寒い朝の霧の中の日の出
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【65】新温泉町竹田にあり、樹齢250 年、京都の天竜寺から移植されたしだれ
桜の巨木は次のうちどれでしょうか。
(a) 延応寺のシダレザクラ (b) 泰雲寺のシダレザクラ
(c) 正福寺のシダレザクラ (d) 畑上のシダレザクラ
ふるさと但馬で一番有名なシダレザクラは、温泉町のシダレザクラです。
そう、 臨済宗泰雲寺(たいうんじ)の境内にある「シダレザクラ」は、西日
本一の幹周り(5.25m)、県の天然記念物に指定されている大きな桜の木です。
四方に垂れ下がった桜の枝には、満開の桜の花びら、見る者を圧倒する姿です。
答えは、(b)の泰雲寺のシダレザクラです。
ちなみに、生野町の延応寺(えんおうじ)は、県下2番目の巨木の大ケヤキ
が有名。また、生野義挙として名の残す尊王討幕の挙兵に集まったのがこの延
応寺なのです。
温泉町湯の正福寺(しょうふくじ)は、牧野博士が命名した花びら10枚の珍
しい桜「正福寺桜:学名プルヌス・タジマエンシス・マキノ」で有名なお寺で
す。
豊岡市畑上(はたがみ)にある巨木は、「大トチノキ」です。樹齢600年の
「畑上の大トチノキ」は、樹高30mもあり日高町万場・天神社のトチノキに
次いで県下2番目の巨木で、国指定天然記念物にもなっています。
『初めての電気スタンド』
ケンちゃん、じいちゃんの昭和33年のころの話なんよ。「小学六年生」という
学年雑誌、確か昭和33年1月号だったはずです。滅多に買ってもらったことがな
かった雑誌ですが、年末に届いた正月号は、姉さんからのプレゼントでした。
大きく「東京タワー 姿を現す」と写真が載っていました。9月に着工した東京タ
ワーの、高さ50mくらいまでの四方に足を延ばして組み上がってきた建築中の姿
です。平成になって上映された「3丁目の夕日」に出てくる、東京タワーの基礎部
分の姿そのものなのです。
そんな昭和33年の新春、じいちゃんは小学6年生の3学期でした。中学校に進
学する4月のころ、それまではご飯を食べるテーブルが勉強机でした。どうしても
勉強机がほしくって、家の周りに転がっている厚めの板切れを集めて、机を作って
しまいました。
友達に借りてきた「年鑑」という分厚い本を参考書にして、「私の自由研究、日本
の映画産業の歴史」なんて原稿を、出版社に投稿してしまいました。中学1年の春
でした。
ある日、放課後の職員室に教頭先生から「ちょっと君にいいもんが届いてるよ」と
呼び出しです。「〇〇出版社から、荷物が届いてるよ」と手渡されたのが、蛍光灯
の電気スタンドでした。追っかけて学年雑誌を見せてもらい、私の投稿した自由研
究が載っています。その入選作品の賞品だったのです。
生まれて初めての電気スタンドは、手作りの机の上で中学、高校の6年間、しっ
かりじいちゃんの勉強の本を照らしてくれました
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【65】新温泉町竹田にあり、樹齢250 年、京都の天竜寺から移植されたしだれ
桜の巨木は次のうちどれでしょうか。
(a) 延応寺のシダレザクラ (b) 泰雲寺のシダレザクラ
(c) 正福寺のシダレザクラ (d) 畑上のシダレザクラ
ふるさと但馬で一番有名なシダレザクラは、温泉町のシダレザクラです。
そう、 臨済宗泰雲寺(たいうんじ)の境内にある「シダレザクラ」は、西日
本一の幹周り(5.25m)、県の天然記念物に指定されている大きな桜の木です。
四方に垂れ下がった桜の枝には、満開の桜の花びら、見る者を圧倒する姿です。
答えは、(b)の泰雲寺のシダレザクラです。
ちなみに、生野町の延応寺(えんおうじ)は、県下2番目の巨木の大ケヤキ
が有名。また、生野義挙として名の残す尊王討幕の挙兵に集まったのがこの延
応寺なのです。
温泉町湯の正福寺(しょうふくじ)は、牧野博士が命名した花びら10枚の珍
しい桜「正福寺桜:学名プルヌス・タジマエンシス・マキノ」で有名なお寺で
す。
豊岡市畑上(はたがみ)にある巨木は、「大トチノキ」です。樹齢600年の
「畑上の大トチノキ」は、樹高30mもあり日高町万場・天神社のトチノキに
次いで県下2番目の巨木で、国指定天然記念物にもなっています。
『初めての電気スタンド』
ケンちゃん、じいちゃんの昭和33年のころの話なんよ。「小学六年生」という
学年雑誌、確か昭和33年1月号だったはずです。滅多に買ってもらったことがな
かった雑誌ですが、年末に届いた正月号は、姉さんからのプレゼントでした。
大きく「東京タワー 姿を現す」と写真が載っていました。9月に着工した東京タ
ワーの、高さ50mくらいまでの四方に足を延ばして組み上がってきた建築中の姿
です。平成になって上映された「3丁目の夕日」に出てくる、東京タワーの基礎部
分の姿そのものなのです。
そんな昭和33年の新春、じいちゃんは小学6年生の3学期でした。中学校に進
学する4月のころ、それまではご飯を食べるテーブルが勉強机でした。どうしても
勉強机がほしくって、家の周りに転がっている厚めの板切れを集めて、机を作って
しまいました。
友達に借りてきた「年鑑」という分厚い本を参考書にして、「私の自由研究、日本
の映画産業の歴史」なんて原稿を、出版社に投稿してしまいました。中学1年の春
でした。
ある日、放課後の職員室に教頭先生から「ちょっと君にいいもんが届いてるよ」と
呼び出しです。「〇〇出版社から、荷物が届いてるよ」と手渡されたのが、蛍光灯
の電気スタンドでした。追っかけて学年雑誌を見せてもらい、私の投稿した自由研
究が載っています。その入選作品の賞品だったのです。
生まれて初めての電気スタンドは、手作りの机の上で中学、高校の6年間、しっ
かりじいちゃんの勉強の本を照らしてくれました