Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

〈日本劇作家大会2014豊岡大会〉開催迫る!

2014-05-19 | Weblog
この間、私が慌ただしくしている理由のメインは、6/12~15に兵庫県豊岡・城崎アートセンターをメイン会場に行われる〈日本劇作家大会2014豊岡大会〉の準備のためである。この間、何度も豊岡に行っている。記者会見や打ち合わせで、関西にも行っている。立ち上がった大会向けの事務所の動きも気にしつつ、番組を決め、出演者やスタッフワークを調整、パンフ作りの原稿や広告取りや台割りにも関わっている。
オーストラリアとの合作とツアーがその直後に控えている。
来年演出するオペラの打ち合わせというかワークショップもある。
清水弥生の新作『ブーツ・オン・ジ・アンダーグラウンド』のアトリエ公演の稽古や打ち合わせにも顔を出す。5/23に幕が開く。
今週はその翌日の5/24に劇作家協会の総会もある。
それでついついすっぽかしてしまう要件もある。
忙しいなんて言わない。平田オリザに比べればまだまだ余裕のスケジュールを生きている。はずである。
写真は、〈日本劇作家大会2014豊岡大会〉の関西の記者会見の様子。左から、関西支部長の土田英生、私、内藤裕敬、城崎国際アートセンター館長の岩崎孔二氏、長田育恵、わかぎゑふ、の皆さん。写真を見る限り、「笑いの絶えない会見」であったのは本当なのだろう。

「劇作家大会」とは、劇作家のみならず、俳優・演出家・美術家・制作者など、幅広い立場の演劇人や、映画・テレビなどの異なるジャンルからもゲストを迎え、上演やドラマリーディング、ワークショップやシンポジウム、講演など、総企画数は50に及ぶ【市民参加型】のイベント。
コウノトリと温泉の街・豊岡にちなみ、大会のテーマは「再生」。この春オープンの城崎国際アートセンターに加え、豊岡市民プラザや、近畿最古の芝居小屋・出石永楽館、巨岩切り立つ玄武洞公園、城崎温泉街の七つの外湯なども会場とした、総企画数は54に及ぶイベントです。とにかく盛りだくさんである。
大会の参加費は千円で、一部別途有料企画を除いた企画に入場できます。
チラシに間に合わなかったが、宇梶剛士さんも「スペシャルリーディング」に出演してくれることが数日前にやっと決まった。演目は鈴木聡の鶴屋南北賞受賞作『をんな善哉』。演出は中津留章仁。このリーディングだけでも出演者は竹下景子、辰巳琢郎、渡辺哲、宇梶剛士、中山 仁、柳下 大、岡本 玲、阿知波悟美、円城寺あや、綱島郷太郎の豪華すぎる各氏、そして声優として活躍されている田中真弓さん(『ONE PIECE』のルフィ!)……。じっさいの映画や劇でもこんなキャスティングはなかなか観られないだろうが、この番組も参加費のみで観られるのである。
あと、上演で話題は、演劇ユニットてがみ座『乱歩の恋文 -芝居小屋バージョン-』、出石永楽館で上演される。永楽館は明治34年に開館、平成20年に大改修を終えてよみがえった。明治期に残る芝居小屋としては近畿地方に現存する唯一のものである。(提携企画・別途有料2,500円・要予約)。で、出石の名物と言えば出石皿そばです。
http://toyooka-geki.org/tegamiza
プログラムや申し込みなど詳細は、特設ホームページを御覧ください。既に定員に達しそうなワークショップもあります。お申し込みはお急ぎください。
大会ホームページ→
http://toyooka-geki.org/
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憲法9条の「大きさ」を見よ

2014-05-19 | Weblog
憲法9条を亡きものにしようとする暴挙が一気に進められようとしている。
考えようによっては、この間の動きは、憲法9条の想像力、スケール、歴史的意義の「大きさ」ゆえに、愚かな人間たちが自分には見えないほどの大きな相手を倒そうとしている、無意味で虚しい営為であるように思う。
しかし、ほんとうに、憲法9条の「大きさ」が、この暴挙に堪えられるかどうか、それは私たちの想像力に委ねられている。

憲法第9条第1項。
「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」

15日、安倍総理に対して法制懇としての報告書を提出した安保法制懇は、この憲法規定について、
「わが国が当事国である国際紛争の解決のために武力による威嚇または武力の行使を行うことを禁止したものと解すべきで、自衛のための武力の行使は禁じられておらず、PKO等や集団安全保障措置への参加といった国際法上合法的な活動への憲法上の制約はないと解すべきである」
とし、また、
「PKO等における武器使用を、第9条第1項を理由に制限することは国連の活動への参加に制約を課している点と「武器の使用」を「武力の行使」と混同している点で二重に適切でない解釈である」
「憲法第9条第2項は、第1項において、武力による威嚇や武力の行使を『国際紛争を解決する手段』として放棄すると定めたことを受け、『前項の目的を達するため』に戦力を保持しないと定めたものであり、わが国が当事国である国際紛争を解決するための武力による威嚇や武力の行使に用いる戦力の保持は禁止されているが、それ以外の、個別的または集団的を問わず自衛のための実力の保持やいわゆる国際貢献のための実力の保持は禁止されていないと解すべきである」
とした。
自衛については「個別的、集団的を問わず」とし、集団的自衛について当然のごとく「自衛の手段として禁止されていないと解すべき」だという。

つまり、集団的自衛権の行使を禁止してきた従来の政府解釈を捨て去り、集団的自衛権行使は「解釈変更により可能」としようとしている
集団的自衛権の行使を禁止してきた従来の政府解釈は適当ではないとして、その容認を公然と求めるものとなっている。

「政府は憲法上認められる必要最小限度の自衛権の中に個別的自衛権は入るが、集団的自衛権は入らないという解釈を打ち出し、今もってこれに縛られている」
「集団的自衛権の概念が固まっていなかった当初の国会論議の中で、その概念の中核とされた海外派兵の自制という文脈で打ち出された集団的自衛権不行使の議論は、やがて集団的自衛権一般の不行使の議論として固まっていくが、その際、どうしてわが国の国家および国民の安全を守るために必要最小限の自衛権の行使は個別的自衛権の行使に限られるのか、なぜ個別的自衛権だけでわが国の国家および国民の安全を確保できるのかという死活的に重要な論点についての論証はほとんどなされてこなかった。政府は『外国の武力攻撃によって国民の生命・自由および幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである』(72年10月に参院決算委員会に提出した政府の見解)として、集団的自衛権の不行使には何の不都合もないと断じ、集団的自衛権を行使できなくても独力でわが国の国家および国民の安全を本当に確保できるのか、ということについて詳細な論証を怠ってきた。
国家は他の信頼できる国家と連携し、助け合うことによって、よりよく安全を守り得るのである。集団的自衛権の行使を可能とすることは、他の信頼できる国家との関係を強固にし、抑止力を高めることによって紛争の可能性を未然に減らすものである。一国のみで自国を守ろうとすることは、国際社会の現実に鑑みればむしろ危険な孤立主義にほかならない」
「『必要最小限度』の中に個別的自衛権は含まれるが集団的自衛権は含まれないとしてきた政府の憲法解釈は、『必要最小限度』について抽象的な法理だけで形式的に線を引こうとした点で適当ではなく、『必要最小限度』の中に集団的自衛権の行使も含まれると解すべきである」
「集団的自衛権を実際に行使するには、事前または事後の国会承認を必要とすべきである。行使については、内閣総理大臣の主導の下、国家安全保障会議の議を経るべきであり、内閣として閣議決定により意思決定する必要があるが、集団的自衛権は権利であって義務ではないため、政策的判断の結果、行使しないことがあるのは当然」
「PKO等や在外自国民の保護・救出、国際的な治安協力については、憲法第9条の禁ずる『武力の行使』には当たらず、このような活動における駆け付け警護や妨害排除に際しての武器使用に憲法上の制約はないと解すべきである」
ということだ。
そして、
「憲法には個別的自衛権や集団的自衛権についての明文の規定はなく、個別的自衛権の行使についても、わが国政府は憲法改正ではなく憲法解釈を整理することによって、認められるとした経緯がある。こうした経緯に鑑みれば、必要最小限度の範囲の自衛権の行使には個別的自衛権に加えて集団的自衛権の行使が認められるという判断も、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正が必要だという指摘は当たらない。国連の集団安全保障措置等へのわが国の参加についても同様に、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能である」
と、「憲法改正の手続きを経なくても集団的自衛権の行使は可能」と言う詭弁を弄した。

つまり、この安保法制懇報告書は、集団的自衛権行使容認という概念上のことだけでなく、多国籍軍への参加も無制限に認める「実践」を視野に入れたものになった。
「侵略戦争以外の戦争は何でもできる」という理屈だが、日本に対する武力攻撃がなくても、他国のために武力を行使するということは、結果として「侵略」になっていないとも限らない。
海外での武力行使を禁ずる憲法に立っていれば、私たちはそのような惑いに直面することはないのだが、その歯止めを外そうというわけだ。

こうして今回の動きの立役者のように報道されているのが、第1次安倍政権でも作られていた、この、安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)。
安倍首相は施政方針演説でも、「集団的自衛権行使に関しては有識者会議"安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会"の報告後に、政府として"対応を検討する"」と述べていた。
その安保法制懇が集団的自衛権の行使容認を求める報告書を提出した。
安保法制懇の会議は、秘密保全を優先するあまり、委員は報告書の原案を読んで手書きでメモするしかなかったという。昨年9月に本格的な議論が始まり、今年2月までほぼ月1回のペースで5回の会議が開かれたというが、そんな状態で「熟議」などできるわけもない。じっさいには官僚が仕切っており、複数の委員が「単なるお飾りだった」「私たちは政権のための駒だった。信頼されていなかったと感じた」という。ある委員には報告書の完全版が届かず、「新聞で先に概要を知った」と語った者もいる。だが彼らも文句は言えない。
もともと「首相のお友達集団」と揶揄されてきた、容認派ばかりの14人、首相の私的諮問機関にすぎないからだ。法的根拠は何もない。

「安保法制懇」のメンバーは、以下の通り。
柳井俊二 元駐米大使(座長)
北岡伸一 国際大学長(座長代理)
岩間陽子 政策研究大学院大教授
岡崎久彦 元駐タイ大使
葛西敬之 JR東海名誉会長
坂元一哉 阪大大学院教授
佐瀬昌盛 防衛大名誉教授
佐藤謙  元防衛事務次官
田中明彦 国際協力機構理事長
中西寛  京大大学院教授
西修   駒沢大名誉教授
西元徹也 元防衛庁統合幕僚会議議長
細谷雄一 慶大教授
村瀬信也 上智大名誉教授

この中の岡崎久彦氏は安倍首相の「師匠」と言われているという。彼が自衛隊に「血を流せ」と本気で言っているインタビューを、テレビ東京が報じている。

日本は2001年に開始されたアフガニスタン報復戦争、2003年に開始されたイラク侵略戦争に自衛隊を派兵した。
これまでは、武力行使をしてはならないという憲法上の歯止めがかかっていた。集団的自衛権行使が容認されれば、こうした歯止めが外されて、日本の自衛隊が戦闘地域まで行って、米軍とともに戦闘行動に参加することになる。
「日本の防衛は米軍と一体が前提。目前で米軍が攻撃を受けているとき、何もしないでは通用しない」「『憲法上の制約で助けられない』という弁解より同盟国への攻撃を排除することが必要だ」という、イラク派遣経験のある自衛隊幹部の発言が紹介されている。だがこの自衛官は「復興支援」のために行っただけだという。報道の仕方が恣意的ではないか。

2001年9月、米同時多発テロが発生して10日後、横須賀基地を出航した米空母「キティホーク」に、海上自衛隊の護衛艦「あまぎり」などが寄り添うように並んで航行した。事実上の米艦防護だったが、政府は「防衛庁設置法の「調査・研究」に基づく「警戒監視」」と言い訳した。
「中国の海洋進出の本格化」を理由に、あたかも日本近郊に「危機」があるかのように言ってきた。
だが、本当に、わざわざ危機のあるところに飛び込んで、自衛官が命を落とせば、「もう引き返せない」ということになる。
戦争に巻き込まれると多くの死者が出る。自分たちが標的になる。
自衛隊に入る人がいなくなって徴兵制を敷かなければならなくなるのではないかと危惧する声もある。
血を流すのは誰か。それを考えなければならない。

こんなにいろいろなことが起きているのに最近ブログを書いていないのはけしからんと言われたので少しは書いていこうと思う。

安保法制懇の「提言」を受けた安倍首相の記者会見については、また、この次に。

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