昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

久しぶりの大学山岳サークルOB会

2009-01-25 08:13:00 | 日記・エッセイ・コラム

表記の件、高崎の陶樵山人が上京してくるというので、急遽、同志を糾合して新宿で執り行った。集まったのは陶樵山人に菫草君にN山君、オカブの4人。

会場は西口の「御八総本店」。HPに載っているコースを注文しようとしたら、当日注文は出来ないそうで、3500円のコースと飲み放題90分1750円。これから行かれる方は、料理を予約していったほうが宜しい。予約の飲み放題つきのコースのほうが内容がgooです。

さて、話題は、セルフビルドというか素人大工で自邸を新築している、陶樵山人の仕事振りに集中する。ただし、素人大工という勿れ、彼は自邸新築のために電気工事士の免許も取得し、図面も自分でCADで引いて役所に提出したという本格派。その工事の進捗はhttp://pub.ne.jp/tabikarasu/「家作り日誌」に詳しい。

いまだ独身のN山君の未来のお嫁さんの話などに夢が膨らんでいくうちに、お時間も宜しいようで、お開き。新宿で陶樵山人とN山君と分かれ、菫草君と、小田急駅前の立ち呑み屋でしばし、締めの一杯。

よく飲んだ一夕だった。

 

    

    旧友と人込みの電車寒の夜     素閑

 

 

 


ぶっ倒れてしまった!

2009-01-18 09:23:00 | 日記・エッセイ・コラム

このところ歳のことを考えず無理をしたせいか、今日、ついにぶっ倒れてしまった。

朝、目が覚めると横になっていても目眩がする。気分も良くなく、ときどき吐き気がする。他にはとくに悪いところはないので、疲れが溜まったのだろうと予測して、起きようとするのだがどうして起きられない。目眩が酷くなってくる。このまま寝ていようかとも思う。

なんとか起きて 、教会に遅刻して着いたのが11:00。今日は当番だったのでどうしても休めなかった。

礼拝後、かーたんは聖歌隊の練習と、教会学校教師会。

悪いがお先に失礼させてもらうことにして、会計の仕事を済ませると早々に教会の門を出た。

朝から何も食べていなかったので、かーたんの帰りがけに「鯖の棒寿司」を買って来てもらう。こんな消化の悪い、生臭いものを食っていいのかという考えもあろうが、好きなものしか喉を通らないので、日頃好物のこの寿司を買ってきてもらった。

半病人の態で、寝ながら寿司を食う。

今日は散々の日であった。明日までには回復しておかなければならない。

夕飯に湯豆腐のおじやを食って、八時には寝てしまった。

 

 病み寝つき雑炊を食う床の中     素閑

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よき町世田谷

2009-01-12 16:47:52 | まち歩き

先週のデスマッチが効いて、気力も体力もいえてきた。今日は仕事は休み。世間も成人の日で祝日だから、少しばかりサボっても罰は当たるまい。かーたんは日野でちょっとしたリサイタル。気分転換に近所に一人で散歩に出ることにする。折角、缶詰になっていたところを、外出するのだから、少し気の利いたところへ行こうと、豪徳寺と世田谷代官屋敷の史跡を目指して、昼前に家を出る。

午前中は陽も顔を出し、うららかな冬の晴れ間。若林から北沢川緑道を通って豪徳寺へ。緑道は休日のジョギングの人がたくさん走っていた。

豪徳寺は文明十二年(1480年)、世田谷吉良氏五代目の政忠が世田谷城の西側の岡続きに建てたもの。江戸時代に入り、井伊直孝がこの寺を菩提寺にした。元は臨済宗であったが現在は曹洞宗。

境内は休日の参詣客で結構賑わっていた。葬儀が営まれていたが、奥の本堂で一般には目に触れない形で執り行われていた。

仏殿、庫裏、観音堂、墓域に入り、井伊直弼の墓を見る。

墓地の地面には霜柱が立っていた。

墓地の古い地蔵像の墓塔の前は真新しい石材で柵と線香台が作られていた。

豪徳寺を出て上町の大場代官屋敷を目指す。

適当に道順に当たりをつけて歩いたが、偶然に途中で勝光院に出た。曹洞宗の寺で、境内の竹林が趣を添えている。

世田谷区が管轄の代官屋敷は祝日のため閉じられていた。この辺もお役所仕事の弊害か?

帰りは世田谷通りを歩き三軒茶屋から家へ向かう。三軒茶屋のすずらん通りの「駄菓子バー」と銘打った呑み屋ののたたずまいが珍しかったのでデジカメでパチリ。

家へ着いたのは3時前だった。

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   石地蔵成人の日を眠たげに     素閑

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一仕事ケリがつきました

2009-01-11 23:21:00 | 日記・エッセイ・コラム

正月がはや過ぎ去ったDscf0373_edited_6

のんびりと過ごした正月であるが、終わってみると、デッドラインに迫られている仕事が山と溜まっているのに直面し、改めて愕然としたのが、先週5日の月曜日。それからというもの今日まで、徹夜の連続だった。

今朝、溜まった仕事の片づけで一段落したのが朝の5時。さすがにこの歳になって徹夜のレンチャンは体力がもたない。フラフラになって、バタンキューなのだが、眠ろうとしても、今度は目が冴えて眠りにつけない。そこで正月からのとっておきのビールを飲む。

しばし、うとうとして起きたのが9時過ぎ。我が家の猫はすでに、起床     Dscf0374_edited           
しており、朝食を済ませたところであった。かーたんとエルさんは教会学校にでかけており、独り猫としばし戯れる。また二度寝したいところではあるが、今日は教会で役員会があるため、どうしてもサボるわけにはいかない。10時前に家を出る。

礼拝では説教を聞いていても上の空で、暖かい会堂でベンチにもたれかかりウトリウトリ。

礼拝終了後、午後から役員会がある。役員の一人のガッツおばさんが五目うどんを作って振舞ってくれる。この昼食は、月に一回のひそかな楽しみである。

会議は5時半過ぎまでかかった。どうしてうちの教会の役員会はこうも長いのだろう。毎度のことだが・・・・


   

   夜なべして家をいずるに陽はまぶし     素閑


  


                                                                                                                                                           

 

 

                                                              


うららかな正月三日

2009-01-03 21:08:25 | まち歩き

今年の正月三が日は、関東地方は日の光に恵まれたまことに穏やかな冬の日が続いた。こんな日に家にくすぶっていてはもったいない。仕事は休業にして、昨日に引き続いてかーたんと午後から太子堂、三軒茶屋の辺りに散歩に出かける。太子堂の円泉寺に行ってみる。

この寺は真言宗豊山派で「太子堂」の地名の由来になった古刹である。江戸初期の頃、賢恵僧都という人が大和の久米寺から聖徳太子像と十一面観音像を背負って関東地方へ布教にやってきて、このあたりで一泊したときに、夢に聖徳太子が現れてお告げをしたという。このあたりは神聖な土地で円泉が丘といい、常に霊泉が湧き出ているので永くここに安住するようになった。そこで賢恵僧都は本堂と聖徳太子堂を建て太子像を祀り円泉寺とした。

この寺域は子供の頃の遊び場で、恐ろしげに覗いていた木の洞に祀られた馬頭観音も、今見てみれば親しげだ。

寺の脇の路地には林芙美子の旧居跡も残っている。この家は芙美子が不遇時代を送った棟割長屋で、隣家には坪井栄夫妻が住んでいた。

その後、三軒茶屋に出て、昨日、果たせなかった、キャロットタワーの最上階まで登り、丹沢、奥多摩、秩父、そして富士山の雄姿を眺めてきた。

富士山は残念ながら頂上付近を雲に覆われていたが、初富士を見られたのでよしとする。

最上階のスカイロビーで、かーたんは紅茶にドーナツを、オカブは生ビールを飲み満足満足。

これにて、正月の一連の行事は終わり。明日から正常モードで運転である。もっとも日曜だが、教会に行った後はすぐに仕事だ。
夕飯はかーたんが「ほうとう」を作ってくれた。大鍋を囲んでみんなでふうふういいながら、太いうどんのようなほうとうをすする。おかげで暖房の効いた部屋ではすっかり暑くなりセーターを脱いだほどだ。

7時からはニューイヤー・オペラコンサート。

夜の女王を歌った安井陽子は初めて知る歌手だが、『復讐の地獄の炎は我が胸に燃え』を無難にこなし、今まで日本人が歌った夜の女王でも最高の出来。期待の新人といったところだろう。幸田浩子のオランピアも良かった。しかし、カルメンを歌った林美っちゃんは可愛すぎてカルメンの妖艶さが足りなかったし、逆に佐々木典子のルサルカは手折れんばかりの可憐さとは程遠くミスマッチ。福井敬さんはさすがに男性歌手の大御所の貫禄を遺憾なく発揮していたが「福井節」はちょっと鼻につく。

今年のニューイヤーは木下美穂子と森麻季がでないなどイマイチだった感がある。

空青く三日の西日しづかなる     素閑

 

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仕事始めの二日

2009-01-02 22:06:18 | 日記・エッセイ・コラム

正月もはや二日である。

オカブ商会は今日が仕事始め。メールチェック、プロダクトの日本語化作業、契約の交渉、すべて今日がスタートだ。二日は仕事始めの吉日とされている。なんといってもスタートは早く切ったほうがよい。

午後、かーたんと三軒茶屋の郵便局本局へ年賀葉書を買いに。

西友 の新年バーゲンでかーたんにセーターを買い、

マックのハンバーガーセットで新年を寿ぐ。全くもって質素な年の初めである。キャロットタワーの最上階で初富士を眺めようとしたが、明日まで最上階はお休み。このビルは世田谷区の外郭団体が運営しているのだが、これだからお役所仕事は困る。

右は今日のキャロットタワーの姿。

初富士の代わりにこれにてご勘弁願いたい。

家に帰り、日本語翻訳作業と、製品化に関するメール、メッセンジャーの交換。海外が相手の商売だと正月休みがないので効率的というか貧乏暇無しと言うか・・・・

夕飯はかーたんがおせち料理の残りとお刺身で、なんちゃってちらし寿司を作ってくれた。

お銚子冷やで二合。

いい気持ちになって今日の予定を締めくくった。          

   

   たおやかに日置き我が街二日かな     素閑




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元日は今年も寝正月

2009-01-01 21:39:26 | 日記・エッセイ・コラム

改めまして、明けましておめでとうございます。

先述の通り、今年は政治、経済、社会とも厳しい試練の年になりそうだ。新年の朝刊の紙面も厳しい世相を伝えている。

しかし、我が家の新年はいたって太平楽。9時過ぎに一家打ち揃って屠蘇を祝う。エルさんのお年玉の額に社会の状況が若干反映されているともいえなくない。Dscf0343_edited_3Dscf0341_edited  Dscf0346_edited_2Dscf0350_edited_2Dscf0340 Dscf0353_edited Dscf0352 Dscf0355_edited Dscf0354

うちでの挨拶ごとを済ませて、かーたんの実家にお年賀の挨拶に行く。ここでもお屠蘇とおせち料理の饗応にあずかり、いいかげん酔っ払ってエルさんと一足先に失礼した。

家に帰ると、酔い疲れで昼過ぎからニュー・イヤーの時間まで寝続けた。日頃の疲れも溜まっていたのであろう。身体中から疲労素が抜け出ていくように惰眠を貪った。今日ばかりは電話もメールも心配をすることもない。ままよ寝法楽である。酔いが醗酵して睡眠を醸成していくような気分だ。

さて、今年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートはダニエル・バレンボイム指揮。第一部の構成はオーソドックスだがポルカが中心でワルツを聴きたいオカブは欲求不満気味。『南国のバラ』は唯一、ウィンナワルツを堪能できた。

第二部ではワルツの演奏も増えてくるが、『美しき青きドナウ』を入れて三曲のみ。しかしバレンボイムはウィーン風のワルツの三拍子をあまり意識することなく振っているようだ。ただ、ウィーンフィルの演奏は素晴らしい。しかも今日は生き生きしている。最初のうちは硬かったのではらはらしたが、さすがウィーンフィルである。昨晩、第九でN響の芳しからぬ演奏を聴いたのでよい口直しになった。

ニューイヤーが終わると、10時過ぎには寝支度を始めることに。今日はよく寝る日だ。

 

 

   

   世の中の憂いもなきや寝正月     素閑