「山海塾」を主宰、1980年代以降の「舞踏」をワールドワイドなものにした第一人者である天児牛大さんが、亡くなられた。いろいろな事件もあったし、都度、社会的な話題にもなった。40年にわたってパリ市立劇場を拠点に新作を作り続けた。世間一般の「舞踏」のイメージは「山海塾」、ということになった時期は、長い。それだけのことをやっている方だった。多くの才能を育てた。身体を際立たせるためのステージングも素晴らしかった。
私がお話しする機会があったのは四半世紀前の頃だった。ぎらりとしていた。野心と実践が伴っている、希有な人だと思った。飲んだりしたときにはわざと「俺は芸術をやっているんじゃない、ビジネスだ」と嘯いたりすることもあって、捉えどころのない人でもあった。現役であり続けることの厳しさ、背負うものも多い中で、最後まで走り抜けられたのだと思う。舞台芸術が世界的な視野で考えられるべき時代だということが明白になった今、私たちはもっと学ぶべきだった、と思う。ご冥福をお祈りする。