阪神・淡路大震災から20年。
ちょうど英国に滞在していた私が、帰国時の機内で確認した神戸。
それは、まさに震災の当日のことで、ものすごい衝撃だった。
“ 実家の灯篭 ” は倒壊し、その欠片は ( 今も ) 確認できる。
当時、ボランティア活動をしていた母は、不自由な足をひきづって、
何度も 炊き出し に 出かけて行った。
そういう話は、直接 母から聞いていたけれど、
亡くなった後に 枕元にかけつけてきてくれた多くの皆さんから、
より詳しい 「 母 」 を知ることになった。
私は、あまりにも、母の無償の活動を 知らなさすぎた。
「 どのような想いで出かけていたのか 」
「 何を糧として、ボランティアに勢力を傾けていたのか 」
今となっては 確認することはできない。
あの頃、母の生き方より、自分の生活に関心が強かった私は、
( 傲慢というよりも ) あまりにも正直すぎた。
そして、視野の狭い判断基準で、生きていたように思う。
当時は、それで良いと 思い込んでいた。
けれど、今、母の背中を ( とても ) 意識している私がいる。
何かの折に、母の想いに触れることがあって、
それはキャッチしようとしていれば、いくらでも
感じ取ることが可能だ。
今、強く感じていることは ・・・ もっと会話をして、
一人の人間として 「 母 」 を知りたかった ・・・ ということ。
私が見ていた女性は、他の人にどのような影響を与え、
彼女自身が どのような想いで生きていたのか。
すごく好奇心いっぱいである。
家族としてというよりも、一人の女性としての母と出会い、
話を ( ゆっくりと ) してみたいと思うのだ。
思い出す様々なシーンは、色あせることはないが、
私が齢を経て解釈する 行動の意図 は、少し違ったものとなり、
それが母への興味に繋がっている。
これらは 今じゃなければ感じられないもの で、おそらく・・・
もっと時間が経てば、もう感じられない感情なのかもしれない。
そんなことを ぼ~っと 感じる。
親が生きている人には、何気ない日々の雑談から深い話まで、
存分に 「 対話をしておいてはどうだろうか 」 と 言いたいなぁ。
ちょうど英国に滞在していた私が、帰国時の機内で確認した神戸。
それは、まさに震災の当日のことで、ものすごい衝撃だった。
“ 実家の灯篭 ” は倒壊し、その欠片は ( 今も ) 確認できる。
当時、ボランティア活動をしていた母は、不自由な足をひきづって、
何度も 炊き出し に 出かけて行った。
そういう話は、直接 母から聞いていたけれど、
亡くなった後に 枕元にかけつけてきてくれた多くの皆さんから、
より詳しい 「 母 」 を知ることになった。
私は、あまりにも、母の無償の活動を 知らなさすぎた。
「 どのような想いで出かけていたのか 」
「 何を糧として、ボランティアに勢力を傾けていたのか 」
今となっては 確認することはできない。
あの頃、母の生き方より、自分の生活に関心が強かった私は、
( 傲慢というよりも ) あまりにも正直すぎた。
そして、視野の狭い判断基準で、生きていたように思う。
当時は、それで良いと 思い込んでいた。
けれど、今、母の背中を ( とても ) 意識している私がいる。
何かの折に、母の想いに触れることがあって、
それはキャッチしようとしていれば、いくらでも
感じ取ることが可能だ。
今、強く感じていることは ・・・ もっと会話をして、
一人の人間として 「 母 」 を知りたかった ・・・ ということ。
私が見ていた女性は、他の人にどのような影響を与え、
彼女自身が どのような想いで生きていたのか。
すごく好奇心いっぱいである。
家族としてというよりも、一人の女性としての母と出会い、
話を ( ゆっくりと ) してみたいと思うのだ。
思い出す様々なシーンは、色あせることはないが、
私が齢を経て解釈する 行動の意図 は、少し違ったものとなり、
それが母への興味に繋がっている。
これらは 今じゃなければ感じられないもの で、おそらく・・・
もっと時間が経てば、もう感じられない感情なのかもしれない。
そんなことを ぼ~っと 感じる。
親が生きている人には、何気ない日々の雑談から深い話まで、
存分に 「 対話をしておいてはどうだろうか 」 と 言いたいなぁ。