但馬の歌人

2017年12月29日 | 但馬の人物
      豊岡市佐野 雪の円山川


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より

【81】「栃の木」「白き花」などの歌集で知られるアララギ派の歌人であり、医師でもあった
丸山修三の出身はどこでしょうか。

(a) 新温泉町春来         (b) 香美町村岡区
(c) 香美町香住区         (d) 養父市関宮


 医師でもあった歌人・丸山修三(まるやましゅうぞう)は、香美町村岡区の生

まれです。答えは、(b)の香美町村岡区となります。

「忍法帖」シリーズで有名な作家・山田風太郎も、医者の家に生まれ東京医科大

学を出た医師の卵です。但馬の作家や歌人は、偶然にもお医者さんなのです。

丸山修三は地元の要望に応えて、生涯を生まれ故郷のへき地医療に身を捧げます。

そのかたわら、アララギ派の歌人としての活躍もとてもすごかった人物なのです。


『正月のもちつき』

 今日、ばあちゃんが「たじまんま(JAのスーパー)から、餅を買ってきたよ」、

「綺麗だったから “モチばなぎ” も買ってきたよ」と言ってたんよ。

よく見たら、真空パックに入った丸い餅です。白と赤の餅を枝に付けた 

“モチばなぎ” です。懐かしい「餅花木(もちばなき)」です。


 この頃は、とても横着になってしまい、年越しのこの時期になっても「もちつき」

をしません。つい数年前までは、それでも餅つき機で正月の「モチ作り」をしました。

それが、今では「サトウの切り餅」じゃありませんが、正月のお餅はスーパーから買

ってくるようになりました。


 じいちゃんの子供のころは、27日、28日のころになると、村々の家から「ペッ

タン、ペッタンコ」と、夕刻に餅つきの音が聞こえたんよ。どこの家でも「ペッタン、

ペッタンコ」と、家の外によく聞こえてたんよ。

だいたい、どこのお家も農家だったからもち米は自分ちでとれるの。正月ぐらいは、

餅をたくさん作ってにぎやかです。


 木の臼(うす)を出してきて、庭先でお父さんが杵(きね)で餅つきです。竈(か

まど)でもち米を蒸して、七臼(ななうす:一臼は2升のお米)も、八臼もついたん

よ。丸くまるめてマツブタに並べるの。山形に伸ばして、薄く切って豆餅やかき餅に

なるのやら、伸ばして四角に切って角餅になるものやら、草餅も作ったんよ。

そして、山から採ってきた「モチばなぎの木」に、子供たちは小さく切った餅を付け

ていくの。枝が餅でたわむほどに沢山つけるの。きれいにできた「モチばなぎ」は正

月飾りに添えて、華やかに祭ったんよ。


 28日ごろは、どこの庭先からも「ペッタン、ペッタンコ」の音が響いていたんよ。