閉塞感の先にあるもの

2008年10月28日 | 社会 -

最近、とみに感じるのが「コミュニケーションの難しさ」である。
感じていることが伝えられない、伝えてもらっていることが受け取れない―
そういう人が、いかに多いか・・・ということである。
仕事をしていて、そういう人の多さに吃驚する。
それは、きっと、昔では考えられなかったことだからだろう。

「簡単なことだ」と思えることでも、できない(伝えられない)人がいる。
生まれながらの性格なのか、長年の癖なのか、必要ないと思っているのか、
はたまた精神的ストレスから、ストッパーがかかっているのか・・・
(時に、成果主義は人の精神状態を追い詰め、的確な判断力を欠くことになる)
あるいは、劇的なトラウマを密かにかかえているのか・・・


現代社会はスピード社会で、自律型のコミュニケーション能力の高い人材を
どこの会社も求めている。
それに増して、論理的思考をかね添えていたならば、新卒採用者としては
かなり高得点をマークすることができるだろう。
夢を抱いて、桜の季節を迎える就活生も多いと思う。


しかし、現代のビジネス社会の(入社後の)現実は、決してそうではない。
上司との人間関係、労働環境の問題、働いてみてわかった会社との相性、
待遇面などの社会整備などなど・・・
ましてや人材派遣業からの労働者たるや、さんざんな過剰労働を強いられ、
泣き寝入りをせざるをえない現実がある。
(契約内容が一方的だったりするし、二重契約などは、めずらしくない)

違法なことが、「業界のフツー」として、安易にかたずけられている。
それが、「現実」である。
結局、弱い立場の人間の“声”は、上層部まで届かない・・・・。
いつも、見過ごされ、かつ、見捨てられている。



「うつ病」が蔓延している。
ある研究者の発表では、学生から大人まで、4人に一人が予備軍らしい。
実際、自分のまわりを見渡しても、「うつ病」と闘っている人は非常に多い。

電車に乗れば、毎日のように「人身事故」が起こり、人々の生き方が、
あまりにも病んでいるように思われてならない。

何が、そうさせるのか。

社会全体に、閉塞感が蔓延して、徐々に広がっているように感じられる。

どうしてなのだ。

いくら考えても、答えが出てこない。
いくつも浮かんで、これも、あれも、それも・・・・
あらゆる構造が混み入ってしまい、一つの答えを導き出せないのだ。


何かがおかしいと思う。
それは、確実に言えるし、ほとんどの人が感じていることではないだろうか。



だからこそ!
最近、「自分が、しっかりとしなければ」と、強く思う。
誰も守ってくれないし、助けてもくれない。
結局、自分の人生の選択と決断は、自分が下すしかないのだ。

大きなうねりや、巨大な権力に立ち向かう勇気がほしい!
そんなことを考えながら、今、「この時」の自分自身と向き合っている。


明日になったら、また違う風が吹いてくれるだろうか・・・。

ただ、ただ、そう期待しながら・・・
自分が愛する人と、ありのままの私を愛してくれる人を
出来るだけ多くつくっていきたいと、心からそう思っている。

人間の一生を考えてみれば・・・
「時間」は、限られているのだから。
まずは、“後悔のない生き方”、 そして、
充実した想いが感じられる仕事と取り組んでいきたいと
思うようになってきた。
           私が、齢をとってきたからかなぁ。