癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

倉本聰講演会

2013年03月16日 | イベント鑑賞・参加
 山から早く帰れたので、夕方からの函館商工会議所青年部創立10周年記念「倉本聰講演会」へ行くことができた。演題は「当たり前の暮らしを求めて」。

○印象に残ったフレーズをいくつか・・・

・真の文明社会とは、経済、環境、文化の3本の柱がバランスを保つ社会。今の日本は、経済が突出し、便利さや豊かさやスピードを追求する社会にはなったが、幸せではない。

・富良野へ移り住んだわけは、戦後の豊かさヘ不安感の解消、自分の力やエネルギーだけを使った生活がしたかった。何もないゼロからのスタート。何を始めるときにも一切借金はしないで、ある金だけでできることだけをして積み上げてきた。

・「北の国から」も「富良野塾」もゼロからのスタートと自給自足の生活を基本とした。特に富良野塾生の生活は、夏の間は農家のパートで生活費を稼ぐ、米は買わなければならなかったが、野菜は規格外で捨てるものをいただく。コンビニの賞味期限切れの食べ物をいただく。建物は廃屋を解体した材料をいただく。粗大ゴミ捨て場(山部山麓デパート)から家電や家具などをいただいた・・・誇りさえ捨てれば豊かな暮らしができる・・・「貧幸」。

・富良野塾に入ってきた新入生には、「原始の目」を持つことからスタート。例えば、生きた鶏を1羽ずつ与えて、自分でそれを殺し、食べれるようにすることから始めた。そこで、いただいている命の尊さ、謝罪、感謝の念が生まれる。

・富良野の閉鎖したゴルフ場を森に・・・苗木を買って植えるのではなく、森で種の採集するところから始めて、苗木を育てて植えた。

・需要の仕分けもすべき・・・24時間営業のコンビニ、24時間のTV放送は本当に必要か?

・原発も、便利さ豊かさスピードを求めたがゆえの産物。原発から出るゴミの処理はその方法が見つからないまま始動し、増設してきた。今もその確たる方法が見つかっていない。結局は子孫へ押しつけて、「未来というゴミ箱」に捨てようとしている。

・国も平気で借金を作り、豊かさだけを求めている・・・日本人は総認知症になっている。

ガス中の827.2峰(点名・下俄郎)

2013年03月16日 | 登山・旅行

<ガス中の頂上>

 厚沢部町の天作沢林道が伐採作業のために奥まで除雪されているという情報を得て、SHOさんとTaoさんと3人で、この山の北奥に稜線で繋がっている鋭峰780ピークを目指した。しかし、ガスで展望もないので、この827.2峰(三頭三角点名・下俄郎)の再訪だけに終わった。 

 この827.2峰は、2回目の登頂だが、中山トンネルを抜けると目の前にど~んと聳える大きな山である。乙部岳に次ぐ厚沢部町の第2峰で、隣り合っている北斗市にもこれより高い山はない。にもかかわらず、不遇な無名峰で「峠下無名峰」という通称まである。

 確かに、天作沢林道は除雪されていて、ちょうど伐採作業員の車が先を進む。途中に駐車スペースがないので、彼らの助言で作業車の駐車場がある一番奥まで入った。途中にゲートもあったが錠を開けたままにしてくれた。その地点は、南西尾根を越えて反対側の地図上に記載されている終点より奥まで続いていた。

 その駐車場からの尾根に取り付き、南西尾根を往復した。天作沢林道の入口から往復した前回よりは、登りで1時間も短縮することができた。

 7:45スタート、登り1時間45分、下り40分、10:25ゴール。早い下山だったので、もう1山登ろうと考えたが、雨が降ってきたので、北斗市せせらぎ温泉に入って、昼過ぎには帰宅した。

 前回は今は亡きFuさんと4年前の3月に登っている。そのときの写真をみたら、今は自分が形見として、今日も使用させてもらったスキーと靴とストックだった。確か、そのシーズン前に買ったばかりの新品だった。しかし、その12月に怪我をして入院生活に入ったので、何度も使っていなかったはず。その同じ用具で同じ山に登る・・・何か不思議な感じがした。


 支尾根から南西尾根を目指す


 霧氷に覆われたダケカンバ林


 頂上近くの稜線に発達した雪庇


 詳しい山行記録は、親サイトの下記でどうぞ!
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