ダイエット

2009年07月31日 | 食事 -

昨年、いや一昨年の私よりも、今の体重は、確実に7kg以上減っている。
特別なことは、何もしていないが・・・
その具体的な要因は、不規則な生活をやめ、「おやつ(お菓子類)」をやめ、
きちんと食べたい食事を取るようにしただけである。
最高の“ブタっ子ぷり時”よりは、10kg減っているようである。

たいしたことはしていないが、何よりも「ゆったりと生活をしよう」と心がけ、
「何度も食物をかむ癖をつけた」ことと、「時間をかけ食事をとるようにした」
ことは、少なからず影響を与えているだろう。
だから、皆と同じ食事を取るときには、必ず私が一番最後になってしまう。

それから、「おやつ」は辞めたとはいえ、ナッツやチョコレートなどは、
毎日食べているし、ほんの少しだけ油モノをひかえたぐらいだろうか・・・。

ただ、朝食は、りんごやバナナなどのあらゆるフルーツをメインとして、
豆乳(たんぱく質)と、野菜ジュース(ビタミン&ミネラル)を飲む。
(昼食がヘビーなので、ほんの少し軽くしただけである)


それ以外は、特別なことは、本当に何もしていない。
なのに、徐々に、体重は減っていった・・・。



今日も、午前中は新宿で用事があり、「韓国料理1000円食べ放題」に行き、
会社に戻り、その次に用事が赤坂であったので、「うな重(肝吸い付き)」を
お気に入りの店で、久しぶりに食べた。(夕食:2100円也)
「土用の丑の日は、うなぎの日」・・・・この文字が目に飛び込んできて、
「わぁ~~~い」と、うなぎ家の“のれん”をためらいなく、くぐってしまった。
  


食事制限などしていないが、どんどんと健康体重に近づいていく。
あと3kgで、パーフェクトなんだけれどなぁ。


しかし、ダイエットなどしている意識がないのに、徐々に減っていくなんて、
これは、ある意味で、「良いことだ」よね。
ただ、食事をする「仕方」を、ほんの少しだけ変えただけだ。
欲求不満も、特別の努力もなく、ただ好きなものを食べているだけなのだから。

ただし、「何度も食物をかむ癖をつける」ということは、自然と「食べる量が
減っている」ということにはなっていると思う。だから、要するに(結果的に)
満腹中枢神経が脳に届く時間を考えれば、有効的なダイエットになっているはず。
精神的な努力はしていないけれども、ダイエットをしているのと同じ現象だろう。



そういえば・・・
うな重を食べている時、隣に(いかにもオタクっぽい)サラリーマンが座った。
目の前に届いたふたを開けた途端、彼はカメラでパシャ、パシャ、撮影を始めた。
「ブロガーかなぁ」と思いながら、ちょっとほくそ笑む私。

「やっぱり、丑の日はうなぎじゃねん!!」


33.2℃

2009年07月30日 | 環境 -

今日の東京の気温です。
ビル街では、もっと体感温度は高いのではないでしょうか。
土も緑もなく、通りを歩くと、ビル街からのエアコンの温風に襲われます。

昨今は、30℃を越えても、そう驚くことはなくなりました。
「真夏日」という言葉も、いつの間にか、死語になってしまうのでしょうか。

ゲリラ豪雨が続く、中国・九州地方のニュースが、頻繁に流れる中、
ムシ・ムシ・アツ・アツの日々です。

夏野菜の花の時期に、また「ゲリラ豪雨」が続くと、美味しい野菜が心配です。
最近は、日本の食糧事情と、自給率をあげるために、「農」の話で盛り上がる
ようになりました。
安全・安心な野菜を食べたいという気持ちもあり、自然と親しみ、食の命を
感じることに対する教育もあり、様々な取り組みがされるようになりました。

「農」の話は、いつも盛り上がります。
どうすれば、美味しいスイカが収穫できるのか・・・いつも私は、おじさんの
秘策を興味ある人に、(内緒のように、もったいぶって)教えてあげています。
そうすると、いつも有難がられます(笑)。
スイカは、おいしいですものね。


しかし・・・
この異常気象!!
地球が、悲鳴をあげて、「どうにかして!」と叫んでいるようです。

出会い

2009年07月30日 | 人物 -
それは、思い出しても、緊張する一瞬だった。   (先週のことである)

非常に穏やかな“その人”が、突然、私にこう聞いた。

「日本国憲法について、どう思いますか?」

私は、自分なりの5年前の経験を披露しながら、全力を尽くし言葉を拾い集め、
自分の意見を咄嗟に(無理無理にでも)「どうにかまとめよう」と必死だったと、
あの時のことを思い出す。
自分の未熟さを取り繕う暇もなく、あえてそのことさえも伝えたうえで、
私は“その人”の目線に向かって、自分自身を一生懸命表現しつくしていた。

じっと私の目を見て、静かに私の言葉を最後まで聞いていた“その人”は、
まるで「次は自分の番だ」といわんばかりに・・・・・語気をあらげて、
自分の意見を語り始めた・・・。
今まで決して見た事ないような厳しい表情、しっかりとした信念がある意見、
身体が硬直してしまうほどの(目力がある顔で語る)その言葉に・・・
私は・・・ただ、ただ、びっくりしながら、“その人”を見つめた。
少しずつ、鳥肌がたっていく自分を感じながら・・・。

圧倒された。

“その人”の言葉の一つ一つに、深みがあり、重みがある。
それは、いつも感じていたけれど、こんなにも、いろいろなことを、まじめに
「日本人として」考えているとは予想していなかった。
実際にお会いして話してみると、どのような話題(自然・芸術・他)に転じても、
素晴しい返事と意見が返ってくるのだ。
想定していた想像を、はるかに超えた「人間力」を感じた。


私は、「日本人なのだ」と、一日の内、どれぐらい自覚することがあるだろう。
日本の政治(今はもうごちゃごちゃ?!)をしっかりと考えて、未来を見据え、
日本国憲法についても尚、どのぐらい意識して、これまで生きてきただろう。
「平和」ということについても、どのぐらい自分の身に置き換えて、真摯に
とらえてきていたのだろう。



“その人”のすごさは、表面にはでてこないし、本人もあえて表していない。

しかし、「すごい人だ!」と、心から感じた。

出会えたことと、同じ時間を共有できたことに、あらためて感謝しなければ、
私のこの数ヶ月の生活が「無」になってしまうほどの衝撃だった。
二日間、ずっとご一緒させていただく内に、私は“その人”に完全に(!)
魅せられていた。

人間というものは、かくも「素晴しい可能性をもっているのだろうか」と、
“その人”を思い出す時、うっすらと、かすかなナミダが潤んでくるぐらいの
影響を与えてくださったと思う。
このような齢になって、こんな言葉を吐くのも気恥ずかしいのだが・・・
本当に「素晴しい人だった」と感じる。
私は、今、再び、「咀嚼(そしゃく)するかのように、“その人”の世界観を
味わっている」ところであり、充分に咀嚼する必要を感じている。



「出会いの大切さ」だけではない。
「出会いさえも、自分で選択できる」ことも、身をもって体験した。

今回は、いくつになっても(年齢に関係なく)、
「自分をフラットにしてくださる人と出会えるものなのだ」と、
とても純粋な気持ちになったのが、一番の収穫だったと思っている。

私は、一生、“その人”と、あの「出会い」を忘れないだろう。


賃貸住宅の契約

2009年07月28日 | 社会 -

過日、7月23日、京都地裁の判決は、画期的だった。
「賃貸住宅の更新料は無効である」と、はっきりと更新料の返還を命じたのだ。

以前、友人から聞いたことがあるのだが・・・
関西方面、特に大阪では、賃貸住宅契約更新料というものがないのに、
東京では、二年ごとに更新される更新料として、1か月分の家賃と同額料金を
支払うのが常になっている。
(大家さんによっては、1.5ヶ月分の料金を請求されることもあるらしい)

私自身、疑問を感じていた。
お客さんであるはずの借り手側には、不利な条件だからだ。
その上、退去時には、二ヶ月分の敷金の内、無条件で一か月分が差し引かれると
いう契約規約になっている。
たとえ住宅に破損が全くなく、(たとえば)たった数ヶ月で退去してもである。
現在もそうだ。

今回の京都地裁での裁判長は、更新料と敷引金の特約について
「借り主が明確に説明を受け、内容を認識した上で合意される必要がある」と
判断をして、 更新料の理由も合理性がないと判断した。
借り主だった人の利益を一方的に害しており、消費者契約法に基づき無効とした。 

画期的なことである。
長年、私が、疑問を感じていたことに、やっとメスが入った。
(この時世もあると思うが)力関係の逆転というよりも、借り手側の権利が
認められたことに対する喜びが、他人事ながら、非常にうれしかった。

一方的な契約書をつきつけられ、弱い立場の人間が、説明もなく合意を迫られ、
常にその繰り返しが、東京の賃貸住宅事情だったからだ。

しかし、よくよく調べてみると・・・法律的には・・・・
更新料について当事者間の合意がなければ、借主に更新料の支払義務はない。
また、借主側には居住権というものがあるので、支払わないからといって、
家主が追い出すこともできないようである。
(ケースバイケースだとは思うが・・・・)


このあたりには、空になったアパートが多く、昔のように高額の手数料や、
礼金・敷金を請求されることはなくなったが、やはり家主側の権利を優先した
契約書を使用している不動産屋さんが多い。
不動産屋さんにとっては、家主は顧客だからだろうが・・・
それ以前に、借主側が、「お客さん」だという意識をもっと明確にもってほしい。


とにかく、今回の判例に「ヤッホー!」

少しずつでいい。
少しずつ改善され、前進していければよいと思う。

この京都地裁の判例を、前例として・・・・
東京の借り手側の人間が、しいたげられないように願うばかりである。

いろいろと調べて、主張できることは、主張していこう~~!!


「おんな」記念日

2009年07月17日 | 自分 -

今日は、忘れられない日――。

私が、小学校6年のときに、「女の子」から「おんな」になった日なのだ。
昔流に言うと、「お赤飯を配る日」なのだろう。
実際、お赤飯が食卓にならんだかどうかは覚えていないが、すぐに母には
そのことを伝えた。反応は、残念ながら覚えていない。
ただ、「父には知られたくない」という思春期特有の恥ずかしさがあって、
意図的に忘れ去ってしまった一日だったのかもしれない。
女性の人ならわかるだろうが・・・実際は「めんどくさい」ものだから(笑)。
特に私は、最初からず~っと毎月激痛に悩まされる体質で、学校の医務室には
その都度お世話になっていた。
あれの日になると悶絶するので、(最悪の場合は)担任の先生に家まで送って
もらうという・・・明らかに珍しい体質の子どもだった。
その激痛は、20代後半まで続き・・・救急車にもお世話になるぐらいの苦労を
重ねて、現在に至っている。

「おんな」をするのは、大変なことだ。


7月17日・・・・
ゴロがいいから忘れられないというのもあるし、ラッキー数字が続くのもいいし、
その上近しい人の誕生日でもある。(今朝もお祝いメールをした)

悪いことがないから、毎年、祝えるなんて、いいことでもある。


全英オープン

2009年07月17日 | 雑感 -
「全英オープン」初日。
初出場で、タイガー・ウッズと一緒にまわった石川クン!
堂々としたゴルフで、話題だけではないということを見せ付けてくれたようだ。

一生懸命お仕事したから、ついお疲れで(笑)うたたねをして、
夜中におきたら・・・ガンガンと、BBCの映像が流れていた。
ソファで、(とても長い時間)気を失っていたようだ。
初日の最終3ホールだけを、ずっと最後まで観たけれど・・・
「かっこいいよ、遼くん!」
リラックスしてできたそうだけれど、キャディさんとのコミュニケーションを
非常に密にとって、信頼関係を築いていたように感じた。
インタビューでは、「コミュニケーションをとることで、リラックスできた」と
しっかり答えていたし、前夜はぐっすり寝たらしい。
タイガー・ウッズの硬さと対照的な「若い存在感」をアピールしていた。

英国メディアの英語でのインタビューでも、かっこよかったよ!!
大物振りを見せ付けたような内容だったし、BBCの映像は遼くんを追いかけて
(実際にも)長い時間を使って放送していたようだった。
「英語は、どのようにして習ったの?」と最後に聞かれて、笑顔で答えた遼くん。
「5年、ジュニアハイスクールで(笑)」
おいおい!本当ですか??ジュニアハイスクールだけで、
ヒヤリングも出来て、フツーにしゃべれる人は少ないよ(笑)。


ゴルフ好きの友人から、聴いていたスコットランドにあるターンベリー。
有名な全英オープンのコースに、寄り添うようにあるホテル。
コースの難しさを熱く語っていた彼を、久しぶりに思い出した。
彼にとっては「聖地」だったそうで、行ったときの感動を興奮して語っていた。
「ここかぁ~~」
これまで全く興味がなかったのだけれど、たまたま観たBBCの映像で、
いろいろと昔を回顧できたし、日本の若い力に触れられて、すごく良かった。
意識なき「うたたね」も、時にはよいものだ。


遼くんの未来は、明るいみたい。
明日も、頑張ってほしい。
初体験の世界の大舞台で、あれだけリラックスできるなんて、すごいことだ。
初日のタイガー・ウッズは、何かに縛られているようなプレッシャーが感じられ、
キャリアと共に“背負うもの”があるのだろうと思ったし、優勝の重みを知り、
私が手放した「執着というもの」を思い描くような印象もあり・・・。
タイガー・ウッズの表情は、とても硬かった。
大スターは、本当に大変だろうと思う。
何も知らないゴルフを観るだけでも、感じることは多いし、学ぶことも多い。
自分の人生や感情に置き換えて、また違った感覚にも出会える。


結果はどうであれ、楽しんでほしい。
遼くん!
好きなゴルフを楽しめなくなったら、結果もついてこないはずだもの・・・。

応援しています!



   ※二日目を終了した遼くん。
    「全英オープン」独特の風を“楽しめなかった”と発言。
     でも、良い経験になったでしょう。
     また、次の機会に、頑張ってほしいです。


花火

2009年07月16日 | 出来事 -

帰宅途中の「原宿」駅近くで、どっかぁ~~~~ん!

花火があがったのは、何故? (20:30分頃かなぁ)
それも、いくつか・・・??

あのあたりの神宮花火は、8月1日ではなかっただろうかぁ?

今日は、あまりにも近くで花火があがったので、その爆発音に吃驚してしまった。
複雑な形はしていなかったけれど、非常にシンプルな色で、やっぱり、あれは
ちゃんとした「花火」だったと思う。



「暑いね」という言葉が乱立した今日、私は意外と「すっきりとした気分」で
仕事をしていた。
暑さには弱いし、毎年夏バテするけれど・・・
最近の私は、もっと違う問題で、かなり精神的にバテてたから・・・・。
しかし、今日は・・・とてもすっきりとして、わだかまりのない感じだった。
問題は確実にあって、その状態で放置しているだけなのだけれど・・・
自分の「こころ」の「うみ」のようなものが、何もない状態だったのだ。

「何故だろう?」そう思った。

結論は、非常に簡単だった。

執着を捨てたから・・・。
自分の中に巣つくっている期待や、未来に対する構想など、より具体化していた
様々な「我が財産のようなもの」を、一度捨ててみようと思ったから・・・だ。
頭を冷やしてみると、それに縛られて、自分を見失っていたように思う。

実現させたいという強い想い――
自分では「信念」と呼びたいと錯覚してしまうような、こりかたまったモノ。
すでに多少は、変形してしまっていたのかもしれない・・・ような歪な気持ち。
それを、すべて、捨ててしまったからだろう。

肩の力が抜けて、非常に元気になったような感じ(笑)。
サウナのあとの爽快感のような感じだった。

怒りがおさまり、他人には(非常に)シリアスに聞こえてしまうようなことが、
さらっと、言葉にできる“毅然とした我が態度”!
これには、自分でも驚いた。

その先にあるもの・・・・・それは、「優しさ」、「思いやり」のようなもの。
自分以外の人を、ねぎらえる余裕が生まれていたのだ。
これにも、本当に驚いた。
人に優しくできることのシアワセ!
いらいらしていたら、決してできなかっただろうと思う。
久しぶりに感じた「解き放たれたような充実感」だった。


うへぇ~~~
もっと早くに、捨てるべきだった。こんなに楽だったとは・・・・。
自分自身の中枢にも、今日は“大きな花火”が、あがったような気がしている。

裸一貫になって、純粋な心持で、今一度、「はじめればいいんだ!」
そんな明るい勇気が湧いてきた。
今日は、そういう意味では、再出発の記念日だ。 

どっかぁ~~~ん!  (祝いの花火デス!)


ほたる族

2009年07月14日 | 社会 -

朝の美しい空気と、鳥の鳴き声――。
この時期には、私は自分の部屋の窓を全開で、寝ている。
朝は非常に快適で、気持ちの良い時間だが・・・
最近は、両サイドの隣家から、漏れ匂う「タバコ」の気配に過敏になる。
わずかな匂いでも「わかる」のと、少しばかり「くさい」と感じてしまうために、
朝の“快適な時間”を奪われたような印象もしてしまう。

少し前には「ほたる族」というものが流行って、マンションの各部屋で、
「壁紙がよごれる」「健康に悪い」などの理由から、ご主人様がタバコを
ベランダで吸っていたことがニュースでとりあげられていたが・・・
一軒家でも、それに似た状況があるものだと感じている。
「ほたる族」は、主導権をにぎる奥様と、主人でありながら“いいなりになる”
夫(父親)を嘲笑した風潮があったが、私の場合は・・・ちょっと違う。

ごみ屋敷の住民に対して「持ち家だからといって好きにしていいわけではない」と
言いたいのと同じように、周囲の景観に焦点をあててみると、必ずしも住人の
ものだけではなく、「景観は“ごみ屋敷を見た人”のものでもある」と思うので、
私の今回のケースも・・・それに近い感情が出てくる。
毎朝、私の家の周りの空気を、勝手によごしてほしくない・・・という想い。


しかし、正直なところ・・・
最近は、愛煙家にとって、本当に“厳しい環境”になったと思う。
ビルのガラス張りの中に閉じ込められて、全く気の毒な話だが・・・
吸わない人間にとってみれば、だからこそ、「タバコ」の匂いを、より敏感に
察知する能力(感度)が備わってしまったのかもしれない。


勿論、隣家の人に、文句をいうつもりもないし、これまでも耐えてきたし、
これからも耐えていくだろう。
猫の糞をされたり、タバコの匂いをふりまかれたりしても・・・
ご近所との関係を悪くするのは、なかなか住んでいて厳しいものがある。
お互いに「配慮」というか、「気遣い」というか・・・
人間関係は、本当に微妙なものである。

早朝の綺麗な空気だからこそ、愛煙家の人は、屋外で「ぷぅ~~」と
やりたくなるのだろう。
自然が残り、空気の綺麗な・・・こんな田舎の一軒家でもそうなのだから、
都会の密接したマンションで繰り広げられている「ほたる族」の現実は、
いかばかりのものだろう・・・と思う。
友達のタバコは許せるが、全く知らない他人の匂いは許せないものだし、
上から、下から、横からと、各方面から襲ってくる匂いはすごいのではないか
と感じてしまう。
(もし、そういう方がいらしたら、お見舞い申し上げます)


あつ、そうそう、他にも、早朝の「快適さ」を阻害する人がいた。
通りの向こう側の道のてっぺんにスクーターかなんかで来て、
突然「ば~か~や~ろ~~!」と大声で叫んで消えていく・・・
命名:「ばかやろうおじさん」。
いろいろと、いらいらすることが多いんだろうと、思うよ。


タイミング

2009年07月13日 | 仕事 -

「タイミング」がずれてしまうと・・・・

全てを失ってしまうことがある。



結婚、仕事、信頼関係、交渉事、あらゆる場面で言えることであり、
実際にも、私自身が様々な場面で「経験してきたこと」である。

あえて“ずらすこと”もあるが・・・
だいたいは、「ずれてしまう」ことが多い。

傷口が深くなってしまうと、どのような処置を施しても、効果がない。
そういうケースの対処方法をあえて言うならば、
しばらく「時間」をかせぎ、再び「出発点」にもどるだけだろうか。


今日もまた、「経験した」。
これが、もし“必然”ならば、自分の「心」に従い、冷静になったときに
再び「今日の成り行き」を検討し、新しい方法論(道)を探そうと思う。
今は、目の前の仕事に没頭し、ただ気分を入れ替えて、「失敗」をしないこと!
私がイニシアチブをとらなければならない仕事に関しては、
最低限度の「責任を果たすことに精魂を傾けよう」と思っている。


50歳

2009年07月12日 | 雑感 -
マイケル・ジャクソンは、50歳で逝った。
世界中の人々の意見と一緒で、(私自身も)若すぎる死を悼みつつも、今は・・・
その一方で「これが彼の人生だったのだ」と受け容れ、そう感じるようになった。

稀有で、特別な存在であった彼を引き合いには出せないけれど・・・
50歳は(昔でいうと)「不惑」の年齢に匹敵する時期ではないかと、最近感じる。
日本の男性をみていると、40歳よりも50歳ぐらいの人のほうが、ある意味では
自分の「世界」をかためる時期だったり、将来の「生き方」に真摯に向き合い
自分の意志に忠実に(迷うことなく)進んでいるようにも感じる。
要するに、その人の人生が、明確化する時期というべきか・・・・。
厳しいようだが、40歳の人には、まだ「不惑」というには早いという印象の人が
多いような気がするのは、私だけだろうか・・・・。



こんなことがあった。
当時、45歳だった“歌を生業とする知人”から、聴いたことがある。
「50歳になると声がでずらくなるので、今、新しいことにチャレンジしたい!」
すでに大成功していたにもかかわらず、その時の彼の言葉には切実感があった。
自分のイメージや、仕事の内容についても、不安を抱えているようだった。
完全に「将来に対して、迷っている」と感じた。しかし、そんな時期を越えて、
今、彼は・・・50歳を越えても尚、素晴しい声で、ステージに立ち続けている。


50歳という年齢が、声帯や身体にどのような影響をあたえるのかは不明だが・・・
ボイストレーニングを重ねたクラシック(テノール)系の遅咲きの歌手は、
「50歳を越えてから、声の幅が広がった」と発言している珍しい人もいる。
詳しいことは、個人差もあるだろうし、全くわからないけれど・・・
「老化」を意識しないで頑張っている人も多いし、声の質は多少かわれども
死ぬまでコンサート活動を実践している歌手は多い。
歌は、声質だけではなく、表現力や個性などもあって、総合的に表現される。
だから、一概に、年齢からくる声帯の変化だけにこだわる必要はないだろう。


年齢が壁になることは避けられないが、どのようにとらえ、どのように付き合い、
どのように乗り越えていくのかが、大切なのではないかと感じる。



テレビで、「なつかしのメロディー」なんて番組を観ていると、明らかに
“声の質と、歌い方が、すっかり変わってしまった歌手”を観ることがある。
単に「歌う機会が少なくなった」というだけではない“下手さ加減”であり、
黄金期が思い出されて、「あえて録画映像を観たいなぁ」と感じることがある。
「あの人は今・・・」という企画意図であれば仕方がないが、「歌」そのものを
聴くための番組であるならば、その時代の映像そのものの方が説得力がある。
自分の思い出や、時代背景などもかぶさってきて、かなり情緒的になったり、
歌手や歌曲の“がさつな映像”が、あえて昭和を感じさせてくれたりするからだ。
それこそ、まさに「懐かしいメロディー」である。



人生80年――。
もし、本当に、そういう時代が到来したのであれば、50歳なんて「これから」だ。
若くはないけれど、年寄りでもない微妙な年齢であるように思う。
身体と心は連動するので、「心の持ちよう」で、かなりの違いがでてくるように
思われ、だからこそ・・・50歳という年齢に対しても恐れなど感じなくなった。
50歳を過ぎた先輩方の“活き活きとした生活”を見ると、勇気もいただける。

私も、そろそろ「これからの人生設計」を、明確化していきたいものである。


才能の開花

2009年07月11日 | 人物 -

「親の影響は、ものすごい」と思うことがある。
 また、同様に・・・
「環境が、その人をつくりあげる」と、思うことは、しばしばである。



実際、世界的なチェリスト:ヨーヨー・マの伝記を読むと、
そのあたりの壮絶な時代背景に打ち勝った“軌跡”が、手に取るように
理解できる(祖父の時代の中国を想像してほしい)。

    【ヨーヨー・マ■1955年生まれ、中国系アメリカ人】

ヨーヨー・マの祖父は、音楽に対する夢を抱いていたが、
当時の祖国に可能性を見出すことができず・・・
まず、(苦労して)息子をフランスに留学させ、音楽を学ばせる。
そして、フランスで音楽的な専門家となった父親に育てられたヨーヨー・マは、
英才教育の果てに、世界のひのき舞台を踏むまでに成長することとなった。

    
  【Soul of the Tango/ヨーヨー・マ プレイズ・ピアソラ】
  

彼の伝記を読んだのは、10年近い前(?)のことだが・・・
私が「すごい!」と感じたのは・・・・・
この事実を、祖父が随分前に思い描き、計画して、尚且つ、実際に
実行していたということである。
「自分の夢は、三代目によって始めて、花を咲かせるであろう」・・・と。
実際、それは実現されたのである。



もともとの才能によって、一代にして(一瞬にして)有名になる人もいれば、
長い年月を経た「努力」の積み重ねによって、願いがかなう人もいる。
勿論、どちらも、ある最低限度の才能があることが前提になるにしても・・・
様々な人生があるものだと、しみじみ感じる。

世の中に感動を与え、世の中の人々を動かせる人は、極めて少ない。
特に、芸術の世界では、限りなく枠が狭くなってしまうように思う。
だから、私が卓越した音楽的才能を持ちえた人に感動する所以かもしれない。


ヨーヨー・マの活動と音楽性には、昔からひかれている。
アルバムも幾つか持っている。
誰もが背負う“わが身のルーツ”を、オリジナルの音楽の中に取り入れ、
かつ、彼は斬新な挑戦を繰り返しているからだろう・・・。


we are the world

2009年07月07日 | 言葉 -

we are the world, we are the children

we are the ones who make a brighter day

so let's start giving

there's a choice we're making

we're saving our own lives

it's true we'll make a better day

just you and me



僕たちは、みんなこの世界の仲間!
僕たちは、この地球の子供なんだ!

明るい未来を作るのは、僕たちの使命(すること)だから
さあ今こそ始めよう

僕たちには選択することがある
それは、僕たち自身の“命”を救うことなんだ

本当のことなんだよ
もっと素敵な世界を作るんだ!
君たちと僕で・・・

                        

生きる

2009年07月06日 | 自分 -


「生きているうちは、生きよう!」


時として、
「自分らしく、生きよう!」とか、
「後悔しないように、生きよう!」とか、
「精一杯、全身全霊で、生きよう!」とか、
いろいろと言葉は浮かんでくるが・・・

今の私は・・・・・もっと、もっと、シンプルな言葉が、
私自身を支えている。

「生きているうちは、生きる!」



「生きている」ということは、「生きられている」ということ―。
言い換えれば、「生かされている」ということでもある。
「生きられている」ことに対する“あらゆる感謝”も、当然のことながら、
背景にあると感じつつも・・・あえて、この一言をあらためて心に刻む。

「生きているうちは、生きる!」



「生きるべきだ」ではなく、「生きたい」でもなく、
ただ、もっと素直でシンプルな言葉・・・「私は、生きる!」

「生きよう~!」

そうしよう・・・と思う。



森のGift

2009年07月03日 | 環境 -

「とっても、気持ちがいい!」

私のこれまでの経験の中でも、
大きな森の中では、これだけの「もや」に長時間つつまれることは、
稀なことだと思う。

自分自身を取り巻く周囲:360度が、“もやっている”のだ。

「美しい・・・」

マイナスイオンが身体中をおおいつくし、ただ景色をながめているだけで、
絵画をみているような気分になってきた。

どこまでも “もやっている風景”を、頭の中を真っ白にして眺めていることは、
たとえようもなく、素晴しい時間だった。



   

      森は、いつも、様々な「Gift(ギフト)」を与えてくれる。