癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

子供の虐待に思う

2016年09月05日 | 日常生活・つぶやき
  退職組織の道本部の機関誌に、評論的な内容の原稿依頼が来たので、下記のような内容で書いてみた。送ってしまってから、もう少し、親を擁護するような内容にした方が良かったかな?と反省している。



 世の中いろいろ胸の痛むニュースは多いが、一番悲しみと怒りが湧くのは、ここ数年激増している「子供の虐待死」である。「少子化対策」がうたわれる一方で、せっかくこの世に生を受けて、訳の分からないまま虐待され、幼い命を落とす。死に至るまでの子供の気持ちを考えるといたたまれない思いに駆られる。また、今この瞬間にも虐待されている子供たちがいるかと思うと一層辛さが増す。

 厚生労働省の発表によると、全国の児童相談所が対応した児童虐待件数は、1990年度に統計を取り始めて以降25年連続で増加し、昨年、初めて10万件を超えたとのこと。これだって、氷山の一角だという・・・。

 昔から「子どもは宝」と言われて大切にされるべき存在である。数年前に「日本くらい子育てが急激に下手になった国はない」ということを耳にしたことがある。その背景には、社会的状況の変化から親が子育てに苦労されている現実があることも理解できる。

 しかし、虐待死のケースなどでは、よく「しつけのつもりでやった」という言い訳を見聞きする。あくまでも自分本位で、子供の気持ちを考える愛情や余裕などはまったくないだろう。対象になっている子供の多くは、「望まれて生まれてこなかった」場合や、親の都合で「邪魔な存在になってしまった」場合が多いような気がする。子供は育てるのが難しいのに、簡単にできてしまうのは困ったものだ・・・と言ったら不謹慎だろうか?

 国としても、児童虐待防止法をもとにいろいろな対策や見直しは講じている。しかし、その内容は、虐待が起きた時の子供の救済、親の救済がほとんどで、後手に回っていることが多いような気がする。

 根本は、「虐待の発生予防」なのではないかと思う。昔のようにもっと子育てがしやすい環境づくりが急務だとは思うが、私ごときにその妙案は浮かばない。今この世に存在する子供、これから生まれてくる子供たちが、すべて幸せに育つことを祈るしかない。