この時期になると、懐かしく思い出す人が 多くなる。
海外の知人に 「 クリスマスカード 」 を送る時期だからだ と
勝手に想像しているが・・・、 とにかく
“ 感傷的な感慨 ” が芽生える頃である。
住所がわかる人は問題ないが、実は どこの誰か わからない
「 一期一会 」 のような出会いをした人が 私には たくさんいる。
本当に心からお礼が言いたいと思っても、連絡をとる手段が
みつからない。
そういう人に限って、自分の手元には何も残していないのだ。
たとえば・・・
海外で一人旅の最中に、ご自宅まで あがらせていただき、
お茶を ご馳走してもらったのに、写真もメモも残しておらず、
探す術さえ見つからなかった人・・・。
自分が切羽詰まった状態でトイレを探していたとき、状況を察し、
招き入れてくれた老女だったのだが、とても優しそうな人だった。
英語が通じる人ではなかったが、非常に親切な対応をしてくれ、
「 観光客の人はここにはこない。あなたのような人は珍しい 」 と
それらしき意味のことを伝えてくれて、お茶を出していただいた。
私はひとしきり話し込んだくせに、写真一枚撮影していなかった。
あの時の感情だけが残っていて、強い感謝の気持ちと懐かしさが
今でも昨日のことのように思い出される。
それなのに、当人の顔が ぼやっとしていて、覚えていないのだ。
生々しいのは、彼女の 笑顔の柔らかさ と、体つきの雰囲気 。
そして、受けとった彼女の人間的な印象。
その家の前から繋がって見えていた湖 ( レマン湖 ) も、しっかりと
目に焼き付いているのに・・・。
私は、気ままに、その時の感覚で スケジュールをたてて旅をする。
( 興味の湧いた小道に足を進め、もう少し滞在したいと思ったら 連泊する )
だから、こういうケースの時には・・・ 何も手がかりになるものを
残していないと、どうしようもなくなる。
マーキングしていない猫みたいだ。
お礼を言って お名前を聞いたら、「たいしたことはしていない」という
アクションをして 彼女は教えてくれなかった。
そのため、何度も聞いては失礼だと勝手に思い込み、家を後にした。
そして、その後、二度と訪れることは なかったのだ。
当然ながら、お互い、たいした出会いではなかったかもしれない。
でも、私からしたら、困った状況を助けてくれた人だから 印象深い。
そして、何よりも 彼女の優しさや 柔らかい印象が、恋しい。
今朝早く、親戚から訃報が入った時・・・、偶然なのだけれど、
まさに彼女のことを思い出していた。
だから、余計に、懐かしい感慨に 包まれてしまった。
交友のない親戚よりも、たった一度出会っただけの老女のことが
気になってしまって仕方がなかったのだ。
時間の流れを考えても、今は高齢者になっていることだろう・・・
そんな想いがして、感傷的な気分になったのではないだろうか。
そして、 “ あの老女 ” には 二度と会えないかもしれない と、
そういう “ 確信に似た感情 ” が 私にはある。
だからこそ、複雑な想い と、懐かしい光景 が 交錯するのだと思う。
海外の知人に 「 クリスマスカード 」 を送る時期だからだ と
勝手に想像しているが・・・、 とにかく
“ 感傷的な感慨 ” が芽生える頃である。
住所がわかる人は問題ないが、実は どこの誰か わからない
「 一期一会 」 のような出会いをした人が 私には たくさんいる。
本当に心からお礼が言いたいと思っても、連絡をとる手段が
みつからない。
そういう人に限って、自分の手元には何も残していないのだ。
たとえば・・・
海外で一人旅の最中に、ご自宅まで あがらせていただき、
お茶を ご馳走してもらったのに、写真もメモも残しておらず、
探す術さえ見つからなかった人・・・。
自分が切羽詰まった状態でトイレを探していたとき、状況を察し、
招き入れてくれた老女だったのだが、とても優しそうな人だった。
英語が通じる人ではなかったが、非常に親切な対応をしてくれ、
「 観光客の人はここにはこない。あなたのような人は珍しい 」 と
それらしき意味のことを伝えてくれて、お茶を出していただいた。
私はひとしきり話し込んだくせに、写真一枚撮影していなかった。
あの時の感情だけが残っていて、強い感謝の気持ちと懐かしさが
今でも昨日のことのように思い出される。
それなのに、当人の顔が ぼやっとしていて、覚えていないのだ。
生々しいのは、彼女の 笑顔の柔らかさ と、体つきの雰囲気 。
そして、受けとった彼女の人間的な印象。
その家の前から繋がって見えていた湖 ( レマン湖 ) も、しっかりと
目に焼き付いているのに・・・。
私は、気ままに、その時の感覚で スケジュールをたてて旅をする。
( 興味の湧いた小道に足を進め、もう少し滞在したいと思ったら 連泊する )
だから、こういうケースの時には・・・ 何も手がかりになるものを
残していないと、どうしようもなくなる。
マーキングしていない猫みたいだ。
お礼を言って お名前を聞いたら、「たいしたことはしていない」という
アクションをして 彼女は教えてくれなかった。
そのため、何度も聞いては失礼だと勝手に思い込み、家を後にした。
そして、その後、二度と訪れることは なかったのだ。
当然ながら、お互い、たいした出会いではなかったかもしれない。
でも、私からしたら、困った状況を助けてくれた人だから 印象深い。
そして、何よりも 彼女の優しさや 柔らかい印象が、恋しい。
今朝早く、親戚から訃報が入った時・・・、偶然なのだけれど、
まさに彼女のことを思い出していた。
だから、余計に、懐かしい感慨に 包まれてしまった。
交友のない親戚よりも、たった一度出会っただけの老女のことが
気になってしまって仕方がなかったのだ。
時間の流れを考えても、今は高齢者になっていることだろう・・・
そんな想いがして、感傷的な気分になったのではないだろうか。
そして、 “ あの老女 ” には 二度と会えないかもしれない と、
そういう “ 確信に似た感情 ” が 私にはある。
だからこそ、複雑な想い と、懐かしい光景 が 交錯するのだと思う。