季節に春の香りがしてくるとどこか旅に出たいが、かーたんが病身なのでそうもいかぬ。
ごくごく自宅の近辺の花鳥風月を愛でるのみである。
こういうのを、プチ引きこもりとでも言うのであろうか?
都内から出たのは、月初にコンサートに川崎まで行ったのが唯一である。
ドイツの哲学者、イマヌエル・カントは生地を出なかった。
一生の間、生地のケーニヒスベルグで暮らし、そこから一歩も出なかった。
しかし彼はそこで宇宙を観、宇宙を考察し、宇宙を語った。
偉大である。
オカブはカントと比較のしようもないどーしようもない爺である。
カントを引き合いに出すのもおこがましい。
しかし今の引きこもり状態はなにか似ている。
寒すずめひもじうてなら手こそこよ 素閑
寒すずめ弓の月こそ愛でにけれ 素閑
寒すずめ筆を持つ手を止めにけり 素閑
黄泉の世は昏き限りや寒すずめ 素閑
寒雀けふよあしたと飛びすがり 素閑
寒雀わが戸にきなば米たまふ 素閑
寒雀わたげも薄くしばかれよ 素閑
意地張れど寒すずめども寂しかろ 素閑
寒すずめ夜半に枕す巣のありか 素閑
寒すずめ窓にガラスの花瓶かな 素閑
大学の時、山岳サークルに入っていた。
年に何回か合宿があった。
冬山には何回か行った。
しかし春山には一回も行ったことがない。
春山と言っても、入試時期に入って学校が休みになる2月の半ばだ。
なぜ行かなかったというと、冬山で酷い凍傷になって、冬から春は脚を引きづって歩いているのが常だったからだ。
なぜ、凍傷になりやすいのかは分からない。
他のパーティーのメンバーは凍傷など全くならない。
靴が悪いのかと、ヒマラヤで履くような特別製の靴を買ったが駄目だった。
3度と言う足指の切断を要する凍傷の治療には、開腹手術をして交感神経を切除することが行われるという。
これには思い当たる節がある。自分は交感神経が実に興奮しやすい体質なのではと思っている。
だから、すぐに腹を立てたり、眠りに入るのに時間がかかったりなどの症状があらわれてくるのではないか?
だから凍傷になりやすいのだ。
冬山などとは全く縁のなくなったこの頃、こんなことを考えている。
冬菫寄る辺なき子の泣く声や 素閑
冬菫露も置かざるあれしとね 素閑
冬菫望郷のゆめ涙濡れ 素閑
冬菫さんさんと照るこほりの陽 素閑
明日は炉にくべるはならじ冬菫 素閑
鉄材の脇に咲きけり冬菫 素閑
猛将の冬菫取るみやびかな 素閑
冬菫榛名への路いてにけり 素閑
冬菫こひした日々も忘れ去り 素閑
冬菫川を木で打つ童かな 素閑
馴染みになっていた洋食屋が閉店する。
主人のご両親の相続の問題と店の権利も含めていろいろ複雑な問題があったようだが、詳しいことは分からない。
ただ、この近辺で昼食、夕食ともに手頃な値段で質の高い料理が食べられる店として、かーたんともども愛してきたの店なので寂しいとともに、残念だ。
また食うだけではなく、ご主人夫妻や店のスタッフとも懇意にさせていただいていたので、寂しさは募るばかりだ。
オカブの住む東京の郊外(23区内だが)では個人経営の飲食店の経営が非常に難しくなっている。
それでも新規に開店する店は多いので、競争は激しくなるばかりだ。
そうした中で、客としてこの店は大切にしたいという所に出会えたのは幸いだった。
もう十数年以上の付き合いになる。
今後の店の諸士の壮健を祈るばかりだ。
おの子らは湯豆腐さてもきらひけり 素閑
湯豆腐や吹く息湯気となりにけり 素閑
湯豆腐や松を揺らしてこほりあめ 素閑
人肌の湯豆腐茶屋の仲居かな 素閑
湯豆腐や小枝の梅の夜風かな 素閑
借り住まい鍋を仕入れて湯豆腐や 素閑
ながわずらひ床に座りて湯豆腐か 素閑
湯豆腐の湯気は伊吹の雲間へと 素閑
箸よりのかわし逃げるは湯豆腐か 素閑
湯豆腐や叔父は伊吹を越えたるか 素閑
湯豆腐や駒の蹄の橋の上 素閑
蕎麦を食ってきた。
代沢の『七つ海堂』である。
今風の女将さんがホール(といってもごく小さいが)を切り盛りしている。
大将はキッチンであろう。
酒を飲み蕎麦を食った。
蕎麦は色が白くきめの細かい更科風。
汁はやや酸味が勝ったピリッとした感じ。
美味かった。
蒸篭を二枚食った。
家から近いので気になっていた店だが、縁が合わずなかなか行けなかった。
この蕎麦と料理と酒でこの値段はお値打ちもの。
また来よう。
あかぎれをさらし風吹くうまのりか 素閑
あかぎれや破墨山水瀬田の景 素閑
あかぎれや屋敷の林や野の小川 素閑
あけの空地にわき出でてあかぎれや 素閑
とに出るもためらうたるにあかぎれや 素閑
素読せる五書五経なれあかぎれや 素閑
朝臣らもあかぎれ作る須磨の海 素閑
あかぎれの手を振り告ぐるエールかな 素閑
あかぎれや大理の柱美の館 素閑
夜は明けぬあかぎれの手の添え乳かな 素閑
芹澤佳通氏のコンサートにかーたんと行ってきた。
ランチ・コンサートである。
原宿の『ジャルダン・ド・ルセーヌ』という大変、結構なレストランで食事をいただいた。
今日の演目は『椿姫』のハイライト。
ソプラノのヴィオレッタとのデュオ。
アルフレード役の芹ちゃん(敢えて芹ちゃんと呼ばせていただく)は堂々の熱演。
名テノール振りを存分に聞かせていただいた。
無相忌や路の玉砂利重きかな 素閑
無相忌に葉無き小枝の夕鴉 素閑
法を説き無相の忌にてまた老ゆか 素閑
無相忌や大師も名利にほかならず 素閑
枯れた葉も無相の忌にはおほからず 素閑
煎餅をもとめ無相忌覚えたり 素閑
中大路乱れ降る雪無相の忌 素閑
無相の忌板東太郎たゆたふや 素閑
京表鄙よりいずる無相の忌 素閑
落款を無相の忌の間にととのへり 素閑
無相の忌狗のつくべに問ひかけむ 素閑
フェルメール展をやっているという。
安倍首相が鑑賞に行ったという。
どちらも興味がない。
そもそもフェルメールはフランドルの画家だが、いわゆるフランドル派と言うには洗練しすぎている。
オスターデ、ヤン・ステーン、ホッベマらの粗削りな、しかし古典を踏まえながら近代に向けての夥しいエネルギーを秘めた画家らとは違う。
フランドル派は『昼のガスパール』の原題となったアロイジウス・ベルトランの『夜のガスパール』詩集の第一巻である。
この埋もれた天才詩人は、『フランドル』の中に無限の神秘性と俗世の享楽、矛盾を見出した。
週末のひと時『夜のガスパール・レンブラント・カロー風の幻想詩』を読んでみようと思う。
菜洗ひや小川の台もひとしきり 素閑
ざりがにも菜洗ふみづに魂消けり 素閑
一人二人みたりとなりて菜をあらふ 素閑
儒者となり菜あらふこころ川のヘリ 素閑
菜をあらふ井戸辺に吹くは山おろし 素閑
板東に菜あらふ婆あ七十歳 素閑
香華また菜あらふ戸ごとあらはなり 素閑
菜あらへり多摩にありけむ赤富嶽 素閑
菜をあらふ板のかこひの地蔵佛 素閑
菜あらへりここに吹く風辛きかな 素閑
享保の改革と言うのがあった。
老中水野忠邦が主導したものである。
寛政の改革と言うのがあった。
白川藩主松平定信が主導したものである。
どちらも失敗に終わった。
いずれも、経済改革と言うよりも、奢多を慎み幕政に寄与すべしとの、非常にイデオロギッシュな活動であったため、経済を活性化し、幕府の財政を豊かにするための細目の検討がまったくできていなかったためである。
水清ければ魚棲まずというやつである。
というよりも改革の重点政策が全くずれていて、ただの清貧運動になっていたかのような様相を呈していた。
何事も、一度価値観を離れ、目的合理性を追求しないと成功しない典型であろう。
だから、掛け声の勝った、なんとか運動やなんちゃら活動は信用ならない。
冬ざれや脚にまとはる古ズボン 素閑
冬ざれの念仏僧の初七日か 素閑
果ての無き冬ざれし野の入日かな 素閑
あどけなきかんばせ冬さる野の仏 素閑
冬されの墓塔に枯れ菊朽ちにけり 素閑
冬ざれて乾ける土のかほりけり 素閑
冬の原荒れてひとつの葉も消えて 素閑
冬ざれや煙草の杣のたむろする 素閑
冬ざれの林の野営水汲みや 素閑
冬ざれて垣のすまゐの稲荷かな 素閑
今はエアコンが発達して、寒暖を屋内で身に染みて感じることが少ないから、寒さも家にいる限りはそんなに深刻なものではない。
そして、それを防ぐものとして、昔は炬燵、行火、火鉢、湯たんぽなど多くのものがあったが、現代ではエアコン以外には電気毛布くらいであろう。
便利になったと言えば便利になったが、旧態依然の暖房器具がなくなったのはちと寂しい。
人間は生理的に暑さにはストレスを感じないが、寒さにはストレスを感じるという。
オカブにしてみれば糞暑いほうがよほど鬱陶しいが、人類が原始生活をしている頃、生存の脅威の一つが凍死だったことを想像すると、人間の細胞のDNAに寒さへのストレスが刻まれているのであろう。
しかし、今年は寒い。
去年ほどではないにしても・・・
思わずブルルである。
寒月も昇りて孫を寝かしつけ 素閑
橋畔に茶屋の一軒寒の月 素閑
集まりて熱き饂飩や寒の月 素閑
名も知らぬ山のいただき寒月や 素閑
寒月や小鳥も飛び去る闇の中 素閑
寒月に問ひも申さむおほさむの 素閑
寒月のとほひ山風藁飛ばし 素閑
寒月や宙に浮かぶるされかふべ 素閑
寒月のわづかに照らすつくばひか 素閑
寒の月香炉のけむりますぐかな 素閑
寒月に金襴緞子の藁家かな 素閑
狂乱物価と言われた時代があった。
石油ショックと言われた時代があった。
ともに物価が高騰することを嘆いたことによって名付けられた。
しかし、今は物価が上がらないと言って、野党が政府を攻撃する時代である。
隔世の感がある。
しかし、感覚的には、確実に物価は上がっている。
外食費も高くなった。
人件費の高騰の結果であろう。
これが、あらゆる分野に波及する。
宅配業界だけではない。
悪性インフレはある日突然やってくる。
オカブなど、もういつ死んでもあとくされの無い年齢だが、若い人は覚えておいてほしい。
これは決して既得権者の戯言ではない。
実際に、2年前と今とではどちらが金銭的に暮らし良かったか比べてみるとよい。
アベノミクスは評価するが、負の側面があるのもゆめゆめ忘れてはならない。
寒風やわけても背筋吹き通り 素閑
冬の風心やどりし服の中 素閑
寒風を受けて子供の風上に 素閑
寒き風ともに世わたる仲間かな 素閑
寒風や燎原の火の闇の中 素閑
四つ目垣寒風に遭ひ竹の笛 素閑
暮れなむと寒風枝にあれ幹に 素閑
冬の風闇の女の吐く息や 素閑
寒風の肌の細かきしこめかな 素閑
寒風や世の常ならむまけいくさ 素閑
満州の原の寒風守備隊兵 素閑
去年の今頃はパリに行っていた。
自分でも何をしに行ったのかわからない。
別に観光をしに行ったわけでもない。
まぁ、パリにいれば日本人としてはそれだけで観光になるのだろうが?
2人の人と会っただけである。
街歩きと言っても、寒くて寒くてとてもそれどころではない。
カフェのサルで暖かい飲み物を飲んで縮こまっていた。
あとは何の変哲もない安飯屋で安飯を食っただけである。
財布の中身を見ると、それだけで二週間の滞在には心もとないので、後の方は安飯屋にもいかずスーパーでパンやハムやビールやワインを買ってホテルで食った。
ホテルは2つ星の隙間風がヒューヒュー吹き込んでくる暖房の利かないホテルだった。
観光地はルーヴル美術館だけ行った。
ここも行き飽きた。
というかここは何十回通っても新しい発見があるので、これでいいという所がない。
そこでかえって飽きる。
雪に二回降り込められた。
帰りの飛行機は無事飛ぶのだろうかと心配したが、なんとか事なきを得て帰ってきた。
帰ってくると華のパリよりあばら家でも我が家が一番と言うことになる。
それでも、しばらくするとまた行きたくなる。
不思議なものだ。
ひとりにて寒烏賊炙り喰ひにけり 素閑
寒烏賊や猫もやがては十六歳 素閑
寒烏賊や無口な娘となりにけり 素閑
寒烏賊や火を男らで囲みけり 素閑
お好きでしょ寒烏賊ともに酌の手や 素閑
寒烏賊や浜の風射す漁師小屋 素閑
板張りの家並み続き寒の烏賊 素閑
寒烏賊や鈍く落ちたる北の空 素閑
寒烏賊のにほひの満ちた浜の村 素閑
棄てられて犬とたわむる寒烏賊や 素閑
寒烏賊や綿入りまとひ家の中 素閑