癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

15年来の念願達成「南白老岳」

2016年03月17日 | 登山・旅行

ゲートをスタートして、2.5km付近から眺める南白老岳(944.6m)。心配なほど急な西尾根。左後ろは白老岳。

 1/27に白老三山を狙ったが、天候が悪化して残してしまった南白老岳。今シーズン中には絶対登るつもりでいた。

 全道的に快晴予報を逃す手はない。この山だけを登るなら、冬期間は閉鎖されている道々86号線白老大滝線(四季彩街道)をスキーで歩き、西尾根を登ることを考えていた。

 迷わず、朝4時過ぎに家を出て、伊達市大滝区の三階滝公園の先のゲートまで走った。白老岳からみても、素晴らしい形をしているが、こちらから眺めても負けないくらい端正な形をしていた。

 15年前に白老岳から眺めて登高意欲を掻き立てられて以来の念願がようやく達成できた大満足の山行だった。

 7:50スタート、登り2時間45分、下り1時間30分、12:30ゴール。特にスキーからつぼ足に変えて登った急な西尾根は、登りで、キックステップで1時間近く掛ったのに、下りはあっという間の15分だった。


GPSトラックログ


橋を渡って、西尾根の末端から眺める。雪庇が崩落して全層雪崩が発生していた。


西尾根の斜度が変わる手前から眺める。尾根の左側の林の中を登った。


標高680mの急になるところにスキーをデポ。この上の斜面が一番急だった。つぼ足で、ステップを切りながら登った。


一端斜度が緩む、雪庇が崩壊している尾根の左を登る。


頂上直下から振り返ると、眼下に道々86号線のホロホロ峠と、その上にホロホロ山と徳舜瞥岳が見える。


頂上付近は雪庇が10mくらい発達していた。その根元を歩いて、白老岳と右奥の樽前山を望む。


頂上にて・・・バックはホロホロ山と徳舜瞥岳。羊蹄山、恵庭岳や漁岳も見えた。
太平洋側は雪庇が高く見ることができなかった。


スノーモービルのトレースが続く道々86号線。


 下山後、大滝の無料の温泉「ふるさとの湯」に入り、帰路に就き、17:15には帰宅できた。

詳しい山行記録は、下記でどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)

断捨離・・・ゴミ処分

2016年03月16日 | 日常生活・つぶやき
 暖かくなったらやろうと思っていた、断捨離ならぬ、大型の不燃ごみと可燃ごみの処分に取り組んだ。
 不燃ごみは、東山の奥にある「七五郎沢破棄物最終処分場」へ。可燃ごみは日乃出町の「日乃出清掃工場」へ運び込んだ。

○まずは、不燃ごみ
 

 車に満載のプラスチックの衣装ケースや、小さな家具、そのほかのガラクタ類


「七五郎沢破棄物最終処分場」入口。左から入って、右から出る。その時の重量差で料金が決まる。


指示に従って、広い埋め立て処分場の中を走る


埋め立てできる小さな不燃ごみ捨て場

 
金属類捨て場。このほかに木製家具捨て場もあった。  軽量結果110kgで518円・・・安い。



○次に、可燃ごみ


これも、車満載。布団類や衣類など・・・こんなときに便利な車だ。


函館市日乃出清掃工場の入口。ここも左から入って、右へ抜けて、同じシステムで料金がきまる。


バックで進み、後ろの深いプール状のところへ捨てる

 
ゴミ捨てプールの中の中の我が家のゴミ。  こちらも110kgで518円。偶然の一致にしては凄い!
 妻が、思わず、「5・1・8のロトシックス買ってきたら!」と叫んでた。

 これで、物置状態になっていた3階部分の押し入れも含めての1室はすっきりした。まだまだ、いずれは捨てなければならないものがたくさんある。一番頭が痛いのは、溜まっていて、高い料金の掛る電気製品(TV、レコーダー、PC、プリンターなど)と、たくさんある本類。

 今日は、今年の最高気温11℃を越えた。午後に、先週から3回目の10kmジョグに出た。服装も春モードで、身も心も軽く、中盤は6分/kmを切るペースで走ることができ、トータルで1時間01分だった。

「72歳フル初挑戦」第1関門通過

2016年03月15日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

 今年から、フルとハーフの同時開催となる「函館マラソン」。昨日が受付開始だったが、今朝の段階で定員に達したとか・・・(間違いで、3/16の朝の段階では、まだ3800名だそうです)。昨日のうちに申し込んでおいたので、とりあえずは第1関門は通過した。もたもたしていたら、申し込み時点でアウトだった。妻も、「帰って来てから」なんて言っていたが、昨日のうちに、向こうで申し込んだらしい。

 昨年からどうするか悩んでいた。せっかくの地元で開催される第1回記念大会だ。大冒険だが、初挑戦するとしたら、年齢的に今年しかない。多分、「72歳でフル初挑戦」なんて、そうざらにはいないだろう。

 今まで、ハーフは6分/kmペースで完走してきた。これを7分/kmに落としたら、なんとか制限時間ギリギリの5時間で完走できる計算だ。回収バスと競走を楽しむのも面白そうだ。妻は昨年の「名古屋ウィメンズマラソン」で初挑戦初完走し、今年も5時間切りを達成した。これにも希望が湧いた。

 クロカンスキーで自分より速い人は、年齢にかかわらず、ほとんどがフルマラソンを走っている。やはり走りこんでいる人は速い。申し込んでしまえば、嫌でも練習しなくてはならない。結果的にクロカンスキーのトレーニングにも繋がるはずだ。お陰で、膝や腰など、どこにも故障や古傷もない。もっと無理して自分を追いこんでも良いだろうと決心して、受付当日の昨日にエントリーを済ませた。

 とりあえず、このひと月は、4/17の「伊達ハーフ」に向けての練習を積み重ね。それが終わっての2ヶ月間でフルの練習に切り替えようと思っている。


妻への完走祝いとホワイトデーのお返し。シュエットカカオの「長す~ぎるチョコロールケーキ」(48.5cm)


○妻の2回目のフル完走「名古屋ウィメンズマラソン」


一昨日の「名古屋ウィメンズマラソン」のスタート風景

 
参加賞と完走賞のティファニーのオリジナルペンダント


名古屋のお土産
 

外食デー

2016年03月14日 | 食べ物
 妻が「名古屋ウィメンズマラソン」大会に参加して、いないので、今日は、昼も夜も外食で済ませた。妻から、4時間53分で完走したとの連絡あり。

○<昼食>キングベーカリーの限定15食の月替わりランチ


3月は、「イングリッシュマフィンのエッグベネディクト」

 名前もしゃれているが、献立もしゃれている。爺が一人で食べるには、ちょっと気恥かしさもある。
 しかし、パンも食品保存料や乳化剤、イーストフード等の使用をできるだけ控えている上に、無農薬無化学肥料で 栽培された完熟コーヒー豆だけを使用している『森のコーヒー』がお替り自由で580円。食材も豊富でとても美味しいのが一番だが、大変お得感もある。
 何と言っても、5軒しか離れていないご近所なのが、手っ取り早くて便利だ。

○夕食は、「らーめん 札幌直伝屋」

恒例の函館ポールスターの月替わり期間限定ラーメン、この3月は、「らーめん 札幌直伝屋」。
最近、あまり美味しいと思う店がなかったので、しばらく遠ざかっていたが、今回の店は評判が良さそうなので行ってみた。




この「美味しさの秘密」に期待してしまう。
 

味噌ラーメン(780円)

 久しぶりに本当に美味しいと思うラーメンだった。特にスープへのこだわりが感じられ、男爵いもの隠し味が効いていた。しょっぱさもなく、引き肉も入っていて、トロッとしたスープを全部飲みほしてしまった。食べて数時間経っても、口の中に男爵いもの甘みが残っている。

 妻が帰ってきたら、再訪して、今度はお勧めの醤油ラーメンも食べてみたいと思ったくらいだ。

磯谷温泉跡地 & 磯谷発電所

2016年03月14日 | 登山・旅行
高さ3mほどの石垣の上からとその下の穴から流れ出る温泉

昨日、磯谷川上流の硫黄山に登った後、その下にある磯谷温泉跡地と磯谷発電所を見てきた。
 
この磯谷温泉は、20代の頃、2回ほど泊まったことがある。
南茅部町史によると、ここ磯谷温泉は、相当古くから知られていた湯治場らしい。
江戸時代末期の1845年、松浦武四郎が訪れていて、彼の著「蝦夷日誌」に「粗末な笹小屋がある湯治場。人家は2軒、アイヌ人の家も1軒。」と書かれている。

また、箱館在の赤川村より「磯谷道」が出来ていた、と江戸時代文化年間(1804~1817)の絵図にも描かれている。その絵図には稲荷社も祀られている。

1872年(明治5年)に熊泊村の川内庄三郎が温泉場を整備した。
1902年(明治35年)後の熊泊鉱山主となる横浜の押野常松が温泉場の家屋を改造し拡張している。

大正時代に入ると、浜谷きくさんが2階建ての温泉旅館「はまや旅館」全11室を建てている。
1932年(昭和7年)磯谷温泉 朝日旅館となる。

1973年(昭和48年)、旅館は東海不動産の所有となり、1985年(昭和60年)解体されている。


温泉は、道路を挟んだ下の、草地を通り、磯谷川へ流れ落ちている。


朽ち果てている稲荷社


道路際にある、物置代わりに使っていたような洞穴


 帰宅して、いろいろ検索していたら、この温泉の源泉へ行く道もあるらしい。次回の楽しみに取っておこう。


○磯谷発電所



北海道電力の磯谷第一水力発電所。歴史が古く、1923年(大正12年)から発電している。
その昔の送電線が、今でも蝦夷松山の登山道に切り倒されて残っている木製の電柱や万畳敷に見られる木製の電柱である。

 この発電所の山の上から水を流す太い導水管の標高差は、地形図で見ると180mもある。しかも、この水は、磯谷川の上流と、鹿部町の常呂川の上流から、トンネルで引いている。
 いつも思うのだが、発電所の水を流すものすごい長い地中トンネルは、どのようにして掘るのだろうか・・・?日高の山に登ると、あちこちに見られる。

 さらに、国土地理院の地形図を見ると、ここで使用された大量の水は、ここからトンネルの中を1.8kmほど海側へ流れて、第二発電所の導水管の上から再利用されている。

 

第二発電所の導水管。


パイプの上を通る林道からその下のパイプと第二発電所を見下ろす

旧熊泊鉱山の遺構も目にできた「硫黄山」

2016年03月13日 | 登山・旅行

 硫黄山の700mほど手前の山中に忽然と現れた旧熊泊鉱山の遺構
 

GPSトラックログ

 国土地理院の地形図に載っている函館市内の山で、唯一登り残していた(というよりは見落としていた)山があった。それは、旧南茅部町の磯谷川の上流にある硫黄山(430m)だ。三角点があるわけでもなく、この山のすぐ下に明治37年から昭和28年まで、硫黄を採掘していた熊泊鉱山があったことが山名の由来のようだ。地図で見ても、実際に登っても、泣面山と熊泊山に挟まれた、磯谷川の谷間にある小山だった。

 今回は、単なるピークハントだけでなく、ひょっとしたら、熊泊鉱山の遺構も目にできるかもしれないという期待も込めてトライした。ネット上では、この山に登ったという記録も遺構の画像も見当たらない。

 硫黄山のすぐ下まで昔の鉱山の道路跡が地図に載っている。しかし、木や笹で覆われて、あちこち崩壊しているらしいとの情報を得ていたので、積雪期に狙っていた。今年の1月下旬にSHOさんと二人で狙ったが、天候が悪くて諦めていた。

 磯谷第二発電所までは除雪されている。その道路が発電所へ向かって下り始めるところに林道入口がある。今回は、一人で出かけた。スキーも用意していったが、堅雪なので、かんじきを持参し、スパイク長靴でスタート。結局、かんじきは使うことがなかった。

 スノーモービルのトレースが続きている現在も使われている林道を30分ほど進むと、分岐がある。スノーモービルのトレースにつられて左に入ったら、磯谷川から離れて行く。GPSで確認すると、別な林道だった。


少し戻ったら、右に古い林道が続いていた。これが進むべき道だった。


案の定、道路だったところは幼木や灌木で覆われている。


それでも、眼下の磯谷川沿いの谷間の向こうに噴火湾が見えるところもある。


1時間半ほど歩いたら、目の前に忽然と鉱山の遺構と思われるものが現れた。


その先の林道跡を進むと、硫黄の臭いがしてきた。
少し進むと川が流れていて、その源流が地中から激しく湧き出していた。
水面に触ってみたら、冷たくなかったので温泉のようだ。

地図上の終点まで進んで、右手にようやく目指す山が見つかった。
林道から離れて北へ方向を変える。10分ほど登山気分を味わって、山頂に到着。
2本の木に古いピンクテープが結ばれていた。自分のほかにも物好きな人がいるもんだ。


南東のすぐそばに迫る泣面山をバックに記念撮影。


その反対側の北西には、磯谷川を挟んだ熊泊山。10分ほど休んで下山開始。


大きな遺構のあった場所のすぐ下の林道跡から、登った硫黄山が良く見えた。
ここに住んでいた人にとっては、生活に密着した大切な山だったのだろう。
生活の場だっただろう広い平坦地は、閉山後トドマツの人工林になっていて、その痕跡は見られないのが残念。

 
その下の林道の周りに、ほかにも遺構がないかキョロキョロしながら歩いて、見つけた小さな遺構。
どちらも取水装置のような感じだった。

7:00スタート、登り2時間、下り1時間40分。11:50ゴール。往復約10km。
帰りは、大船温泉ひろめ荘に入って、昼食を食べた。

○熊泊鉱山の歴史(「南茅部町史」から抜粋)

1903年(明治36年)磯谷川の上流、熊泊山の東山麓に硫黄鉱が発見された。
1904年(明治37年)から硫黄に採掘のため操業、その5年後に大雪のため崩壊事故が起きて31名の死者が出た。1916年には硫黄の産出は日本1位となっている。
函館港まで運び、アメリカやオーストラリア、ロシアにまで輸出する重要な輸出品となっている。
函館港への運搬は、馬車ではなく磯谷川の右岸に積み出し桟橋が出来て、3000トン~4000トンの汽船が停泊出来るようになり、船で運ばれた。そして、函館港から世界の港へと輸出されていった。
操業は、1953年(昭和28年)まで、50年間も続けられたが需要がなく、閉山。最盛期は小学校まであった。

 なお、南茅部町史ではなく、自分が大船に住んでいたときに、泣面山麓の昔の万畳敷開拓へ通じる道がこの鉱山から急な尾根に続いている古地図を目にしたことがある。万畳敷開拓に人はその道を往来したと聞いている。

この鉱山については、函館市史にも触れられている。


帰りに寄った、大船遺跡入口にある大船寺の境内に、1925年(大正14年)建立の「熊泊鉱山 先亡諸精霊塔」とある。
明治42年の大雪のため崩壊事故で亡くなった31名の死者もここに祀られている。


詳しい山行記録は、下記でどうぞ!
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旧磯谷温泉跡と磯谷発電所の写真も撮ってきたので、明日のブログにアップ予定。

道新幹線開業記念「文団協芸術展」

2016年03月12日 | イベント鑑賞・参加

 函館市芸術ホールギャラリーで、昨日から3日間、函館市文化団体協議会主催の北海道新幹線開業記念~新幹線がやってくる~「文団協芸術展」が開催されている。

 文化団体と新幹線開業とどんなかかわりがあるのだろう?という興味もあり、観に行ってきた。書道、美術、短歌、俳句、華道などの9団体の作品が展示されていた。

 とくに、書道、短歌、俳句に関しては、作品に書かれている内容が、新幹線開業に関わるものばかりだった。


 新幹線カラーも交えた千葉軒岳氏、その左側は高橋海堂氏の作品。


華道と絵画


展示会場


左は、文団協会長の安保天壽氏、右は、大川瀟湖氏の作品


函館俳句協会の作品。これもすべて新幹線開業に関する思いばかり。


道南歌人協会の題材が北海道新幹線関係の「青函交流短歌大会入賞者色紙展」


昼食は、グリル塩豚で
 妻が、昨年に引き続き、明日開催される「名古屋ウィメンズマラソン大会」に参加するので、空港まで送っていった。
 その途中に、昼食は、税込み299円にこだわっている塩ラーメンが目玉の「グリル塩豚」へ。




二人とも塩ラーメンとちまきのセット(税込480円)。ラーメンは安い価格設定になっているが、非常に美味しい。

出版化の準備

2016年03月11日 | 登山・旅行
  

 2102年6月から始まった拙筆による北海道新聞(札幌圏版)、各週金曜日連載の「ほっかいどう山楽日記」が4年目を迎えている。

 現時点では、今年の秋の改編期の8月下旬まで続き、合計で107回の予定となる。一度に隣り合った二つの山を書いたこともあるので、128山の紹介となる。

 終わった段階で、なんとか1冊の本としてまとめたいと考えていた。昨年末に、最初の担当編集委員の方が、それまでのスクラップを北海道新聞出版センターに持ち込んで交渉してくれたが、検討の結果「紀行物は需要が少ない」ということで、商業出版は「不可」となった。

 最悪の場合は、自費出版でも良いと思い、そのページ作りやレイアウトについて、『北海道夏山ガイド』の著者で、我々HYML編の『北海道雪山ガイド』『北海道スノーハイキング』の編集長を務めてくださった菅原靖彦氏に相談してみた。

 先週から、毎日のようにメールのやり取りをして、いろいろ教えていただいた。その結果、「読みもの」ではあるが、パッと見た感じ、文字の比率が少なくなるように、見開き2ページ立てを基本としても、写真をあと2~3枚入れた構成にすること、お気に入りの山は大きな写真を入れたり、数を増やしたりして、4ページ立てにするなど、変化を持たせることなどの指導をいただいた。そのほかに、地域別の扉と合わせた変則3ページ立てや見開きの写真だけのページなど、変化を持たせる案も提示してくださった。

 ワードで作製するが、pdfファイルにして持ち込んだ方が印刷費用も安く済むこと、そのためには画像解像度を300~350dpiに変更して、tif形式で保存することを教えていただいた。dpiにしてもtifにしても、扱ったことのない拡張子で面喰ったが、丁寧にメールでその方法を教えてくださり、そのためのソフトまで紹介してくれた。

 試行錯誤して作り上げたサンプル案が下記である。
 

2ページ立ての「恵山・海向山」



4ページ立ての「カムイエクウチカウシ山」

 これを基本にして、ページ構成に変化を持たせながら、これまでの掲載済みの記事のページ作りに励もうと思っている。初めは、試行錯誤で大変だったが、これができたら、この後は楽しく編集作業に取り組めそうな気がしてきた。 

 連載は、季節に合わせたので地域別にはなっていない。しかし、本としてまとめるときには、地域別で整理するつもりだ。

 菅原氏によると、「ある程度ページが揃ったら、それを持ちこんでもう一度道新出版センターと掛け合って見た方が良い。考え直してもらえるかもしれないし、印税なしを条件に印刷経費をもってくれる場合もありますし、印刷経費は本人負担だが、道新から出版、配本の関係もやってくれるなど、いろいろあるようです。」とのこと。

アスファルトの上のジョギング

2016年03月10日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

 クロカンの疲れも取れたので、久しぶりに五稜郭公園へジョギングに出掛けた。すっかり雪も解け、家からずっとアズファルトの上を、夏用のランニングシューズで走ることができた。

 まだ、堀の氷の上やサクラの木の下にはところどころ雪は残っていたが、気象台の発表は「積雪ゼロ」になっている。

 とりあえずは、4/17の「伊達ハーフ」が次の目標だ。クロカンの連戦のお陰で、脚力や体力はアップしているようだ。7分/km強のゆっくりペースだったが、10kmは楽に走ることができた。まだ走れそうな気はしたが、無理しないで、徐々にペースを上げて行こうと考えている。


カモたちが氷の解けた浅いところで頻繁に土の中からえさをついばんでいた。


まだ石垣修理中で水を抜いているので、堀の底が見えているところもある。

十勝毎日新聞の記事

2016年03月10日 | スキー・クロカン

 「十勝大平原クロカンスキー大会」の記事が載った十勝毎日新聞が送られてきた。



 今年絶好調で、総合優勝を果たした友人の網走のちから!さんが大きく取り上げられていた。
 彼は、十勝出身で中学生の時はクロカンスキーの選手だった。今は網走に勤務しているが、数年前までは帯広に勤務していたので、若いころから総合優勝や年代別優勝を何度もしている。
 
 登山を媒介に数年前に知り合ったが、彼の夏場のメインは自転車競技である。スケートの選手が自転車競技をするのと同じように、クロカンスキーの最高のトレーニングになるらしい。ちなみに、総合2位で50~59の部の優勝者、総合3位で60歳以上の優勝者も、夏場は自転車競技をしているという。

 このほかに、ちから!さんは、夏場のローラースキーの練習を多く取り入れ、フルマラソンにも出場したことが結果に繋がったと言っていた。その分、山はほとんど登らなかったとのこと。 

 成績を見たら、60歳以上の部で26位だったが、完走者が50名しかいなかったので、ついに、初めて真ん中より下になった。しかし、70歳代(11名完走)では4番目の成績だった。でも、ほかの3人には30分前後も離されている。

 ちなみに、昨年は25位/56名、一昨年は21位/80名、3年前は17位/67名と、加齢とともに年々落ちてきているのがはっきりしている。このままズルズルと落ちて行くのも悔しい。

 今年は、山に登らない日には、もっと走ったり、部屋の置物になっているもらいもののエアロバイク漕ぎ、家でできる筋トレなどを意識的に頑張ってみようと思っている。

今シーズンのクロカンスキー大会を振り返る

2016年03月08日 | スキー・クロカン

「2016十勝大平原クロカン」のスタート場面(gooニュースより借用)

 1/16の「HBCハウス」(15km)を皮切りに、2月以降5週連続のクロカンスキーレース、「札幌国際」(50km)、「おおたき」(15km)、「恵庭」(30km)、「湧別原野」(85km)、「十勝大平原」(42km)の6大会を、悔いは残ることもあったが、すべて完走できたことを素直に喜びたい。しかも、すべてが、その大会の最長距離の部門ばかりだった。

 このための車の移動距離を計算したら、運転をしなかった「おおたき」を除いて、ざっと3600kmになる。滑走距離のトータルは237kmだった。5週連続だなんて、クロスカントリースキーだからできることである。これが、走るマラソンならとても考えられない。しかし、自分と同じように5週連続出場している人もたくさんいる。特に、今年の特筆すべきことは、昨年のように暴風雪が一回もなかったことだ。

 さて、結果だが、「順位やタイムは気にしないで、年齢相応の滑走を楽しむ」ことを目標にしているとはいえ、順位やタイムが出ると、どうしても気になってしまう。やはり、一応は挑戦なのだから、のんびり楽して滑ることにも満足できないのが困るところである。ついつい頑張ってしまう。

 その点、「HBCハウス」は、距離も短いし、順位が出ないので気が楽だ。シーズン初めの足慣らしには絶好の大会だ。

 一番辛いのは、いきなり50kmの「札幌」だ。60歳前後のときは4時間切りを2度経験しているが、ここ2年は5時間も切れなくなっている。しかも、ほかの大会に比べて長く急な上り坂が多い。この上り坂が年々辛くなってきていて、追い越されることが多くなっている。ただし、今回はゴール近くなってからも、それほど辛いとは思わなかった。タイムは昨年のワースト記録を更新し、順位も3年前までは、完走者のほぼ1/2以内だったが、昨年と今年は完走者の4/5に近くなってきた。

 次の「おおたき」は、コースも変わり、30kmの部がなくなり、15kmが最長距離になった。「70歳以上の部」が新設されたが、昨年まで30kmに参加していた化け物軍団が下りてきたので、11位/29名という成績だった。これが来年以降の目安になる。

 4回目の「恵庭」(30km)は、実際の距離は28.5kmだったが、それほどのダメージもないまま気持ちよくゴールできた。タイムは、上出来の2時間11分31秒だったが、30kmあったとしても、昨年より25分程度は速かったはずだ。順位は「50歳以上の部」で、55/95名中(完走者)で、昨年より1位だけだがアップできた。まあ、一番満足のいくレースだった。

 5回目の「湧別原野(85km)は、自分としてはメインレースである。プラス気温で最高に滑った昨年より1時間以上も遅いワーストタイムだったが、優勝タイムも1時間遅れだったそうだ。総合順位しか出ないが、昨年より12番も上がっていて、ギリギリ完走者の半分ほどの順位に留まっている。しかし、昨年も今年も最後の5kmほどは疲れが出てしまい、がっくりとペースが落ちてしまった悔いの残るレースだった。

 最後の「十勝」(42km)は、結果的には途中オーバーペースが祟ったようで、「湧別」同様、ゴール前の5kmは本当に辛く、ヘロヘロ状態のゴールだった。それでもタイム差で3分遅く、「60歳以上の部」の順位では、1位下がっただけで約半分の順位だった。

 タイムはその時の条件で大幅に違うが、順位は正直だ。総合的に見ると、とくにこのクロカンスキーのための意識的な練習やトレーニングを全くしていないので、加齢に伴う低下はやむを得ない結果だった。70歳代でも、ものすごい怪物はたくさんいる。このままズルズルと年齢相応に落ちて行くのはちょっと悔しい。来年は、もう少し走りこみや家でできる筋トレなどに日常的に取り組むようにしたいと考えている。

 そのためにも、今年からフルとハーフ同時開催となる「函館マラソン」は、大冒険だが、72歳でフル初挑戦にトライしてみたい。それが完走できたら、クロカンシーズンに近い10月下旬か11月に開催されるどこかのフルマラソンにも参加してみたい。そうすることにより、春から秋まで切れないで走りこみができる計算になる。

 とりあえずは、ここまでクロカンで培った筋力と体力を切らさないで、来月17日の「伊達ハーフ」へ繋げるように練習することを目標にするつもりだ。

まっすぐ帰宅

2016年03月07日 | 登山・旅行

日勝峠沿いの一気に水解けが進んだ沙流川の流れ

 昨夜の段階では、夜に集まったメンバー4名で、日勝ピークに登り、滑りを楽しむ予定だった。
 しかし、朝を迎えたら、雨上がりで、帯広の街中も視界数10mの濃霧で覆われていた。天気は回復傾向のようだが、気温も高く、雪質が悪くてとても滑りを楽しめる状態ではない。そこで、中止として、そのまま帰路に就いた。

 往路は、目的があるので長距離運転も苦にならないが、復路は、昨日の疲れもあり、さすが遠いと感じた。 


 千歳で、10:30から営業している、有名な行列のできるラーメン店「味の一平」に寄った。
 10:35に入ったら、すでにほぼ満席だったのには驚いた。さすが超人気店だ。

 良く寄る店だが、ここは女性ばかり5名ほどのスタッフで営業していて、完全分業(麺をゆでる、丼にスープを入れる、野菜をいためる、厨房内の運び、店内で配膳客さばき等)でテキパキとしていて手際が良く、捌きも早いので、いくら混んでいても、回転が早く前の客がどんどん座っていく。待ってる間に注文を聞かれ、席に座ると驚く速さでラーメンが出てきて、いつもほれぼれとするくらいだ。

 一番人気は特製みそラーメンで、チャーシュー、野菜を含めてお客さんのほとんどがみそラーメンを食べていた。 味は昔ながらのさっぱり系の味噌ラーメンだが、アッツアツで癖になるほど美味しい。


自分の食べた野菜味噌ラーメン・・・やっぱり美味かった

オーバーペースか祟った「十勝大平原XCスキー大会42km 」

2016年03月06日 | 登山・旅行


 帯広の山裾の岩内仙峡付近を発着点として、「日高山脈の麓、耀く雪原へ踏み出そう」のキャッチフレーズのこの大会、これで通算6回目の参加。最近は、4年連続となる。

 いつもは、十勝晴れの素晴らしい天気だったが、今年は細かな雪の降る中の開催となり、いつもの日高山脈を眺めながらの滑走はならなかった。

 ワックスの選択はバッチリだったが、スキーの選択を間違ったようだ。ざらめ雪の読みだったので、湿雪用のストラクチャーの板を持ってきた。ところが、朝から乾雪が降り続いた。今年絶好調で、総合優勝を果たしたちから!さんは、オールラウンド用の板で正解だったそうだ。残念!

 25km付近から10kmぐらい、ずっと後ろにピッタリと着いて滑る人がいた。先にやれば良かったのだが、ちょっと調子が良かったものだから、そのペースで滑っり続けたのが、結果的にオーバーペースになったようだ。最後の5kmくらいからそのツケが来た。がっくりと辛い滑走になり、すっかりペースダウンしてしまった。この大会で、今回ほど辛いゴールはなかった。今年最後の大会だっただけに、少し悔いの残るペース配分だった。

 それでも、昨年より3分遅れの3時間31分48秒。順位は、「60歳以上の部」で、昨年より1位落ちの26位/56名。まあ、加齢の影響を覆すことはできない結果だった。

 今回は、コース間違いや、距離表示の間違いなど、運営上の課題を多く残した大会だった。詳しくは、帰宅後のホームペーシで。来年は解決されていることを期待したい。


 スタート地点では、山仲間のパパちゃりさんと若葉さんと再会。
 さらに、いつもコメントを下さるトップレーサーで、今日の大会で、数年ぶりに総合優勝を果たした、網走のちから!さんとツーショットに収まる。結果的に、素晴らしい記念写真となった。









 いつも、この大会の夜には、十勝の山仲間が、完走祝いと懇親会を開いてくれる。今晩も10名位の参加だそうだ。温泉付のホテル帯広パコで、一休みして、そちらへ向かう。


 初対面の2名を含めて10人の参加で、楽しいひと時を過ごさせていただいた。十勝の山仲間に感謝!

 詳しい完走記録は、下記でどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)


途中の山を眺めながら中札内道の駅まで

2016年03月05日 | 登山・旅行

日勝峠展望台から、十勝平野北部と東大雪の山々をながめる。

 全道的に好天予報の下、明日の「十勝大平原クロカンスキー大会42km 」に参加のため、会場近くの中札内道の駅を目指した。

 途中、これまでに登った山々をカメラに収めながら走った。8時に出て、16時半に芽室町の国民宿舎新嵐山荘に到着。そこで、風呂に入り、夕食を食べた。

 あと、中札内道の駅まで、25kmなので、のんびり過ごす。


左、長万部の写万部山、右、オタモイ山。この間を循環縦走したいと思っている。


洞爺湖畔から眺めた羊蹄山と中島の西山


左、ホロホロ山、右、徳舜瞥岳


支笏湖畔からの恵庭岳


支笏湖畔の国道から望む樽前山と風不死岳


樹海ロードから望むハッタオマナイ岳。左のピークの右奥。


樹海ロードから望む坊主山


樹海ロードから望む夕張岳


日勝峠手前から望む沙流岳


日勝トンネルの手前から見上げる日勝ピーク。まだ、車が8台停まっていた。


日勝峠の十勝側から見上げるペケレベツ岳。こちら側からぜひ登りたい。


逆光の芽室岳


剣山


十勝幌尻岳と手前の帯広岳、右後ろは札内岳か?


新嵐山荘で食べた、芽室町のご当地グルメ・コーン炒飯セット。

一流選手と三流選手の違い

2016年03月04日 | スキー・クロカン

「湧別原野85km」で5位入賞の網走のちから!さんの滑り

同じ、194位の自分の滑り

 この2枚は、湧別のチューリップおばさんがビデオ撮影したものを再生して、そのテレビの画面を撮ったのを送って下さったものである。  

 ちから!さんは、勢いで飛んで行きそうなフォームだ。全身のばねと筋力が躍動している感じ。それに比べ、自分は、いかにも辛そうで、情けないフォーム・・・どうも、下を向いて滑る癖があるようだ。

 ちから!さんは、この時点で4位だったそうだ。上と下の画像の後続の選手を比べても、一流と三流の違いが一目瞭然といった感じ。これが、タイムにして、4時間台と7時間台の違いとなる。

 これだけのフォームで滑ることができるのは、もちろん、トレーニングで鍛えられた筋力と体力と滑走技術があるからだ。形だけ真似してもどうにもならないが、自分の最終レースとなる明後日の「十勝大平原42km」では、この一流選手たちのフォームをイメージに刻み、せめて、前を向いて、胸を張って、楽しく滑ろうと思う。