とも思う。



自分の身体や精神を駆使している時は、なおさら、
無理してはいけない。
心の声を聴くことに忠実に時間を割くことが、結局は・・・
我が人生のためになることも多い。

自覚をしないでも、そうしたいと願っていれば、
そうなっていく現実が、まるで物語のように続くので、
もしかしたら「天」というものが・・・、何か壮大な概念が・・・
もたらした現実なのではないかとさえ、思うことがある。

それに・・・
誠実に生きていない人には、「つけ」のような災難があったり、
地味に頑張っている人には、「ご褒美」のような出来事が・・・。

だから、余計に・・・
「かけがえのない自分をまず一番に考え、社会のために貢献する」
ことを優先的に考えたいと思うようになった。



仕事をすればするほど、明確になる「自分自身の立ち位置」。
そして、その価値と存在感。
自分が愛してあげなくて、どうする??
自分が守ってあげなくて、どうする??

頑張っていれば、気にしてくれる人は出てくるし、
出会うこともできるだろう。
尊重してくれることだって、ないわけじゃない。
それを第一に求めるということではなく、ただ・・・
ここにいる自分を「愛おしく感じてあげたい」と思うだけだ。



昨日に続き、今日も、徹夜だろうなぁ。

でも、そういう時、神経が張り詰めて、ぴりぴりと
アンテナが立っているイメージが浮かぶ。

身体の無理はできないが、プロとして、自分の立場としての仕事を
ただ「やり遂げるだけだ」。 今は、ただ、それを考えよう。



「オーラ」の色は?!

2011年09月10日 | ナンセンス -

ある人が、私に言った。
「どらえもんのお母さんに似ていますねぇ」
ああ、そう。 知らんから、       
       わからん!



ある人が、私に言った。
「オーラの色は、金色ですねぇ」
どういう意味?
  わからん!


オーラなんて、よくわからないし、
正直(ゴメン) どうでもいい。
「私は、私だから・・・」。




経済の波がもたらすもの

2011年09月09日 | 社会 -

水の都、ベニス(ヴェネチア)。

一度は行ってみたいと思う ・・・ 観光写真では惹きつけられる
イタリアの美しい街である。
だた、実際には・・・、“そぞろ歩き”が 大好きな私にとっては、
街中に迷路のようにある水路の「水の浄化が完全ではない」という
致命的な面もかかえている・・・と、感じている。

年毎にあがる水位に脅威を感じている筆頭の観光名所でもあろう。


私は、ベニスでも、有名な歴史的なホテルに滞在したが・・・
ベニスから水上バスに乗って移動する“避暑地”として有名な島、
リド島のホテルを(ほとんど)常宿として、数週間滞在した。
この島は、とても小さく、親近感を覚える街であり、たくさんの
個性的なホテルや、店などが並んでいる落ち着く街並みがあった。
それに、現地のどのレストランでも、美味しい料理がいただける。


現在、リド島で、「第68回ヴェネチア映画祭」が開催されているが、
主賓が宿泊してきた象徴的な名門ホテル「ホテル・デ・バン」が、
アメリカ資本によって買い取られ、マンションとして売り出されるようだ。
ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」の舞台になり、
お値段も高いが、内部も美しく、毎年映画祭のメインホテルとして
使用されているだけに、このニュースには非常に驚いた。

映画好きの私は、先日の英国滞在時にも、ロマン・ポランスキー監督が、
「ドラキュラ」を撮影した場所である神秘的な城(キャッスルコッホ)を、
興味深くチェックしてきたところだった。




このような経済の大きな波が、文化的な場所や、歴史的な足跡が残る
名所を、奪い去っていくのは、非常に切ない現実だ。
それでも、せめて名残りでも残っていればよいけれど・・・・最近は、
跡形もなく改装されることもあって、壊滅的な現状を目の当たりにする。

「いつかは行ってみたい」と思っていた旅行者にとっては、本当に
夢を奪われるようなものだろう。
そして、私のように、映画や物語の舞台をめぐるのが好きな人にとっても
心痛いニュースだ。
私自身は、リド島に訪問していたものの・・・・・このような傾向は、
世界的に広がっていて、「資本」だの「経済」だの・・・そういう・・・
目に見えないモノが、大きな勢力をつけて、美しい景観を奪っている。
大げさに言えば、人類が構築してきた歴史的な建造物や文化そのものを
奪っているとも言えるのではないだろうか。
もちろん、「経済」を優先して、人々が健康的な生活が送れる社会を
つくりあげていくことは大切なポイントであるけれど・・・・
私が納得できないのは、人々のためではなく、一部の資本家や経済人の
利潤追求のために、これらの事業が行われていることが多いという点である。



お金とは、何なのだろう。
商品の価値や交換手段として社会に流通し、また「富」の象徴としての
価値をはかるもの・・・・・本当に、それだけだろうか。
だとしたら、もしかしたら・・・
「富」への執着が、人々の心の奥底に蔓延っている怪物なのだろうか。

多くの人々がこだわり、手に入れようとする「お金」というものの巨大化!
ドイツの童話作家が書いた「エンデの遺言ー根源からお金を問うことー」を
再び読み返してみたいという欲求に、突然かられてしまった。

私にとっては、食べ物を買うために使う “紙っぺら” でしかないが・・・
それが、現在は世界で一番のパワーを秘めているものとなってしまっている。

人々は、その幻影と、自らの欲望の矛先に、打ち勝つことができず・・・
歯止めのきかない過剰な経済活動に 埋没していくのだろう。


地方都市に暮らす自給自足生活をしている人々を、“浮世離れした人”だと
感じてしまうことが(時々)あるが・・・
実は・・・、一番、自然で、心豊かで、無理のない人たちなのかもしれない。
そんな感情にさえなってしまう 現代の経済循環の価値観には、少なからず
疑問を感じずにはいられない。



「最善」をつくす人

2011年09月04日 | 自分 -



 私の人生には、私にとって
 最善のことしか起こりません。

 たとえ、それが辛く厳しい現実でも、
 私は全ての中に「最善」を見いだし、
 自分の力の限り、最善をつくす人です。



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 これは、
 今回の旅で、深く感じたことであり、
 今回の旅で、強く心に刻んだことです。

 20代の頃、このような考えをもったことによって、
 救われた部分がありましたが・・・
 まさに、その現実を、目の前に突きつけられ、
 同時に、実践できたことに、心から感謝する旅でした。


 私は、今後、どのような境遇に陥ることがあっても、
 どうにか生き抜いていけるような自信を手にしたのは、
 とても有り難いことでした。

 数百年と続く、異国の歴史ある「太古の森の中」で、
 深く、深く、心の底に落ちたことでもありました。

 迷いを断ち切り、ある一つの線をひきつつ・・・
 これからも、明るく前向きに生きていく自信を頂きました。



 I promise to become a person who do my best.

  I wish sincerely to express my gratitude for an old forest.




短期間での変貌に・・・

2011年09月04日 | 出来事 -

帰国しましたが・・・
そのまま会社で仕事して、スーツケースの中のお土産を整理して、
それでも帰れず・・・ 
まだ、来週からの予定を確認して・・・・
プロジェクトメンバーにも、来週の指示を与えつつ・・・・
もう私の「おつむ」がパンパンに膨れあがってしまいました。


クソ重いケースをカラカラと運びながら、凹凸の激しい道を
歩いて、コンクリートに包まれた自宅に帰りました。
数十日ぶりに体感した「日本:東京」は、
街の景観と、快適な住空間に、無頓着な印象がしました。

英国では、(自然の中で)ホリデーを思い存分に楽しむ家族を、
ほほえましく眺めていました。
私が滞在した地は、ピクニックが日常的な生活習慣のようです。
子供たちは、服を脱ぎ捨て、浅い川に入って水遊び!
昼時になれば、山の中の谷間では、美味しい匂いが充満・・・
家族の繋がりを深めていて、高齢のご夫婦はボランティアで
自然公園のゴミ拾いをしていました。
皆の笑顔が、とても印象的でした・・・。
まさに「ラブリーな生活」ですね。


私を、「ボス!」と呼ぶ、かなり年上の仕事関係者とも意気投合して、
楽しいネットワークが増えました。
人との出会いや、絆には、本当に素晴らしいパワーをもらえます。

英国は、ある意味で、カタチを持った歴史ある国です。
その一方では、世界各地が抱える問題をはらんでいるのも事実ですが、
私はヨーロッパが大好きなので、やはりとても快適でした。




しかし、帰国して、日本の「世の中」がとても変わっていたのには、
ビックリです。
まず「そーり」が変わっていましたぁ。


その他、知人や日本での留守番のメンバーから、いろいろと
聞かされて、驚きの連続ばかりです。
70キロ圏から400ベクレルの「しいたけ」が発見されたり、
有名タレントが(スキャンダラスな理由によって)突然の引退。 
また、結婚報道が続いたようですネ。
大震災の恐ろしさは、大きな変容を人々の心に与えたのかも・・・。



海外に行って、電気機器を持って、空港で電波を探す人々の中で、
私だけは時計も持たず、携帯も持たず、インターネットもせず・・・
現地のニュースは、時々観ていましたが・・・ほとんど無防備な状態!
日本の食事も持参せず、現地の食べ物だけを堪能していました。
仕事仲間の間では、あまりにも異質でした。
しかし、これが我がペースです。
仕事だけでも疲れるのに、必要最小限の情報は自然と入りますので、
目の前の事柄に集中したいからです。
日本の状況は心配ですが、それよりも「常に情報を手にしていないと
不安に感じてしまう人が多い」ようで、そういう印象は否めません。
都会人の癖というか、刷り込みというか、脅迫観念に近い義務感のような・・・
不可思議な感覚を覚えます。
私には、そういう即効的で短期の情報は、全く必要ありません。
大事な情報は、必ず飛び込んできます。
それだけで充分なのです。



私が嬉しいのは、微妙に「男子マラソン」に間に合ったこと!
それだけは、本当に楽しみにしていたので、帰国時期を探っていました。
どうにかPCに向かい、仕事をしながら、同時にTVもチェックです。

時差ボケで、頭がぼぉ~~~。
帰国便で、あまりにも映画三昧をしたからでしょうか。

でも、世界陸上を見逃さないように、目覚ましをかけましょう。
是非とも、オンタイムで観たいのです。

「ラブリー!!!」