昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

鬼怒川温泉旅行@花の宿松や(三日目)

2017-03-30 22:52:21 | 鬼怒川温泉旅行記2017年3月

温泉に来て三日が経ち、今日はもう帰る日だ。
帰りたくな~い。しかし時は残酷である。
いつものように5時に目が覚めて、風呂に行く。

春の旅わずかな冥加朝湯かな   素閑

朝食は8時半。またビールである。かーたんも宿六の飲んだくれ亭主には諦めた様だ。
存分に食い、飲んだ。
 

ラウンジで食後の珈琲を飲んでいると、また女将が挨拶に見えられた。真心籠るもてなしである。
荷物をまとめチェックアウトをした後、風情溢れる館内を見て回る。
エレベーターのドアはすべて竹久夢二の絵が描かれている。
この設備だけで3千数百万かかったという。
また、廊下のショーケースにはレトロでリアルな人形が並べられている。
この宿のコンセプトは明快だ。 

 

宿の女将の人形である。

 

暖かし浪漫の宿離れる日   素閑

鬼怒川を望む、宿の裏庭に出て遊んだ。
ここも、かーたんと何度も来ている場所だが、懐かしい。この前来たのは、2014年の夏である。
鬼怒の清流に手を浸けて、冷たさに思わず声をあげたりして、はしゃいだ。

鬼怒川やはるかな山の残り雪   素閑 

遠くに望まれるのは、尾瀬の山々だろうか。厚く残雪に覆われている。
尾瀬の燧ケ岳、至仏山は、間違いなく『百名山』に入っているだろう。
深田久弥が死後、再度の中高年の登山ブームを再燃させた功績は大きい。
しかし、この人は本来、登山家ではなく小説家である。
戦前の文壇でもある程度重い地位をなした。
深田久弥の小説の作品では『津軽の野づら』だけ読んだことがある。
これは小説としては、あまりにも纏まりがない。ストーリーやプロットがまったく読めないのである。 少なくともノベルと呼べるようなものではない。オカブはこれは、詩と考えることにしている。詩として読めば、清澄な津軽の春の凛とした寒さが残る中、ほのやかなわずかな暖かさが兆してくるような若々しい詩情を込めた佳作である。
深田久弥は、詩人になっていれば、豊かな家の生まれでない彼は食い詰めて野垂れ死にしていたであろうが、文名はもっと上がっていたと思う。
しかし、結構、俗人である彼は、種々雑多な文を書き散らし、特に山岳紀行家として名を成した。戦後にはヒマラヤにも行ったし、 シルクロードも巡った。結局、破滅型の文士にはならなかった。
深田をヒューマンなパーソナリティの持ち主と考えるのは間違いである。下半身が不自由であった前妻の北畠八穂をいとも簡単に捨てて、再婚している。
要は、人間とは、いかに美を創造する有為な人物に見えても、本来、不合理で不完全な被造物で、本来罪深いものであるということに結論を落ち着かせよう。 

書を読みしこぶしの花如若きわれ   素閑 

今日は宿を出て、龍王峡に行く計画である。
10時過ぎの新藤原行きの電車に乗るため、鬼怒川公園駅に急ぐ。
5分ほどガタゴト揺られて、新藤原の駅に着く。
ここから龍王峡まで、田園の中や、渓谷に沿った道を歩いて行こうという計画である。


 

途中に慈眼寺という寺があった。ぼけ除け地蔵尊という看板が立っている。これは、最近、物忘れが激しいかーたんにご利益があるからぜひ寄っていこうと言ったら、蹴っ飛ばされた。結局、オカブ一人で参詣することになる。
この新藤原から龍王峡への街道沿いは、古刹や神社が多い。
十二神社なるお社もあった。木立に覆われていて、霊験あらたかなような雰囲気である。 

 

街道をてくてく歩いて、途中で渓流に降りる道が、崩壊で閉鎖されていた。
しかたなく、そのまま国道を歩く。
途中から左に折れて、畑の中の道を行く。長閑だ。昨日に増して暖かい。
 

草枯れし鬼怒の野づらに春は来し   素閑

やがて路は渓沿いをたどる。
暖かい日の光が心地よい。

 

山路来て木の芽の枝の木漏れ日や   素閑


やがて、龍王峡に着く。
渓谷にかかる橋目指して、急坂を下りる。
膝ががくがくしてくる。
途中に社の祠があった。

瑠璃色の鬼怒の流れの春浅し   素閑

渓谷の眺めは見事であった。
鬼怒川温泉も、如何にも温泉地という俗化した開発ではなく、こうした自然の美と調和した観光地づくりをしていれば、今の凋落は無かったろうにと悔やまれる。 
親切な二人連れが、夫婦二人の写真を撮ってくれた。
ふうふう言いながら、急坂を登り返し、龍王峡の駅前の駐車場に出た。
昼時なので、昼食を摂ることにする。
『竜王』という休み茶屋で、食事にする。
かーたんは鮎塩焼き定食、オカブは岩魚の塩焼きとビールがセットになったもの。100円お得。
どうせ、今どきの鮎も岩魚も取れたてのものであろうはずはない。どうせ冷凍ものであろうが、清流の渓谷に来て、ラーメンやカレーを食う手はない。迷うことなく川魚を食う。岩魚は、身が崩れていて、明らかに冷凍。まぁいい。旬のものを食ったつもりになっている。

渓谷を眺める、露店の席で、ゆっくりビールを味わう。
1時間半ほど休んで、13時51分の浅草行きの快速に乗るために店を出る。
これで鬼怒川とも、しばしの別れである。また来よう。
電車は、4人掛けのボックス席が空いていた。
車中で締めのビールになったことは言うまでもない。
帰りは、浅草まで行って銀座線で渋谷に出、バスで帰宅した。よく飲んでよく食った旅だった。

旅終わり列車で眺むる若草や   素閑 

つかの間の旅より帰り町の春   素閑

 


鬼怒川温泉旅行@花の宿松や(二日目)

2017-03-29 23:51:29 | 鬼怒川温泉旅行記2017年3月

鬼怒川温泉旅行二日目。
爽やかな晴れた朝だった。
5時に目が覚めた。
昨晩はぐっすり眠れた。
起き抜けに風呂に行く。
露天風呂に入る。辺りは、まだ闇の帳から抜け切れていなくて、次第に光が差してくるさまが、何とも言えず情趣深い。

朝ぼらけ春の浅きに昇る湯気   素閑


風呂から上がると二度寝した。
朝食は8時である。
朝食にビールを飲んだ。1本だった。かーたんに止めておきなさいと言われたが敢えて飲んだ。2本飲みたかったが、さすがに、それはかーたんが許さなかった。
宿の朝食は、なんということもない平凡な物だったが、充実していた。

 

春なれや名もなき山の朝がすみ
 

これは、オカブが詠んだものではない。食事処にかけてあった軸にある句である。芭蕉の作である。さすがに佳句である。
こんな、ことを書くのも、この宿が四季の移ろいに細やかな気を配った心尽くしのもてなしをしている事を知っていただきたかったからである。



 今日は、ゆったりとした時間を贅沢に持て余して、のんびりと鬼怒川温泉の街まで行ってこようという計画である。
ついでに鬼怒川温泉の名店『二八そば』で蕎麦を食って来ようというのもオカブのプランに含まれている。鬼怒川の蕎麦屋は「大黒家」という店が群を抜いているというネットでの下調べの結果だが、水曜が定休ということで、次に評価の高い『二八そば』にした。
朝食後、ゆっくりラウンジで珈琲を飲んで、おもむろに出かける。
晴れた街道沿いの道を行って、途中から吊り橋を渡って右岸に出る。 

右岸の鬼怒川に来ると、いつも気になっている古めかしいレトロなお蕎麦屋さんがまだあったので記念にパチリ。

鬼怒川のゆるキャラ、鬼怒太を描いた看板のある階段に続く橋を渡り返して、再び左岸へ。

ホテル街を通り抜けて、やがて鬼怒川温泉の駅に着く。駅前には足湯などがあり、温泉情緒を醸し出している。



さて、時刻も昼時だ。なにか食おう。さて、何を食うか?当然、オカブは蕎麦を食うことを主張する。
しかし、かーたんは蕎麦は嫌だという。折角、栃木に来たのだから、栃木牛が食いたいという。オカブは、ここにそんなものは無いと反論する。鬼怒川で夫婦の間でひと悶着あった。
しかし、ここはオカブが折れて、温泉街を、それらしき店を探して歩く。
ピザ屋があった。栃木牛はありそうもないのに、かーたんはここがいいと、決めてかかる。まぁ仕方がないと入る。

オカブはメニューも見ずにまずは生ビール。
さて、とメニューを眺めていると、な!なんと!栃木牛のハンバーグがあったのだ!
当然かーたんはそれ。
オカブは生ハムとチーズの盛り合わせでビールを飲む。

そこで、かーたんと相談して、ここを出たら、名代の『二八そば』に入って、オカブは蕎麦を食う、かーたんはデザートの何とか言う菓子を食おうということになった。 要は昼飯を二回食うことになる。なんと馬鹿なことを!と読者は思われるだろうが、お許し願いたい。
まぁ、かーたんも、ここの栃木牛ハンバーグには満足したようだし、次はオカブがいい思いをさせてもらうことにしよう。
ピザ屋を出て、鬼怒川温泉の駅に出、陸橋で線路を渡り、左側の国道を歩く。
30分弱ほども歩いただろうか?
目指す、『二八そば』が国道の左側にあった。 
駐車場などもあり、思ったより、大きな店だ。
昔の国道沿いのドライブインと言えなくもない。 

店内は混んでいた。
女将と思われるおばさんが、大わらわで立ち回っている。
オカブは当然蕎麦である。かーたんの分と言う名目のも合わせてざる二枚。
それにビール。ビールのアテに湯葉の刺身。
かーたんは「花がすみ」という蕎麦湯を材料に作った和菓子。
ビールを舐めつつ、湯葉をつつく。ここの湯葉はなかなか風味があり絶品。
ここの蕎麦は色が白く、独特の風味。今まで味わったことのない系統だ。美味い。しかし、ちょっと腰が弱く、オカブの採点は80点。
かーたんに聞いたら「花がすみ」なる菓子は、なかなか美味かったそうだ。

 

さすがに、腹が一杯になり、三々五々、宿への帰りの道を歩く。

国道沿いにてくてく歩く。
天気は少し曇ってきた。
しかし、暖かい。
周囲の山々が木の芽吹きで鹿毛色に染まっている。

蕗の薹山里の野良そぞろ行く   素閑 


この辺りでは、冬と早春と陽春がごっちゃになっている。
長い戻り道を歩いて宿に着く。
早速、風呂。
汗がにじむような陽気だったので、湯が心地よい。

ひばり鳴く春陽にゆるり湯浴みかな   素閑 


古妻や弥生湯宿で艶めかし   素閑

湯から上がると、部屋でまたビール。これが絶品、言葉もない。しかしよく飲む。
夕食まで飲み続けた。
夕食は6時半。
なんと今晩の夕食には栃木牛のしゃぶしゃぶがついていた。かーたんの喜んだこと喜んだこと!この人の牛肉好きは異常である。東京生まれの東京育ちであるオカブが牛肉らしい牛肉を食ったのは、大学に入って吉野家の牛丼を食ったのが生まれて最初だというのに。昔は牛肉は関西人が食うものと思っていた。
また酒になったのは言うまでもない。しかし一滴も飲まないかーたんは酒の相手にならない。手酌で黙々と飲む。ビールが尽きて酒になった。不思議と酔わない。かーたんのストップがかからなければ一升でも飲んでいたことだろう。

三月の旅の旨酒夜もすがら   素閑 


とにかく、ぐーたらぐーたら飲んでばかりである。これが学校の大先輩である若山牧水のような文豪なら、まだ雅趣もあろうが、オカブは屁でもない駄句を詠むだけのただの大酒のみの無能である。また、若山牧水にしても葛西善三にしても萩原朔太郎にしても、酒を愛する文人は惜しまれて若死にするものである。オカブのように、人に蔑まれながら、還暦まで馬齢を重ねるような愚人は、本当に世の中にとって不善をしかなさない。我ながら何のために生きているのか分からない。
飯を鱈腹食い、酒を鱈腹飲んで部屋に帰り、一休みして、寝る前に、また風呂に入った。夜の露天風呂も情趣深い。
春宵一刻値千金というが、早寝早起きのオカブはうつらうつらとなり、深い眠りに落ちた。 

雪洞の灯影もおぼろ山の湯や   素閑
 


鬼怒川温泉旅行@花の宿松や(一日目)

2017-03-28 23:57:07 | 鬼怒川温泉旅行記2017年3月

かーたんと鬼怒川温泉に行ってきた。
実は、去年のちょうど同じ時期の3月末に、かーたんと行こうとしていたのだが、かーたんが大腸がんに倒れ(その時は、まだ大腸がんと判明しておらず、虚血性大腸炎と大腸ポリープの処置をしてもらっただけだが)、とにかく大病の後、抗がん剤治療に伴う不規則な食事時間や、それになによりも癌という大病を患ったことによる、かーたんの精神的なストレスは大変なものであった。
そこで一年を経て、かーたんの体調も戻ってきたところで、同じ目的地、同じ宿で再挑戦ということに相成った。
家を、朝の7時半に出て、下北沢~北千住で、東武区間快速スカイツリー会津田島行きという大変ローカルな電車に乗る。
ただ、この便は、私鉄が浅草から福島県の田島まで走るという壮大な電車なのである。
朝食を摂っていなかったので、席に座ると早速、酒盛りと弁当。
ネタは昨晩サミットで仕入れてきてある。
 

日本酒の五合瓶を空け、電車の中ですっかり出来上がってしまった。
まだ、春浅い、しかし暖かな日光に照らされた、長閑な田園風景が車窓を流れる。
特急列車でなど行くよりは、余程、情趣深い列車の旅である。

旅に出て利根の河原の長閑さよ   素閑


12時過ぎには、目的地の鬼怒川公園駅に着いてしまった。
宿は、歩いて5分の花の宿松や』である。
宿のチェックインは2時である。
宿の、カフェ・ラウンジでビールとコーヒーで時間をつぶす。 
この宿のコンセプトは「大正ロマン」で、竹久夢二をテーマとした調度やインテリアに溢れている。 

 

そのうち、宿の名物女将がご挨拶に見えられ、ともに記念撮影に収まっていただくという光栄に浴した。
2時になり、仲居さんに案内されて、部屋に入り、寛ぐ。 

一段落して、まずは風呂。
この宿の露天風呂は、鬼怒川の渓流を一望に見渡せる、実に気分の良い渓の湯である。

 

蕾かたし鬼怒見下ろして旅の湯や   素閑

宿の窓からは、残雪をいただく遠山が臨まれる。

里の宿向こうの山の残り雪   素閑

風呂から上がり、ビールなどを飲みながら、昨日の半徹夜の睡眠不足を補っているうちに、食事の時間になった。
食事は、都会風の料理だったが、大変贅を尽くした、とても食べきれないくらいの量のご馳走だった(完食したが^^)
 

食休みして、ゆっくりまた湯に入り、静かな宿の山の気に囲まれて熟睡した。

山の間に灯影ゆらめく春の宵   素閑