癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

外食デー

2016年03月14日 | 食べ物
 妻が「名古屋ウィメンズマラソン」大会に参加して、いないので、今日は、昼も夜も外食で済ませた。妻から、4時間53分で完走したとの連絡あり。

○<昼食>キングベーカリーの限定15食の月替わりランチ


3月は、「イングリッシュマフィンのエッグベネディクト」

 名前もしゃれているが、献立もしゃれている。爺が一人で食べるには、ちょっと気恥かしさもある。
 しかし、パンも食品保存料や乳化剤、イーストフード等の使用をできるだけ控えている上に、無農薬無化学肥料で 栽培された完熟コーヒー豆だけを使用している『森のコーヒー』がお替り自由で580円。食材も豊富でとても美味しいのが一番だが、大変お得感もある。
 何と言っても、5軒しか離れていないご近所なのが、手っ取り早くて便利だ。

○夕食は、「らーめん 札幌直伝屋」

恒例の函館ポールスターの月替わり期間限定ラーメン、この3月は、「らーめん 札幌直伝屋」。
最近、あまり美味しいと思う店がなかったので、しばらく遠ざかっていたが、今回の店は評判が良さそうなので行ってみた。




この「美味しさの秘密」に期待してしまう。
 

味噌ラーメン(780円)

 久しぶりに本当に美味しいと思うラーメンだった。特にスープへのこだわりが感じられ、男爵いもの隠し味が効いていた。しょっぱさもなく、引き肉も入っていて、トロッとしたスープを全部飲みほしてしまった。食べて数時間経っても、口の中に男爵いもの甘みが残っている。

 妻が帰ってきたら、再訪して、今度はお勧めの醤油ラーメンも食べてみたいと思ったくらいだ。

磯谷温泉跡地 & 磯谷発電所

2016年03月14日 | 登山・旅行
高さ3mほどの石垣の上からとその下の穴から流れ出る温泉

昨日、磯谷川上流の硫黄山に登った後、その下にある磯谷温泉跡地と磯谷発電所を見てきた。
 
この磯谷温泉は、20代の頃、2回ほど泊まったことがある。
南茅部町史によると、ここ磯谷温泉は、相当古くから知られていた湯治場らしい。
江戸時代末期の1845年、松浦武四郎が訪れていて、彼の著「蝦夷日誌」に「粗末な笹小屋がある湯治場。人家は2軒、アイヌ人の家も1軒。」と書かれている。

また、箱館在の赤川村より「磯谷道」が出来ていた、と江戸時代文化年間(1804~1817)の絵図にも描かれている。その絵図には稲荷社も祀られている。

1872年(明治5年)に熊泊村の川内庄三郎が温泉場を整備した。
1902年(明治35年)後の熊泊鉱山主となる横浜の押野常松が温泉場の家屋を改造し拡張している。

大正時代に入ると、浜谷きくさんが2階建ての温泉旅館「はまや旅館」全11室を建てている。
1932年(昭和7年)磯谷温泉 朝日旅館となる。

1973年(昭和48年)、旅館は東海不動産の所有となり、1985年(昭和60年)解体されている。


温泉は、道路を挟んだ下の、草地を通り、磯谷川へ流れ落ちている。


朽ち果てている稲荷社


道路際にある、物置代わりに使っていたような洞穴


 帰宅して、いろいろ検索していたら、この温泉の源泉へ行く道もあるらしい。次回の楽しみに取っておこう。


○磯谷発電所



北海道電力の磯谷第一水力発電所。歴史が古く、1923年(大正12年)から発電している。
その昔の送電線が、今でも蝦夷松山の登山道に切り倒されて残っている木製の電柱や万畳敷に見られる木製の電柱である。

 この発電所の山の上から水を流す太い導水管の標高差は、地形図で見ると180mもある。しかも、この水は、磯谷川の上流と、鹿部町の常呂川の上流から、トンネルで引いている。
 いつも思うのだが、発電所の水を流すものすごい長い地中トンネルは、どのようにして掘るのだろうか・・・?日高の山に登ると、あちこちに見られる。

 さらに、国土地理院の地形図を見ると、ここで使用された大量の水は、ここからトンネルの中を1.8kmほど海側へ流れて、第二発電所の導水管の上から再利用されている。

 

第二発電所の導水管。


パイプの上を通る林道からその下のパイプと第二発電所を見下ろす