癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

健康で余裕の人生を

2015年06月02日 | 日常生活・つぶやき

 五木寛之の『余命』・・・なんとなく題名に惹かれてネットで購入して読んでみた。これといってインパクトのある目新しい内容ではなかったが、自分の残りの人生の生き方を考えさせられる良い機会にはなった。

 「余命3ヶ月」・・・14年前、初診でいきなり亡妻に内緒で告げられた妻の病状だった。これまでの人生でもっとも大きなショックだった。それから病と闘うこともできないまま家族ともども灰色の5ヶ月で、50歳の短い人生で逝ってしまった。

 それ以来「余命」という言葉には良いイメージがない。しかし、五木氏は「わずかに与えられた短い期間」と受け取るから淋しい印象になる。余裕を持って残された期間と考えたらどうか。そうすれば余裕のある人生を送れるのではないか。」と提言している。

 退職するときに、妻の死を見て、「人生やりたいことは、やれるうちにやっておかないといつ死ぬか分からない」という人生観に変わり、再就職の話もすべて断り、「余裕のある人生」を送りたくて、登山を初めとする趣味三昧の生活に入って12年目を迎える。その間2度の大腸癌の手術も経験したが、自分が死ぬなどとは一度も考えたことはなかった。好き放題の人生をフォローしてくれている今の妻の存在も大きいが、一度も悔いたりしたことはない。しいて上げれば他人のために尽くしていることが少ないことだ。自分のためには、豊かで充実した余裕の人生を送っていると心から満足し、感謝もしている。

 最近、自分は何歳くらいまで生きれるのだろうと考えることが多い。元気な80代を見ると、自分も!と思うし、そうでない人を見ると、いつか自分も?と思ってしまう。まさに「余命計り難し」である。特別長生きはしたいとは思わない。自分のやりたいことができなくなったらいつ逝っても良いと思っている。でも、きっと自分のことだから体が不自由になっても、それを受け入れながら頑張るだろうと思う。

 一番なりたくないのは認知症である。他人の世話になりながら、感謝の念も羞恥心も自尊心も失ってまで生きたいとは思わない。最後は、「ありがとう!幸せな人生でした」という言葉を発して逝きたいものだ。しかし、それは誰しも願っていることであろう・・・思うようにいかないのも人生だ。