長崎市は、毎年8月9日「原爆の日」に行う平和記念式典に、今年、イスラエルを招待しなかった。
アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、カナダの6か国の駐日大使が一斉に平和記念式典への参加をとりやめた。先月19日、日本を除くG7=主要7か国とEU=ヨーロッパ連合の駐日大使が連名で長崎市長に対し、「式典にイスラエルを招かないことはロシアなどと同列に扱うようなものだ」と懸念を伝えていたという。「イスラエルを招待しないのはおかしい」と、長崎市を批判し、招待するよう呼びかけていたのだ。
彼らはイスラエルにガザ地区への攻撃を止めるように要請した国連決議に従わない。ロシアには反対するが、イスラエルの戦争犯罪は容認するということか。
戦争を、人命を、「政治」の道具に使っているのである。アメリカ政府関係者はJNNの取材に対し、「この件を政治問題化したくない」と答えたというが、どの口が言うのか。
原爆投下命令を下したのはトルーマン米大統領である。彼はその三年後にイスラエル建国に賛同する署名をした。
原爆を投下した国が、もともとその時期にイスラエル建国を支持し、そして今、平和の祭典を「政治利用」しようとしているのだ。これはダブルスタンダードなどではない。確信犯である。
「イスラエルを参加させろ」というのは、「現在の戦争暴力に加担しろ」ということである。
長崎市が、現在も殺戮を続けるイスラエルを招待しないことは、当然のことである。
広島市はイスラエルを招待してしまった。「即時停戦決議」に賛成したにも関わらず腰の座らない日本政府の弱腰も丸見えであり、日本の優柔不断さが見透かされているということでもあるだろう。
憤慨してばかりいても仕方がない。この筋の通らなさを、いろんな人に理解してもらうチャンスと捉えるべきではないかと思う。もちろん、SNSで言葉が垂れ流されるこの時代、それが困難だと思ってしまうのも無理はない。しかし、今こそ、ひとりでも多くの人が、事態の深刻さを見すごさず、守られるべき正義を、しっかりと語ってゆくべきなのである。
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映画 『リッチランド』を観た。
映画 『リッチランド』は、原爆を作り、落としたのが、アメリカという国であり、その国策であることを、『オッペンハイマー』とは違う視点で、描く。
第2次世界大戦下のアメリカ、マンハッタン計画のもとで生まれた町の知られざる歴史と現在を描いたドキュメンタリー、と、紹介されている。
原爆を校章、トレードマークとした高校があることでも知られるワシントン州南部郊外の町リッチランドは、1942年からのマンハッタン計画における核燃料生産拠点「ハンフォード・サイト」で働く人々とその家族が生活するために作られた町である。
「原爆は戦争の早期終結を促した」と町の歴史を誇りに思う者がいる一方で、多くの命を奪った原爆に関与したことに逡巡する者もいる。また、暮らしやすい町に満足している人々も「川の魚は食べない」と語り、現在も核廃棄物による放射能汚染への不安を抱えながら暮らしている……、というように、途中までは想像される展開なのだが、現在の高校生のリアルな反応や、ネイティブ・アメリカンの方が登場し、その発言等、途中から、より踏み込んで、この「理不尽」の本質に迫ってゆく。
広島出身の被曝3世である米国在住のアーティスト・川野ゆきよさんが登場する。
この映画のメインビジュアルでも使用されている川野作品、「(折りたたむ)ファットマン」。彼女は祖母の着物をほどいた布を、自らの髪で縫い上げ、長崎に落とされた「ファットマン」の造形を実物大の大きさで形作ったのである。このインスタレーションはかつての核施設の緩衝地帯であるハンフォード・リーチに一時的に展示されたのである。
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この世界には、そう簡単には埋まらない「溝」がある。だが、諦めてはならない。
かつて原爆を投下した国が、いま現在も虐殺を続けるイスラエルを支持している、という「事実」がある。
その事実を、事実として指弾し続けることは、必要なのである。