また、函館の貴重な美しい歴史的建造物がひとつ消滅したようだ。豊川町の旧函館信用金庫本店(旧十二銀行函館支店)である。
茶褐色のタイルと、直線を強調したセセッション風のデザインが美しいこの建物は、大正15(1926)年に富山に本店を置く、第十二銀行(現在の北陸銀行)の支店として建てられたものである。昭和53(1978)年から平成15(2003)年までは函館信用金庫の本店として使われていたので、そちらの名称を出した方が馴染み深いかも知れない。
(昨日の画像~他サイトから借用)
この建物と土地を買収した業者が、この土地にホテルを建設することになり、12月下旬から解体工事に向け足場が組まれていたことは目にしていた。それが、昨日に解体されてしまい、もう目にできなくなったという。
トータルで12年間務めた旧東川小学校の校区の建物で、いつも目にしていただけに、もう目にできないと思うと寂しさが募る。
この旧十二銀行函館支店の歴史的価値は、3つの点があると言われている。
まず1点目は、函館とは縁の深い富山(北陸)の銀行であること。函館と言えば北前船の時代からその中継点である北陸と親密な関係を持ち、明治以降この地域の住民が多数函館へ渡り住んでいる。そのような事からも、かつての函館と北陸の人的・経済的な繋がりを偲ぶことにできる建築物である。
2点目は、東京四谷の迎賓館(明治42年築)、神奈川箱根の富士屋ホテル食堂(昭和5年築)、赤坂離宮(現迎賓館赤坂離宮、明治42年築)、旧竹田宮邸(現グランドプリンスホテル高輪迎賓館、明治44年築)などに携わった、建築家・木子幸三郎(1874~1941)の設計作品であるということ。
そして、3点目は、昭和9(1934)年3月21日に発生した函館大火で、焼失を免れた数少ない建築物だという事である。多くのコンクリート建築は当日の猛火に勝てず、建物内が著しく焼けてしまったのに対し、十二銀行支店はほぼ無被害でこの大火を乗り切ったという。それは、偶然火災の難を免れたという訳ではなく、防火兼防雪のシャッターを設置したためである。このシャッターは大正10(1921)年4月に起きた大火を教訓に、第一銀行函館支店(設計:西村好時、現函館市文学館)、百十三銀行本店(設計:関根要太郎、現SEC電算ビル)に採用されている。
同時代の第一銀行函館支店は現函館文学館として、百十三銀行本店は現SEC電算ビルとして、現在も利用されているだけに、残す手立てはなかったのだろうか?
もう目にできないだけに、他サイトから借用した画像をアップしておきたい。