この春、山本圭さんもお亡くなりになった。肺炎のためだという。81歳。
私の世代だと、七〇年代の『新幹線大爆破』『皇帝のいない八月』といった映画で、反体制的な二枚目というと、圭さんだった。
圭さんは斎藤憐さんと竹馬の友ということで、憐さんの家に入り浸っていた私も、しばしばお目にかかった。おさなかった私の息子が本をいただいたりもした。憐さんも亡くなられて十年半が過ぎた。
新国立劇場で、私が『マッチ売りの少女』の演出を担当していたさい、名古屋章さんが体調不良のため降板されてその年にお亡くなりになった。名古屋さんは稽古初日しかいらっしゃらなかったのだが、その直後、代役を圭さんに相談した。しかし、別役実戯曲は手強いといって固辞され、その時のことを後悔していると、その後、何度もおっしゃっていた。(代役は燐光群の猪熊恒和になった)
コロナ禍のためご家族だけの葬儀だったようだ。
そのように私達の時代が過ぎていくが、素敵な人の思い出は、私の中で消えることはない。